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フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス ep.1 “Whose side is fortune on?” 作者:TOM-F

Chapter 2

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2.7 クロース・エンカウンター(Layer:1 Main Story)

 ドーチェスター・ホテルからスコットランドヤードに戻り、マイケルは自分のデスクでロンドンの地図を広げた。
 十個のマークと五つのサークルによって描き出された連続通り魔殺人事件は、ユーストン駅付近のマークと日付が最後になっている。これまでのパターンから考えれば、そろそろ事件が起きてもいいころだった。
 だが、とひとつの考えが頭をよぎる。それは、なんの確証もない直感だ。キングスクロスでエミリーに殺害された男が、もし通り魔事件の犯人なら、もう事件は起きない可能性もある。被害者が増えないというのは喜ぶべきことだが、犯人を検挙できないというのは、警察官としては悲しむべきことだろう。
 それにしても、このロンドンで、いったい何が起きているのか。
 マイケルは、今夜の一件に思いを巡らせる。
 エミリーの背後には何らかの組織があり、しかもその組織は武装による実効制圧力を持っている。組織とエミリーの関係は分からないが、その目的が連続通り魔殺人事件の犯人抹殺にある可能性は極めて高い。だが、そうだとしても、貴族のお嬢様であるエミリーがそんなことをしている動機と目的がわからない。もしかしたら、あいつも俺と同じように……。
 マイケルは、自分のとんでもない思いつきに、軽く頭を振る。
 ――ばかげている。
 とにかく、今は何でもいいから、物的証拠が欲しい。マイケルは、切実にそう願う。決定的な証拠を掴んで、腰の引けたスコットランドヤードを動かさなければ、この事件は闇に消えてしまう。
 やるべきことは山積しているが、とりあえず今できることしようと、マイケルは思った。
 スコットランドヤードのオフィスビルを出て、マウンテンバイクに跨り、ホースガーズロードを走る。
 夜の街を自転車で走る爽快感は、いつも仕事の疲れを癒してくれる。今夜も、顔をなでる夜風が、熱くなった頭をクールダウンしてくれるような気がした。
 ここからアパートのあるキングスクロスまでは、十五分くらいのサイクリングだが、その間のパトロール代わりにはなるだろう。
 午前〇時近くで、さすがに行き交う車も少ない。左手には、セントジェームスパークが鬱蒼とした広がりを見せていた。連続通り魔殺人事件の存在を忘れてしまいそうなほど、静かで平和な夜だ。
 帰宅は遅くなってしまったが、今夜はゆっくり休もう。そう思った矢先だった。
 マウンテンバイクを追い越した黒いロールスロイスのリムジンが、公園の入り口に停車する。助手席から降りた人影が恭しく後席のドアを開くと、金髪の男がゆったりと降り立った。遠目で分かりにくいが、男は白っぽい長衣を着ているようだった。
 長衣の男が差し出した手をとって、別の人物が車から降り立つ。黒いドレスを着た、小柄な女性だった。その背中まで伸びた白いロングヘアは、この距離でも見まがうことはない。
 ――エミリーじゃないか。あいつ、ホテルに居るんじゃなかったのか。
 マイケルは、マウンテンバイクを路肩に寄せて止め、その人影たちの動きを目で追う。
 男がエミリーに何かを話しかけ、彼女が笑顔で答える。その自然な笑顔が、マイケルには意外だった。
 やがて、長衣の男が先に立ち、二人はセントジェームスパークに入っていった。それを見届けるように、ロールスロイスは静かに走り去った。
 他人の恋路を邪魔する趣味はなかったが、エミリーが絡んでいるとなると見過ごすわけにはいかない。また、なにか事件を起こさないとも限らないのだ。
