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フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス ep.1 “Whose side is fortune on?” 作者:TOM-F

Chapter 1

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1.4 正当防衛(Layer:1 Main Story)

 壁の掛け時計は、一時を指していた。
 窓の外に目を向けると、深夜だというのに、ぽつぽつと明かりの点ったビルが見えた。
 マイケルは、ふっと一息つくと、あらためて室内を見回す。
 ここは、スコットランドヤードの一角にある殺人重大犯罪捜査課の取調室だ。ドアと窓のガラス部分に、格子がはまっている以外は、なんの変哲も飾り気もない小部屋に、五人の男女が居並んでいた。マイケルの他に、捜査課の取調官、立会人である警官が二名、そしてあの少女だ。
 少女は、テーブルを挟んでマイケルの斜め向かいにある椅子に、ゆったりと座っている。その椅子は、取調室の備品のパイプ椅子ではなく、どこかのオフィスから持ち込んだらしい、クッションのやわらかい肘掛椅子だった。
 マイケルが取調官から聞いたところによると、彼女は当初、応接に通すように要求したらしい。それが無理と分かると、今度は椅子の交換に要求を切り替えたそうだ。
 それにしても、スコットランドヤードの少女への待遇は破格だった。無論、それには理由があった。
 少女は身分証明書を携帯していなかったが、自分は外国人で、イギリス外務省の認証を受けた外交官だと言ったらしい。それが本当なら、不逮捕特権を持つ彼女の身柄を、スコットランドヤードが拘束することは国際法違反になる可能性がある。見たところ十七歳くらいの年齢の彼女自身が公使や外交官というのは考えにくいが、どこかの国の外交官の娘という可能性はありうる。
 事実、今もマイケルを含めて四人の警察官に囲まれているにもかかわらず、逆に社員の仕事ぶりを観察する社長のような顔つきで悠然と座っている彼女からは、ある種の人間だけが共通して持つ雰囲気を感じさせられた。勧められた弁護士の立会いも、即答で断ったという。
 相手が少女だということで、取調官も婦人警官だった。事情聴取が始まる前の取調室には、彼女が書類を記入するペンの音が静かに響いていた。事情を聞かれる側が上等な椅子でふんぞり返っているのに、事情を聞く側は粗末なパイプ椅子に体格の良い身体を窮屈そうに押し込んでいた。
 取調官の手が止まり、その目が少女の顔を見た。
「まあ、きれいな目をしているのね」
 取調官は、ふくよかな目尻をすこし下げる。小さな皺が寄って、柔らかな微笑みが口元に浮かぶ。それは、子供を見る親のような貫禄のある顔だった。身分証明証を提示し簡単な自己紹介をしてから、彼女は質問を始めた。
「事情は承知していますが、ひととおりの質問はさせてもらいます。答えたくないことには、黙秘する権利があります。……まず、名前を教えてくれるかしら」
 少女は、ゆっくりとした口調で、堂々と答えた。
「エリザベートよ。エリザベート・フォン・フォアエスターライヒ」

 挿絵(By みてみん)

