雪の王国の下級騎士と謎の女性の伝説
ナツさん主催の、「共通プロローグ」企画
参加作品です。冒頭だけは皆さんと一緒ですが、
私なりにストーリーを考えてみました。
夜半に降り出した雪は眠るように横たわる
一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたように
うっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照ら
している。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男
が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。
それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに
鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息
を確認し、彼女を抱え上げた。
青白い頬に血の気はないが、少なくとも生
きている。急がなければ――。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を
戻っていった。
「――おや、お茶が沸いたようだね」
そこまで言い終えてから、白みがかった銀
髪の老女は緩やかに立ち上がった。
白い前掛けがかけられた、簡素な草木染め
のドレスの裾を払いながら立ち上がる。
「おばあ様、もう少し話してからにして
よ――っ」
「そうだよ――っ、かきゅーきしさまと、
きしさまがたすけたおんなのひとのおはなし
――っ」
老婆の孫――栗色の髪を二つ結びにしてピンクの
リボンを結わえた五歳のメニィと、癖のあるどこか
つんつんとした金の髪のまだ三歳のカイが頬を
膨らませて彼女の前掛けの裾を握った。
彼女が孫に話して聞かせていたのは、ここ、雪の
王国に伝わる伝説の恋物語だった。
登場するのは下級騎士と、記憶を失った一人の
女性。他の者も出て来るが基本的にはこの二人が
主役となっている。
「コラコラ、前掛けを引っ張らないでおくれ二人共。
美味しいおやつと、美味しいお茶を楽しみながら話を
聞く方が良いと思ったんだけどねぇ、おばあちゃんは」
ぴたりと二人の手が止まった。
苦笑しながら老婆は二人のために、温かいミルクティーを
入れて焼き立てのクッキーを持って来てやる。
そして、話の続きを始めた――。
癖のある少しだけ灰色がかった金の髪に、暗い紫色の
瞳を持つ下級騎士の青年――セイは、慌てたように抱き
抱えたままの女を敷布団を敷いた床に横たわらせた。
赤い煉瓦で作られた暖炉に、擦って火を点した小さな
マッチ棒と丸めたいらない紙を放り込み火をつける。
さらに朝割ったばかりの薪を並べ、動かしていきながら
火の調整をしていくと部屋はかなり温かくなって来た。
オレンジ色の炎がぼうっ、と部屋を照らす。
寝台で寝かせてもよかったが、あいにくとセイの部屋には
暖炉はないのでこちらの方が温かいだろう、と思ったのだ。
雪の王国では毎日雪が降る。他の国では季節によっては
降らない時期もあるそうだが、ここでは春であっても夏で
あっても基本的には気候があまり関係ない、常冬だった。
なので暖炉はこの国での生活には必要不可欠だ。
でも作るのにかなり金がかかるため、下級騎士のセイには
居間に一つ暖炉を作ってもらうのがせいぜいだったの
である。
上級の騎士様だったらもう少し給料が高かったかもしれ
ないが、下級騎士の給料はかなりの薄給になっている。
セイはちらり、と女の様子を観察した。
年は二十歳くらいだろうか。長いつややかな黒髪が美しい。
抱き上げた時は青白かった頬は、温かい部屋に移された
からか赤く上気していて可愛らしかった。
薄い生地の白いドレスは雪の王国にはふさわしくない
出で立ちだ。異国人、なのだろうか。
透き通るような肌は、外に降り続く雪を思わせるほど白く
黒髪にとても映えていた。
「う、う~ん……」
と、女が呻くような声を上げた。
鈴の鳴るような声って言うのだろうか、聞いた事もない
ほど美しい声だった。
「あの、大丈夫ですか!?」
セイは苦しそうな女に駆け寄る。すると、漆黒の瞳が
唐突にぱちりと開いてセイを見つめる。
そして、響き渡ったのは絹を裂くような悲鳴だった――。
