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そこに在る時間

反復する時間

 晴れ渡る青い空。雲は出ているものの、太陽をさまたげるほどのものではない。
 風はさわやかで、地を蹴り音を立てて目の前を走り過ぎていく、体操服の群れ。そこかしこから元気いっぱいの歓声が響きわたっている。
 中学初の運動会。いや、中学にあがったら体育大会と銘打たれた大会に、海斗は皆と同じように騒ぐ気にはなれなかった。
「海斗、何してるの? 次は徒競走よ、葉と競争するんでしょ。負けたほうが帰りにアイスだからね」
 つまらなそうに座っていた海斗の頭をこづきながら、白いハチマキをした桜がのぞきこんでくる。ドキリと胸が鳴ったが、どうせ聞こえないんだからと、海斗はため息をついた。
 前髪を触らなかったことを考えて、ふてくされたため息ではないと判断した桜は、不思議そうな顔をする。
「どうしたの、日射病? 熱中症? 先生に言ってきてあげようか」
「いいいやいや、大丈夫だって! ちょっと考え事してただけだからさ」
「考え事? 体育大会のまっただ中で?」
 目を丸くしてくる桜に、海斗は笑って見せた。いや、正しくは複雑過ぎて半笑いになってしまった。
 でも長い三つ編みを横に揺らして首をかしげただけで、つっこんでこなかったのは幸いだったかもしれない。
 もう一度だけため息をついて、海斗は立ち上がり、首にさげていたハチマキを頭に巻き直した。
 葉に負ける事が確実な徒競走のために。

 *

 ――海斗が悩んでいる事の発端は、三日前の出来事だった。
 先輩たちが生徒会のため、将棋部は早々に解散し、夕焼けに赤く染まった自分の教室で、写真を撮りに行った葉と真樹を一人待っていた。
 暇つぶしに折りたたみの将棋盤を広げて、新聞に載っていた詰め将棋を盤の上で考えている時、男子生徒が飛び込んでくる。
 海斗は、目を丸くして彼を見つめた。同じクラスの渡会だったのだが、彼は涙を流していたのだ。
 声をかけたらいいものか悩んでいたら、タイミングを見事に失って、見つめるだけにとどまる。
 だれもいないと思っていたのだろう渡会は、隠すでもなく驚いた顔でまっすぐ海斗を見た。
「……何だよ、何見てんだよ!」
「え、いや何かあったのか? 大丈夫か?」
 少しずつ暗くなっていく教室で、渡会が涙を拭きもせずに、にらみつけてくる。
「大丈夫? ああ見た目は大丈夫だろうよ!」
 悪意をぶつけられて、海斗は息をのむ。
 同級生で、同じクラスで。少しつり目の悪ぶった話し方をする渡会は、海斗や葉と同じ小学校出身ではなく、お互いに話す事はあまりない。
 そんなにしゃべった事ないはずの人間から、突然のケンカ腰。
 何も返事が出来ず、ただ黙っていたら、今度はあざ笑うかのように声をあげて笑い始めた。
「鈴木はいいよなあ、考えなしで。日下にふられてるクセに、のうのうと友達気分でよー」
 痛いところを、ついてくる。
 さすがに口を真一文字にむすんで、海斗は不機嫌さをあらわにした。
 だが、そんな顔すら渡会にとってはしゃくに障ったらしい。怒りの表情を浮かべ、涙は乾いていった。
 つり目をさらにつりあげて、海斗のほうへと一歩踏み出したその時、いつも渡会とつるんでいる加藤が駆け込む。
「おい、渡会! やめろって! 鈴木は何も悪くないだろ」
「うるっせーよ! わかってるけど、許せねーんだよ!」

 二人のもみ合いに、海斗が目を丸くする。
 海斗の知らないところで、何かあったらしいのだが、皆目見当もつかない。
 ひたすらに困惑していると、渡会がじろりとにらんだ。その瞳には剣呑な光が宿っている。
「友達のフリしてるみたいだけどな、皆知ってるんだぞ」
「何を、だよ」
 押され気味にたじろいで、海斗はそれでも負けじと声を出せた。
 加藤が少し慌てた様子で、渡会を引き離そうとしたが、彼は振り払って海斗に近づく。
「マジで知らねーのかよ。佐々木が日下のこと好きだって」

