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フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス ep.1 “Whose side is fortune on?” 作者:TOM-F

Chapter 2

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2.1 トラファルガー・スクエア(Layer:1 Main Story)


「俺はいったい、なにをしているんだ」
 マイケルはそうつぶやいて、空を見上げた。
 青一色の空をさまよったマイケルの視線が、トラファルガー・スクエアのシンボルであるネルソン提督の銅像をとらえた。
 ネルソン提督は、一九世紀初頭に起きたトラファルガー岬沖の海上戦で、英国艦隊を率いてフランスとスペインの連合艦隊を打ち破り、ナポレオンの英国侵攻を食い止めた英雄だ。戦闘中に敵から狙撃されて命を落としたが、死後二百年を経た今でもこうして、高さ五十メートルの円柱の上から英仏海峡ににらみを効かせている。
 炎天下に文句のひとつも言わず敵を見張っているネルソン提督には悪いが、同じ見張り役のマイケルは我慢の限界が近かった。ここ数日というもの、真夏にはまだ遠いというのに、最高気温が三〇度を越える日が続いていた。六月のロンドンとしては、じゅうぶんに異常気象といえる暑さだ。それを不快に感じるのは、自分だけではなく、暑さに慣れていない大多数のロンドン市民も同じだろうとマイケルは思う。
 視線を空中から地上に下ろす。普段なら、この広場で憩う人もたくさんいるのだが、この暑さではさすがに人影も少ない。巨大なライオンのブロンズ像によじ登って遊ぶ子供たちの声だけが、元気よく響いていた。こんな日は、エアコンの効いたオフィスにいる連中が羨ましい。涼しげな水を吐き出す噴水の苑池に飛び込みたい衝動を、マイケルは残り少ない理性でなんとか抑え込んだ。
 マイケルの右向こうには、ナショナルギャラリーの正門がそびえている。収蔵品二千点を越える巨大な美術館で、観光客らしい団体が、ギリシャ神殿を思わせるエンタシスの列柱の合間に吸い込まれていく。
 その正門に登る石段に腰掛けて、無心に本を読んでいる真っ白な少女が、マイケルの目に留まった。それは、この気候以上にマイケルを不快にしている人物、エミリーだ。
 エミリーは、パールホワイトのロングヘアだけでもよく目立つ存在なのに、その服装はさらに人目を引くものだった。彼女が着ている服は、白い半袖のワンピースと言っていいのだろうが、光沢のある柔らかそうな生地にレースをふんだんにあしらい、きゅっと締まったウエストとたっぷりと膨らんだスカートというフォルムは、ドレスと言った方がいいような豪華なものだった。黒のセーラーカラーと、黒い縁取りのついた胸元の大きなリボン、そして袖口とスカートの裾にそれぞれ二本ずつと胸のあたりに一本ある黒いラインが、カジュアルな印象とともに、白一色の服にアクセントを与えている。
 およそ普段の外出着とは思えないような身なりの少女が、この炎天下に日傘もささず、石段に腰掛けて本を読んでいるのだから、道行く人々の注目の的になるのも当然だった。
「あいつはいったい、なにがしたいんだ」
 マイケルのつぶやきが聞こえたのか、エミリーは本を閉じて立ち上がった。
 そして、広場にたむろする鳩をかきわけるように、胸をはって颯爽と歩いてくる。膝丈のスカートが、彼女の歩みに合わせてふわふわと揺れる。足元は黒のミュールなので、頭のてっぺんからつま先まで白と黒で統一されていたが、マイケルをにらむような青と真紅の瞳が、彼女に鮮やかな彩りをそえていた。
 マイケルの正面でエミリーの足が止まると同時に、まるで空から降ってくるような声がした。
「お茶にしましょう」
 マイケルは、見上げるようにしてエミリーの顔を見た。こうして仰ぎ見ても、端正な顔の輪郭が崩れることはない。その容姿だけは、非の打ちどころのない美少女だった。
「ほんとうに、気がきかない人ね。お茶の時間になったら、ぼうっとしていないで声くらいかけなさい」
 マイケルは苛立ちながらも、腕時計を見る。ちょうど、午後三時だった。小さく舌打ちをして、腕時計から目を上げると、エミリーの後姿はすでに遠ざかりつつあった。
 後を追うためにベンチから立ち上がったマイケルは、彼女が座っていた石段に、白いレースのハンカチが残っているのを見つけた。そういえばエミリーのやつ、石段に席を確保するとき、俺をひとしきりにらんだあと、バッグからハンカチを取り出していたな。マイケルは、白黒の後姿に向かって声をかける。
「おい、ハンカチを忘れてるぞ」
 エミリーは立ち止まり、顔だけをこちらに向けて面倒くさそうに言った。
「あれは、もういらないわ。気になるのなら、あなたが片付けておきなさい」
 いらないというのはともかく、片付けておけとはなんという言い草だろう。俺はおまえの使用人じゃないぞと思いながらも、しかたなくマイケルはそのハンカチを拾いに行くことにした。
 ハンカチは、石段の縁にかかるようにきちんと整えて広げられていた。手にとってみると、繊細なレースがあしらわれた薄くて手触りのいい生地で、四隅に双頭の鷲の紋章と『E・A』という飾り文字が刺繍されていた。見るからに高額そうなハンカチだが、エミリーは一回お尻の下に敷いただけで使い捨てにしようとしていた。
 マイケルは、ため息と一緒に、そのハンカチを近くのゴミ箱に捨てた。

