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SFシリーズ

悠久の大地の子守人

作者: 独楽


 サマンサがこの家にやってきたのは、ユリィが生まれて二年がたった頃でした。

 あの頃のユリィは、もうすぐ二歳だというのにハイハイしかできず、母親の腕の中よりも

、動きまわることが大好きな女の子でした。

 なので、サマンサの気がつかないところでイタズラをしたり、怪我をしたりして、サマンサ

を困らせることもしばしば。

 サマンサはその度に母親に怒られてしまいます。


「子供を見るのも家政婦の仕事でしょう?」


 とか。


「高いお金を出してあなたを買ったのに」


 とかとか。

 ぺこぺこと頭をさげる毎日。

 これでは家事が仕事なのか、謝るのが仕事なのかわからなくなってしまいます。

 そして、そんなサマンサの苦労を、まだ幼いユリィが知るはずもありません。


「ユリィ、あまりおいたをしてはいけませんよ?」


 サマンサは言います。

 けれどユリィは、不思議そうな顔でサマンサを見上げるだけなのでした。



 ......_



 その日、ユリィはいつものようにいなくなりました。

 自分で歩けるようになって、おてんばなユリィはどこへでも行ってしまいます。

 ユリィのお家は小高い丘の上にあって、柵で覆われた庭には青々とした草が一面にありまし

た。奥にはおひさまを映す湖があり、そこから伸びる川は森のほうへと流れていきます。


「ユリィ、どこにいるのですか?」


 サマンサは声を張って言います。

 いつもなら庭で石をひっくり返したり、流れる川の水を眺めていたり、遊ぶにしてもお家の

近くからは離れない彼女でしたが、どうも姿が見えません。

 サマンサの仕事は、彼女の面倒をみることです。


「ユリィ、ユリィ……晩御飯の時間ですよ、今日はあたたかいシチューですよ」


 どれだけ呼んでも、声は返ってはきません。

 サマンサは不安になります。

 ユリィはおてんばなので、危ないことを平気でやってしまうのです。

 怪我をしても、痛さなんて感じないように、ずっと遊び続けてしまう子供なのです。


「……どこにいったのでしょうか……」


 川をこえて、ふと湖のほうを見ます。

 おひさまはオレンジ色に、湖はきらきらとその影を揺らしていました。

 もうすぐ夜が来る。不安は募るばかりです。


「ああ、ユリィ……」


 サマサンサが彼女を見つけたのは、あたりがすっかり暗くなってから。

 ユリィは森の中で、木の葉を重ねて遊んでいました。

 彼女がテーブルに見立てた切り株には、いくつもの葉っぱが山になっています。


「心配したのですよ」


 サマンサはユリィの目線に合わせてしゃがみます。


「さんどいーち、たべる?」


 ユリィは重ねた葉っぱを差し出します。

 どうやらサンドイッチを作っていたみたいです。


「ええ、いただきます」


 サマンサはそれを受け取り、


「うん。とてもおいしいです。ユリィはお料理が上手なのですね」


 食べるふりをして、笑顔を作りました。

 サマンサは心の中でついたため息を飲み込みます。


 帰ればきっと奥さまが怒ってらっしゃる。

 またぺこぺこと頭をさげなくちゃいけない。


「さあユリィ、いっしょにお家へ帰りましょう。今日はシチューですよ」

「しちゅー!」

「あなたの好きな鶏肉をいっぱい入れておきましたから。いっぱいおかわりしてくださいね」

「うん!」


 そう頷いたユリィは、サマンサの手を無視して走り出します。

 サマンサの気も知らないで。


 ......_



「こんなこともできないでどうするの?」


 ユリィ、聞いてるの? ちゃんとお母さんの話を聞きなさい。

 三年生にもなって足し算も出来ないなんて、あなたくらいのものよ。

 お母さんはずかしいわ。

 ねえ、ユリィ。黙ってないでなにか言って。


「ああ、もう……ほんとに、なんで……」


 その日も母親はユリィをきびしく叱りつけていました。

 ユリィは困ったように母親の顔を見返しています。

 きっとユリィには、母親がなぜ怒っているのか、それがわからないのです。

 もしかしたら、自分が怒られていることすらわかっていないのかもしれません。


 神さまはユリィに知性を与えてはくれませんでした。

 