 思ってもみなかった衝撃に、海斗は思考が混乱した。
 そんな事、微塵も思った事がなかった。内緒にしていたというのだろうか? あの葉が?
 しかして、あり得ると頭の片隅で肯定する自分もいる。

 動きを止めた海斗に、渡会は声をあげて笑った。
「マジ知らねーんだ! どう見たってそうだろ。日下だって賭けとか言って、佐々木にちょっかいかけてるだろ? わかんねー奴のがバカだろ」
「それは、ボクにだって……」
「はぁ!? おまえが先に告ったりしたからだろ! 友達なら言えなくなるに決まってんじゃねーか。あいつら、本当は両想いなんじゃね?」
 たたみかけてくる渡会の言葉に、海斗は身動きが出来なかった。
 もういいだろ。と、気まずそうに引っ張っていく加藤たちを、見送る事も出来ない。

 毒々しいほどの夕焼けに包まれ、広いはずの教室は急速に狭まる気がして。
 海斗は息苦しさに、二人を待たず、その場から逃げ出した。
 途中、誰かに声をかけられたような気がしたが、そんな余裕などあるはずもない。
 おそらく通常の帰り道を走ってきたのだろうが、どこをどう走ったかなど覚えてもいない。
 気がついたら、自分の部屋だった。
 いつから? 自分のせいで? などと、取り留めのない事くらいしか思い浮かばない。

「おい、海斗。いるか?」
 閉め切られた扉の向こうで、大学受験に忙しいはずの兄、陸が声をかけてくる。
 いないはずないのに。そう思った瞬間、現実に引き戻された気がした。
「開けるぞー。勝手に」
 そう付け加えて、海斗の声も待たずに扉を開け、眉をひそめた。
 電気もつけていない暗闇の中、隠れるように布団にもぐりこんでいる弟をみつけ、困ったように前髪を触る。
「早く下に行かないと、飯抜きになるぞ」
「……」
 気を使っている時の声だと、海斗は気づいたが顔を出せなかった。
 渡会の言った『皆知ってる』という言葉に、陸が入っていないわけがない。
 聞きたかった。自分以外の皆が、葉の気持ちに気がついているのか。そして……

 いや、そんな事。まだ桜の事が好きな海斗が、聞けるはずもなくて。

「おい、聞いてるのかよ!」
 いい加減じれてきた陸が、海斗のベッドをけっとばしてくる。
 次に来るべき兄のエルボーに耐えるべく、少し身をよじらせたが、ただ大きくため息をついて腰かけてきただけだった。
「ったく、話してみろ。誰にも秘密にしといてやるから」
「……言えるわけねーじゃん」
「日下さんの事か。お前、ふられたんだろ?」
 本日二度目のエグリに、海斗はさすがに頭を抱えた。
 普通に見えていたとしても、少しは傷ついていたのだ。
 びくりとした布団の動きに、陸は肩をすくめる。
「それでもちゃんと友達でいられるって事は、脈がないわけじゃないだろーが」
「……兄ちゃん」
 もう少しだけからかおうかと思ったが、そんな雰囲気でもなく。海斗が話始めるまで、黙って待つ。
 たっぷりと時間をとられ、さすがに陸が布団を引きはがそうかと思った矢先に、海斗がつぶやいた。
「何か、何か気がついた事ってないかな」
 海斗のせいいっぱいなのだろう。
 そう受け止め、陸の脳みそは目まぐるしいスピードで答えを探した。

 日下さんと海斗の間で気がついた事?
 いつの間にか四人組に増えていた彼らの間には、特に目立つ点はなかった。

「そう、だな。どちらかと言えば、日下さんは……」
「やっぱいい!」
「はぁ? お前、オレに聞いといて『やっぱいい』って何だ!」
 苛立った陸が、丸まっている海斗を布団の上から踏んづけた。
 グエッと言う声を聞いて、さらに体重をかける。
「どうだ。兄ちゃんの言う事は、聞いとくもんだぞ?」
「いらねーって、言ってるじゃんか!」
「あー、日下さんはー」
 その状態のまま、面白がって続ける陸に、海斗はアーだのワーだのと大声をあげた。

