因果応報1 ― ある男の場合 ―
作品の中に「堕胎」表記が出てきます。
そういった話が苦手な方は回避くださいませ。
また女性蔑視発言(男の主観)も多々出てきます。
そういったものがお嫌いな方も回避くださいませ。
その男は、後半でがっつりやられますけども…。
すべてにおいて、俺は勝ち組だと思っていた。
『因果応報』
彼女に言われたその言葉を思い出すその日まで―――
***
幼なじみの嘉穂は、俺にとって都合のよい存在だった。
お手伝いさんもいる、それなりに金持ちの家に生まれ、何不自由なく暮らしている嘉穂はどういう訳か、家が近所なだけの俺に惚れていた。別に親同士に面識があって仲がいいとか、保育園が一緒だとか、二人でよく遊ぶといったことも無かったのに。
もしかしたら、普通の家に生まれたものの、俺が世間で言う「イケメン」「モデルみたい」と女から騒がれる外見をしていたことに加え、そこそこ成績優秀で要領が良く、小中高と人気者として慕われていたからかもしれない。
そんな俺に憧れていると言う嘉穂が俺に接触したのは同じクラスになった中学生の時だった。
別に弱い者いじめをする悪趣味は俺にはなかったが、何をしても何を言っても怒らない、それどころか命令には従う嘉穂が、俺にとって、使い勝手のいい奴隷みたいなものに見えたのは俺もそれなりにガキだったからだろう。
ましてや嘉穂は、地味で大人しい見た目ではあるものの顔の造りもそこそこ良く、頭もいい、いわゆる「それなりに人気のありそうな優等生」だった。そんな女が俺の言葉に一喜一憂するのが俺の言動次第だというのは俺に優越感を持たせるだけだった。
金が無いと言えばすぐに自分の財布を出す。宿題が面倒だと言えばノートを差し出す。雨の日に傘が無いと言えば、自分の折り畳み傘を差し出す。俺はそれを使って他の女と帰宅して嘉穂を馬鹿にする女と一緒にベッドの上で楽しく過ごした。
14かそこらのガキだとしても最低な行為だとは思うが、それを許したのが俺に惚れた嘉穂なんだから、いいじゃないかとすら思っていた。それに俺に惚れて何でもするという女はたくさんいたのだ。別に嘉穂がいなくとも俺は構わなかった。それでも俺が好きだと言うんだから何したって構わないじゃないか、そう本気で思っていた。
高2の時には、処女を貰ってやり、喜ぶ嘉穂の好意につけこんで、自分の予備校代まで嘉穂に出させた。
その甲斐あって俺はストレートで有名私立大に合格。さすがに入学費用くらいの金は家にもあるが、生活費は自分で稼がねばならず、俺は一人暮らしで与えられたマンションに住む嘉穂の家に潜り込んだ。
大学時代も思うままに過ごした。生活のことは考えなくても嘉穂がすべて負担したから問題ない。それどころか、一つの家に一緒に住んでることが嘉穂にとって嬉しいらしい。俺と付き合っていると思い込んでいるのか、俺の浮気(俺にとっては嘉穂も浮気相手だったが)にも目をつむり、新妻よろしく世話を焼いてくれた。金持ちの家に生まれ育った割に、料理も掃除も洗濯もきちんとする女でその点では数いる女の中で嘉穂が一番便利だった。
それに、それなりに見目のいい女と付き合い、それなりに楽しく遊んでも嘉穂は何も言わない。女と遊ぶ金まで嘉穂が出すのを俺は当然だと思っていた。
そして大学卒業後、嘉穂はそのまま院に残り、よく分からないが地味な研究の道に進んだが、俺は国内でも一流とランク付けされる有名企業に入り、その後も、出世街道をひたすら走った。
さすがにこの頃になると嘉穂の家を出たが、子供の頃から変わらず、俺の周りには俺の世話を焼きたがる女がいたので、あまり問題無かった。
