4/11
「神が、いない?」
ぽかん、と間の抜けた表情で復唱する敦に、一番前の席に座っていた竜也が後ろを振り返りもせずに説明を始める。
「正確に言えば1431年に聖女・ジャンヌダルクが火刑になった瞬間から神々は人間を見放した」
この威圧的な男も神とは縁遠そうなタイプだが、今の台詞は言い慣れているように思える。そして可笑しそうに肩を揺らした。
「500年前には、慈愛を抱くすべての神々が去り終え、天使達も神に従った」
本に目を落としたまま語った翔の声に、椅子の背凭れに頬杖を着いた翠が追加をした。
「下等な疫神、貧乏神辺りは移動出来ずに残ってるけどねぇ。救われないよねぇ」
今度は終末論を唱える宗教に想えてきた…。もう、とにかくここから解放されたい!
敦は後ろを振り返っている知った顔の翠にクレームをつける。
「何で神が消えたって分かるんだよ!」
すると翠は表情を変えずに口だけを動かす。
「いなくなったから」
答えになってないんだけど?そう言おうとした直前に翠に話を締めくくられてしまった。
「どうせ、あんた達は神なんて信じてないんでしょう?」
翠の侮蔑の眼差しを受けても敦は腹を立てられなかった。
そう、神などいると思った事が無い。
いてくれ、と思ったのは受験の時の神社参りの時ぐらいだ。
(”あんた達”?)
急に翠の終えた話しに疑問が湧いたものの、教壇に座っていたドーラが立ち上がった姿を見て口が止まる。
ドーラは教壇の上に立ったが、それでも座った生徒達と頭が並ぶ程度の身長だ。教卓の向こうに立つと愛らしい顔だけが見える。
「みんな、集まった?」
敦は、息を呑んで黒と白のコントラストの配分が美しい少女の姿を凝視した。
(この声だ!夢の中の子供の…!)
だが、夢の中で焦がれるように語りかけてきた少女が、今は蒼白な顔の敦を見ようともしない。
動きが速まり過ぎているのか…痛みを感じ始めた心臓の上に手を置いた刹那、翔が教室を見回してドーラに報告をした。
「エリィが来て無いよ?」
机に頬杖を着いた翠が速攻で答えた。
「貧血起こして倒れて、家から迎えが来て帰ったよ」
どうやら、美術室で澄ましてた絵梨の事らしい。確かに蒼白い顔だった。本当に具合が悪かったのか…。
少し気を逸らしただけだが、この呪わしい空間で、一時の安らぎを得た気がする。
そして高井が太い声を出した。
「加賀もいねぇ。メンバー揃わないじゃん。今日は解散だな」
深い溜息を吐いた高井が机から足を降ろした。
「なんだよ、ここまで来て!」
一番前の目立つ席で竜也が長い髪をバサバサと掻き乱す。
「面倒だったら参加しなきゃいいのに…」
翠の呟きを聞いた竜也が後方を振り返って怒鳴った。
「ふざけんな!お前等の暢気な顔見てると苛々する!」
「愉しみは皆平等に…掟だろ?」
高井の太い声に圧されたわけでは無いだろうが、竜也は黙って立ち上がると教室の後方へと乱暴に歩いて机の列を歪め、ドアから出て行った。
「…解散ね」
ドアが閉められた直後、ドーラが小さな唇で呟き、翔は立ち上がって敦に言った。
「送ろう」
にこやかな笑みに、敦は首を横に振る。
「いいよ、子供や女じゃないんだから!」
「俺はもう車を運転出来る身だ。一駅だけ電車に乗れば送ってあげるよ」
「…」
車で帰れるなら楽だ…。
つい、そう考えてしまった。
こんな妙な所に連れて来た張本人なのに、解放されると分かると翔の笑みがこの上無く優しく見える。
「貴方、何者?」
背後から聞こえた声に振り返ると、教壇の上にいるドーラが大きな黒い目を敦に真っ直ぐに向けていた。
「壊さないで…」
呟き声と共に教卓の上に小さな手を置いた。低い身体を支えているようにも見える。
けれど、ドーラが声を震わせて言う意味など敦には分からない。
「均等を、崩さないで…!」
「行こう」
ドーラと翔の声が重なった。敦は翔の声に従って階段を昇る方を選んだ。階段は来た時と違って一階分を昇っただけだ。
駅に着くまで2人で歩いていても何も会話は無い。地下に行く時と違って翔の手は敦の肩には少しも触れなかった。
数人程度しかいない車両に乗ったが、そこでも座らずに出入り口のドアの鉄棒に捕まった。翔は直ぐ近くに座っている。
ちらりと翔を見る度、同性ながらに羨望を抱いてしまう存在だと改めて思わされる。
高い身長、華やかな顔立ち、優しい目元と口調でいて自信に溢れた姿勢が逞しさを感じさせる。
こんな人になれたら…どんなに幸せだろう。
一緒にいると引き立て役にしかならない。分かってるけど、少しでも翔の良い部分が自分に感染すれば良い…そうも思う。
けれど、そんな理想を暢気に思い描いてはいられなかった。
窓に映る自分の顔を見た時、ドーラの黒目と声を思い出したのだ。
”何者?”
(…見てのとおり、人間だよ)
”壊さないで…”
(何を?)
…壊せるものなら壊したい。
なんとなく生きてる、苛立ちと鬱憤ばかりがつのるこの世界を。
人に埋もれて息苦しさを感じる生活を…!
”神は、人間を見放した”
不満に埋もれた胸中の隙間を、誰かが言った言葉が過ぎった。刹那、敦は息を呑み、そして唇を噛んだ。
(だったら…)
アナウンスが聞こえ、次の駅が近づいた事を知らされた。立ち上がった翔を見上げた敦は戸惑う事なく訊ねた。
「世界は、いつ壊れるか知れないって事…?」
翔も、目を逸らす事なく、笑いもせずに答えた。
「そんなところだね」
|