「どう見ても、オレの事が好きだろう」

 陸の足の下で暴れていた弟の動きが、ぴたりと止まる。
 あきれたように鼻を鳴らして、陸は足をどけた。
「わかったら、飯だ。母さんの飯を拒否したら、明日の朝飯もないぞ」
 電気をつけるでもなく、扉を開け放したまま陸は階下へとおりていった。
 布団から顔を出して、灰色に染まった天井をぼんやりとながめる。

 どうして忘れていたのだろう。
 そうだった。一番の敵は他でもない、身内にいたのに。

「そっか、渡会は桜が兄ちゃんをって、知らなかったっけ」
 ひどく重く感じる体を起こし、何を思うでもなく窓の外を見た。
 逃げ帰ってしまった。
 もし葉が桜を好きで、海斗に遠慮して言えなかったのだとしたら。
「聞かなきゃいけないんだ。友達として」
 決意というよりは、吹けばはかなく消えそうな気持ちに、また力が抜け落ちる。
 ぼんやりとしていたら、母が音を立てて階段をのぼってきた。
「海斗! ご飯だって言ってるでしょ。恋わずらいなんて、寝てても治らないんだから、ご飯食べてから考えなさい!」
 母の言葉に、海斗は口をあんぐりとあけた。
 なかなか下にいかなかったからとしても、バラすとは何事か。
「恋わずらいなんかじゃないよ!」
 思わず響きわたるほどの大声を出せば、階下で笑い声があがった。
 布団から飛び出して、怒り心頭なまま、海斗は階段を転がるように駆け下りていった。

 ――晴れ渡る秋の空。
 昼間はまだ暑かったりもするのだが、海斗の脳みそは煮えそうだった。
「どう言えば……」
「何を?」
 海斗の背後は、そんなに隙が多いのだろうか。
 ひょっこりとのぞき込んでくる桜に、海斗は思わず飛び上がった。
「何が!」
「だから、大声出すの気をつけようよ」
「ご、ごめん」
 桜にも聞いたほうがいいのだろうか。
 きっちりと三つ編みにした長髪の彼女を横目で見たが、切り出す気になれない。
 万が一にも、また陸が好きだと言われたら――さすがに連日ともなれば、ショックは倍増されるに違いない。
「で? 誰に何を言おうとしてたの?」
「え? 別に何でもないけど」
 とりあえず彼女から視線をはずして、のっぺりとしたコンクリートの土手へと目を向ける。
 そこには、葉がいつの間にか並んでいた。
「うわっ! 葉!」
「はよーっす。って、なんだよその反応。ちょっと失礼じゃね?」
「声くらいかけろよ。驚くに決まってるじゃんか」
 実際、心臓が口から飛び出るかと思ったほどだった。
「で? 何を悩んでるって?」
「……なんでも、ないって」
 たとえ本人にだって聞きにくいものはある。海斗はため息をつき、前髪を触った。
 そんな彼に気づかれないよう、無言で桜と葉が目配せする。
「海斗。友達って何のためにいるか知ってるか? 誰にも言えない悩みを相談出来る、信頼出来る人間を言うんだぜ」
「じゃあ、葉はどうなんだよ」
「は? ぼく?」
 鼻高々に、おそらくどこかからの受け売りだろう言葉を投げかけてくる、たれ目の彼だったが、疑うように見てくる海斗に目を丸くした。
 桜がいる状況で、こんな事を聞くのは卑怯だと気がつき、海斗はうつむいて。
 中学校まで、やっぱり逃げるように走りこんだ。
 追いかけてこない二人に、少しだけ安堵して。少しだけ後悔して。
 たどりついた下駄箱で、海斗は一人深いため息をついた。