セイは叫び続ける女性にどうしていいか分からずおろ
おろしていた。
確かに、彼女としては見知らぬ男の部屋に嫌がおうも
なく連れ込まれてたまった物ではなかったのだろう。
でも、礼が目的ではないとはいえこの態度は少し傷つく、
とセイは思った。
幸か不幸か、セイが住んでいるこの場所は街からかなり
遠いし近所に住む者もいないのでセイが通報されたり、拘束
されたりする事はないが。
「きゃああああっ! 誰か、誰か来てえええっ!」
「お、落ち着け! 俺は、怪しい者じゃない!」
「わ、私をどうするつもりなんですか!?」
どうにか落ち着かせようとするセイだが、彼女は警戒した
ような視線を向けるばかりだ。
無理もないとは思うけれど、とりあえず落ち着いて欲しい。
「どうもしない……俺はただ、君が雪の中倒れていたから、
ここまで運んできただけなんだ」
「……」
黒曜石のような瞳が睨むようにセイを見つめている。
しかし、嘘を言っているようには見えなかったのか少しだけ
警戒は解けたようだった。
セイがどうしようか迷いつつも、雪の結晶があしらわれた、
騎士の徽章をつけた地味なカーキ色の制服の詰襟を示すと
彼女の顔がさっ、と青ざめていく。
「ご、ごめんなさい……あなた、騎士様だったのね……」
「いや、騎士といってもそんなに高位じゃない……。ただ、
俺は怪しい者ではないし君によからぬ事をしようとして
ここに運んだ訳ではない事は分かって欲しい」
「ええ……騎士の名を冠した方が女性に不埒な事をする
はずがないわね」
実は騎士でありながら、嫌がる女性に無体を働いて
除名になった輩もいるのだがセイはあえて言わなかった。
折角信用しようとしてくれているのに、わざわざ警戒心を
強める必要はないだろう。
「あっ、まだお礼を言ってなかったわね、私をここまで
運んでくれてありがとう……」
「いや、礼はいらない……困った時はお互い様だ。それが、
この国のルールだからな」
それでも、ありがとうと女性は微笑んだ。
あまりに可愛らしい笑顔に、セイの顔が少し赤くなる。
それにしてもとセイは思った。
彼女はこの王国の人間ではなさそうだった。
この国の人間ならば、常冬の雪の王国であんな寒そうな
恰好で外に出る訳がない。下手をしたら凍死してしまう。
何故彼女はあんな所で倒れていたのだろうか。
「そういえば、何故君はこんな寒そうな恰好で外に出て
いたんだ? 俺が見つけなければ、君は死んでいたかも
しれなかったんだぞ……」
セイがそこまで言うと、女性の顔が悲しそうに曇った。
寒さ以外の理由で、心細そうに自分の肩を抱いて震え
ながら彼女は言う。
「分からない……」
「え?」
「分からないの……私は気づいたら、あなたのそばにいたの
……リサという自分の名前以外分からない……」
セイは心細そうな彼女に何も声を掛けられそうになかった
のだった――。
温かいカモミールティーを注いだカップを差し出すと、
リサはほっとしたような微笑みを浮かべた。
ありがとう、と言われたので返事の代わりにセイは小さく
頷く。
その後も話を聞いたけれど、リサは本当に何も覚えては
いないらしくはかばかしい回答は得られなかった。
薄い服一枚では寒そうなので、セイの古いけれど分厚い
コートを貸してやる事にする。
それから、ふいに自分がまだ名乗っていない事に気付いた。
「そういえば、まだ俺の名前を名乗っていなかったな。俺の
名前は、セイというんだ……」
「セイ? いい名前ね」
セイは、自分の名前を気に入っていた。
雪の王国ではそんなに珍しい名前でもないのだけれど、自分でも
シンプルでいい名前だと思っている。
「ありがとう、リサという名前も可愛くていい名前だと思うよ」
「まだ、これが私の本名かは分からないけれど、褒めてもらって
嬉しいわ」
セイはまだ入れたての紅茶を飲んでもいないのに、温かい気分に
なっているのを感じていた。こんな気持ちになったのは初めてだ。
と、外でガウガウ!と吠えるような音が聞こえた。
きゃあっとリサが悲鳴を上げるが、セイはあれが自分の家で飼
っている猟犬の声だと知っているので別段慌てない。
そういえばまだご飯を上げていなかった事をセイは思い
出していた。普段、相棒としてそばに置いているノールは大人しく
吠える事は滅多にはないけれど、抗議する時のみ吠える。
「――ノール、静かに」
いささか厳しい声で呼びかけると、くぅんとノールが甘える
ような声を上げた。だったら早く餌をくれ、の催促の声である。
