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フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス ep.1 “Whose side is fortune on?” 作者:TOM-F

Chapter 2

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2.2 ザ・サヴォイ・フェアモント(Layer:1 Main Story)


 ホテル「サヴォイ」は、ストランド通りから少し奥まったテムズ川のほとりに建っている。建物自体はさほど大きくはないが、英国王室との縁も深く、各国の首脳をはじめとした要人の利用客も多い。格式の高いホテルではあるが、徒歩でふらりとやってきたマイケルとエミリーに対しても、ドアマンは恭しく敬礼をして出迎えてくれた。
 エミリーは、まっすぐにフロントに向かうと、コンシェルジュにカードを見せたあと、アフタヌーンティーを用意して欲しいと告げた。
 応対したコンシェルジュは、四十台前半くらいの男で、スーツ姿と穏やかな笑みが板についたベテランのホテルマンという感じがした。エミリーが差し出したカードを見たコンシェルジュは、感心したように微笑むと丁寧に一礼した。
 先に立って歩くコンシェルジュについていくと、ロビーを抜け、ラウンジ『テムズ・ホワイエ』の一番奥のテーブルに案内された。
 こんな高級ホテルでティータイムを過ごすのは、上流階級の人間か外国人観光客くらいのもので、店内は静かな落ち着きがあった。オレンジ色の間接照明が、使い込まれて飴色になったテーブルや椅子を光らせ、大理石の円柱の前にあるグランドピアノでは、タキシード姿のピアニストが「ムーン・リバー」を弾いていた。
 待つほどもなくテーブルには豪華なポットやカップが並び、サンドイッチやストロベリータルトやスコーンが盛り付けられた三段重ねの銀のティースタンドが置かれた。セッティングを終えたウエイターは、ティーポットからカップに紅茶を注ぐと、小さくお辞儀をしてから立ち去った。
 エミリーは、ティーカップの取っ手をつまんで持ち上げ、香りをかいだあとで一口だけすすった。そして、頬を緩ませて軽くうなずく。さすがに、スコットランドヤードの紅茶よりは美味しかったのだろう。
 マイケルも、スコーンをひとつつまみ、紅茶をすする。上等なバターの風味に、香りのよい紅茶がよく合っていた。
 それは、豪華で優雅な、だれもが思い描くであろうアフタヌーン・ティータイムだった。だが、だからこそマイケルは、心に浮かぶ疑問を目の前の少女に問いたださずにはいられなかった。
「なあ、エミリー」
 マイケルが呼びかけると、サンドイッチに噛りついていたエミリーが、なにかしらと言いたげに首をかしげた。
「おまえ、暇と金があり余っているんだな。毎日、ぶらぶらと遊びまわって、のんびりとお茶を飲んで。学生のくせに、優雅なもんだな」
 サンドイッチをゆっくりと咀嚼してから飲み込んだエミリーは、ナプキンで口元を軽く押さえた。
「そうでもないわ。お金なんてどうでもいいけど、時間はだれにとっても等しく貴重なものよ。でも、その時間をかけてでも、なすべきことはあるわ」
「なら聞くけど、おまえはなにがしたいんだよ」
 伏せられていた真紅と青のオッドアイが、ゆっくりとマイケルを見た。そして、小さな唇の端がわずかに上がる。
「したいこと、ではなくて、なすべきこと、よ」
 まるで、東洋の宗教の問答みたいなエミリーの答えが、マイケルの気持ちを不快にする。
「俺を、からかっているのか。ここ三日間というもの、ロンドンの名所をうろついているだけだぞ。ご大層なことを言っても、ただの観光じゃないか」
 エミリーは、ふうっとひとつ、ため息を落とした。
「嫌なら、ついてこなくてもいいのよ。そもそも、頼んでもいないのに、勝手にわたしにつきまとっているのはそちらでしょう。あれこれ言われる筋合いはないわ」
 エミリーが言っていることは正しかったが、それを彼女が口にすると、マイケルはなぜか無性に腹が立った。こちらの気持ちなど意にも介さないように、エミリーはタルトに手を伸ばす。ほんとうに、可愛げのない娘だとマイケルは思う。
 小腹が空いてきたので、マイケルもエッグサンドイッチをひとつつまんだ。その行方を、エミリーが恨めしそうに見やる。どうやら、タルトの次に狙っていたらしい。