 それを知った母親は、とても怒りっぽくなってしまいました。

 ユリィをぶつこともめずらしくありません。

 おびえたユリィは、縮こまったまま動こうとはしません。


「もうやめてください奥さま」

「邪魔をしないで! これはしつけよ!」


 いくらサマンサがあいだに入っても、母親はしつけをやめようとはしませんでした。

 ぶたれつづけるユリィは、けれど、涙の一つも流してはいません。

 神さまが彼女に与えなかったものは、とても、とても大切なものだったのです。


 そして、いつしかユリィは、母親よりもサマンサになつくようになりました。

 母親は、自分の子供がそうとしってから、立ちくらみがしたり、腹痛に襲われたり、足が腫

れ上がったり、左腕があがらなくなったりと、身体の状態がおかしくなりました。

 サマンサの仕事がひとつ増えました。

 サマンサは母親の面倒もみるようになりました。


 ......_



 母親のお葬式で、ユリィは不思議そうな顔を浮かべていました。


「おかーさん、どこいったの?」


 サマンサは繋ぐ手にきゅっと力を入れます。


「大丈夫ですよ。私がちゃんとお世話しますからね」


 それが私の仕事ですから、とサマンサは言います。

 ユリィは黙ってサマンサの笑顔を見上げたまま。

 そして庭の隅っこ、桜の木の下に十字の石が立ちました。

 サマンサは墓石に花を添えます。


「おはな?」


 首をかしげるユリィに、サマンサはうなずいて答えます。


「ええ、眠ってしまった人には、こうして花を手向けるのです」

「なんで?」

「花は気持ちを伝えてくれるからですよ。花を添えて、心の中で想うんです。そうすればきっ

と、ユリィの想いは奥さまに届くはずです」


 サマンサを真似てか、ユリィはぎゅっと目を瞑ります。

 長い時間ずっとそうしていました。

 それ以来、花を添えるのがユリィの日課になりました。


 雨の日も。

 雪の日も。

 雷の日だって、ユリィには関係がないようです。


 春には花飾りを編んで、夏には麦わら帽子を墓石に被せました。

 秋には重ねた紅葉のサンドイッチを、冬には雪だるまを隣に並べます。


「ユリィ、風邪をひいてしまいますよ?」


 そう声をかけても、けれどユリィは気が済むまで動こうとはしません。

 サマンサは彼女に寄り添い、頭にかぶった雪をそっと拭います。

 ユリィが風邪を引いてしまっては大変です。

 だって、ユリィの面倒をみるのが、サマンサの仕事なのですから。



 ......_



 そうして五年が過ぎ、十年が過ぎました。

 ユリィが母親と同じ歳になっても、サマンサはずっと彼女と暮らしていました。

 最近は皮膚のはがれが気になります。

 お金がなくて手入れのできない関節も、ぎしぎしと泣き声をあげるようになりました。


「ユリィ、ユリィ……」


 ユリィは相変わらずおてんばで、毎日サマンサを困らせてばかりいます。

 けれど、墓石に花を添えることは忘れません。

 そしてサマンサも、相変わらずの笑顔でユリィを見守るのです。



 ......_



 ユリィがベッドから起き上がらなくなって数日が経ちました。

 母親のときのように、食事もろくに食べません。


「ユリィ、シチューを作りましたよ」


 せっかくの好物だというのに。

 ユリィはちょっと目を向けるだけで、すぐにそっぽを向いてしまいます。


「……おはな」


 ユリィは窓の外を見て言います。


「大丈夫ですよ。さっき私が添えておきましたから」

「……おはな」

「ユリィ?」

「……サマンサ、おはな……おはな……」



 ......_



 ユリィがいなくなっても、サマンサの仕事は変わりません。

 家の中を掃除して、庭の草木の手入れをして……食べる人がいなくなったので、食事を作る

ことはなくなりましたが、かわりに添える花の数がふたつになりました。

 また十年が絶ち、二十年が経ちました。

 墓石の周りはお花畑になっていました。

 サマンサの身体からは皮膚がすべてはがれ落ち、さびた機械の部分があらわになって、左腕

は取れています。


 それでもサマンサは今日も墓石に花を添えます。

 ユリィが母親に手向けたように。


「ユリィ……」


 サマンサは手を重ね、しずかに目をつむります。

 長いあいだそうしていました。


 ……ユリィはどこにいて、どこにいったのでしょうか。


 そしてサマンサはぐるりと花々を見回し、思います。


 ……私は、“どこにいるのでしょうか”?


 けれど、そこがどこなのか、サマンサにはわかりませんでした。


 サマンサは仕事を続けます。

 どこでもない場所の真ん中から。

 悠久の時を経て、その身体が動かなくなるまで、ずっと。ずっと。




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