春休み前のある日。
物理の授業をぬけだした僕は、実に奇妙な光景に出くわしていた。
アスファルトの白線の上を、綱渡りのように歩く男。
それが、僕の目撃した奇妙なものだ。
なんとも非日常的な光景じゃないか。
幅15cmくらいの白い線。
あの、車道と歩道を分ける白線の上を、いい大人が踏み外さないよう、慎重に慎重に歩いているのだから。
『何してんだろ?』
心の中でつぶやく。
でも、日ごろから考える事が苦手な僕は“論より証拠”とばかりにすぐ行動にうつる。
つまり・・・
男の後をつけて観察する事にしたのだ。
男は、明るい春の陽射しに照らされて、まばゆいばかりに輝く白線の上を歩いている。
ゆっくりゆっくり、踏み外さないよう慎重に慎重に・・・
しばらく歩くと十字路にぶつかった。
男は迷う事なく右折する。
当然ながら、白線に沿ってだ。
周囲の様子には目もくれず、一生懸命に歩いている。
その姿はまるで、夢中で遊んでる小学生のよう。
『そんなムキにならなくても・・・』
後ろで苦笑しながら心の中でツッコむ。
なんだか、ちょっと微笑ましい。
この不思議な男が歩いているのは、とある団地の中の生活道路。
実は、僕の家もここにある。
午後の授業をサボって昼寝でもしようと家路を急いでいたところ、この何ともキテレツな大人に出くわしてしまったのだ。
昼寝のことなんかすっかり忘れ、僕は男の後をつけていった。
男はまだ白線の上を歩いている。
ゆっくりとだが、着実に。
だが、異変は突然におきた。
男が、不意に立ち止まったのだ。
『車でも来たかな?』
辺りを見回す。
団地の道は当然ながら広くはない。
むしろ狭い。
普通車が、やっと離合できるくらいの幅。
だから僕たち団地の住人も、車の通りには気をつけているのだ。
だが・・・
車の姿など、どこにもなかった。
『あれ、おかしいな』
どちらを見回しても自転車一台通らない閑散とした道が続く。
男も、周囲を気にする素振りはなかった。
『じゃあ、何しているんだ?』
僕が後ろから観察すると、どうやら男はジィーっと白線を凝視しているだけだ。
『あそこに・・・何かあるのかな?』
男があまりにも真剣に見つめるので、僕は気になって気になって仕方がない。
『見たい・・・見てみたい!』
ついに誘惑に負けてしまう。
僕はそっと近寄って確認する事にしたのだ。
そこには・・・
『いや、何にもないじゃん!』
そう、何のへんてつもないただの道路。
ガッカリする。
住宅の影に隠れて薄暗くなってはいるが、あるのはあの白線だけ。
『犬のフンでも落ちてりゃ、それなりに面白かったんだけどな〜』
一つため息をついた僕は、またそっと元の位置に戻っていった。
すると・・・
僕が離れるのを待っていたかのように、男がまた歩き始める。
『ただの休憩だったのかな?・・・いや、そんな馬鹿な』
すぐに心の中で否定する。
『こんな住宅街の真ん中で休憩する人間なんていやしない。すっごい年よりか、よっぽど病弱なやつ以外はな』
じゃあ、何故立ち止まる?
僕は自分に問いかけてみた。
残念ながら、全然分からない。
『本当に変な人だ』
つくづく思う。
『いったい、年は幾つくらい?』
見たところ男は、そんなに年はとっていないようだ。
だが、若くもない。
『35歳くらいだな』と勝手に結論する。
『でも・・・』
僕は、ふと疑問に思った。
『この平日の昼間にこの人は、いったい何をしてるんだろ?』
さぁ、これは重要な問題だ。
普通の成人男性ならば、バリバリ働いている時間である。
首を捻る僕。
『今、流行りのニートかな?』と、再び自問。
『でも、そんな感じはしないんだよなぁ。だって背広を着てるんだぜ?』
そう、男の姿は普通のサラリーマンのそれに近い。
朝の通勤電車に揺られて、つり革につかまっていても全く違和感はない姿だ。
『ニートがこんな格好して出歩くかな?』
どうにも、俯に落ちない。
どちらかというとニートなのは・・・
「むしろ僕だな」
苦笑いしながら、そっとつぶやく。
最近の僕は、何もかもが面倒くさい。
勉強もスポーツも、友人関係すら・・・
やる気の起きることは何もない。
授業もよくサボる。
一人でいる方がなんだか落ち着くんだ。
別に理由がある訳じゃない。
ただ、何となく先の見えない霞の中にいる感じ。
『何やってるんだ、僕は・・・』
思わず自嘲気味に鼻で笑う。
『みんなが真面目に勉強している時、僕は白線の上を歩く奇妙な男の尾行だなんてさ』
だんだんむなしくなってくる。
僕の視線はわずかの間、男の背中から離れ空中をさまよう。
『もう、こんなことやめて帰ろうか?』
そんな弱気な事が脳裏をよぎる。
だが、その時。
うつろだった僕の目に、新たな衝撃映像が飛び込んできた。
それは、僕のやる気を一気によびさます画期的な出来事。
なんと男が・・・
右折しやがったんだ!