 マイケルは、察知されない程度に距離をとって、二人の後を追うことにした。
 公園のゲートを通るとき、ふと違和感を覚える。この先に進むなと誰かが命令しているような感覚は、エミリーと出合った夜に、キングスクロスの路地で感じたものと同じだった。
 マイケルは、軽く頭を振って、その違和感を追い払う。
 深夜のセントジェームスパークには、当然のように人影はなかった。昼間なら、リスが人懐こく近寄ってくるのだが、今はちょろちょろと動きまわる姿も見えない。公園を東西に貫く大きな池の彼方には、白い照明を当てられたバッキンガム宮殿が、木立の上に浮かぶように見えていた。
 さほど距離を開けたつもりはなかったのに、二人の姿はすでに公園の闇に紛れてしまっていた。
 ベンチや植え込みの影にも注意を払いながら、マイケルは慎重に歩を進める。
 池の東端にさしかかったところで、突然、女性の甲高い悲鳴が上がった。声の方向に見当をつけて、マイケルは駆け出した。
 悲鳴が起きた場所は、すぐに知れた。
 池の畔に、ひょろりとした人影がひとつ、街灯に照らされて立っていた。足下には、もうひとつの人影が横たわり、その周りにはおびただしい量の血が飛び散っているのが見えた。倒れている人物の生死は定かではないが、あの量の出血があるとなると、生きている可能性は低いだろう。
 その光景は、マイケルにフラッシュバックを起こさせる。
 くそっ、とマイケルは吐き捨て、強く頭を振って気をとりなおした。男に向かって、声を上げる。
「警察だ。動くな」
 マイケルの声に振り向いたその人影は、マイケルより少し背の高い痩せた男だった。表情の乏しい顔の中で、血走った目が大きく見開かれ、頬のあたりには返り血らしい血痕が見えた。男の手には、血にまみれてぬらりと光る大型のナイフが握られていた。
 マイケルはブローニングを抜き、銃口を男に向けた。
「現時刻をもって、おまえを、傷害事件の容疑者として逮捕する」
 公務執行を宣言したマイケルをあざ笑うかのように、男はナイフを構えながらマイケルに向かって足を踏み出した。
 マイケルは男の足元を狙って、引き金を引く。
 パンという乾いた発砲音とともに、弾丸が男のつま先近くの地面をえぐる。
「動くな。武器を捨てて、両手を頭の上に乗せろ」
 男は、マイケルの命令を無視してもう一歩を踏み出す。
 マイケルは、相手の太腿を狙って、次弾を撃った。
 しかし、素早く身体を捻った男は、その弾丸をかわして見せた。男の背後の地面で、着弾の土煙が上がる。
 ――この距離で避けるのかっ。
 現実離れしたその状況に、マイケルは一瞬だけ混乱し葛藤する。次の射撃を行うことは、相手に重傷を負わせるか、あるいは射殺することを意味する。
 その間にも男は距離を詰め、マイケルに向けてナイフを突き出してきた。男には、明らかに殺意があった。
 迷いを振り切り、マイケルは、男の腹部に向けて銃を撃った。
 ぎゃあ、という濁った声の悲鳴がして、男は地面に仰向けに倒れた。強力な殺傷能力を持つ、ホローポイント弾の直撃だ。致命傷とまではいかなくても、行動不能にはできたはずだ。
 しかしその男は、顔をしかめながら、のそりと起き上がった。安っぽいシャツの腹部にわずかな出血が見えたが、それほど大きなダメージはないようだった。銃弾で破れたシャツの下には素肌が見えているから、ボディアーマーを装着しているわけでもない。
 マイケルは、恐怖を覚える。人間とは、思えない。
 突然、目の前で男が跳ねた。
 次の瞬間、マイケルは右手に鈍痛を感じた。腕を離れたブローニングが地面に落ちる。
 すぐ近くに、男の顔があった。反射的に、男のナイフを叩き落とす。血の付いたナイフが、鈍く光りながら街灯の下へ転がっていった。
 続けて、男の下腹部を蹴り上げる。だが男の身体はありえない速度で反応し、マイケルの足は空を切った。