 エミリーは、ティースタンドに残っていた最後のハムサンドイッチをつまむと、小皿のタルトの横に並べるように置いた。食糧を確保して安心したのか、彼女は端正な造形の目尻をすこし下げる。
 たしかにエミリーは、見た目だけなら、だれだって喜んでボディガードを引き受けたくなるほどの美少女だ。とはいえ、このお嬢様に振り回されて、すでにまる二日も無駄に過ごしている。ついて回っていれば、通り魔事件に繋がる手がかりでもつかめるかと思ったが、あるいは見込み違いだったのかもしれない。
 マイケルは、ため息を落とす。
 一昨日はウエストミンスター寺院、昨日はナイツブリッジ、それで今日はトラファルガー・スクエアか。まあ、スコットランドヤードからそんなに離れていないし、ロンドンの中心部ばかりだから、手間はかからないが……。
 ――待てよ。
 頭の中にロンドンの地図を思い描いたマイケルは、それ(・・)に気づいた。
 ジャケットの内ポケットから、地図を取り出して広げる。エミリーが徘徊した場所はすべて、連続通り魔殺人事件の発生予想地点に重なっていた。
 ――やはり、なにかあるな。
 マイケルは、フォークでタルトを小分けにしているエミリーに、何気ない話題のように問いかける。
「なあ、おまえ、いつごろロンドンに来たんだ?」
「五月よ」
 いきなり、ビンゴだった。連続通り魔事件が起き始めた時期と一致する。
「それから、ずっとロンドンにいるのか」
「ええ。仕事が終わるまでは、居ることになるわ」
「仕事?」
 学生という顔は表向きで、裏の顔があることはいうまでもなくわかっていた。それも、殺人犯などというとんでもなく血生臭い顔だ。
「あれを……殺人を、仕事だと言うつもりか」
 エミリーは、フォークを持つ手を止めて、険しい目線をマイケルに投げてきた。
「そういう偏狭な先入観で、わたしを見るのはやめなさい。合理的な思考ではないし、とても不愉快だわ」
「それは無理な注文だ。あんなところを、見せつけられたんだからな」
「だから、見ないですむようにしてあげようと思ったのに。……あれは、殺人ではないわ。れっきとした、仕事よ」
 イギリスの司法制度に真っ向から挑むような言葉を、エミリーは平然と言ってのけた。
 なんてやつだ、と思いながらも、マイケルは手ごたえを感じる。やはり、この娘と連続通り魔殺人事件には、繋がりがあるにちがいない。
「連続通り魔殺人事件、と俺たちが呼んでいる事件がある。今までの犠牲者は、十名だ。当局の捜査にもかかわらず、犯人は未だ判明していない。俺は、その犯人を追っている」
「そう……。それで?」
「おまえがキングスクロスで殺害したのは、その事件の犯人なのか。おまえの仕事とやらは、犯罪者を抹殺することなのか」
 現職警察官であるマイケルの、尋問とも取れるストレートな質問だというのに、エミリーは眉ひとつ動かさなかった。
「さあ、どうかしら……」
 エミリーがティーカップを手にとる。褐色の紅茶の水面が揺れて、ほのかな湯気が上がった。
「せっかくのお茶がまずくなるから、もうそんな話はやめなさい……。ティータイムには、それにふさわしい話題があるでしょう」
 そう言うと、エミリーは紅茶を飲み干した。
 そして、カップをソーサーに戻し、椅子の背もたれにゆったりと身体を預けた。彼女の胸元の大きなリボンが、くいっと持ち上がる。傲然と胸を張った彼女は、オッドアイをマイケルに向けた。
 つぶらに見開かれた青い方の瞳が、なにかを要求しているようにも見える。だが、それがなんなのかを考えるより先に、エミリーが無愛想に告げた。
「お茶がなくなったわ」
「ああ」
「ぼうっとしてないで、注いでちょうだい」
 ティータイムらしい会話とやらを要求したと思ったら、次はこれか。こいつは、ボディガードをボーイフレンドや使用人と混同しているに違いない。
「わがまま言うなよ。お茶くらい、自分で注げばいいだろう」
 今まで平然としていたエミリーだったが、その眉の両端がすこし上がったように見えた。
「気がきかないだけじゃなくて、目上の者に対する礼儀も、レディに対するエチケットも知らないのね」
 ――エチケットだと。それを言うなら、おまえの態度はどうなんだよ。
 こちらを見下したようなエミリーの猫なで声が、マイケルの心に怒りの火を着けた。