『え、ええっ?』
驚きのあまり、目をむく僕。
いや、右折が珍しいわけじゃない。
じゃないけど・・・
僕が見るかぎり、男はこれで2度目の右折。
つまり・・・
Uターンしたのだ!
考えてみれば、男が白線をたどって歩いているかぎり永遠に目的地にはつかないだろう。
だってここの団地は碁盤の目のような造り。
一ブロックに40軒ほどの家があるのだが、その周りをぐるりと取り囲むように白線が引かれていた。
言ってみれば、山手線のよう。
男がどんなに歩いても元の場所に戻るだけ。
なんとも不毛な行為だった・・・
いよいよ男の行動が分からなくなる。
『目的はなんだ?ただの散歩か?それとも遊んでるのか?ひょっとして・・・ただの変な人?分からない、分からないよ〜』
次々に湧いて出る疑問の数々。
訳が分からない。
だけど・・・
真剣に白線を凝視して歩く男を見てると、何か深い理由がある気がしてならなかった。
僕は再び勇気を取り戻した。
『やるんだ!この男の行動を解明できるのはお前しかいない!』
そう、自分に言い聞かせる。
これはもう、今世紀最大の謎だ。
僕は引き続き男の背中に意識を集中させた。
さぁ、もうすぐ最初に男を発見した場所につく。
つまり男は団地を一周することになるのだ。
もはや、男に目的地等はないと確信する。
あるのは、白線を踏み外さず歩くという目的のみ。
それは何故か?
その謎をとくまで目は離せない。
僕は目を皿のようにして後ろ姿を追った。
男は相変わらず白線を進む。
ゆっくりゆっくり、慎重に慎重に・・・
そして、ついに2周目に突入。
春うららかな陽気の中白線を歩く男と、後から見守る僕。
本当に、山手線の電車みたいだ。
『運転手は君で車掌は僕だ・・・』
そんな歌があったような気がする。
くだらない事を考えていたら、急に男が立ち止まった。
『・・・またか』
そう、また男は立ち止まったのだ。
この停止に何か意味はあるのか?
新たな謎に僕は混乱する。
『ひょっとして、本当に電車ごっこ?だとしたら・・・ハハ、この電車は各駅停車の鈍行だな』
一人ほくそ笑んだ。
この歩くスピードでは、間違っても快速電車とは言えない。
『だとすると山手線じゃないな・・・この人には田舎のローカル線がよく似合う』
クスクス笑いながら妄想にふける。
すると、突然・・・
僕の脳裏に、稲妻のような光が走った。
きっとニュートンが落ちてきたリンゴを見て、万有引力を発見した時も同じような稲妻が脳裏をはしったに違いない。
『そうか、わかったぞ!』
僕は気がついた。
男が止まった場所の共通点をだ。
『影だよ、影!』
興奮しながら頭の中で叫び声をあげる。
男は・・・
明るい陽の光を浴びてる時は快調に白線を進むのだが、ひとたび住宅の影に入ると急に立ち止まったのだ。
そして、今・・・
立ち止まった男は影の中にいる。
『間違いない!』
久しぶりに充実感に満たされた僕。
頭の中で、リオ・デ・ジャネイロのカーニバルみたいに軽快な音楽まで流れ出した。
『イヤッホー、やったぞ、やってやった!』
出来ることなら本当に踊りだしたいくらい。
妄想の中では喜びのファイアーダンスが始まっていた。
だが・・・
『だけどさ』
頭の中で冷静な声が響く。
それは、もう一人の自分の声。
『だけどさ、それはどうしてなんだ?』
『えっ?』
『影に入ると立ち止まる。それは分かった。だけどさ、どうして立ち止まる?その理由は謎のままだ・・・』
一瞬で静まりかえる僕の脳内。
そうだよ、影に入ると立ち止まる・・・それは何故か?