 その声は、高音域にすこしゆらぎがあるのか、ふしぎな心地よさで、マイケルの耳に響いた。
 同時に、マイケルは心の中で舌打ちをする。
 ――フォン……貴族か。
「あら、貴族のお嬢様なのね。それで、年齢は?」
「まあ、失礼な質問だこと。スコットランドヤードは、レディの年齢に興味があるのかしら」
 それはいかにも気位の高そうな言葉づかいだが、事件現場のような口調ではない。マイケルは、彼女の印象がずいぶん違うことに驚いていた。目を奪われるほどに綺麗な顔立ちであることに変わりはなかったが、今の彼女はそれ以上の存在ではなかった。マイケルを魅了し、混乱させたあの雰囲気も、まったく無くなっていた。
 ――どういうことなのだろう。
 マイケルは、彼女と直接話をしてみることにした。
「君は、取り調べを受けているんだ。ちゃんと質問に答えなさい」
「イギリスの習慣はよく知らないけど、わたしは、人に名前や年齢を尋ねるなら、まず自分から言うものだと教えられているわ」
 どこまで本気なのかわからないが、エリザベートは、マイケルの追及をさらりと受け流した。
 やはり、あのときとはなにかが根本的に違う、とマイケルは思った。同時に、ほんとうに同一人物なのかという疑問がわいてくる。
「ここは学校の教室じゃない、警察だ。君は、自分の立場がわかっているのか」
 マイケルがさらに追求しようとするのを、取調官がたしなめた。
「申し訳ありませんが、警部補は発言を控えてください。これは、取り調べではありませんので」
 マイケルは、出すぎたことを詫びた。気のせいか、エリザベートの顔に笑みが浮かんだように見えた。
 取調官が、質問を続ける。
「未成年みたいだし、保護者を呼ばなくちゃね。連絡先は?」
「保護者はいないわ」
 そっけなく答えを返された取調官は、エリザベートの着ている制服に目を留める。
「その制服、セント・セシリア校のものね。そこの生徒なの?」
「ええ、そうよ。そんなわかりきったことを、質問しないでくれるかしら。答えるのも、疲れるわ」
 エリザベートは、椅子の背にもたれると、肘掛けに腕をのせた。まるで、取調官の上司であるかのような態度だ。マイケルは、その尊大さにあきれる。
 取調官の女性は、我慢強く質問を続ける。
「あそこに通えるのは、爵位のある貴族のお嬢様だけでしょ。保護者がいないわけはないわ。学校に照会をかけることになるけど、それでかまわない?」
 エリザベートは、一瞬迷ったような素振りを見せたあとで、しぶしぶという感じで答えた。
「保証人ならいるわ」
「名前を教えてくれる?」
「アーサー・ウイリアム・ハノーヴァーよ」
「ハノーヴァー公爵閣下ですって!」
 その名前を聞いた取調官は、驚きの色を隠せない。
 エリザベートが呼び捨てにした人物――ハノーヴァー公爵は、王家の遠縁にあたるイギリスでも屈指の名門貴族だ。セント・セシリア校の校長を勤める優れた教育者として知られているが、その裏の顔は、政財界から軍に至るまで張り巡らせた独自のネットワークで、影からイギリスを牛耳る大物フィクサーであると言われている。現政権だけでなく歴代の首相や閣僚にも、彼の息がかかった者がかなりいることは、関係者の間では知らない者はいないほど有名な話しだ。
 ――また、貴族か。
 マイケルは、昨日警護したハノーヴァー公を思い出す。尊大ではないが、えもいわれぬ威圧感を放つ男だった。
 取調官は、メモを書いて、待機していた係官に渡した。
「至急、公爵閣下に問い合わせを」
 そして、エリザベートに向き直ると、質問を続けた。
「どうして、あんな時刻に、あんな場所に行ったの」
「夏至祭の帰り道よ」
「そこで、暴漢……いえ、被害者に襲われた、と……」
 取調官は、ややこしいわね、とつぶやく。
 事件のあと、マイケルの通報で駆けつけたスコットランドヤードによって、現場は封鎖され、救急車に乗せられる一歩手前で意識を取り戻した少女は、参考人として連行された。
 マイケルは、殺人の現行犯逮捕だと主張したが、目撃者でもある彼自身の証言によって、それは退けられることになった。ナイフで襲いかかった被害者に対し、少女は武器も使わず被害者に触れることもなく一瞬で殺害した、というマイケルの証言は、被害者の遺体の状況から見ても当然に検証を必要とする内容だったからだ。そもそも、武器を持って襲い掛かった方が被害者と呼ばれる状況になったこと自体が、この事件の特異性を雄弁に物語っていた。
「ところで、目撃者の……」
 取調官はそこで言葉を切って、マイケルの方をちらっと見る。マイケルがうなずくと、彼女は言葉を続けた。
「証言によれば、貴女は『バリアを張っておいた』とか『死にたくなければ、邪魔をするな』というようなことを言ったとなっているけど、これはどういう意味なのかしら」
「さあ、どうだったかしら。そんなどうでもいいことは、いちいち憶えていないわ」
 エリザベートの反抗的な答えに、取調官の表情が硬くなる。
「まあ、いいわ。そのあと、被害者の方が先に貴女にナイフで襲いかかったということだけど、それは憶えているかしら?」
 どう答えるつもりだろう、そう思いながらマイケルはエリザベートの表情をうかがう。
「大事なことなの。思い出してちょうだい」
