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烈女 姜英姫
作:くまごろー



(九)韓国語の学習


「ことばを覚えるのは耳からさ」
 達也はhamburgerを米音でゆっくり発音した。
「僕、いま何て言った?」
「ヘmボゴ」
「日本語ではこう書くよ」 
 達也は英姫が読むようになったカタカナを書いた。
「ハンバーガーらごよ? かんごくごちがいます」
「ヘmボゴでもなかったろ? 動物の鳴き声といっしょだ。同じものが違って聞こえる。発音できてから文字で確認するといいよ。逆はダメだ」
「そうですか、わかりました」
 英姫に指名が入った。
「タちゅヤシ、ミアネヨ(ごめんね)」
「いいさ、仕方ない」
 〈無窮花(ムグンフア)〉の指名料はバカ高い。達也は酒をチビチビやって、英姫の戻るまで韓国語を自習する。店では相当な変人だ。客のつかないホステスが気の毒がって韓国語を教えてくれることもある。達也はホステスたちの発音に全神経を集中する。韓国語は息の出し方一つでまるで別の単語になる。日本人の耳には同じ音に聞こえてしまうし、実際に同音異義語が多い。聞き取りのむずかしい言語に達也も苦戦する。
 英姫に代わって隣に座ったのは四十過ぎの、年齢を自覚した大阪弁の女だった。
末子(マルジャ)言いますねん。なあ、フルーツよろしぃやろ? 若い子連れてくるさかい、な? わたしな、空いてんねんけどな、店終わったらご一緒できひん?」
「できひん」
 達也は無視した。講座が開設されて間もないNHKのテキストを広げると、女は覗き込むようにして太り肉を擦りよせてきた。
「ハングンマルンエロウォヨ?(韓国語は……?)」
「エロウォヨって?」
「エロpタ。〈ややこし〉言うこっちゃ」
「むずかしい=オリョプタじゃないのか? 末子さんはどこの出身?」
「プサネヨ」
「へえ、釜山(プサン)だとそう言うのかぁ」
 達也が感心したふうを見せたので、末子は得意らしい。
 ……〈エロ豚〉とはな。オバさん、訛ってるよ。僕は英姫語にしか興味ないよ。英姫はソウルっ娘だ。
「それ慶尚道(けいしようどう)方言だろ?」
「いいえ、標準語よっ」
 やっと戻ってきた英姫に確認すると、彼女はテキスト通りに〈オリョpタ〉と発音した。
 ……ほら、見ろ……。
 大年増はムっとして席を立って行き、間もなく達也のテーブルに山盛りのフルーツが届いた。
「オモ、タちゅヤシ。とてもたかいのチュムンした?」
「ちっ、あの女だ。タチ悪ぃなァ」
「このプルチュかのじょおかねもらえます。ママのしんせき。みんなかのじょきらいです。かんこくごはチドッカンホスティス」
 達也が辞書を引くと〈チドッカン=あこぎな〉と載っていた。
「覚えたくないな、こういうの。ははは」
「タちゅヤシはプジャ(金持ち)ガないでしょ?」
「ここじゃ一番ビンボウだ。月に二回、無理して三回。四回目には破産する、あははは」
 英姫は達也に耳打ちした。
無理(ムリ)ハジマセヨ(しないで)。みせのそとであえるよにします。わたしのにほんごとえいごのせんせいびんぼです。ククッ」
 英姫との会話は楽しく、彼女の声は可愛いのだった。
「タちゅヤシ、畑中せんせどしてますか? ママが心配してます」
「岳さんならもうここへは来ないよ」
「ウェグレヨ(なんで)?」
〈無窮花〉に初めて来た晩、帰りに岳志は達也に言った。
「日本に来たばかりで変な虫はついちゃいねえ。英姫は()きだめのツルだな。ゆずるよ」
「ゆずるだなんて、岳ちゃんのもんでもないだろ」
「ばぁか。俺は挑戦権をゆずるって言ってるのっ。英姫をおかしなジジィどもにさらわれちゃたまらんだろが?」
 ……男ならだれが惚れてもおかしくない娘だ。岳さんだってまんざらじゃなかったんだろに……。
「夢中になれるものが欲しいって言ってたのは、達ちゃん、おまえだろ? それに……」
「それに?」
「俺が言えたことじゃないが、教員の資質なんて上っ面で計れるもんか。おまえはコンプレックスを払拭しようとするから胃カイヨウになる。英語科には大先輩がいたろう?〈浪人製造機〉と生徒からバカにされながら、定年まで勤めた豪徳寺寅次郎ってえらァい先生がさ。人間、どんなでも生きなきゃならねえんだよ、達ちゃん。彼を見習え。英語の勉強なんてその次だ。小説を読めよっ」
「小説?」
「生き方の手本だ。俺は英姫をかなりの文学通とみたな」












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