そこが問題なんだ。
まるで、交尾中の犬にバケツの水をぶっかけたように、急速に落ち込んでいく僕。
謎は深まっただけ。
そもそも男は何故、白線の上を歩いているのか?
男は何故、こんな時間に住宅街を歩いているのか?
しかも、同じブロックをぐるぐると・・・
そして男は何故、背広を着ているのか?
数えあげればきりがない。
『もうダメだ、訳が分からん』
僕の少ない脳のシナプスは、勢いよく崩壊しかけていた。
そんな時・・・
今度ははっきりと、現実の声が響いてきた。
「英雄!あんたこんな所で何してるの?」
僕の名前を呼ぶ聞き覚えのある女の声。
そこには買い物袋をぶら下げた、ちんちくりんな中年女が。
それは・・・
パートに出ているはずの僕の母親だった。
「か、母さん!な、何って、その・・・」
モゴモゴと口ごもりながら何も言えない僕。
だって「見知らぬ男を尾行してました」なんて言える訳がない。
そんな僕に、母はたたみかけるように質問してきた。
「なんでこんな時間にあんたがいるのよ?学校はどうしたの?今何してたの?」
そう言えば、授業サボってきてるんだっけ。
「ヤバいな」
ついつい声が出る。
まさに絶対絶命。
そんな僕を見た母は、すぐに隠し事を見破ったようだ。
「あんた・・・また学校サボったのね?ちょっといらっしゃい!」
「イテテテテ」
学生服の襟首を捕まれ無理やり連行される。
こうして・・・
僕の探索は終わった。
あの白線を歩く男の謎は、謎として残されたまま・・・
僕はドナドナの子牛のように、悲しそうな瞳で引かれていく。
そんな僕の目に、最後にチラリと映ったものがある。
それは・・・
春の陽射しを浴びながら、ただ黙々と白線の上を歩いて行くあの男の後ろ姿だった。
さて・・・
それから僕たちは、すぐ我が家へ到着した。
「ワン、ワン、ワン」
玄関では家で飼っている雑種犬のジョンが迎えてくれた。
こいつは頭のいいやつで、首輪を抜け出す特技を持っている。
夜な夜な団地を徘徊して、誰かの靴やら野球のバットなんかをくわえてきてはコレクションしてるつわものだった。
今も庭の犬小屋から抜け出して、うちの玄関にチョコンと座っている。
「また抜け出して!あんた、ジョンをしっかり繋いできなさい。それからたっぷり叱ってあげるからね」
予言通り母はジョンを繋いできたあと、僕をキッチンのテーブルに座らせ、たっぷり一時間ほど小言を喰らわせてくれた。
ガミガミ、ガミガミ。
母の小言は、僕が学校をサボった事に始まり、自分の部屋を掃除しないって事にまで及んだ。
適当に相づちを打ちながら、上の空で聞いている僕。
『何を言っても、僕の気持ちのなんか誰も分かってくれないよな』
半ば諦めの境地。
すると・・・
しゃべり疲れたのか、それとも暖簾に腕押しの僕の態度にあきらめたのか、今度は話題を変えてきた。
「ところでさ・・・さっきは何してたの?」
「ああ・・・それがさぁ」
母の話を黙って聞いていただけの僕だったが、急に水を得た魚のように話し始める。
あの奇妙な白線の男について。
すると・・・
得意気に話す僕の話しを遮って、母がいきなり笑い始めた。
「アハハハハハ、ああ可笑しい」
「何がだよ?」
憮然とする僕に母は言った。
「馬鹿だね、この子は、その人は日下部さんちの息子さんよ」
「日下部さん?ああ、あのおばあちゃんか」
「そうそう、北海道でサラリーマンやってたらしいんだけど、最近帰ってきたみたいよ」
「ふーん」
男の素性はこれで分かった。
日下部春彦がその名前らしい。
母は話しを続けた。
「でもあんた、もう後をつけるような失礼な事しちゃだめよ」
急に真面目な顔つきの母。
「あの春彦さん、とっても可哀想な境遇なんだからね」
そう言う母の瞳は悲しそうに曇ってた。
いつもと違う母の姿に、僕は少しドキッとする。
ただ、何も言わず母の言葉に耳を傾ける僕。