何せ社会人になって、それなりに良い物件を探すのは男も女も同じ。俺は体や金を武器に近寄ってくる女たちに適当に貢がせ、適当に、だが、自分に悪くはならないように遊んでいた。
そんな調子で金にも女にも困らなかった。要領が良い分、上司にも可愛がられた。
非常に楽しい20代だったことは間違いない。
大学で何かの研究を続けてまま助教授となった嘉穂との関係も相変わらずだったが、結婚をするなら出世のためになる女をと考え始めた29歳のとき。ある日、嘉穂が「妊娠した」と言ってきた。
嘉穂の家は金持ちではあるが、嘉穂は長女。家は長男が継ぐし、嘉穂と結婚したらさすがに俺が嘉穂の面倒を見なくてはいけなくなる。それはごめんだった。
「お前、避妊はちゃんとしてるって言ったじゃないか。本当に俺の子か? 信じられないね」
一度体調が悪くてピルを飲み忘れた時だと嘉穂は言った。その言葉にハズレだった合コン帰りに嘉穂の家に寄った時のことか…と思い出したが「本気で俺と結婚したいなら、まずは子供堕ろせ」と言った。
その言葉に顔を青くした嘉穂を見て、内心、本当に産む気なら結婚くらいはしてやっても構わないか…くらいには思っていたが。
だが、それから数週間後。
嘉穂は本当に堕胎した。
泣きながら「あなたを愛しているから」と言って。
それが俺を最低な人間にする引き金だったと思う。
俺は言った。
「本気に取るとは思わなかった。俺の子供を殺すなんて最悪だ。お前とは二度と関わりたくない」
絶句した嘉穂に、罪悪感を押し付けた。
そして、俺は嘉穂を捨てた。
この世の終わりとばかりに顔色を失くし、静かに泣く嘉穂を見て思ったのは「自殺でもされたらたまらない」だった。案の定、しばらくして嘉穂の家を訪れてみれば、食欲を失くし、見る間に痩せぎすになっていった。俺を見ても何の反応も無い、これはどうするべきかと頭を悩ませた。
さすがの俺にも一かけらの良心くらいはある。
そこで俺は、同じ大学で薬学部の院で働いている三枝淳という男に嘉穂を押し付けた。俺と嘉穂の共通の知り合いで、大学時代からアイツが嘉穂のことを好きなことは知っていたからだ。
結果この目論見はうまくいき、嘉穂は三枝に支えられるようにして生気を取り戻した。
最後のダメ押しとばかり「俺が持っているのは三枝に悪いから」と、嘉穂の家の鍵を返しに行った際、嘉穂は無表情でこう言った。
「あなたのことが本当に好きだったわ。それこそバカみたいに。こんな目に遭ってやっと自分がいかにバカだったかって気付いたけど、私が選んだ結果だもの。反省しても後悔しないようにするわ」
「そうか……これから、三枝に大事にしてもらえば、楽しく生きれるだろ」
「そうね…でも、あなたにこれだけは言いたいわ」
「何? 自分が悪いって言うんだったら、面倒くさいこと言わないでくれよ」
「そんなつもりは無いわ。ただね…『因果応報』って知ってる? いつか自分のやったことは自分に返ってくるのよ」
淡々と喋る嘉穂に、口にすることはなく「負け組のセリフらしいな」と俺は嘲笑っただけだった。
俺は振り返ることも無く、嘉穂の家を後にした。
そして当時の上司だった取締役営業部長の娘と婚約して、30歳で結婚。
俺の出世は約束された。
それから30年。
仕事は順調で、50になる頃には義父の後を継いで常務取締役となった。
還暦まであと2年ほどになった今は、来年あたりの辞令で専務取締役になるだろう。さすがに女遊びは40を超える頃には玄人相手にシフトしたが、金を持っていて見目もいい俺の周囲には絶えず女の影がある、それすら成功者のステータスだと信じて疑わなかった。
妻はエステと買い物、社交に忙しいだけの馬鹿な女だが、そこそこ美しく、家事の才能が無くとも、お手伝いを雇えるだけの金に困らない。特にベッドでの関係は良好だと言えるだろう。
