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2.12 ファースト・フェイス(Layer:1 Main Story)

 スコットランドヤードのオフィスに戻ったマイケルは、署内のデータベースにアクセスして、「ローゼンクロイツ騎士団」を検索してみた。半信半疑ではあったが、目的の情報はいとも簡単に端末のディスプレイに表示された

 ローゼンクロイツ騎士団は、ロンドンに本部を置き、ローマ、香港、ニューヨークそしてウィーンに支部を持つNPO法人だった。法人の理事には、騎士団長であるアーサー・ウイリアム・ハノーヴァー公爵をはじめとして、バチカンのローマ教皇庁の枢機卿、香港にある国際複合企業(コングロマリット)の会長、アメリカの総合エネルギー商社の社長など、その筋では名の知られた影の実力者や、世間で大物フィクサーと呼ばれている人物が名前を連ねていた。その中に、フォアエスターライヒ公国女大公エリザベート・フォン・フォアエスターライヒの名前もあった。彼女は、ウィーンに本社がある投資顧問会社のオーナーという肩書きも持っていた。

 ――あいつ、子どものくせに会社の経営なんてやってたのか。

 続いて、法人の活動目的(ミッション)を見たマイケルは、なるほどと納得する。

 そこには、『保健防疫事業。細菌やウイルスによる伝染病の防疫、遺伝子疾患の研究、特定危険生物の駆除隔離』と書かれていた。法人は、よく知られた国際的医療機関や、国際連合の下部組織などとも人材交流を含めた協力関係があり、専属の医療研究施設も所有していた。

 ――NPO法人の名を借りた、国際的な生物テロ対策組織というところか。

『人間の姿をしているが、人間ではない』

『放置すれば、人間と交わりを持ち、やがて人間を破滅させる』

 エミリーの言葉が、特定危険生物の駆除隔離という文字とともに、その意味以上の重みを持ってマイケルにのしかかる。あまりにも、非現実的ではある。だが……。

『自分だけの小さな価値観で、ものごとを決め付けないで』

『わたしたちが何をしているのか、正しく理解した上での意見なら、聞いてあげなくもないわ』

 そう言っていたエミリーの、真剣な表情を思い出す。冷静に考えれば、どれも正論だ。

 俺は今まで、きちんとエミリーと向かい合おうとしてこなかった。あいつの話もすべて否定して、理解しようともしなかった。いつも大人げない口喧嘩ばかりしてしまったが、もっときちんとあいつの話を聞いておけばよかった。

 ――行ってみるか。ピカデリー・サーカスに。

 そうしなければ、なにもわからないし、なにも変わらないだろう。

 それに、ずっと追ってきた連続通り魔殺人事件だ。ここで投げ出すわけにはいかない。もしも力及ばず不本意な形で終わるにせよ、その結末を見届ける権利と義務が俺にはあるだろう。

 マイケルは、オフィスを後にして、暮れなずむ街に出た。


 地下鉄のピカデリー・サーカス駅から地上に出ると、雑踏の熱気が伝わってきた。

 ネオンサインに光が灯り、エロスの像や石畳の舗装を照らす。ひっきりなしにやってくる二階建バスが止まると、観光客やら仕事帰りのサラリーマンやらが、どっと吐き出される。車のクラクション、人々の靴音、そして笑いさざめき。ロンドン中の活気が、この狭いピカデリー・サーカスの街角に充満しているようだった。

 人通りも多く、待ち合わせもしていないが、マイケルはなんとなくエミリーには会える気がしていた。

 雑踏にまぎれてピカデリーを歩くと、フォートナム・メイソンの店先に所在なげに立っているエミリーを見つけた。

 別れた場所にやってくるとは、ずいぶん律儀だ。これでは、どうぞ見つけてください、と言っているようなものだ。だとすれば、柄にもなく可愛いところがあるじゃないか。

 マイケルはそう思ったが、あるいは組織の人間からのコンタクトを待っているだけかもしれない。エミリーと接触すべきか、距離をおいて監視すべきか。決めかねたマイケルは、しばらく様子を見ることにした。