 取調官が念を押す。
 エリザベートは、左手の人差し指を唇に当てて、上目遣いで首をかしげた。人形のような華奢な白い指が、ピンク色のつぼみに触れたように見えた。
 普通の状況で見れば、それはかわいらしい仕草なのだろうが、今のマイケルにはとてもそうは見えなかった。
 偶然に、彼女と目が合った。真紅と青の瞳がほんの僅かに細くなり、口角が少し上がった。嫌な予感が、マイケルを襲う。
「そうそう、思い出したわ。そこで、ぼうっとしている人に聞いてくれないかしら。警察官のくせに、わたしを助けもせずに傍観していたのだから、しっかり憶えているはずだわ」
 ――やられた。
 マイケルは、舌打ちをなんとか堪える。その点は、どう言い訳をしても、エリザベートの言い分のほうが正論なのだ。
「ステューダー警部補からは、聞き取りを済ませてあります。貴女の話を聞きたいの」
 同僚を虚仮にされた取調官も、さすがに我慢の限界に近いようだ。言葉に、苛立ちが感じられる。
「憶えていないわ。そう言ったでしょう」
 エリザベートは、取調官の機嫌など気にもかけず、そう言い放った。
 取調官の女性は、肩でひとつ息をして手許の調書にペンを走らせた。そうすることで、自分の気持ちを落ち着かせようとしているのだろう。
 そうして、少し間を置いてから、彼女は質問を再開した。
「わかりました。……それじゃ、次ね。それで貴女は、ナイフを払いのけ、被害者を振り払った。その結果、被害者は大けがを負い、出血多量で死亡した。つまり、貴女の行為によって被害者が死亡したことになるけど、そうなの?」
 質問が核心に迫ったな、とマイケルは思う。この取調官の質問に、なんだかんだ言いながらもエリザベートは答えさせられている。さすがに、大人と子供の違いはあるということだ。
 エリザベートは、しかし、冷めたまなざしを取調官に向けた。
「さっきから、なんなの。まわりくどい聞き方ばかりして。わたしは、あなたの見え透いた誘導尋問に付き合うほど、暇ではないの。もっと合理的かつ合目的な聞き方があるでしょう。『あそこで何をしたのか』って、はっきりと質問すればいいじゃないの」
 その場にいた全員の表情が、険しくなる。エリザベートだけが、淡々と喋り続けた。
「わたしは、人を殺しました……。そう答えれば、あなたたちは満足するのでしょうけど、お生憎様ね。わたしは、散歩をしていただけよ。そうしたらあんなものに襲われたから、自分で身を守った(・・・・・)だけのこと。だって、警察官がいても助けてくれないんだもの。結果としてあれが死んだのなら、それはそれでこの町のためになったはずだわ。それとも、わたしがレイプされたうえに怪我でもさせられていた方が、よかったのかしら」
「そんなことは、言っていません」
 取調官は、努めて冷静にそう言い返すが、ペンを握る指は震えていた。必死に、怒りを抑えているのだろう。
 エリザベートのオッドアイが、取調官を見下す。
「そうよね。だって、もしわたしがそんな目に合っていたら、大惨事になっていたわよ。あなたたち……とくに、そこの役立たずなんて、すぐに首が飛んでいたでしょうね」
 そう言って、エリザベートはマイケルに向かって顎をしゃくる。
 今まで冷静を装っていた取調官が、ついに声を荒げた。
「なんですか、その態度は。いいかげんにしないと、私も……」
 しかし、その剣幕にも、エリザベートは動じなかった。それどころか、取調官の言葉を途中で遮った。
「あなたごときの下っ端が、なにをどうすると言うのかしら。もういいから、今すぐ責任者を呼びなさい」
 取調官が、両手で机を叩いて立ち上がる。
「ここの責任者は、私よっ」
 このままでは、エリザベートに掴みかからないとも限らないほど、取調官は激昂している。宥めようとしたマイケルの耳に、エリザベートのため息が聞こえた。
「はあ、もう……。わたしは、警視総監か刑事部長と話をさせろ、と言っているのよ。あなたたちの耳は、節穴なのかしら。それとも、お国の言葉(イングリッシュ)で話してあげているのに、それすら理解できないほど頭が悪いの?」
 エリザベートは言葉をそこで切ると、取調官とマイケルの顔を交互に見比べた。そして、取調官に向かって言った。
「それから、客にはお茶の一杯くらい出すのがマナーでしょう。わたしは、喉がかわいているの。こんなに喋らせておいて、なんて気が利かない人たちかしら。『マナーの国』が、聞いて呆れるわ」
 取り乱して、罵詈雑言を吐く取調官を、同僚が部屋から連れ出した。
 ほどなく、別の婦人警官がワゴンを押してティーセットを運んできた。驚いたことに、エリザベートのオーダーが通ったのだ。
 その紅茶に口をつけたエリザベートは、「淹れ方が悪いわ」と文句を言った。
 いつからスコットランドヤードは、喫茶店になったのだろう。マイケルは、あまりにも不遜なその態度に、怒りを通り越して呆れていた。
 取調官のリタイアで中断されたエリザベートへの質問は、それから二度と再開されることはなかった。
挿絵のイラストは、つるけいこさんが描いて下さったものです。素敵なイラスト、ありがとうございました。(無断転載禁止)
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