( 落胤 )
家族との思い出なんて、いつだって曖昧だ。
国語の授業中、生徒全員に配られた何も書かれていない作文用紙に、そう書き殴ってから、わたしはすぐに消しゴムでそれを消した。
まっさらな作文用紙に、薄黒く引き伸ばされたような鉛筆の薄い跡が残る。
教壇から教室内を見回している、国語科の先生を、わたしは真っ直ぐに睨みつけた。
なんだって今更、こんな幼稚っぽい作文を書かなければいけないのだ。わたしの家庭環境を知っておいて。そもそも家族愛なんかをテーマにした小説を載せた教科書を採用すること自体間違っているのだ。
作文用紙を力いっぱいに引き裂きたい衝動をなんとか抑えながら、わたしは目の前の作文用紙に「家族との思い出・上木律子」とだけ書いて、他は白紙のままそれを提出した。
***
あの忌々しい母親から産まれさえしなければ、今頃こんな辛い思いはしていないはずなのに。
いや、違う。わたしが産まれてこなければ良かったのだ。
わたしは歯を食いしばりながら、昼休みにいつも通っている校舎の裏にある裏庭へと足を運んだ。
裏庭はいつも校舎の影に隠れているため、他の生徒はあまり寄り付かない、わたしにとっては好都合の場所だった。
ただ雑草が無雑作に生えているだけで、他には何もない。
申し訳程度に何本か桜の木が立っているが、夏のこの時期はただ青々しい葉を生やしているだけで、なんの飾り気もない。一言で言えば、校内ではとりわけ殺風景な場所だ。
腐食の進んだ、頼りがいのなさそうなベンチに腰掛けて、先ほど自販機で買った水の入ったペットボトルを額にあてる。ペットボトルに浮かんだ水滴が額に移り、そのまま下へと流れていく。
母親さえいなければ。母親さえいなければ。わたしさえいなければ。
何度も同じ言葉を心の中で復唱してから、ようやくわたしは額からペットボトルを離し、キャップを外して中の水を口の中へ流し込む。
一滴の水が、口内へ入りきらず、唇から溢れ、口端を伝ってぽとり、と地面へ落ちた。
その瞬間、大量の水がどこからか流れ込んできて、その水はやがて大きな波となり、勢いよくわたしを呑み込んだ。
わたしは本能的に、ただ酸素を肺に送り込もうとして、両手両足を我武者羅にばたつかせながら、必死の思いで水面に顔を出す。
すると、一本の毛むくじゃらの手が、わたしの方へと伸びてきた。
毛は黒く、腕全体を覆いつくしていて、指はなく、手のひらにはやわらかい肉球があった。爪が鋭く伸びている。
躊躇うことなく、わたしはその手を握った。
すると、重力に逆らうように体が計り知れない力で引っ張られ、かたく瞑っていた目を開くと、赤黒い壁に覆われた空間にわたしはいた。
「私のお陰で、お前は助かった」
混乱しているわたしの隣で、微かに笑いながら猫は言った。
猫の方をじっと見てみると、大きく鋭い瞳が、わたしを見返した。
体は、濡れていない。どうしてか、息も切れていない。一体何が起こったのだろう。この猫は、一体誰なのだろう。
「おや、あれは何だろう?」
必死で今の状況を把握しようとしているわたしを尻目に、猫はゆったりとした、ひどく暢気な口調で言いながら、空間の向こうを指差した。
猫の指の動きを追って、わたしも空間の向こうを見る。
そこには、見慣れた母親の姿と、知らない男の姿があった。男は母親を強姦し、嬲っている。
あまりの光景にわたしははっと息を呑んだ瞬間、男はうめき声をあげて消え、母親は一瞬のうちにして大きな腹をした、妊婦になっていた。
「ああああああ」
母親は、悲痛な叫び声を上げながら、腹を抱えて悶えはじめた。
すると、股の間からどろどろと赤黒い、血のような液体が次々にあふれ出てくる。
「母さ、ん」
わたしは震える手を母親の方に伸ばしたが、足が竦んでここから動けない。
母親はなおも叫び、悶え苦しみ続けながら、震える足を精一杯に立たせて痛みに堪えようとしている。
それでも赤黒い液体は容赦なく母親の股からあふれ出し、腿を伝い地面にたどり着くと空間と一体になる。
そして、終盤を迎えるかのように、さきほどとは比べものにならないほどの大量の液体があふれ出すと、母親は見るも無残な骨と皮だけの姿になって、最後に小さな赤子を産み落とすと母親は男と同じように消えた。
赤子は元気な声で泣きながら、母を求めるように両手を振り回す。
猫は隣で、大声で笑いながらさも愉快そうに両手を叩いては野次を飛ばしている。
わたしはいたたまれず、赤子の方へと駆け寄ろうと足を一歩踏み出した瞬間、急に赤子を明るく赤い炎が覆った。
同時に、熱く、言葉では言い表せないほどの痛みがわたしを襲った。
「ああああああ」
母親と同じように、わたしも悲痛な叫び声を上げる。
熱い。熱い。痛い。
わたしは地面を転げまわりながら、虫の息を吐く。
「これが、お前の望みだろう」
猫が、嘲笑を浮かべながらわたしを見下ろした。
どろどろと、皮膚がとけていくのがわかる。
違う、そうじゃない、と言い返そうとしたが、口を開くと叫び声しか出てこない。
「それじゃあ、さようなら」
猫は笑って、背を向けて赤黒い闇へと消えた。
---( 落胤 )
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