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そして少女は紫衣を纏ふ
作:鋳金ダラ



第一一章 終わりに手を伸ばす


 
 
「楓ちゃん。とりあえずここまでおいで」
 深夜一時過ぎ。
 北沢家の庭に二つの人影があった。
 その人影の片割れである楓は上を向く。
 視線の先、屋根の上には闇に熔けてしまいそうな漆黒を身に纏う少年が風見鶏のように立っていた。
「……無理」
「ジャンプジャンプ!」
「冗談!」
 楓は一言で拒否するも、少年は当たり前のように、
「冗談じゃないよ。楓ちゃんがその気になれば人間のスペックなんて軽々と超えられるんだから」
「―――あのさ、もっと分かりやすく説明してよ」
「だからさ、アカシックレコードに記されてないってことはね、この世界とは関係ないってこと。逆説さ。この世界とは一切関係ないってことは、この世界の法則だって関係ないって事」
「……、」
「楓ちゃん。人間は空飛べる?」
「無理」
「何で?」
「翼がないから。そもそも鳥じゃないし」
「翼がないから。鳥じゃないから。それが『飛べないこと』の証明になる?」
「常識でしょ。ネットで検索すれば理論付きで教えてくれるんじゃないの?」
「その理論はこの世界の理論でしょ? 楓ちゃんはこの世界に関係ない。世界に関係ないって事は法則だって関係ないんじゃないの? 例えそれが当たり前って呼べる現象だとしても」
 言葉に詰まった。
 人は空を飛べない。
 当たり前だ。
 人には鳥のような翼がないし、鳥のように飛ぶための筋肉を持っていない。
 だがそれはこの世界の常識。世界から逸脱している『異常因子きたざわかえで』には、そんな常識や法則は適用されるだろうか。少年の問いかけに妙に納得してしまった。
「せっかく『異常因子』なんだから自分の力の限界を決めるなんてもったいないって思わない?」
 少年は楓を屋根から見下ろし、さっさと上がってくるように促す。
「そんな、……勿体ないとか、そもそも意味わかんないし」
「オレらは『紫衣』を纏える。もう『みんなが言う人』じゃないんだ。アカシックレコードに記されていない者のことを『異常因子』って言うけど、それは『本当に異常な因子』だからなんだよね。一般常識とか、科学的に定義付けられた人間の定義を根本から覆すことだって簡単なんだよ。異常だからさ。だから人間の常識なんて関係ない。強い思いこそが北沢楓を使いこなせる力なんだよ。北沢楓が『異常因子』である限りね。飛べると思えば空を飛べるし、歩こうと思えば水しぶき一つ起てないで海の上を歩くことだって簡単だし、頑張れば特撮ヒーローとかマンガに出てくる悪魔や天使みたいな力だって出せるよ」
 少年は、謳う。
「これからは楓ちゃんが常識を一から組み上げなきゃならない。さあ頑張って」
 楓は、少年の言葉に励まされるように軸足に力を込めた。
 
