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フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス ep.1 “Whose side is fortune on?” 作者:TOM-F

Chapter 3

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3.7 恋に落ちて(Layer:1 Main Story)

 マイケルの母親は、ロンドン市内の平凡な家庭に生まれた女性で、ロンドンシティの銀行に勤めるオフィスガールだった。
「それが、ちょっとしたきっかけで、ヴォールス伯爵家の若い当主と知り合ったんだ。そして、二人が付き合い始めて半年ほどたったころ、母は俺を妊娠したことに気づいた」
 エミリーが、少し間をおいてから相槌を打つ。
「シンデレラストーリーね。いいお話だわ」
 マイケルは、首を横に振った。
「ヴォールス伯爵がまともな感覚の持ち主だったら、そのとおりさ。身分の違いはあるけど、それはたいした問題じゃなかっただろうからな。だが、その当時伯爵には、裕福な貴族の娘との縁談が持ち上がっていたんだ。そんなときに、事が世間に知れれば、破談になるのは明らかだった。そこで伯爵は、わずかな手切れ金で母を見捨てて、その貴族の娘と結婚してしまったのさ」
 マイケルの話を黙って聞いていたエミリーだが、その表情には翳りが差していた。
 すこし刺激が強かったか、とマイケルは思う。大人びて見えても、案外、中身は純真な少女なのかもしれない。
「もう、やめるか?」
 マイケルは気を使って、そう聞いた。
「えっ? いいえ。……よかったら続けて」
 エミリーは、そう答えて、ワインを口にした。そして、彼女の表情を曇らせたなんらかの感情とともに、それを飲み下したように見えた。
 マイケルは、話を続けることにした。
「母は、争ってまで貴族の妻の座を欲しいとは思わなかったようだ。結局、俺は父親がわからない私生児として、この世に生を受けた。母に罪があるわけでもないが、そんな子供を生んだ女を、世間も親も許さなかった。勘当同然に家を追い出された母は、誰の支援も受けられず、働きながら一人で俺を育てるしかなかったんだ……」
 ワインの酔いのせいか、マイケルの脳裏に幼かった頃の記憶が次々によみがえってきた。

 マイケルの母が、過労のせいで身体を壊しこの世を去ったのは、彼が七歳の冬のことだった。
 その事を聞き知ったヴォールス伯爵は、掌を返したようにマイケルを引き取り、無理やり養子縁組をした。目的は、マイケルの口を封じることだった。
 すでに正妻との間に嫡男をもうけていた伯爵にとって、マイケルの存在は邪魔者でしかなかった。表向きは長男としてちやほやされたが、屋敷の人間、とくに正妻とその息子がマイケルを見る目は冷たかった。陰湿ないやがらせは、毎日のように繰り返され、マイケルは屋敷の中で孤立し、素行も悪くなった。そして、それが周囲の人を遠ざけるという悪循環が繰り返された。
 そんな伯爵家で、唯一、マイケルの心を慰めてくれたのがソフィーだった。
 ソフィーは、伯爵が遅くにもうけた娘で、マイケルが伯爵家に引き取られたときには、まだ三歳になったばかりだった。愛嬌があり、甘え上手なソフィーはだれからも愛される可愛らしい子供だった。
 マイケルとソフィーは、義母や義弟の目を盗んでは、屋敷の目立たない場所でよく遊ぶようになった。異母兄妹のふたりが仲良く遊ぶ姿を見るうちに、いつしか屋敷の人々がマイケルを見る目も変わっていった。ソフィーのおかげで、マイケルは決定的に道を踏み外さずに済んだのだった。
 しかし、そんなささやかな幸せも、長くは続かなかった。
 ヴォールス伯爵家は、それなりの資産家だったが、伯爵一家の浪費のせいで、家計は傾きかかっていた。伯爵はリスクの高い投機に手を出し、結果、大きな損害を出した。屋敷や土地も抵当に入り、資産はほとんど底をついていた。それでも、伯爵一家は、世間体を気にして相変わらずの浪費を続けていた。
 マイケルがパブリックスクールに入学したころ、破産寸前になっていた伯爵は、とんでもない行動に出た。まだ十歳にもならないソフィーを、アラブの資産家に嫁がせようとしたのだ。無論、正式な結婚はできないから養子縁組という形式だったが、相手の男は何人もの若い愛妾を囲い、大きな声では言えない嗜好を持った好色家だったから、その目的ははっきりしていた。
 マイケルは、自分の立場を忘れて伯爵一家に食って掛かった。浪費をやめ、使用人を整理して、倹約に努めれば、破産することはない。ソフィーをそんなところにやるくらいなら、俺を追い出してくれと。しかし、そんなマイケルの抵抗など、一笑に付されて終わりだった。
 そして、悲劇は起きた。
 ロンドンに遊興に来ていたアラブの資産家を訪ねた帰り道で、通り魔に襲われた伯爵とソフィーが、そのまま帰らぬ人になってしまったのだ。