 戦闘になるかもしれないと言っていたのに、エミリーは、ノースリーブで膝丈の涼しげな白いワンピースを着ていた。そのワンピースは、ひらひらしたフリルとリボンがたっぷりとあしらわれていて、少女(ロリータ)趣味がまるだしという感じがしたが、彼女によく似合っていた。

 それにしても、こうして見ると、エミリーが極め付きの美少女だということを、あらためて思い知らされる。背は低めだが、ウエストラインが高くて足が長い細身な体型と、色白で端整な造形の顔、そして印象的なオッドアイと純白の長い髪。清楚でも妖艶でもなく、少女でも女でもない。たとえるなら、開ききる直前の花びらだろうか。

 涼しげで凛々しいたたたずまいの彼女は、男性の視線だけでなく、女性の視線も一身に集めていた。待ち合わせの相手を確かめてやろうというつもりか、立ち止まって眺めている者もいる。

 そのうち、一人の若い男がエミリーに近づいていった。あまり風体のよくない、遊びなれた感じの男だったが、組織のエージェントである可能性も捨てきれない。

 男がエミリーに声をかける。エミリーは、無視を決め込んでいるようたが、男はしつこく話しかける。やがて、エミリーの顔に、あからさまに険しい表情が浮かんだ。

 これは、やばいかも知れない。相手が一般人なら、面倒が起きる前に助けるべきだ。

 マイケルは、人ごみをかき分けてエミリーに近づくと、デートに遅れてきた恋人を装って声をかけた。

「ごめん、待たせたね」

 エミリーは、一瞬だけ驚いたような表情をしたが、すぐに険しい目でマイケルをにらみつけた。

「今ごろ、のこのこ現れるなんて、どういうつもりなの。どうせまた、どこかからぼうっと見ていたんでしょう」

 マイケルは、呆気にとられた。次に、頭に血が上った。だが、ここが我慢のしどころだ。

「おまえの友だち(エージェント)かも知れないと思ったんだ」

 エミリーは、綺麗にくびれた腰に両手をあてて、正面からマイケルを見据えた。

「見ていたのなら、どうしてさっさと来ないの? 街角で知らない男に声をかけられたなんて、侮辱されたに等しいわよ。あなた、責任をとってくれるの」

 エミリーにこきおろされた男は、怒りの表情を浮かべた。しかし、その男以上にマイケルの感情は沸騰していた。やはり、こいつと俺は最悪の相性だ。もう、どうなっても知るものか。我慢の限界を超えたマイケルは、言い放つ。

「おまえなんかに声をかける物好きなヤツがいるなんて、思いもしなかったさ」

「おまえなんか、ですって?」

 エミリーは、目じりを上げ、顔を紅潮させる。

「あなたね。まだわかっていないようだから、この際はっきり言っておくけど、わたしはこのとおり絶世の美少女なの。そのわたしを護衛させてもらえる幸運に感謝して、こういう身の程知らずの不届き者から、身体を張ってでもわたしを守りなさい。それが、あなたの仕事でしょう」

 ――今、間違いなくこの場に居合わせた全員が、引いたぞ。

 黙って愛想笑いでもしていれば、自分で言わなくても皆そう思ってくれるものを。これじゃあ、相手をしている俺まで、変な男に見られるじゃないか。事件に関しては、あとでこっそりと尾行でもすれば事足りるだろう。

