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Jehanne.-ジャンヌ-
作:井上 栞



3/11


「よぉ、何処行くんだ?」
今朝初めて会っただけなのに馴れ馴れしく、しかも威圧的な竜也とは係わり合いになりたく無かった。
「早退、手ぇ離せよ」
怒鳴りはしないが、怒りを隠さず、再び握った手を振り切ろうとした。
「早退?どうした?」
翔の声だ。
見上げる高さからの視線を受けてはいるが、竜也と違う穏やかな翔の口調に敦は癒される。
「気持ち悪いから。これから保健室」
すると翔は首を傾げた。
「嘘は駄目だなぁ」
ゆったりと言われようと嘘を指摘されてしまった敦はムキになった。
「嘘じゃねぇよ!」
「気持ち悪いだ?じゅうぶん元気だよな」
間髪入れずに竜也に指摘された敦は反論も出来ず口を閉じる。
「あー、じゃあ、保健室には俺等が付き合ってやるよ」
肩に手を回してきた竜也に敦は驚かされ、一瞬息を呑まされた。
馴れ馴れしい竜也の手を振りほどこうとした刹那、敦の目前が揺らぎ、保険室の風景が見え…担任の男教師が保健室に訪れた風景が見え…そして、目眩が終わると揺らぐ前と同じ場所に3人はいた。
しかし、今は廊下を歩く生徒が他に誰もいない。
次の授業がいつの間にか始まっていたらしい。
自分の中の時間の感覚が狂ってる…。それとも、本当はずっと、ここにいたのか?
なんだかまだ目の前が揺らぎそうで気持ち悪く頭が痛い。
「行こう。暇が潰せる」
翔が敦に言うと、竜也が肩に回していた力を込めて歩き出そうとした。
「離せよ!」
1歳上だろうが、部活の上下関係も無い相手だ。遠慮は既に棄てて、思いっきり腕を振り払った。
「じゃあ、交替?」
そう言って今度は翔が少し上から敦の肩に手を伸ばした。
「そういう問題じゃ、ねぇんだよ!」
肩に回された翔の手の動作に慣れを感じる。妙に、顔が熱くなった。
「案内が無いと行けないからね、少しおとなしくしててよ」
翔の口元が笑う。皆が注目する整った顔立ちは常に優しげだ。
「…あんた達、同性愛者?」
すると2人は同時に眉をしかめて首を横に振り、同じ言葉を呟いた。
「誰が、誰と…?」
今の油断を突いて敦は走り出していた。中学の時は陸上部だった、今でも脚力には多少自信がある。
そして、目の前の階段を降りた。確かに保健室も、担任の許可も得た…ように思える。このまま学校を飛び出しても良い筈だ。
階段を降りた。
階段を、降りた…。
もう5階分の階段は降りてるだろう…なのに、まだ、1階の昇降口に向かう通路が見えない!
タイルを蹴る自分の足音だけが聞こえる静寂。息が上がってもまだぐるぐると階段を降り続けた。
そして遂に、階段の突き当たりに着いた…。目の前には校内で見慣れたドアが1枚だけがある。
「…」
突き当たりのドアなんて、この学校でお目にかかった事が無い。
絶句する敦の耳に、階段を降りて来る軽い足音が聞こえる。
「迷わず来れるなんて、すごいね」
敦に追いつき、にこやかに笑った翔がドアへ手を伸ばす。
すんなりと開けられた教室を敦が覗き見ると、教壇に座った少女が見えた。膝に肘をついて顔を覆っている。
丸衿の黒い膝丈のワンピースを着てるのは分かった。この高校の制服を着るどころの歳じゃ無い、せいぜい小学校2,3年だろう。
「ドーラ、また泣いてたの?」
翔に声を掛けられたドーラが顔を上げた。
黒い大きな瞳に、僅かな潤みと睫毛の濡れが泣いた跡を残している。
敦よりも先に、つかつかと教室に入った翔はドーラと呼んだ少女を抱き上げて背中をさすった。
「今は、友達がいるよ?」
ドーラは翔の顔を見て何も言わずに頷いた。顔立ちは似ていないが2人も美形だ。もしかすると歳の離れた兄妹なのか?
「入れよ」
2人の姿に集中して達也の存在を忘れていた。いきなり背中を押された敦は、小走りになって教室へ入った。
刹那、敦は総毛立った。
(ここだ…!)
ここは、夢で浮遊していた場所だ。
暗闇じゃ無い。だけど、敵意を感じた雰囲気そのままだ…!
即刻、踵を返してドアを開けようとしたが、ビクともしない。そして、誰も敦に手を貸そうとしない。
今は自分の心臓の音しか感じない。
それは身体すべてに行き渡る血の流れを教えるほど、大きく脈打っている。
「好きな席に座っていいんだよ?」
ドーラを床に降ろした翔が敦に近づいて…笑みを浮かべる。
普段ならさり気ない笑みであろうと、教室に閉じ込められた今の敦にとっては裏があるとしか思えない。
(座ってなんていられるか…!)
落ち着かない気持ちそのままに、何処にも座らず、教室後方のたった1枚だけのドア前に敦は立った。
廊下側の窓はすべて外を見せない白い硝子が嵌められている…それは他の教室と変わりが無い。逆側の壁にも窓はあるようだが、すべてカーテンが閉められている。地下なのだから当然窓があっても外は見えないのだろう。
突然、ドアを乱暴に開けて背の高い男子学生が現れ、また荒々しくドアが閉められた。
坊主狩りが伸びたような短髪、いかつい身体。敦は大きな身体の勢いに圧されるままにドアから離れながらも学生を凝視していた。
高井だ…高井功!
中学の時の同級生。暴力沙汰で何度も補導されている。
身体が大きくて、あの頃から10代には見えなかった。
ジャケットは同じグレーでも左胸のエンブレムと制服のパンツの色が違う。この高校はグレーだが、高井は紺だ。
「間に合ったか」
高井は厚い唇の端を上げて翔に笑いかけた。
それから、ジッと敦を見て…正確には敦の身体に視線を集中してから目を逸らした。
他には何の反応も無い。同級生だった事を覚えていないらしい。
高井が左端の中央の席に着き、机に足を乗せた頃に、またドアが開いた。
茶道部の翠だ。
「はぁっ、急に予定変更しないでよねっ!」
高い声を張り上げて翔に苦情を言い、教室中央に進んで椅子を力任せに引いて座った。
見かけは和風だが、やっぱり気が強い女だったと敦は確信させられた。
「…五日目は水中のすべての生き物と鳥が作られた。 六日目は地の生き物と全てを治めさせるため人間の男と女が作られた…」
ドアの近く…敦の立つ斜め前に座った翔が和やかな声で分厚い本を音読し始めた。内容からして聖書辺りだろう。
「血・肉・阿鼻叫喚こそ悦び、それこそが糧、ただし腐肉はお断り!」
翔に反発しているようだ。適当に浮かんだらしき言葉を高井が大声で語った。
どう見ても、仲良しの集まりじゃない。
「何かの宗教の勧誘かよ」
敦が誰にともなく宛の無いまま言うと、翠が振り返り、椅子の背凭(せもた)れに手を回して艶美な笑みを浮かべた。
「ここは極秘集会所(アジト)よ?」
そして高井は大笑いした後、太い声を存分に発したのだった。
「宗教だ?神は既にいないってのに?」







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