「それで、ジ・エンドだった。義母と義弟は、長男であり、すでに男爵の称号を得ていた俺に、遺産相続として抵当に入った屋敷や不動産と一緒に、借金と使用人を全て押し付けたんだ。そして自分たちは、伯爵の称号と有価証券やら貴金属やらを手に、義弟名義で購入していたシンガポールの別荘に逃げ出したのさ」
「そんな、ひどいことを」
 エミリーの顔が、険しくなる。たとえ他人のことであっても、卑怯なことは許せないのだろう。マイケルは、なんとなくだが、エミリーがそう思っているような気がした。
「遺産を相続したと言っても、未成年の学生だった俺には、なすすべもなかった。一ヶ月もしないうちに、義母の依頼でやってきた後見人の弁護士がきれいに後始末をして、残ったのは破産したヴォールス男爵様だけだった。無一文で世間に放り出された俺は、これからは自分の力だけで生きていくと誓った。これが、俺が貴族嫌いになった理由さ。幸い、特例措置で奨学金を受けることができたから、アルバイトで生活費を稼ぎながらパブリックスクールを卒業したんだ。そして、唯一、俺に救いの手を差し伸べてくれた社会ってやつに貢献したくて、スコットランドヤードに入ったのさ」
 マイケルは、そこまで話すと、ワインを飲み干した。
 映画音楽のメドレーを奏でていたアンサンブルバンドが、「慕情」のテーマを演奏しはじめた。甘くて切ないメロディが、食事と会話の余韻を楽しませるように流れてくる。
 グラスをテーブルに戻して、エミリーに話しかけようとしたところで、マイケルは唖然となった。正面からマイケルを見つめるエミリーのオッドアイがきらりと光り、大粒の涙が零れ落ちた。
 ――エミリーが、泣いている? まさか、そんな。
 マイケルは、あわてて言葉を続けた。
「まあ、その、なんだ。べつに、おまえが悪いわけじゃない。俺の貴族嫌いが、筋違いだってことは、頭では分かってるんだ。ただ、どうしても気持ちの整理がつかなくてな」
 エミリーが、ゆっくりと首を振る。
「ちがうの。ちょっと、昔のことを思い出しちゃって。わたしにも、家族がいないから……」
 そこで言葉を切ったエミリーは、涙を隠したかったのか、そっとうつむいた。
 しおらしいエミリーの姿に、マイケルの胸がどきりと鼓動を打つ。
 しかし、マイケルは先日のドーチェスターでの出来事を思い出す。そうだ、甘い気分にだまされて、失敗を繰り返すわけにはいかないぞ。
「エミリー」
 マイケルは、黙り込んだエミリーに呼びかけた。だが、彼女はうつむいたままで、返事をしなかった。
「なあ、エミリー」
 マイケルは、少し大きな声で、ゆっくりと呼びかける。
 エミリーが、その呼びかけに驚いたように身体を震わせた。
「いやだ、わたしったら、ぼうっとしちゃった」
「大丈夫か? へんな話を聞かせてしまったからな。……悪かったな」
 そんな言葉が、自分の口から自然に出てきたことに、マイケルは驚いた。
「ううん、いいのよ。……例の事件にこだわっていたのも、そのせいなのね」
「ああ」
 短く答えたマイケルに、エミリーは席を立ってお辞儀をした。
「知らなかったとはいえ、ひどい事を言ってしまったわ。ごめんなさい」
 椅子に座ったエミリーは、正面からマイケルをじっと見つめた。その表情は、なにかを問いかけようとして、ためらっているようにも見えた。そのしんみりした空気が嫌で、マイケルはおどけて見せる。
「それより、さっき俺のことさんざんに言っていたけど、おまえには恋人とかいるのかよ。まあ、いるようには見えないけどな」
 いつものエミリーなら、マイケルの足を踏みつけて、嫌味の一言も言うはずだ。そうすれば……。
 だが、エミリーの答えは、マイケルの期待を裏切った。
「なあに、気になるの?」
 アルコールのせいか、少し甘えたような口調だった。
「いや、べつに。どうでもいいんだけど」
「それは、嘘ね」
 ――なんだよ、それは。さては、またなにか企んでいるな。
 マイケルは、そうあたりをつける。
 エミリーは、ワインを飲むと、アップにしていた髪を解いた。絹糸のような彼女の髪が、さらりと流れ落ちる。