「何様だか知らないけど、子供が大人に説教するなよ」
「人を、見かけで判断するのね。なんて幼稚な人かしら」
 マイケルは、これ以上言い返すのも大人気ないと思ったが、もう止まらなかった。
「おまえみたいな子供に、幼稚だとか言われたくないね」
 エミリーの顔色が変わり、同時にマイケルは足の甲に激痛を感じた。どうやら、テーブルの下でエミリーに踏みつけられたようだ。目視もせずにヒットさせる妙技に舌をまきながら、マイケルはエミリーをにらみかえす。
 だが、エミリーには悪びれる様子もない。反撃される心配がないことを、じゅうぶんにわかっているに違いない。
「わたしに対等に接することや無礼な振る舞いをすることには、ある程度まで目をつぶってあげます。でも、わたしを子供扱いすることは、絶対に許しません。相手を見かけで判断するような人に、この身の安全を任せるなんてできないわ。その慢心が、いつかあなたの命取りになることに気づきなさい」
 エミリーの言葉が正論だということは、マイケルにも分かっていた。しかし、
それがかえってマイケルの気に障った。
 ――ふざけるな、ハイスクールの小娘が言うことか。
「大きなお世話だ。おまえなんか、口が達者で生意気なだけの子供じゃないか。世間知らずのくせに、大人に向かって知ったふうなことを言うなよ」
 はっと気づいたときには、もう遅かった。場所柄をわきまえないマイケルの荒っぽい言葉に、近くの席にいた客たちも、なにごとかとこちらの様子をうかがっているようだった。
 エミリーは、ひとしきりマイケルをにらみつけると、ナプキンをテーブルに置いて席を立った。
「もういいわ。今日は、帰ります。一人で帰れるから、送ってくれなくていいわ。じゃあ、また明日」
 そう言い残して背を向けようとするエミリーを、マイケルは引き止める。
「ちょっと待てよ、そんな勝手なことは認められないぞ。俺には、おまえを護衛する任務があるんだ。それだけは、きっちりとやらせてもらう」
「もういいって言ったでしょう。自分の身くらい、自分で守れます。わたしのことは、恋人と一緒に帰った、とでも報告しておきなさい。プライベートには踏み込まないのだから、それでいいでしょう」
 エミリーは軽く会釈をすると、スカートの裾を揺らせながら足早に出て行った。
 立ち上がって後を追おうとしたマイケルは、目の前に立った一人の男にそれを阻止された。どいてくれ、と言いかけたマイケルは、その男の持つ威圧感に、一瞬、言葉を失った。
 すらりとした長身の男だった。ミドルエイジといっていいくらいの年齢に見えたが、仕立ての良さそうなベージュのスーツが若々しい印象を与えている。ウェーブのかかった短い金髪に縁取られた彫りの深い顔の中で、銀色と琥珀色のオッドアイが、見下すようにマイケルを見ていた。
 相当に長生きしたって出会えるかどうかという異色虹彩を持つ人物に、十日ほどの間に二人も出会うとは……。妙なところで感心しかかったマイケルに、男が話しかけてきた。
「君、さっきから少し騒々しいぞ。場所柄をわきまえたまえ。しかも、レディを相手にあのような言動は、紳士としてどうかと思うが」
 落ち着いた口調の、しかし妙に良く通る声だった。耳の痛い忠告だったが、マイケル自身もあの言動はまずかったと思う。
「お騒がせして、失礼をした」
 マイケルの陳謝に、男はまなじりをすこし下げて答えた。
「わかってくれたのなら、もうよい。君は、しばらくそこで頭を冷やしていたまえ。姫君(・・)は、余がエスコートすることにしよう」
 その言葉が終わると同時に、男の眼差しがマイケル射すくめた。
「なっ……」
 その先は言葉にならなかった。マイケルの足から力が抜け、椅子にへたり込む。
 ――どうなっているんだ、こんな……。
 立ち上がろうとするが、腰が抜けたように身体に力が入らなかった。
「それと……ここで余と会ったことは、『忘れる』がよい」
 ――この男は、なにを言っているんだ。
『忘れる』がよい。
 ――いや、何を言ったんだ?
『忘れろ』
 混乱するマイケルを尻目にして、その男は悠然とラウンジを出て行く。
「イスカンダル様、どちらへ」
 付き人らしき数人の男女が、その男に呼びかけながら後を追う。
 マイケルは、霞がかかったような視界と思考で、ただ呆然とそれを見送るしかなかった。
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