それに俺の遺伝子を引き継いだ子供たちは、美しく育ち評判も上々。俺だって自分の子供は可愛い。最初に生まれた長女と次に生まれた次女には、決して嘉穂のような馬鹿な女にならないように娘たちには「男は転がしてなんぼだ」と好きなことをやらせ、甘やかして育てた。
40で生まれた長男と45で生まれた次男は、俺よりも妻に似ていたこともあって面倒が勝ったが、妻が相手をしているので問題ない。
それに26になる長女は社長の息子と婚約。結納も間近で、俺の出世の後押しも確かだ。
だけど、ある雨の日、22の次女がずぶ濡れになって泣きながら帰ってきたのだ。
聞けば、大学で好きな男に振られたと言う。
それだけならば「お前はまだ若い。いい出会いがあるさ」と父親らしい言葉をかけてやっただろう。だが、娘は妊娠して、それを告げて「堕ろせ」と言われてその通りにしたのだと言う。
そうまでしたのに、男は娘と一緒になる気は一切無いと娘を突き放したのだ。
許せなかった。愛する娘がこんな目に遭うなんて。
俺も過去を振り返れば人のことは言えないが、それはそれ、許される俺と許されない他人ではステージが違うと勝手に憤った。
そして。
相手の名前を聞いた時、俺は衝撃を受けた。
「今、なんて…」
「三枝蓮、大学の…三枝教授の息子さんなの…」
「お前、その男の子供を妊娠して堕ろしたんだな?」
「そうよっ! 私! どうしても彼が欲しかった!! 彼、とても優秀で女の子にも人気なのっ! 28で既に助教授。両親揃って日本でも有名な博士号持ってて、どちらの実家もお金持ちなのっ! パパ! 私、彼と結婚したいの! お願い! 彼を私の物にしてっ!」
俺は妊娠と堕胎のことを聞いたはずなのに、次女は相手のことばかり喋る。
興奮して何を言ってるかわからないところもあったが、どうやら嘉穂はあのまま三枝と結婚して、それなりの立場の人間になったようだ。三枝にいたっては実家は誰でも知っている旧家の出だった。
俺と結婚するよりよほどうま味があったと言うわけか。
俺が捨てた女の一人がうまく成功したのはどこか腹が立つが、娘はかわいい。
それにうまく三枝と縁戚関係になれれば、俺の飛躍はさらに続く。
何、馬鹿な女と男の組み合わせだ、せいぜい利用させてもらえばいい…息子にしたってあの二人の子供なら御しやすいだろう。
ダメなら多額の慰謝料を要求してぶん取ればいい、そう本気で思った。
「わかった。パパに任せろ」
そう言って、俺は嘉穂の息子に会う約束を取り付けた。
「三枝連です。お嬢さんのことでお話があるとか」
指定された大学近くの喫茶店へ行ってみれば、なるほど面食いの娘が惚れるだけあって、それなりに整った容貌で長身の青年がいた。線の細いところは三枝譲り、顔立ちは嘉穂譲りといったところか。
「貴様、よくもうちの娘を…」
脅してうまい金蔓か、利用できる駒にしてやろうと思っていたが、さすがにこの男が娘を弄んだのだと思うと、自然と腹の底から低い声が出た。
ビビらせてすました顔を歪ませるといい、そう思った。
しかし、嘉穂の息子は顔色を変えることなく、それどころか鼻で笑うように言った。
「あなたがそれを言いますか? いや、さすが聞いた通りの反応だ」
「何?」
「藤堂弘明さん。昔、母を捨てた母の幼馴染…ですよね」
「っ、何故それを」
「母から聞かされましたから。あなたのお嬢さんが入学してきた時に『あの人の娘なのね』って。それで」
思ってもいなかった言葉に、顔が引き攣った。
頭をよぎるのは過去の自分の所業。まさか、嘉穂が自分の過去を息子に話しているとは思わなかった。この男はどこまで俺のことを知っている? いや、何故知っていて、ここに現れた?