 そして、マイケルと目を合わせたエミリーは、ゆっくりと答えた。
「いるわよ」
 エミリーが普通に答えたことも意外だったが、恋人がいるということがもっと意外だった。そういえば、昨日リージェンツパークで出会ったデイビッドという男も、エミリーを花嫁にとかなんとか言っていたな。たしかに、見た目は美麗な娘だが、こんなヤツのいったいどこがいいのか。
「そうか。……それは、驚いたな」
 マイケルは、正直な感想を漏らした。
「やきもち、やいているの?」
 エミリーが、にこやかに聞いてくる。
 どうして俺が、おまえの彼氏とやらに嫉妬しなければならないんだよ。マイケルは、そっけなく答える。
「そんなわけ、ないだろう」
「それも、嘘ね。でも、今はもう、いたって言う方がいいのかも。ふふっ。どう、安心した?」
 エミリーは、マイケルの気持ちなどおかまいなしに話し続ける。
 マイケルは、相槌を打ちながら聞き流しておく。思っていた方向とは違うが、話題は切り替わっているから、それはそれでいい。
 エミリーは、天井のガラス越しの夜空を見上げた。その横顔に、ふとかげりが差したように見えた。
「もうすぐ、お別れなの。あそこに行ってしまうんだって。……あの人とは、いろいろあったわ。そう願ったわけじゃないけれど、あの人とデイビッドが、わたしを奪い合って争うことにもなった。でも大喧嘩してから、ずっと連絡もしてなくてね。もう会うこともないかなって、思っていたんだけど。このあいだ、久しぶりに連絡がきたと思ったら、余命がいくばくもないって……」
 遠くを見るようなエミリーのオッドアイを、ゆっくりと瞼がふさぐ。
「ばかな人……。わたしのことなんて、さっさと忘れてしまえばよかったのに」
 夜空に語りかけるようにそう言うと、エミリーはマイケルに向き直って穏やかに微笑んだ。
 エミリーの恋人が老人ということはないだろうから、重い病気でも患っているのかもしれない。いずれにしても、心中が穏やかであるはずもないのに、いままでそんなそぶりも見せなかったエミリーに、マイケルは感心する。自制心が強いのか、すべてを達観しているのか。
 微妙に気まずい空気になりかかったところに、折よくデザートのストロベリータルトがサーブされた。
「わたしったら、へんなこと話しちゃった……」
 エミリーは、そう言うと、髪に手をやった。そして、指先に髪を巻きつけるようにしながら、言葉を続けた。
「忘れてくれると、うれしいわ」
 マイケルは、無言でうなずく。それが、エチケットだと思った。
 エミリーは、かるく頭を振って髪を整えると、フォークを手に取った。その表情は、すっかり無邪気な笑顔に戻っていた。
「デザートをいただきましょう。美味しそうよ」
「そうだな。……ストロベリータルトか」
 マイケルは、バースディケーキとして用意されたホールのストロベリータルトを、うれしそうにつついていたソフィーを思い出した。
「これ、ソフィーの好物だったな」
 ついそんな言葉が、マイケルの口をついて出てしまっていた。せっかくソフィーのことから話題をそらせたのに、自分から話を振ってしまうとは。
 軽い後悔で言葉に詰まったマイケルに、エミリーはまだすこし潤んだままの青い瞳を向けた。
「わたし、ソフィーに似てる?」
 その問いに、マイケルは言葉を失う。
「いや……」
 エミリーとソフィー、全く共通点がないと言えるほどに、二人は似ていなかった。だというのに……。
「けど、なぜだろうな。おまえを見ていると、ソフィーを思い出す」
「そう……なんだ」
 つぶやくように答えたエミリーは、タルトに添えるようにフォークを置いた。
 スピーカーから、恒例のダンスタイムを告げるアナウンスが流れ、アンサンブルバンドがウインナーワルツの名曲を演奏し始めた。着飾った男女が、華麗なステップを披露するのを横目に、エミリーがふうっと深いため息を落とした。
 彼女のストロベリータルトは、まだたっぷりと残っていた。
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