「つい昨年のことよ、春彦さんが交通事故に巻き込まれたのは」
「事故?」
「そう・・・冬の凍った道を歩いてたら、スリップした乗用車にはねられたらしいわ」
「へぇ」
「後ろから突っ込まれたみたい・・・避けることもできなくて大怪我したんだって」
「ははぁ、それでか!」
僕は一人、合点する。
「なんかあの人、歩き方がたどたどしくて変だと思ったんだ。怪我のせいなんだな」
「馬鹿!」
いきなり大きな声で、僕をいさめる母。
「な、何でだよ?」
どうして、怒鳴られたのかさっぱり分からない。
母は言った。
「春彦さんはね、体はすっかり治って健康体なの」
「えっ、じゃあ何で?」
「ただ・・・目がね」
軽く目をふせ、言いにくそうにつぶやく母。
「目って?」
「春彦さんね、事故のせいで目がほとんど見えなくなったのよ。両目とも」
「・・・うそ!」
そう、あの白線を歩く男は、いわゆる弱視と呼ばれる障害をもった人だったんだ。
完全に見えないという訳ではないが、ほとんど視力は失われたという。
『それなのに僕ときたら、面白がって後をつけたりして・・・』
恥ずかしいやら、申し訳ないやら。
もう何も言えなくなっていた。
神妙な顔で聞きいる僕に、母はさらに話してくれる。
「春彦さん、体が治ったあとも、しばらく病院から退院することはなかったらしいわ」
「なぜ?」
「それは・・・目が見えなくなったっていう現実を、なかなか受け入れられなかったんでしょうね」
それはそうだ、と僕は思う。
それまで普通に見えていた世界が突然なくなるのだ。
一晩で、光の世界から闇の世界へ・・・
考えただけでもその苦しみが理解できる。
僕は子供のころ、遊びで家中を歩いてみたことがあった。
目隠しをしてだ。
タンスに小指をぶつけたり、柱に頭を打ちつけたりしてえらい目にあった。
そこでようやく気づいたんだ。
目が見えないとはどういう事かを。
あの時はたったの5分で音を上げた。
それが・・・
これから一生続く。
白線の男の絶望感は痛いほど分かる。
「すごく荒れたらしいわ」
ため息混じりに言う母親。
「手当たり次第に暴れまくって看護師さんたちも触れないくらいに荒れたって」
それでも、駆け付けた彼の母親だけは・・・
「どんな時も息子さんの側にいてあげたのよ」と震える声で母が言った。
何をされても、どんなに暴力をふるわれても決して息子の世話を止める事はなかったらしい。
ただ、泣きながら泣きながら、「ごめんねごめんね春彦」とつぶやきながら、世話を続けた。
「お腹を痛めて産んだ子供だもん。どんな事されたっても我慢できる。それが、あんな可哀想な事になって・・・」
母は目尻に涙をためていた。
「私だって、あんたがそんな事になったら・・・この両目をえぐってあんたに上げたいくらいよ」
「・・・母さん」
思わぬ母の愛情あふれる一言に照れ臭いやら嬉しいやら。
いろんな意味でジーンときた。
「でもね、病院に駆け付けて必死に看護してくれる母親を見て、春彦さんもだんだん落ち着いてきたんだって」
「・・・そっか」
「それから、必死に勉強して鍼灸師の資格をとったのよ」
「しんきゅうし?」
初めて聞く単語に少し戸惑う僕。
「そうねぇ、最近は使わない言葉か。鍼灸師ってのはお灸とか鍼をしてくれる人のこと。健康にとってもいいから静かなブームなの」
「ああ、テレビで見たことあるかな」
僕は、お笑い芸人が罰ゲームでそういうたぐいのものを受けていたことを思い出した。
「あれって健康にいいんだ。なら罰ゲームにはならないよな」なんて場違いながら苦笑する。
だが、母はそんな僕にはかまわず、重々しい声でこう言った。
「春彦さんね。これ以上お母さんに迷惑かけないよう、今、色んな事を訓練してるのよ」
「・・・じゃあ、あの団地をぐるぐる歩き回っていたのも?」
「そのための練習でしょうね」
「うっ」