  *

 その日は、何をやってもダメな一日だった。
 いつだって完璧な一日なんて、あるわけがないのだが。
 おかしな海斗を気にして、アレコレとちょっかいをかけてくる桜と葉を見ては、その息の合う様子に、さらに落ち込んでいく。
「海斗。お前、いい加減にしろよ」
「な、何をだよ」
 さりげなく二人を避ける海斗をトイレで捕まえ、あからさまに不機嫌な顔をした葉が詰め寄った。
 覚えがあるぶん、いたたまれなくて。海斗は彼から目をそらす。
「何があったんだよ。いつもおかしいけど、今日は特におかしいじゃん」
「そうでもないよ。いつもこうだろ」
「いいや! 海斗なら『いつもおかしいってなんだよ!』とかって大声張り上げてるとこだろー?」
 いつになく真剣な葉に、前髪を一束触って動揺した。
 今が聞くタイミングなのかもしれない。
 歯を食いしばって、勢いよく顔をあげれば、渡会と加藤がトイレに入ってくるのが目に入る。
 なけなしの勇気は、あっという間にしぼんだ。
「……なんでもねーって」
 彼らと入れ違いにトイレから飛び出した海斗を、葉が逃がすわけもなく、すぐさま後を追ってくる。
 足の速さで、勝てるわけがなかった。
 ひょろっとした葉だが、体力も腕力も、わずかながらだが伸長も海斗よりも勝っている。

 それでも必死に走った海斗は、桜に告白した渡り廊下で足を止めた。
 突撃とばかりに、背中を突き飛ばされ、海斗はたたらを踏んだが持ちこたえることに成功。
「ったく! 葉様から逃げられると思うなよ!」
「逃げようって思いは……少しはあったけどさ」
「だろうな。って何? ひょっとして誘い込まれたとか言わないよな」
 慎重に辺りをうかがいだす葉に、海斗はやっと吹き出した。
「誰にだよ! 違うよ。葉に、聞かなきゃいけない事があるんだ」
「なんだよ。金は貸せないぞ?」
「違うって!」
 葉のとぼけた顔に、いくぶん和んだ海斗は意を決して顔を上げる。
 ファイティングポーズで、片足まであげて応戦しようとしている葉に、少しだけ呆れた視線になりつつも、つばを飲み込んだ。

「葉は、桜が好きなのか?」

 遠くから、生徒たちの笑い声やボールの音が聞こえてくる。
 部活はすでに始まっている時間だ。
 いまさら将棋部に遅れていようとも、海斗にとってそんな事は二の次だった。
 渡り廊下に吹き抜けていく風は、強く冷たい。
 それよりも、葉のわずかな表情の変化が重要だった。
 きょとんとした顔から、眉間にしわが寄り、さも嫌そうに口がねじまがる。
「前にも言わなかったっけ? そりゃ嫌いとかじゃないけどさ、海斗と同じ好きってのはねーよ」
「友達だろ? 本音を言えよ」
「本音だって! じゃあ、なんて言えば信じるんだよ。今ボクが絶対違うって言っても信用しないんだろ?」
 多少、怒りをこめて言ってくる葉に、海斗は素直に謝った。
 柔らかそうな短髪をかき乱しながら、葉がしょうがねえなとため息まじりに舌打ちをする。
「で? 誰からの入れ知恵だよ。ぼくたちを陥れようなんて最低な奴はよ?」
「だ、誰でもいいだろ。それは関係ない」
「あるだろー! 海斗は特にすぐ人を信用するからなー。わかってて吹き込むなんて、悪質だ!」
「……ちょっと待てよ、そんなにボクってわかりやすいのかよ」
 半眼で、不服とばかりに唇をとがらせれば、葉は目を大きく見開いた。
「そんなもん、あたりまえだろ」
「だけど……葉と桜が、両想いだって。皆そうだと思ってるって言ってたぜ」
「はあぁっ!?」
 これ以上あかないだろうという所まで口をあけた。こんな親友の顔は、あまり見られない物で。
 珍しいモノを見るまなざしを向けられた葉は、逃がさないように海斗の細い肩をつかんで笑顔を作った。
「……海斗クン? 誰だ、そんなない事ない事言いふらしてんのはよ」
「いたたっ! 何しても言わねーぞ!」
 どうしても口を割らない海斗から手を離し、舌打ちをして。吹き巻く風をさけようと振り返る。