「もしかして…復讐のつもりか…まさか嘉穂に頼まれたのかっ!?」
「まさか…そんなつまらないことしてどうするんです? それにあんたが俺の母親の名を呼び捨てるな!」
大人しそうな外見とは裏腹に苛烈な物言いをしてこちらを一瞥する男の視線に怯んだ。
「過去はともかく、今は両親は学内でも有名なラブラブカップルでしてね。子供の俺が困るくらい仲がいいんですよ。それにね。俺はこの大学で父と同じ分野で助教授。弟は国立大の医学生。妹はヴァイオリニストとして活躍中…こんな環境をつまらない人間と付き合って壊すバカがどこにいるんです?」
ラブラブだのカップルだの若者らしい軽い言葉が飛び出るが、男が口にしたのは三枝家の自慢だ。自分が言うにはいいが、人のことを聞くのは腹立たしい。
「それに。言っておきますが、俺には元々結婚を約束した恋人がいますよ」
「何だとっ! 貴様、娘をだましたのかっ!? 貴様のような男、俺の力でどうにでもなるんだぞっ!」
「あーあ、意味の無い脅しする奴ってほんといるんだなあ。あんたクズそのものだね…まあ、あの尻軽低能女の親じゃしかたないか」
「なんだとっ! 俺を侮辱するなっ!」
嘲笑う男に殺意が湧く。
態度を変えた上に、俺相手に敬語もバカバカしいと口調まで変えて。
場所は人気の少ない喫茶店ではあったが、それでも人の耳目はある。
だが、人目など関係なかった。
俺と娘を、ましてや俺を侮辱するなど許されるものか!
そう叫ぼうとしたが、男は涼しげな顔のまま「そういやあんた知らないんだな」とコーヒーカップを手に余裕の声を出す。
「……何を、だ」
「人の話をロクに聞かなさそうなあんたのことだ、どうせ娘から『妊娠したのに堕ろせと言われて堕ろしたのに結婚してくれない』とか泣きつかれたんじゃねーの? 言っとくけど、あの女、誰にでもそう言って迫るって学内じゃ有名だぜ」
「何をそんなっ、」
そもそもの本題に入ったかと思えば、娘を侮辱する言葉の羅列。
俺が馬鹿にされるのも許せないが、俺の遺伝子を引く娘を馬鹿にされるのも許せない。
それなのに、男は淡々と言葉を紡ぐ。
「惚れっぽい、自意識過剰、自己顕示欲が強い、自分が目を付けた男に恋人がいたら寝取る、ちょっと見目のいい男には簡単に股を開く…あんたの娘、今じゃ学内どころか他大学でも有名だぜ? 病気が怖くて生じゃ出来ない女って。そんな女と何で俺が付き合わなきゃいけない?」
「……嘘を吐くなっ!」
「はあ、親だから子供がかわいいってのは分かるけどさ。そんなに人を嘘吐き呼ばわりすんなら、興信所にでも頼んで娘の素行調査してみれば? あんたもいいとこの役職付きなんだろ。下手すっと自分の身内に裏切られて落ちぶれる、なんてことになりかねないぜ?」
「…………」
「俺がなんでココに来て、あんたにお節介焼いてるかって? 別に母さんのことがあるからじゃない。あんたの娘のせいで大変な目に遭った学生も多いからな。俺もヒマじゃないが、教え子も自分も大変なのはごめんなんでね」
今日ここに来たのはそれが理由だ、と言って伝票を手に男は立ち上がる。
「そうそう。母さんが言ってたよ。あんたの娘の言動知って『見た目もだけど性格までそっくりなのね。哀れね。これも因果応報ってやつかしら』ってさ」
「なっ!」
男の言葉に腸が煮えくりかえるが、『因果応報』という言葉に訳もなく硬直して冷や汗が出た。
落ち着きを取り戻した時には、男の姿は無かった。
その後、男に言われたからじゃないが、俺はすぐさま娘の素行調査をした。
結果は……男に言われた通りだった。
次から次へと出てくる結果に、依頼した調査員までが呆れるを通り越して、侮蔑の目を向けてくる。それも腹立たしいが、娘の管理が先だ。このタイミングで訴えられでもしたら、昇進の話どころか長女の婚約話まで流れてしまう。
次女は退学させ、家で花嫁修業という名目で妻に押し付けた。
だが、それがきっかけだったのか、既に事態は進んでいたのか…。
嘉穂の息子との邂逅から数か月。ある日のことだった。
「藤堂常務、ちょっといいだろうか」
年配の常務の一人から話があると言われて向かったのは役員応接室だった。
入室してみれば、もう一人の常務に専務、社長までいる。
豪華とも言える面子に何事か? と疑問に思うも、こちらには何の情報も無い。
口火を切ったのは、専務だった。
「君も知っているだろうが、今度の沢渡製薬の子会社とうちの子会社の業務提携話だが…」
「ええ、確か日野常務が陣頭指揮をとっている企画でしたね。私も責任者の一人で名前は連ねていますが」
よもや失敗しそうなのか?