 男の拳がマイケルの顔に迫る。スウェーでその攻撃をかわす。間一髪だった。
 マイケルは数歩下がり、ファイティングポーズをとる。
 ――顔を狙うような素人のくせに、速いな。
 不用意な接近戦は、危険だ。だが、のんびりしていると、騒ぎを察知したエミリーたちがやってこないとも限らない。なんとしても、その前にこの男を行動不能にしつつ自身の行動の自由を確保しなければ、キングスクロスの二の舞を演じることになる。
 マイケルは、男の間合いに入る。パンチをかわしながら、左右のジャブで牽制すると、狙い通りに男の鳩尾ががら空きになった。
 左足を軸にして半回転。マイケルの右膝がしなり、最大の威力を持って男の腹部にヒットした。この攻撃を受けてマットに立っていられた者は、ボクシングジムにもスコットランドヤードにも皆無だった。
 ぐうっという、くぐもった声がした。体形に似合わず、太い声だった。だが、その男は、ほんのすこし体勢を崩しただけで倒れることはなかった。
 ――冗談じゃない。
 銃弾が効かなかったのは、なにかのギミックだろうが、今の蹴りは確実に相手の急所をとらえていた。
 この男のボディに、攻撃は効かない。そう判断したマイケルは、すかさず相手との距離をとる。こうなれば、頭部への打撃で沈めるしかない。
 決断と同時に、身体が動く。攻撃の間合いに飛び込み、踏み込んだ左足を軸に、右のミドルキックを放つ。
 男が身体を屈めて防戦する。反応が速い。
 だが、マイケルの右足は途中から軌道を上方に変える。回避しようとする男の顔と、マイケルのハイキックの右足が、完璧なコリジョンコースをたどる。もはや、マイケルの勝利は確定していた……はずだった。
 だが、マイケルの右足が男のあごを捉えるより一瞬早く、鳩尾に強烈な衝撃を感じた。ハイキックを放った状態で無防備になったマイケルのわき腹に、男の拳が命中していた。
 アマチュアボクサーのパンチにも耐え得るマイケルの腹筋の防御力を、男の腕力は完全に上回っていた。打たれた部分を中心に激しい傷みが全身に走り、呼吸が止まる。
 耐え切れずに、マイケルは地面に膝をついた。
 背中に、もう一撃が加えられ、意識が遠のいた。
 マイケルの脳裏を、とぎれとぎれのフラッシュバックがよぎる。血溜り、倒れた少女、そして……。
 ――ここで、やられるのか、俺は。あの子の敵討ちもせずに。
 観念しかかったマイケルの耳に、しゃんという、金属同士が擦れ合うような音が聞こえた。
 かろうじて残っている意識を集中して、音の方に視線を投げる。
 街灯の明かりに、なにかがひらめいた。
 直後、マイケルを襲った男の首が宙を飛ぶ。同時に、その身体が目前の地面にどさりと崩れ落ちた。
 続いて、ざっという音がして、土煙が上がる。
 そこには白い長衣を着た男が、剣を振るったままの体勢で立っていた。長衣の男は、何事もなかったかのように姿勢を正すと、腰に吊るした鞘に剣を収めた。
 壮年期の男性らしい彫りの深い整った顔を、ウェーブのかかった長い金髪が縁取り、太い眉の下で見開かれたアイスブルーの双眸は、荒事の直後だというのに涼やかだった。プロの格闘家を思わせるほどの見事な体格を包み込んだ長衣には、左胸に赤い十字架が描かれている。その容姿は、歴史の本で見たテンプル騎士を思わせた。ずいぶん時代錯誤な身なりだが、暴漢を一撃で仕留めた剣技を思えば、それは伊達や酔狂ではないだろう。
 その男の姿に、マイケルは見覚えがあった。
「ハノーヴァー公……」
 マイケルは、奥歯を噛み締めながら、痛む身体を起こす。目の前で、事件が起きているのだ。このまま、なにもしないでいられるものか。
 なんとか、片膝が立つ。だが、後頭部に衝撃を受けて、マイケルの身体は再び地面に投げ出された。
 意識が闇に落ちる寸前に、聞き覚えのある透き通った女の声が聞こえた。
「……また、おまえか」
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