 葉が、動きを止めた。
 尋常ではないその動きに、海斗が彼の後ろから顔を出せば、おそらく二人とも同じ表情で固まった。
「さて、将棋部諸君。さぼった後輩を、どうしたらいいと思う?」
 含み笑いたっぷりの藤本部長を先頭に、将棋部員勢ぞろいしている。真樹まで申し訳なさそうに混ざっていた。
「……どこ、から?」
 うめくように海斗が声を出せば、藤本部長と河合副部長がお互いに目配せをした。
「あれだな。我ながら足が速いと痛感した」
「ああ、確実に間に合った。しかし知らなかったな、佐々木が……」
 河合の言葉に、葉と海斗が慌てて意味のない大声を張り上げた。
「全部じゃないですかっ!」
「あたりまえだろう。オレの足の速さを、なめるなよ」
「なめたくもねーけど」
 海斗がため息をつきながら、うめく。
 いつものなにかたくらんでいる笑い方をした藤本に、二人はたじろいだ。
「さて、鈴木海斗くん。だました相手は誰だ?」
「……別に、そんな事関係ないじゃないですか」
「いいや。話の内容を考えてみれば、いじめともとれるじゃないか。生徒会長ともなれば、聞かなかった事にはできないね」
 たたんだ扇子をつきつけてくる藤本に、どこをどうとれば、そうなるのかと海斗は目を丸くした。
 面白半分だろうけど一理ある、と声を出した葉にも、驚きを隠せない。
「ちょ、ちょっと待てよ……あ、待ってください、だった。飛躍しすぎだって! なにもそんな状況じゃなかったと思うし」
「どんな状況だったんだよ」
 じろりと見てくるたれ目を真剣に見返し、海斗は頭の中でその時の状況を思い浮かべる。

 渡会は、泣いていたのだ。しゃくりあげる事はなかったが、自分を見て、驚いていた。
 そしてその顔が、徐々に怒りに変わっていく。
 八つ当たりするように、まっすぐその怒りをぶつけてきた。まるで、すべて海斗が悪いと言うように。

「そうだ。なんでだ? 渡会は八つ当たりっぽかったんだ」
「……渡会。あいつか! そういえばさっき、トイレで一緒になってたな。ひょっとして、それで逃げたのか?」
 顔をしかめた友人に、海斗はしまったと慌て出す。
 困惑した様子の真樹に気がついた河合が、彼女を輪の中から連れ出したが、これからの内容を知られないようにとでも踏んだのか、藤本は止める事はない。
 だんだんと大きくなる海斗の声。
「そ、そうだけど。そうじゃないよ! 葉が言いづらいなら、絶対に誰もいないとこで聞かなきゃって思ったからで」
「けっきょく部長に聞かれてれば、世話ないけどな」
「だな」
 今日一番の大きなため息をついて、海斗はなんだかすべてをあきらめた。
 話がついた事を見届けて、藤本が左手に扇子を打ちつける。
「まとまったようだな。それで?」
「それでって、もう用事は済んだんですけど」
 輝かんばかりのまなざしを向けられて、海斗は口をとがらせた。
 また始まったと肩をすくめたが、きっと面白い事になると踏んだ部員たちは部室に戻る事はない。
「いいや、済んでないはずだ。特にその渡会一義くんにとってはね」
 楽しくてしかたがないのだろう藤本は、切れ長の目を細めて笑顔を作る。
 あからさまに怪しい笑顔だった――

 ――だからって、こんな事になろうとは。
 体育大会まっただ中、さんさんと降りそそぐ陽射しの中、海斗は真反対に暗く沈んでいた。
 徒競走のため、しかたなく移動はしている。だが競技があるたびに、ため息しか出ないのだ。
「海斗! 今度の徒競走くらいは負けるなよ」
「……本当は葉だって巻き込まれてるはずなのに。気楽でいいよなー」
「しょうがねーだろ? ボクって出来る子だからさ」
 陽に焼けて赤くなっている鼻の頭を小さくかいて、葉は歯を見せて笑う。

