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I'm not gonna look back.(≒後悔したくない)
そして少女は紫衣を纏ふ
作:鋳金ダラ



第三一譚 I'm not gonna look back.


 
 
 啜り泣きの鬱陶しさが何処かに霧散してしまった。
「何考えてんだよ? 物凄く怖い顔してたぞ?」
「う、ううん。何でもない……」
 言えるわけがない。
 真っ黒な打算を平気で働かせていたなんて。言えるわけがなかった。―――和美が死んだ原因は自分にある、なんて。
「ま、無理ねぇか……」
「へ?」
「黒城」
「―――うん」
 どう、答えて良いのか分からなかった。
 仕方なく曖昧に頷くと、神田はガタガタと乱暴に自分の椅子を引き、席に座った。
「俺だってショックだよ。あんなに元気だったのにさ」
 背中越しに神田は言う。
 だけどその口調は何処か他人事めいていて。実は神田もどうでもいいんじゃないのかなと楓は思ってしまった。
(相当根性腐ってる、私)
 いつからこんなに酷い思考の持ち主になってしまったのだろうか。
(―――悲劇のヒロインでも、もっと誠実なのにな)
 俗に言う『悲劇のヒロイン』はもっと健気で、力強く人生のど真ん中を歩んでいった。勿論、身に降り懸かってきた不幸事にもめげず、負けず、強く逞しく真っ直ぐ生きていき、いくら辛かろうと懸命に最期まで薄幸な人生を全うするのに、
(やっぱり、小説みたいに人生上手くいかないってことね。私なんてもう腐っちゃったみたいだし)
 ふふふ、と笑う。何だか精神異常者みたいだけれど、誰も見てないから気にしない。
「あ、姫。イヴの日、忘れてないよな」
 瞬間、顔が熱くなった。
 先程まで抱いていた真っ黒で汚らしい打算が一気に吹き飛んで、どこかに行ってしまったみたいに。和美のことも、何もかもが一気に取っ払われた。
「う、ぅん」
 どうやら、北沢楓という女は相当現金で利己的らしい。
 楓は神田に気付かれないよう小さく溜め息を付く。赤みを帯びた頬が元に戻るまで、どれくらい時間が掛かるのか予想も出来なかった。
 
 
     ◇◆
 
 
 ―――入らない。
「ぬぅ」
 楓は軽く絶望する。
 BGMはメインテーマを壮大なフルオーケストラによる演奏で、といったところか。
(やっぱり、小さかったか……)
 目の前には例の絵。楓が中途半端にしたままで美術室に放置していたあの絵だ。
 そして手にはやや大きめの紙袋がある。この大手デパートの名前がプリントアウトされている紙袋で絵を回収しようと思ったのだが、
(入らない……)
 ガックリと、楓は肩を落とした。
 
 
     ◇◆
 
 
 校長の話は、酷く退屈なモノだった。
 校長の口から話されたことは、マスコミが報じていたこととほとんど同じだった。尤も誰が犯人かも分からないような状況で、いくら同じ学校に通っていた生徒やクラスメイトにも捜査当局がマスコミにも公表していない捜査情報を学校に教えるわけがないのだ。実のところ、校長も詳しく警察から経緯を知らされていないのかも知れない。口ぶりから勝手に楓はそう推測していた。
 緊急集会の本当の目的は『学校として生徒の心のケアには全力を尽くします』とアピールすることだったのだろう。事実、ローカルニュースでは学校側が市の教育委員会にカウンセラーの派遣を要請したと報道されていたし、今回の緊急集会でも重ねて校長は、まるで集まった生徒や保護者に刷り込むように『生徒の心のケアには全力を尽くします』とか『相談事があるならすぐに担任でもいいので申し出てください』と言う台詞を繰り返していた。
(絵が入りません。どうしたらいいですか?)
 なんて、派遣されてきたカウンセラーに相談したら、カウンセリングルームから無条件で追い出されるだろうか。ヤケクソ気味に楓は思う。
(―――笑ってる場合じゃないんだけどさ)
 仕方がない。
 こうなってしまえば後日また改めて、だ。
 多少納得いかないけれど、楓は自己完結を試みた。
 そして引っ張り出した絵をまた悪戯されないように美術室の奥まった所に隠し、
「あ、北沢?」
 美術室に施錠してさっさと帰ろうとしていた楓の前に、尾藤蘭が立っていた。
 