「リサ、君も一緒に来てもらってもいいかな? ノールを紹介
するよ、俺の大事な家族なんだ」
リサは怯えていたようだったけれど、セイが大丈夫だから、と
念押しするので恐る恐る彼の腕を取りながら外に出た。
一面白い世界の中に、茶色い毛色の猟犬が尻尾を振って大人しく
座っていた。さっきの吠えた声は怖かったが、こうして見ると人
懐こそうで可愛らしい。
「大丈夫だよ、噛まないから触ってごらん」
「う、うん……」
リサが手を伸ばすと、ノールは嫌がるそぶりも見せずに撫でられて
いた。それどころか、嬉しそうに彼女を押し倒そうとするので、リサが
悲鳴を上げてしまった。
ノールとしては彼女を歓迎している事を示そうとしただけなのだ
けれど、リサの目には恐怖の色が浮かんでしまっていた。
ノール!と怒鳴りつけると、きゅ~んと悲しそうな声と共に見上げて
来る。
「お前が彼女を気に入ったのは分かったから、どいてやってくれ……。
彼女は犬をそんなに見た事がないようなんだ」
ノールはぺろり、と長い舌でリサの手を舐めてから、大き目の体を
彼女の上からどかした。セイは起き上がろうとしない彼女に駆け
寄る。
「だ、大丈夫か、リサ……? ごめん、うちのノールが……」
「う、ううん、大丈夫よ。怖がってしまってごめんね」
リサが頭を撫でると、ノールは気持ちよさそうに目を閉じた。
その様子だけを見ていると、とても猟犬には見えず愛玩犬のように
見える。
まあ、ノールは狩りをする時などはちゃんとやってくれる犬
だが。
最初はセイともノールともぎくしゃくしていたリサだったけれど、
しだいに打ち解けて行ったのだった――。
「――セイ! ノール! 早く早く!」
「す、少し待ってくれリサ……」
「きゅ~ん……」
セイとリサが出会い、一か月が過ぎたある日。
二人はノールと共に街へとやって来ていた。
雪の王国では猟犬を飼っている事がほぼ当たり前なので、
街や店の中に共に入る事も許されている。
最初は儚げで気弱に見えたリサは、会話を交わしたり一緒に
家事をしたりするうちにどんどん明るくなっていった。
元は明るい娘だったのかもしれない。
しかし、一向に彼女の記憶が戻る事はなかった。
セイとしても彼女と別れるのは寂しいので、騎士として仕事を
している間はノールの世話と家事を任せて家にいてもらっている。
リサは不安がっているようだけれど、セイとしては記憶が戻ら
なければいいのに、と思う事が多かった。そうすれば彼女はずっと
自分のそばにいてくれる。永遠に、自分のそばに……。
それから、ハッと我に返ってそんな事を思ってはいけない、と
自分を律するのだった。
「リサは元気だな……」
「きゅう……」
苦笑しつつノールに問いかけると、賢い猟犬はそうだね、とでも
言いたげに鳴いて見せるのだった。
二人で何内緒話してるの、と膨れられて慌てて彼女の元へ急ぐ。
ここ最近のリサの趣味は食べ歩きで、この頃は裁縫の仕事を請け
負って稼いだ小遣いを浪費する事が日課のようになっていた。
セイも奢ると言ったけれど、こういうのは私のわがままなんだから
セイはお金を出さなくていいの!と聞いてくれない。
肉と野菜と椎茸とスープが閉じ込められた饅頭を購入したらしい
リサは、本当に美味しそうに齧りついていた。
セイも二個買い求め、一個は自分で食べ、残りは冷ましてから
ノールにやる事にする。
と、彼女の漆黒の瞳が食い入るように果物屋に向けられた。
「リサ、どうしたんだ?」
「あの果物、どこかで見た事がある気がする……」
セイはぎくり、となった。今リサが見ている果物が、彼女の記憶を
取り戻すきっかけになるのだろうか。
リサがいなくなってしまう気がして、セイは少し怖くなった。
リサが見ていたのはここでは珍しい、南国の果物だった。
ここからは少し離れた、『海の国』という国で主流な果物を輸入
している店なのだ。
「お、お嬢さん目の付け所がいいね! これは『パイナップル』っ
ていう『海の国』では有名な果物らしいよ」
リサは迷うようなそぶりを見せたけれど、やがて決意したらしく
奇妙なヘタのついたごつごつした甲羅のような皮を持つ果物を
購入した。
そのまま家に帰りつくと、リサは何故かその果物の切り方を
知っていた。
ヘタのついた上半分の部分を少し切り落とし、食べやすい
大きさに切って行く。
セイも一個もらってみたが、酸味が強くてあまり好みの味では