 マイケルは、一時撤退を決意した。

「あいかわらず自信過剰だな、おまえは。バカバカしい。俺は、もう帰るからな」

「このわたしをさんざん待たせておいて、そのあげくに、かよわいレディを見捨てて帰るというの? それで、よくボディガードだなんて言えるわね」

 ――『待たせた』って、どういうことだ。約束なんて、していないはずだぞ。

 マイケルは、昼間の会話を反芻して確認する。それはともかく、どさくさにまぎれて聞き捨てならないこと言ったよな、こいつ。

「だれが、かよわいレディだって? レディならもっと、おしとやかにしていろよ。だいたいおまえ、わたしに護衛なんていりません、とか豪語してたじゃないか。安心しろよ、おまえを襲うような命知らずなんて、いやしないさ」

 マイケルは、そう言い捨てる。なんだか、久しぶりにすっきりした気分だった。

 しかし、そのセリフはエミリーの癪にさわったようだ。

「ああ、もうっ。ほんとにあたまにくる。いいわ、かかってきなさい。どっちの立場が上なのか、いまここで思い知らせてあげるわ」

 威勢のいい啖呵を切ると、エミリーは、足を肩幅に広げて半身の体勢をとる。自称「かよわいレディ」の正体は、おてんばで喧嘩っ早い小娘だった。

 人通りの多い路上で、いきなり始まった痴話喧嘩に、周りの人々は遠巻きにしながら、好奇のまなざしを向けている。その中ですっかり影が薄くなっていたかわいそうな男が、一瞬の間をついて、マイケルに向かって毒づく。

「なにを勝手に盛り上がってんだよ。俺を、バカにしてんのか」

 精一杯の虚勢を張っているようにしか見えないその男の台詞を、マイケルは一蹴した。

「うるさいな。おまえのせいだろ」

「うるさいわね。あなたのせいでしょ」

 マイケルとエミリーの罵声が、ものの見事に重なった。

 お互いに、顔を見合わせる。

 エミリーは、オッドアイを閉じて頬を膨らませると、つんと横を向く。可愛げの欠片もないその態度に、マイケルはふんと荒い鼻息で応える。

 痴話げんかにつき合わされていたことがわかった野次馬たちは、三々五々と消えていった。あの男の姿も、いつの間にか見えなくなっていた。

「ねえ……」

 喧騒に混じって、少し甘えたようなエミリーの声がした。

「来なくていいって言ったのに、来たのね」

「迷惑だったかな」

「ええ、とても迷惑よ。反応も遅いし、やりかたもなってない。でも助かったわ、ありがとう」

 エミリーは、すでに機嫌を直しているようだった。さっきの喧嘩腰でのやりとりが、彼女の演技だったのか本心だったのかはわからないが、マイケルは後者だと確信する。

「いや、あの男を助けたんだけど」

 マイケルは、調子に乗ってエミリーをからかった。途端に、マイケルの足に痛みが走る。サンダルの踵で、したたかに踏みつけられていた。

「どういう意味よ、それ。普通の人に、手は出さないわよ」

 それはあたりまえだし、そのほうがいいと、マイケルは思う。

「痛いって。おまえ、いちいち攻撃するなよ。……その、昼間は悪かったな。ちゃんと話を聞かずに」

 エミリーのオッドアイが、大きく見開かれる。そして、彼女のヒールがマイケルの足からゆっくりとどけられた。

「いえ……それは、もういいの。……わたしも、反省しているわ」

 たどたどしく言葉を繋ぎながら、エミリーは視線をさ迷わせた。

「じゃあ、同行していいかな」

 エミリーは、オッドアイをわずかに細めて、こくりとうなずいた。


 夜の街を、エミリーと連れ立って歩く。

 準備が整うまでしばらく待機時間がある、とエミリーは説明した。その間はすることがない、というエミリーをマイケルは散策に誘ったのだった。

 不思議な光沢をもつエミリーの髪に、色とりどりのネオンサインが映り、上等なオパールのように七色の光彩を放っていた。彼女が着ているワンピースは、歩くたびにふわふわと揺れ、リボンやフリルがマイケルの腕にくすぐったい感触を残す。