「それなのに、あんたは面白がって」
「それはもう反省してるから」
僕は手を振って母の言葉を遮った。
本当に十分反省していたからだ。
だけど、気になる事も幾つかある。
「背広着てたのは何でかな?」
「これからいつも仕事で着て行く服で、歩く練習をしたかったんじゃないの?」
「ふーん、じゃあさ何で白線踏んで歩いてたんだろ?あっ、それと家の影に入ると立ち止まるのは何故なんだろうね?」
「ああ、それは・・・」
母は言った。
「春彦さんは弱視でほとんど何も見えないんだけど、道路の白線だけは見えるんだって。だから歩く時はそれを目印にするのよ。あと影に入ると立ち止まったのは、たぶん白線が見えにくくなるからだと思うわ。太陽が出ている昼間しか出歩けないって言ってたから」
「なるほど」
全ての謎はとけた。
あれは・・・
視力を無くした中年男の、新しい人生にかける壮絶な意気込みのあらわれだったのだ。
あの白線の上を歩くおぼつかない一歩一歩が、これからの男の人生を変える大きな力となっていくに違いない。
見栄えが悪いとか、何となくやる気が出ないとか、そんな甘えは何処にもない。
僕が最後に見たあの男の後ろ姿は・・・
ただ、必死に生き残ろうとする、最高にかっこいい男の後ろ姿だったんだ。
僕は胸の奧から、熱いものがたぎってきている感じがしていた。
これまでのふがいなさが恥ずかしい。
僕は、あの男に比べればはるかに恵まれているじゃないか。
それなのに・・・
僕はそっと下唇をかんだ。
そんな僕に母が言った。
「あんたも、春彦さんみたいに頑張ってみなさい」
叱咤激励するような口調。
いつもなら反発するところだが・・・
「そうだな」
自分でも驚くほど、素直にうなずけた。
やはり、あの男の境遇が僕に何らかの力をくれたらしい。
いつもと違う様子に母も驚いたようで、まじまじと僕を見つめていた。
何だか、ちょっとだけ生まれ変わった気分。
明日からは真面目に学校に行こうと僕は強く思った。
だが、その時・・・
ふと、新しい謎が僕の脳裏に浮かぶ。
「でもさ、母さん」
「なぁに?」
「弱視の人って棒みたいなの持ってない?歩く時、地面につけて辺りを探る杖みたいな棒を」
「ああ」
母は少し困ったような顔でうなずいた。
「それね、盗まれたって」
「盗まれた?」
「ええ、昨日ね、日下部さんが言ってたんだけど、玄関前に置いていたら誰かに盗られたんだって」
僕はその時、急速に嫌な予感がしていた。
急に立ち上がと庭に飛び出していく。
「ちょっと、どこに行くの?」
慌てて母がついてくる。
僕の行き先は・・・
ジョンの犬小屋だ。
あいつのコレクション置き場でもある。
すると・・・
案の定だ。
ジョンの犬小屋の横には、靴やらバットやらの中に、視力の弱い人が持つあの杖があったんだ。
「そ、それは!」僕のあとをついてきた母もようやく気づいたらしい。
「またジョンが徘徊した時にとってきたんだろうな」
「まぁ・・・」
僕が取り上げたその杖は、もうボロボロである。
きっと、ジョンがガジガジ噛んだんだ。
僕の手にあるそんな杖を見た母は、あんぐりと口を開けてあきれている。
やれやれ。
「ちゃんと春彦さんに新しいのを買って弁償しなきゃね」
僕の言葉に母が大きくうなずいた。
「さっそく、今夜あやまりに行きましょう」
そんな僕たちの会話をそれまで黙って聞いていたジョンだったが、僕の手にある杖を返して欲しかったのか
「ウォフ」と一声小さく唸った。
僕は思わず、ジョンの頭を軽くこづいた。
春彦さんの代わりに、ゴツンと一発軽くこづいたんだ。
そんな僕をジョンは恨めしそうに見上げている。
まるで・・・
『ご主人様だって、あの人に失礼な事をしたくせに』と責めているように僕には見えた。
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