なかった。なんだか舌がぴりぴりする。
リサも恐る恐るといった様子で切り分けた果物を口に運んだ。
その時のリサの顔を、セイはしばらく忘れる事は出来なかった。
「……ごめんなさい」
リサは辛そうだった。目から涙をぼろぼろと零し、本当に辛
そうに泣いていた。記憶を思い出したのだ、とセイは青ざめた。
このすぐ後、リサはセイの家から姿を消した――。
残されたのは、『ごめんなさい。もうあなたとはいる事が出来
ません」の書置きのみだった。
彼女の残り香を感じ取ったのか、ノールがきゅ~ん、と悲しげに
鳴く。
「リサ……」
一体、彼女は何を思い出したのだろうか。
セイにはそれは分からない。でも、彼女を探したいと、また会いたい
と思う気持ちは確かに胸の内にあった。
「ノール、付き合ってくれないか?」
がう!と返事があった。了承の意だろう。
セイはノールにもう一度彼女の書置きを見せ、匂いをかがせると共に
外へと出た。
ノールはいつもののんびりしたような仕草とは正反対な、仕事の時に
見せるような勇ましい仕草で突っ張っていた。
だから、セイもいささかスピードを上げて走る事になる。
リサはすぐに見つかった。彼女がいたのは、偶然なのか必然なのかは
分からないが、以前セイが見つけた場所だった。
「リサ!」
「セイ……」
この寒さの中、コートも着ずに出会った当初の薄いドレスを身に
まとっているリサがセイは心配だった。風邪でも引いたら、いや
その前に凍え死んだらどうすると言うのだろう。
「なんて恰好でいるんだ! すぐに俺に家に帰って、温まって
くれ!」
「いや……っ!」
「リサ! 俺が嫌いになったのなら、それでも構わない。他に、想う
相手がいたのであっても構わない、でも今は戻ってくれ……」
「違う、違うのセイ……私は生きていてはいけないの!」
リサは涙ながらに自分の素性を語った。自分は常夏の『海の国』から
やって来た王女であり、実は国の『人柱』として生きる運命の姫巫女
だという事。
本当は自分が犠牲になって死ぬ事で国が救われるはずだったのに、
死ぬのが怖くなって逃げだしてしまった事。そのせいで『海の国』は
滅びかけた事。
「今は、叔父様が必死で立て直してくれているわ……。でも、私は
あの国にとっては犯罪者……罪人なの。あなたと生きる事は出来
ないわ」
「そんな事はない! 君は俺が一生かけても守ってみせる! 王女
でも姫巫女でもなく、ただのリサとして生きてくれ、俺の
ために……」
「セイ、でも……」
「俺は君の事が好きなんだ……結婚して欲しい」
リサは自分が幸せになっていいのか、迷うように震えていたけれど、
やがてはい、という返事と共にセイの手を取った。
こうして、セイとリサは『雪の王国』で夫婦となったの
だった――。
「――そして、騎士様と女性は結ばれたんだよ」
老女はそうお話をしめくくった。メニィが目をきらきらさせながら、
話の続きを口にする。
「そして、騎士様は女性のおかげでどんどん出世していくのよね!
幸運の女神様って女性は言われてたの!」
老女――リサはメニィの少女らしい興奮したような様子に、少し
だけ苦笑した。
何故かセイはリサと結婚した後に下級騎士から上級騎士に
なったりと出世をしたのだけれど、それで自分が幸運の女神様
だと言われるのはなんだか気恥ずかしい。
リサやセイ本人は自分達の恋愛が、こういう伝説のお話になって
しまう事は好ましくなかったのだけれど、雑誌社や新聞社がこぞって
こういう話を書きたがるせいですっかり伝説とされてしまっていた。
おかげで孫のメニィとカイにも、何度もこの話をさせられている。
国を見捨ててしまった自分。だけれど、セイはいつまでも自分を守って
死ぬ間際までも『妻』としてそばにおいてくれた。
いつまでも愛していてくれた。やがて、セイとの間にはカイと
メニィの母親に当たる娘が生まれ、さらにはカイとメニィという
可愛い孫がいつもそばにいる。
セイには本当に感謝しても足りなかった。
(――セイ、もう少し待っていてね。娘達と孫達のそばにもう少し
いさせて。私はまだそちらに行く事は出来ないけれど、私達を
そちらで見守っていて、セイ)
眠そうにうとうとし出した二人の孫を寝かしつけながら、リサは
天国にいるであろう夫の事を想っていた――。
スランプとかもあり、ちょっと苦戦したのですが
企画自体はすっごく楽しかったです。ちょっと変わった
話になってしまったかもですが、なんとか仕上げました。