「なあ、エミリー。戦いになるって言ってたのに、どうしてそんなにおしゃれしてるんだ?」

「あなたには、説明するだけ無駄だと思うわ。ほんとうに、何回言ったらわかるのかしら。わたしは、女の子なのよ」

 エミリーはそう答えたが、マイケルにとってそれは、さらに疑問を深めるものでしかなかった。

 そんなふうに、三〇分ほども歩き回ったころだった。

 どこからか、ワグナーの『ワルキューレの騎行』を奏でる合成音が鳴り響いた。エミリーが、ハンドバッグから携帯電話を取り出す。

「……役者は舞台袖にいるわ。お客さんは? ……じゃあ、そろそろ開演ね。裏方さんは、D2でお願い。……オーケーよ。六〇秒で開演のベルね」

 通話を切ると、エミリーはマイケルの正面に立った。咳払いをひとつすると、彼女は交通違反を視認した婦人警官のように毅然とした言葉を発した。

「通告します。一分後に、ローゼンクロイツ騎士団イギリス本部が、ディフェンスコンディション・レベル2を発令します。同時に、ピカデリー・サーカス付近は、対異種局地戦闘地域に指定されます。交戦資格を持たない者は、ただちに同地域から退去してください。……あなたは、ここまでよ」

「いや、俺も行く」

 マイケルの返答に、エミリーは眉間に皺を寄せた。

「遊びじゃないの。今度は、怪我するぐらいじゃ済まないわよ」

「わかってる……。なあ、エミリー、おまえはなぜあいつらと戦っているんだ」

 エミリーは、胸元に垂れていた髪を手の甲で後ろに払い、頭をふるふると振って髪を整えると、顎を引いて姿勢を正した。オッドアイの青い瞳が、怜悧な輝きを帯びる。

「わたしに課せられた、義務の履行よ。なすべきことであり、やりとげたいことでもあるわ」

「俺にも、警察官としての義務がある。どんな理由があるにせよ、殺人を正当化されてはたまらないからな」

 エミリーが、小さなため息をもらす。

「頑固な人ね。本来なら、同行は認められないのだけど。……手出しをしないと約束できるのなら、ついて来なさい」

「それは駄目だ。保護になるか検束になるかわからないが、公務執行を優先させてもらう。もし、俺の力がそいつに及ばなかったら、覚悟を決める。そのときは、おまえたちの好きにすればいい」

 マイケルは、真正面からエミリーのオッドアイを見つめた。見つめ返してくるエミリーの視線は、下から見上げているはずなのに、なぜか高いところから見下されているような迫力があった。

「あなたが考えているほど、甘いものではないわ。わたしの指示に従うこと、これが同行を許す条件よ」

 エミリーは、交渉の余地などないとばかりに言い切った。

 マイケルは、エミリーの性格を思い出す。同行するためには、ここは自分が折れるしか、選択肢はなかった。

「わかった」

 マイケルの答えに、エミリーはうなずいた。そして、オッドアイを伏せると、ふうっとひとつ息をした。

 突然、エミリーの身体がバランスを崩した。

 白い髪がふわりと揺れて、前のめりになったエミリーは、マイケルの肩に左手をかけ、胸に右手の肘をついて、どうにかその身体を支えた。

「……おい、どうした」

 エミリーは、右手の掌でマイケルを軽く突き放すようにして体勢を整えた。ピンク色の唇が薄く開き、ふっと冷笑が漏れる。続いて、クリスタルガラスのように冷たくて硬質な声がした。

「行くぞ。『キツネ狩り』の開幕だ」

 その声を聞いた瞬間、マイケルの中に、忘れかかっていた恐怖がよみがえった。悪寒が背筋を這い登ってきて、緊張が全身を貫いた。

 エミリーのまぶたが、長い睫毛を揺らせてゆっくりと持ち上がる。

 開かれた宝石箱(オッドアイ)の、燃えるような紅玉(ルビー)の瞳から放たれたまなざしが、マイケルを射抜いた。

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