 お茶だと言っていたから、近くのカフェにでも入るのかと思ったら、エミリーはなんの躊躇もなくバッキンガム宮殿の方向に歩き始めた。
 しかし、トラファルガー・スクエアを出たところで、その足がぴたっと止まる。エミリーの進む先には、分度器のような円弧で広場を囲む、石造のアドミラルティ・アーチが立ちふさがるようにそびえていた。
 アドミラルティ・アーチは、トラファルガー・スクエアからバッキンガム宮殿まで続く『女王の道』ことザ・マルを跨ぐように建てられた旧海軍省ビルの一部である。ユニオンジャック旗が翻るこの巨大な門には、トンネルのような三つの通路が口を開けていて、その先には青々とした街路樹が繁るザ・マルが一直線に伸びている。中央の王室専用通路は鉄格子の門扉で堅く閉ざされているので、バッキンガム宮殿方面に向かう車や人は左右の通路を通り抜けていく。いくら待っても開くはずのない鉄格子の前で、背を向けて立ち止まっているエミリーは、道に迷って途方に暮れる観光客という表現がぴったりな存在だった。
 マイケルが追いつくと、エミリーはそれを待っていたかのように、ホテル「サヴォイ」に案内しなさいと告げた。
 サヴォイは、ロンドンに数ある高級ホテルのなかでも屈指の名門ホテルだ。外国人で身分も高いエミリーが、高級ホテルでお茶を飲みたいというのは理解できることだが、それならそれで歩き出す前に一言欲しいものだとマイケルは思う。安全なルートでクライアントを目的地に案内することは任務の範囲だし、それは初日の説明のときに伝えておいたはずだ。
「場所も知らずに、行こうとしていたのか?」
 マイケルが嫌味を込めて言うと、エミリーの眉間にちいさな皺が寄った。
「あなたにエスコートさせてあげようと思って、ここで待っていたのよ。場所くらい知っているわ」
 それが、エミリーの負け惜しみの嘘だということは、すぐに察しがついた。だから、マイケルは後ろを指差しながら、あえて彼女に話を合わせるふりをして見せた。
「わざわざ遠回りなんかして、散歩でもしたかったのか。サヴォイは、あっちだもんな」
 エミリーの頬がバラ色に染まる。彼女は、アドミラルティ・アーチを指差して唇をきゅっと尖らせた。
「ええ、そうよ。……これを、見たかったのよ。まったく、もう。嫌味を言っている暇があるなら、さっさとサヴォイに連れて行きなさい」
 マイケルは、いったんトラファルガー・スクエアに引き返し、エミリーを先導するようにしてストランド通りを歩く。照りつける日差しの熱が、マイケルの焦燥感をあおる。
 ――こんなことをやっていて、何になるっていうんだ。俺には、しなきゃならないことがあるのに……。
 マイケルは、湧き上がってくる怒りを、奥歯をかみしめて抑えた。
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