 
     一
 
 
「ぬは……」
 少なくとも女が出す声ではないな、そう楓は思いつつ眠い目を擦りながらのそのそとベッドから這い出て、大あくびしながら鳴り響いている携帯のアラームを止めた。
 頭が、重い。
(いくら夜が目立たないからって、学校……)
 寝不足で頭がグワングワンしているけれど、楓は強引に頭を覚醒させた。
 時計を見る。
 六時三二分。
(朝食、……トーストでいいや)
 深夜にレッスンするのは学校に影響するから止めて欲しい。
 そう言ったのに取り合ってくれなかったあの少年を怨みながら、楓は階段を下りる。
「おはよ、楓ちゃん」
 リビングに入ると、漆黒の少年がソファーに座って親父のように新聞を広げていた。
 リビングには両親がまだ健在だったころと変わらず、朝日が差し込んでいる。
 人がここで死んでいた、そんなことを忘れてしまうくらい綺麗な。
 母親が殺されたこのリビング。
 楓が少年を阻止できず、父親が帰宅とほぼ同時に斬殺されて、ほんの数分でサラリーマン風の男たちが家に雪崩れ込んできた。少年曰く、一見そこら中に居そうな彼らは裏の世界では名の知れた『清掃業者』らしく、彼らの手にかかればどんな殺人現場でも完璧な隠蔽が可能らしい。その『清掃業者』の男たちは満身創痍で倒れている楓に見向きもせず、素人である楓が見ても手慣れた様子で死体を片付け、家中に飛び散っていた血痕を何か薬品らしき液体を散布しながら処理していった。彼らが去った後、そこには『普通』が戻っていた。人が死んでいたなんて嘘みたいだった。まるで魔法使いが魔法を使ったかのように、普通の北沢家だった。
「眠そうだね、よく眠れなかった?」
 苛立ちを押し込め、強引に沈め、楓は当然のように少年を無視してそのままキッチンに入る。
 楓は棚の中からパンを取り出すと、台の上に置いてあったトースターに突っ込んだ。それからスイッチを入れ、トースターが起動したのを確認するとそのままトースターを放置して洗面台に向かう。
(ふう)
 簡単に顔を洗い、愛用している櫛を取ると寝惚け眼で鏡の自分と睨めっこしながら、髪の手入れに入る。
 楓の髪は荒れやすい。
 そう言う体質なのか、はたまた楓の生活習慣が悪いのか。手入れを怠るとこの黒髪はすぐに痛んでしまう。数少ない友人たちは綺麗な髪してるね、とそう言うが、苦労して手入れしているから当たり前。正直、あなたたちに言われなくても解っています、ついついそう反論したくなるが、一度反論してしまえば周囲からは傲慢だと思われて反発される。円滑な人間関係を築くためにはいろいろ気遣わなければならないことが山ほどあって、非常に面倒だ。
 必要以上に髪に拘る朝の恒例行事は、それは母親と『バカ』の一言から始まった。
 今でもそうだけど、昔から楓はめんどくさがり屋だ。
 幼稚園児だった頃、習い事でもしないかと周囲から進められた時もお遊戯会で良い役をやらないかと促されたときも拒否した。理由はめんどくさいから。
 そんな性格だから、当然身嗜みを整えることもめんどくさくて嫌いだった。
 女の子だし綺麗な髪の毛なんだからと母親が無理矢理楓の髪を梳かしたり、可愛い服を着せられる度に嫌気が差した。身嗜みを整えるために長時間拘束され、自分の許可もなしに弄くり回されるのは納得いかなかった。
(―――バカ)
 にも関わらず、今でもバカみたいに髪の手入れに必死になっている鏡に映っている自分を見て楓は毒気付く。
 特に意味はない。
 意味はないけれど、腹が立つのだ。
「よし」
 鏡に映る自分の髪を見て楓は頷くと、リビング方面から、チンとトースターの軽い音がした。
 さっさと朝食を済ませてしまおう。
 先程までの悶々とした気持ちを抱いていたことなどすっかり頭の片隅に追い遣って、楓はリビングへと急いだ。
 
 
     二
 
 
 トーストはいい加減もう飽きたらしい。
(いい気味)
 少年の毅然とした抗議を『嫌なら食べないで』という、何処か母親らしい一撃で黙らせ、楓は制服に着替え、充電が終了していた自分の白い携帯を掴んで、自分の荷物を持って家を出た。
 朝日が眩しく、若干肌寒い。天気予報によると今日は一日中晴れるらしいがあまり気温は上がらないとのことだった。
 時刻は何だかんだで七時半。学校まで匍匐前進で行ったりしない限り、絶対に間に合う時間である。
 楓はアスファルトで舗装された住宅街の細い道を行く。
 いつもと変わらない、朝だった。
「―――ん?」
 不意に、殆ど無意識に楓の視線が動く。
 にゃーお。
 そんな間抜けな声が足下から聞こえる。
 視線を下ろせば、そこには何時だったか校門で会った白猫がいた。
 楓は思わずしゃがんで首筋を撫でると、今度は逃げることなく白猫はされるがままだった。
(首輪が、ない)
 ということは、飼い主はいないのだろうか。
 それにしても不思議と今回は逃げない。前触ったときはすぐに逃げたのに。
 そしてあの時味わった妙な手触りも感覚もなかった。
 錯覚だったのかも知れない、そうぼんやりと思いながらもしばらく楓は白猫の感触に浸っていた。


そこは空虚。全てが空っぽであり、全てが嘘なのだ。











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