 
     ◇◆
 
 
 尾藤蘭は美術部顧問である。
「スランプなんでしょ?」
「スランプ?」
「そ。スランプのない芸術家なんてモグリよ。彼の有名なゴッホだってモネだってみんな強大なスランプと闘ってきたんだから。先人もしっかりと通るべき、これは試練なの」
「ホント?」
「さあ?」
「……、」
 何となく、だ。
 何となくだったが、絵を運びだそうとしてました、と言うのは躊躇われた。理由はてんで分からない。本能的とでも言うべきか、心を許してはいけないような気さえしたのだ。なので適当に『絵を仕上げようとしたんですけど、上手くいかなくて……』と誤魔化すことにした。と言うか、気が付いたときにはもう自分は言い訳しようとしていたからびっくりだ。
「とにかく、よ。スランプで悩む事なんて無いの。北沢はコンクールに出さないんだから、ゆっくり描いたって別に締め切りとかないわけだし。極端な話、辛かったらいつでも何処でも直ぐに止められますよって。それにあたしだって合ったんだからね、スランプ」
「センセ、美術部だったんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
 まあどうでもいいけれど、と言いつつ、尾藤は左手で白チョークを握ると『元祖! 美術部』とレタリングしていった。黒板の文字は意味不明も良いところだけれども、本当は知って欲しかったのかも知れない。
「私は初耳」
「あ〜、そーだっけ」
 豪快な笑みを浮かべ、
「一応、これでも中高と美術部だったのよ」
 さらさらと行書体に飾られていく『元祖! 美術部』。普通に上手い。彼女はデザイン系が得意分野だったかもしれない。
「へ〜。ちょっと意外だな」
「それ失礼よ。こう見えてもね、人物画は上手だったんだから」
 自慢する尾藤。正直楓にはどうでもいい話だったから流していたんだけれども、
「特に、北沢みたいな絵いっぱい描いたよ」
「風景画ですか?」
「いやいや。恋する乙女の肖像画」
 目が、点になった。
「で、北沢。神田とは上手くやってんの?」
 身を乗り出してまで訊く尾藤は、簡単に爆弾を投下したのである。
 
 
     ◇◆
 
 
「ほらほら。ボサッとしない!」
 目の前で、繁華街の雑踏の中で凄みを利かせているのは尾藤蘭。
 尾藤は楓が所属している美術部の顧問であり、隣のクラスの担任でも社会科教師である。
 学校ではのんべんだらりと、特段生徒に思い入れすることなく、良い意味でドライな人間性が売りでもある彼女は、誤解を招きそうな言い方になるのだが変な意味ではなく、楓がこの世で信頼出来る数少ない人間の一人だ。
 そんな彼女も、街の雑踏の中ではすっかり大人の女だった。
 何というか、黒いコートがよく似合っている。バリバリのキャリアウーマンとでも言えばいいのだろうか。とにかく『やれる女』オーラが全開で、何だか同性の楓から見て格好いい。学校では特に教師らしいこともせず、まったりしている光景が嘘のようだ。
「き・た・ざ・わ」
「あ、」
 尾藤は俗に言う『熱血教師』のように生徒に深く肩入れすることもない。受け持った生徒の自主性を重んじ、何でも好きなようにやらせる。その代わりに何が起こっても担任である尾藤は責任を持たない。よっぽどのことがなければの話だが、学校全体でもはやそれは暗黙の了解として成り立っているくらいだ。
 が。
 残念ながら、彼女は妥協を知らなかった。
 基本、彼女は他人がやることには教師として給与を貰っている人間と思えないくらい無関心と言える。他人が死のうと生きようと、殺されようと殺そうと興味のないことは何がどうなっても構わない。そんな性格の持ち主だ。
 だがしかし、いざ自分が興味を示した事柄の主導権を握ったや否や、例え校長が納得したても尾藤本人が納得しなければ絶対に退かないという始末の悪い怪物に変貌し、突っ走る。そうなったら尾藤を止められる者はいない。少なくとも、校内にはいない。そんな彼女の実力が全校生徒に知れ渡ったのが『佐藤真蔵サトウシンゾウ丸刈り事件』である。今でも佐藤にとって、バリカンは鬼門でありトラウマの塊でしかないらしい。
「遅い。さっさと来る」
 怖い。
 なんて言えるわけもなく、楓は尾藤に付いて駅前の繁華街を進んでいく。いくら冬休み中とはいえ、一教師が一生徒を街に連れ出していいのだろうか。そうボンヤリと思うが、瞬間的に尾藤の前では無駄な気遣いかも知れないなと思い直した。彼女なら市の教育委員会でも文科省でも気合い一発で押しつぶせそうな気がする。
「ねぇ、センセ」
「ん?」
「説明会の後、こんなことしてていいんですか?」
「ああ、そんなこと」
「そんなことって―――」
「斬られた人間よりもね、今生きてる人間の方が私は大切なのよ。それに、私は黒城さんの担任じゃないし。黒城さんの死にはウチの学校は直接関わってるわけじゃないし。別にいいのよ。保護者への対応は校長、教頭の仕事だから」
 校長や教育委員会が聞いたら双方が腰を抜かしそうなドライなトンデモ回答が帰ってきた。
「センセらしいや」
 微笑する楓に対し、尾藤は振り向きもせず、
「北沢。一言多い」
「でも、事実で―――」
「うっさい!」
 一喝し、
「はい。着いた」
 尾藤はセンスの良い店構えのブティックを指さした。


堕ちた死神の夢は破けて消えてしまうのだ。











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