 藤本の提案はこうだった。
「体育大会で少しだけ『細工』をしてやる。だから奴に勝て!」

 思い出しても頭が痛くなりそうだった。海斗は少しでも忘れたくて、もう一度頭を振る。
 目に入ったテントには、生徒会長の藤本と河合の姿。確実に目が合った。
 勝てよ! とでも言っているのだろう。口は動いていないが、こちらに見えるよう、小さく右手をにぎりしめてきた。
「まったく、どんな手を使ったんだよ」
「ほんとだよなー。ボクら三人、ずっと同じだぜ?」
 葉がさすがにあきれた声を出す。

 海斗、葉。そして渡会の三人は、同じクラスで背の順も違うにもかかわらず、競争を強いられていた。
 もちろん一番理解出来なかったのは、渡会だったろうが。
 だがまだ海斗は、渡会に一度も勝ててはいないのだ。あと残っている競技としては、徒競走と騎馬戦だ。ということは、この徒競走が最後だろう。いくらなんでも騎馬戦で同じ白組同士では戦えまい。

 また一つ、海斗はため息を吐く。
「いい加減、あきらめたほうがいいぞ。どうせ先輩達にはさからえないんだからさ」
「……そうだな」
 三人プラス別クラスの三人が位置につき――葉が一着、渡会が三着。海斗は四着という結果に終わった。アイスのおごりは決定だ。
 そして、渡会が意外と運動が出来る事を知った。負けで終わりで、海斗はやっと安堵のため息。
「やっと終わった」
「けっきょく勝てなかったか」
 葉が肩をすくめテントを見れば、つまらなそうに目を細めた男が二人。
「あとが怖そうじゃね?」
「……しょうがないじゃん。そうだよ、ボクは頑張ったんだからさ」
「どうすんだよ」
「どうとでもなるよ。問題は部長達じゃないんだからさ」
 ひょろりとした葉が、眉をひそめる。海斗は一人うなずき、行動に移す事を決めた。

 騎馬戦では、白組大将に藤本が据えられ、こっそり同士討ちしろと言われたが、さすがに拒否をした。いくら入り乱れているからとて、出来るはずがないだろう。
 馬になっている葉はともかく、残り二人になんて説明したらいいというのか。

 無事にかどうかはともかく、競技は終了して。
 海斗は渡会を、すでに定番となってしまった渡り廊下に呼び出した。加藤もついでに声をかけて。
 二人とも、気まずそうではあった。顔は日焼けで赤くなり、少し疲労が見えている。
「なんで呼ばれたかくらいは、わかってるよ」
 どう切り出せばいいのかと、思案していたが、重そうに口を開いたのは加藤だった。
 ふてくされた顔をした渡会は、海斗を見ようともしない。
「そっか。じゃあ言わせてもらうけど、葉とはもう話し合ったよ」
「本人、目の前にしたら。本当の事なんて言えねーだろ」
 あくまで視線を合わせようとしない彼に、少しだけ前髪を触って苦笑した。
「本当ってなんだ? 葉が言うのなら、ボクは信じる」
「うわ、それで本当に友達だって言えるのかよ」
「言えるに決まってるだろ。それにもし、葉が本当に桜を好きだとしても、ボクは……負けない。だって、ボクだって桜が好きなんだからな」
 視線を外す事もなく、敢然と立ち向かってきた海斗に、加藤は横目で黙りこくった彼を見ながら謝罪した。
「鈴木、ごめんな。その……こいつ、あの時ふられたばっかでさ」

