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偽りの自宅、偽の母が作った夕食と分かっていて、敦の過ごす場所はそこしか無い。
ここを否定して街をふらつこうが、敦の元居た世界では無く、彼等の網の中でしかない。
昨夜は嫌でたまらなかったベッドに潜った。もう、開き直りだ。
眠った事なんて普段は意識しない。
それでも今夜は、寒々しい暗闇が…”夢を見ている”と敦に教えた。
声が…聞こえてきた。
「教えて、貴方は、何?」
少女の涙声が聞こえる…聞き覚えのある…間違いなく、ドーラだ。
「恐い…」
ドーラの姿が薄闇に小さく浮かんだ。
青白い顔を白い手で覆っているのが分かるぐらい離れた所で泣いている。
黒いドレスを着ているらしく、他は闇に紛れて足の先さえ見えない。
「恐がらないでよ。俺は何も…。誰を傷つけるとか具体的な事、考えた事も無い。戦争もいやだし」
考えた事が届いたようだ。ドーラは僅かに両手から泣き濡れた顔を上げた。
「あの教室にいたのは皆、人間じゃないみたいだけど…君は何?」
身体の無い敦が訊くと、ドーラは座った状態で両手を膝の上に置いて沈黙をした。
やがて、小さな唇がそっと開いた。
「時間…」
「?」
ドーラの答えに敦は目を瞬く。子供にとって難しい質問をしてしまったのかと思ったが、ドーラが話しを続けた事で、やっと、答えが見えてきた。
「私は、たった1本の草が、細胞が、分子が…残れば良い…でも、人間が大きな争いを起こした暁には、汚し尽くされ、もう何も、残らない!」
悲痛な声は見かけ通りの子供だが、語る口調は大人だ…。
開き直っていた敦に警戒心が過ぎる。
「人間の悪意と邪心から産み出された魔族は遊戯する宛てなく寂れて朽ちる…生物が消えた世では疫神も死神すらも、果てる!」
ドーラは自分の知る未来を切々と語り続けた。
秒刻みの涙。
虚空への叫び。
時を進めようとも、何ひとつ応じない、永遠の孤独。
すべての星が輝きを終え、やがて訪れる永遠の闇を…。
神々は時間さえも宇宙に置き去った。
”時”とは生きるものにしか必要の無い物であるが故に…!
そして神によって造られた”時”は、棄てられた子として、泣く。
「人間…!あんな罪深い者さえいなければ、神々はこの世から去らなかったものを!」
叫ぶと同時にドーラの背後にTVや図鑑で見知った宇宙が広がった。ドーラは少し後方へと首を動かして敦に告げた。
「見て」
目に入っていた星々どころか…宇宙がだんだんと小さくなる。闇に有るべき微かな光も見えなくなった…。
純白の眩しい空間にぽっかりと暗闇が浮かぶ。
その暗闇の形は…メビウス…無限の輪。
「生きる物を残そうと…私はあらゆる者達に呼びかけ宇宙の形を歪めた…なのに、間に合わなかった!もう、生物の残る星は、神々が棄てたきっかけになった、この忌むべき星しか無いのよ!」
時間に魂を呼び戻す力は無い。神の意思があれば引き出せるが、もう叶わない。せいぜい、今あるものを存続させ繰り返す事しか出来無い…。
無限の法則に乗っ取り、この宇宙と星々の崩壊は免れるだろう…けれど、住む者達の邪心までは操れない。
今、存在する人間を憎んでも憎み切れない。
それでも護らなければならない因果と果てを…時は嘆く。
時を進める自身の脈音に逆らい、豊かな水の流れ、薫る花々、虫の羽音、子供達の駆ける姿…過去ばかりを繰り返し眺め続ける日々を恐れている。
哀れな姿に警戒を解いた敦はドーラにゆっくりと語った。
「俺は死んでも必ず生まれ変わって、また君に逢う。汚れきった地上だろうと草でも音のひとつでも何にでもなって生きてやる…!」
ドーラは驚いた表情で敦を見上げた。そう…見上げられた。
「…君をひとりにしないから」
孤独を恐れる小さな者を抱きしめた。
夢の中の偽りであろうと、今、敦には身体が与えられていた。
時間が泣き求めていた、温もりを望まれた身体が…。
そして小さな腕は、抱きしめられるだけでは物足りなかったのか、瞬く間に長く伸びた。
腕だけではなく敦の身体に合わせて全身を成長させたドーラは腕を敦の背中へと回して強くしがみついた。
「ありがとう…」
そう言って敦を見上げたドーラの顔は、気品に満ちた美しい女性へと変貌していた。
刹那的に目を見張った敦だったが、まだ黒い瞳を潤ませるドーラの黒髪を撫でると、ゆっくりと頷いた。
そしてもう一度、ドーラを抱きしめて温めているうちに敦は眠っていた。
翌朝の目覚めの爽快感から、その夜の眠りは過去最高に深く豊かだったと断言出来る。
жЖж
その日は最寄駅のホームの改札を過ぎた真正面の壁、旅行の特大ポスターに凭れて翔が待っていた。
「偉いね、色んな事があったのにちゃんと自分から来るなんて」
翔はにっこりと笑って敦に接する。いつもと変わらず柔らかい口調で。
「あんた達のゲームに付き合ってられない。早めに決着つけてくれ」
止まらないまま翔に険しい視線を向けて言った。翔は柵から離れ、敦の横に直ぐに追いついた。
「ゲームね…確かに、しばらく渦のある者が出現しなかったからね。みんなのんびり好きなように潜伏して人間ごっこしてた」
翔が近づくと敦は距離を離した。今日は肩を組まれる気分じゃない。
「俺は、此処の人間じゃないよな?」
もう、敬語を使う気も失せた敦に対して翔は気を悪くする事も無く質問に答える。
「ドーラが君を見つけて、この辺にいる死んだばかりの学生の身体に俺が招魂したんだ。用があるのは身体じゃなくて魂だけだからね」
敦の足が止まった。翔が止まると、その穏やかな顔を見上げた。
「どうせ、抹殺するつもりで?」
「うん」
戸惑いも無く即答出来る翔に、敦は首を縦に2度振って頷き、軽い笑みを浮かべた…。
望んでいたとおり翔に感化されたのだろうか。余裕など無い筈なのに、今は何もかも穏やかに受け入れられる。
「殺される気がしないんだけど?小さい頃歯医者に連れて行かれたのに似た感じだ」
「そうだね、殺すのは”魄”だけだよ、また元の身体に戻れる」
安心させるような台詞を言う翔を横目に、敦は歩き始めた。そしてやはり横を歩き始めた翔に続きを訊いた。
「悪意も欲も希望も失って?無気力な人生を送れるように?」
「…そこまで言ってないのに、良く分かるね?」
想像した最悪のケースを語った敦に対して、翔は感心した口調で答えた。まったく悪びれた部分が無い。そして、目元は優しい。
「君はやっぱり…普通の人間と魂が違う。我々も早く知りたいんだ、協力感謝するよ」
…たぶん、この翔の所為で、大きな反抗もしないまま流されているのだと敦は感じ始めている。
これも罠のひとつなのだろうが、それでも…。
それでも、彼に逢えて良かったと…敦は、そう思った。
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