それなら俺が責任者になって、華々しく成功させてやろうじゃないか。
周囲が浮かべる渋い表情に、内心ほくそ笑んでどう売り込もうかと考えていたが、社長が深く息を吐いて「まさか君がこんな問題を抱えていたなんて…」と呟いた。
問題? 俺が?
訳が分からないといった顔をしていたからか、社長が続けて口を開いた。
「実は、今回の件、沢渡製薬の社長夫人が難色をしめしていてね」
「社長、夫人?」
「沢渡美佐子、旧姓加藤美佐子…覚えがないかね」
「……はあ」
女問題か? だが、耳にした製薬会社社長夫人の名前と過去の女を比べるも覚えは無い。
そもそも、素人女など20年近く相手にしてないのだ。
「ふむ、君にこんなことを言っても仕方ないとは分かっているがね。つい先日、沢渡製薬主催のゴルフコンペに日野常務と一緒に参加した時にね。夫人から、企画書に書かれてあった君の名前を出して、大学名と年齢を聞かれたんだ。答えたところ、君はどうやら夫人の親友と同窓だということが分かった」
「はあ」
「その夫人の親友と言うのが…君が昔手ひどく扱った女性だそうだ。仕事に情は挟みたくないが、自分の親友に最低な仕打ちをした人間がいる会社だと思うと、周囲までそういう人間がいて裏切られるのでは? と不安に思う…だそうだ」
「っ、それは…」
思い出した…嘉穂の親友だった女だ。
まさか、世界でも名が知られている沢渡製薬の社長夫人にまでなっていたとは…。
「もちろん過去のことだとは我々も分かっている。だが、沢渡製薬に貢献している薬学博士が三枝淳教授。沢渡社長や夫人とも懇意にしている間柄の博士で……その女性のご主人だそうだ」
「ま、待ってください。三枝とは確かに同窓です。弁解させていただけるなら、確かに社長夫人の親友と言われる…おそらく三枝の奥方になった女性は私も知っていますが、彼女は私の幼馴染なんです。それに三枝と一緒になったきっかけを作ったのは私なんですよ。何がどうなってそんな誤解が…」
また三枝かっ!
娘の件に続き、嘉穂が絡むとロクなことが起きない。
今頃になって何故俺の邪魔をするっ!