 つり目をさらにつり上げて、加藤をにらみつけたが、ただ申し訳なさそうな顔をしただけで続ける。
「いい加減、八つ当たりはやめろよ。まったくじゃないけど、鈴木は知らねーだろ」
「うるっせー! 知らないからってなんだよ!」
「うるさいのは、お前だろ!」
 おもわず叫んだ渡会よりも、さらに大きな声を張り上げた。渡り廊下に、その声が通り抜けていく。
「大声なら、負けねーぞ。それより、ボクの知らない事ってなんだよ。今逃げても、毎日ずっと聞くからな。教室でも、どこでもついて回ってやる」
「……南川だよ」
 しぼり出すように、渡会は声を出した。だが、それっきり黙りこんでしまう。
「真樹?」
「そう、南川に告ってさ。ふられたんだよ」
「で、なんでボク? 真樹について回ってるのって、ボクじゃなくて葉な気がするんだけど」
 声を低くして、不服とばかりに口をとがらせる。
 日焼けで肌がつっぱるせいか、加藤は顔をこすりながら肩をすくめた。
「それがさ、好きな奴がいるって。それがうちのクラスの鈴木だって言うから、こいつ荒れたんだよ」

 あんぐりと、口を開けるしかなかった。
 知らないとしか、言いようがない。そんな素振りは見せていないはずだ。海斗がいくら桜しか見えていなかったとしても。
「そんな……」
「違うの!」
 なんとも答えづらい内容に、それでも何か返さねばと口を開けば、渡会たちの背後から真樹が声をあげた。
 慌てて振り返る二人に、真樹が立ち尽くしている。
「ごめんなさい! 途中で行っちゃったから、きっと誤解してると思ってたんだけど」
「真樹、どういう事だよ」
「私が、好き……って言ったのは、海斗君じゃないの」
「はあ? うちのクラスで鈴木って言ったら、こいつしかいねーじゃん」
 食ってかかったのは、渡会だった。
 悪ぶっているとはいえ、好きな女にはさすがに手は出せないのだろう。
 ただ彼女に詰め寄って、まくし立てようとするのを、加藤が止めた。
「南川、意味わかんねーんだけど」
「うん。だから、海斗君じゃなくてね?」

 すまなそうに海斗を見た事から、とてつもなく嫌な予感はしていた。
 しかし耳をふさぐ前に、その言葉は吐き出されてしまった。

「私、私は。海斗君のお兄さんが好きなの!」

 目の前が、真っ暗になりそうだった。
 別に、真樹の事が好きとか、彼女にしたいとか思っていたわけではないはずなのに、この打ちのめされた感はどうなのか。
 卒倒する前に、とりあえず頭を抱えてしゃがみこむ事には成功した。
「……鈴木」
「何を言われても、困る」
 うらめしそうににらんでくる二人に、海斗はそう返すしかなかったのだ。
「海斗君には、本当に関係ない事だから。それに、私だって片思いだし」
「南川、だって?」
 頭の中が、ひどく混乱しているのだろう。そう、以前の海斗のように。
 あえぐように声を出した渡会が聞けば、彼女は深くうなずいた。
「桜も、そうなの」

 何度も聞きたくはなかった。
 そして、今度はあからさまな同情の目が、海斗へと降りそそがれる。
 そんな二人をにらみつけるように見上げ、立ち上がり、交互に指差した。
「だから! ボクは負けないって言ったろ! 兄ちゃんより、ボクのほうがずっと長く、同じ時間を共有出来るんだ」
 だから! と言いながら、語尾がすぼまる。
 真樹の後ろから、葉そして藤本や河合の姿が見え隠れしたのだ。

 葉以外は、皆。
 全部、知っていたのかもしれない。
 そうだ。皆に見つかった時、河合副部長が真樹を遠ざけていた。なるべく知られたくない内容だったから、気にもとめなかったのだが、全部知った上での行動なら――

 そう思った途端、怒りがこみ上げてきた。
 負けない。そうだ、負けてなるものか。
 もうすでに、誰に向かってなのかはわからなくなってきていた。

「絶対! 負けねーからな!」
 二人が目を丸くするのも構わず、吹き巻く風に負ける事なく。
 海斗は、今までにないくらいの大声を張り上げた。

時間シリーズ5作目です。
読んでくださって、本当にありがとうございます!
いつでも不調なのですが、もっと頑張っていきます!
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