必死になって弁明の言葉を繋げても、重役たちは誰一人として浮かない顔のままだ。
「藤堂君」
「、社長、」
「今回の提携話。我が社としても確実に纏めたい。君には悪いが、3年ほど出向という形で北海道支社に行ってもらえないだろうか」
体のいい厄介払いだ。
本社での専務昇進の話が立ち消えた瞬間だった。
同時に長女の婚約話も。
どうやって役員応接室を出たのかも分からない。
気分が悪く、早々に帰宅した。
だが、俺の不幸はまだ始まったばかりだったのだ。
何の連絡も無く帰宅してみれば、見知らぬ若い男を家に上げて睦みあっていた妻の姿を目にした。当然夫婦喧嘩が勃発する。あの様子からして一回や二回のことではないのだろう。聞けば、相手は最近入れあげているホストで、妻のこういった浮気は20年以上にもなるのだと言う。
しかも、長男と次男は俺の子供では無いとまで言いやがった。
道理で似てないはずだ、と忌々しく思うも、妻は「あなたの浮気を黙っていてあげたんだから文句を言われる筋合いないわよ」と開き直る始末。
それからは絵に描いたような転落人生だった。
妻との離婚は長引いた。
相手も浮気をしていたが、こちらは婿養子な上に、それなりに女の過去もある。
何とかうまく別れられればと思ったが、妻の父親は元上司。隠していてもいつの間にか妻との離婚話が会社に流れ、俺は左遷どころか解雇を回避するのに手いっぱいだった。
そこに、悠々と引退生活を送っていた義父が亡くなったと思えば、山のような借用書があることが発覚。女遊びの激しかった義父に、当てつけのように買い物三昧だった義母の行動を思えば当然の結果とも言えるが、離婚もしていない状態では、こちらに借金が押し付けられるのも必須だった。
義父たちの借金は、所有している不動産を売り払って対応したが、それが片付かない間に北海道行きの辞令が出た。
そうなって妻は「離婚するつもりは無い!」と頑なに離婚を拒んだ。誰が50も過ぎた何の取り柄も無い女を世話してくれるのか…妻もそう思ったのだろう。
それ故、慰謝料を払わずに済んだが、家の権利は渡すことになり、月々の生活費も支払う約束となった。元々妻の実家の金で建てた物だから仕方ないと言えば仕方無い。
だが、血の繋がっていない長男と次男は家を出た。
留学中の長男は早々に家を見限り、戸籍を抜いて留学先の家に婿養子入り、日本に帰ってくるつもりはないとまで言ってきた。次男にいたっては妻の浮気相手だった金持ちの家に養子となった。
妻と同じく金食い虫でしかない長女は婚約の解消に金切り声をあげて泣き叫び、精神不安定になって部屋に籠っていたが、ある日元婚約者に対して暴力事件を起こし、警察沙汰になった。
次女も家を出た先で性質の悪い男につかまって風俗嬢になった。
それらの後始末で貯金も使い果たし、残された家も売らざるを得なくなった。
さすがの妻も俺に悪いと思ったのか……いや、次男が養子に入った家で住み込みのお手伝いを探しているという話に乗っかり、あれだけ渋り、あれだけ騒いだ離婚を呆気なく踏み切った。
そして今。
俺は独りで北海道の社宅とも呼べないボロいアパートで生活をしている。
娘が起こした暴力事件のせいで、支社長でもなく、ただの平社員として。首を切られなかっただけマシだったのかもしれないが。
30年だ。
30年も経ったと言うのに、今さら過去の自分の所業のツケを払わされる羽目になるなんて。
還暦まであと数日というところで、今や俺も立派な『負け組』だ。
あれだけ“人生の勝ち”を信じて疑わなかったと言うのに、今や何も残っていない。所得は一時の10分の1にまで下がり、若い社員たちにバカにされても会社にしがみつく始末。娘の事件のせいで、退職金さえほとんどをカットされた。
色褪せた畳の上に直接置かれたボロいテレビに映るのは、長く働いてきた者なら憧れる国最高の象徴から贈られる賞賛と記念の褒章を得る人間たち。
そこで見事な着物姿の女と立派な装いの男が仲睦まじく頬笑み合うのが目立った。
「『因果応報』…か。まったくお前の言う通りだったよ」
華麗な式典に当事者として映る嘉穂に、俺は呟いた。
すごい突発的に書きたくなって一気に書いた物ゆえ、誤字・脱字がありましたらすみません(一応推敲済みではありますが)
連載のほのぼのした『客人の選択』(http://ncode.syosetu.com/n0928bo/)とはまったく関係なく、傾向も違いますけど、ちょっと書きたくなったので。