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透明な日々

作者:鳥野 新
「なんだか水槽のようね」
 妻が不満げに漏らした
 低重力の細長い透明なカプセルの中に横になり、親父は左右にゆっくりと振れた。いつもとは感覚が違うのだろう、時折口をぽかんとあけてきょろきょろと周りを見回している
 その傍らでせっせと若いサービスマンが機械の最終設定をしている。私達夫婦は半ば唖然としてその見慣れぬ物体を眺めるしかなかった。


「お前達も歳だし、迷惑をかけたくないから」
 入所が決まった老人施設のパンフレットを突然私達に見せたのは親父が八十歳のときだった。お袋が無くなってから、取り立てて趣味も持たず質素に暮らしてきた親父だったからある程度の貯金はしていたのだろう。お金のことを心配する私達に
「それくらいは用意があるから心配するな」
 と、悪戯でもしたかのように目配せした。引き止めても親父の決心は固く、まるで姥捨てをするような気分になった私は年甲斐も無く涙したものだ。
 温和な性格だったから施設でも楽しくやっていたらしい。私達が様子を伺いに行っても、いつも早々に追い返された。
 何年前だったろう。面会の帰りに妻が呟いた。
「お父さん、なんか変じゃない? 妙に会話が食い違うの」
 その時はあまり気にも留めなかったが、それからの親父の変化は早かった。だんだん理解力が低下していき粗暴になる、徘徊する。何度施設に呼ばれたことか。何回かに一回は私達の顔もよく思い出せないようになって、手を上げられたこともあった。
 認知症の症状が重いので、これ以上の当施設への入所は無理かと思われます。丁寧だが、冷たい連絡とともに親父が無理やり退院させられて家に帰ってきたのは一年前のことだった。公立の認知症対応の入所施設は入ろうにも待機老人が沢山いて、五、六年待ちは当たり前。しかしそこも安住の地ではない。手のかかる病気になればまた病院に回され、その間に元の施設のベッドが埋まればまた待機となる。私立の施設もあるにはあるが最近は月々の入所代が馬鹿高くて、とても庶民が入れた代物ではない。
「老人怒るな、行く道だから……だものね」
 親父を引き取ってからというもの、細々と仕事を続けている私のかわりに妻に負担が一気にかかった。だが妻は文句も飲み込んで頑張ってくれた。
 しかし、協力の無い老人の介護にどれだけの力が要ることか。腰を痛めた妻は腰に巻くコルセットが手放せなくなった。それにそばにいなければ大声を上げる親父の傍らに必ず付き添わなければならず、外出もままならない状態が続く。
 昔はヘルパーさんなどが多くいたらしいが、最近はもっと負担の多い家庭のほうに手が取られて、まだましな部類に入るらしい私達には介護の助けは無い。七十の声を聞こうとする私達の疲労もピークに達した。
 何の罪も無い親父に憎しみを感じるようになったことに気がついた私は、とうとう躊躇していた介護システムを導入することを決断したのだ。


「今から重力制御の調節をしますから。その後で薄い布団などで支えていただければ身体は安定します。あ、布団は別に無くてもいいんですが」
 設定をしながら、サービスマンが言った。
「布団ぐらい敷きますし、毎日変えます」
 介護してきた親父に少なからず愛着があるのだろう、むきになって妻が言う。
「お父様は幸せですねえ、布団を入れていただけるご家庭は少ないのですよ。機械を買ったのだし、もうできるだけ負担はしたくないと言われる所が多くて」
 サービスマンはいかにも慣れているといった調子だ。
「褥創を防ぐためにGを低く設定していますが、時にカプセル自体も動いて血の流れが偏らないようにもします」
 そう言うとサービスマンは手元のボタンを押した。
 両横についている細い棒が支えとなり、カプセルは静かに立ち上がった。
「自動で行う設定にしてあります」
 窓辺からの光が当たり、曇り一つ無い流線型のカプセルがきらきらと輝く。
「なんだか、言い方は悪いがインテリアだな」
 ふと私が漏らした一言に、サービスマンは大きくうなずいた。
「昨年のグッドデザイン賞です。おまけに光触媒で、完全に消臭もできるんです」
 横に立つ妻の顔色がぱっと明るくなった。血のつながった私でも臭いと思うのだ。顔には出さないが、下の始末から清拭まで一切をやっていた妻は相当ストレスを感じていたに違いない。
「それだけではありませんこの介護システムは、放射エネルギー等のお父様が作られた余剰エネルギーを漏らさず回収します。介護保険もききますし、実際お得かと」
 サービス員の一言一言に、妻が大きく頷いている。
「エネルギーはご家庭で使えるように設定いたします。まあ、微々たるものですが、半月でお茶を一杯入れるくらいのエネルギーは捻出できます」
 彼はカプセルを開けて、慣れた様子で親父の手や腹にぺたりとゼリー状のものを何枚か貼った。
「介護技術者からも聞かれたかも知れませんが、これは皮膚を介して薬や栄養を補給するものです。赤色は栄養を補給します。白色は精神安定剤、これを使うとほとんど寝ている状態になります」
「痴呆があって、結構動いたりするんだが……」
「それなら2枚で、ずっと寝た状態のほうがいいでしょうねえ」
 私達の顔色を伺いながら、彼はさらに続ける。
「水は先日派遣した介護技術者が体内に挿入したチューブで体内に入ります。7日に一回この貯水槽を一杯にするように注意してください。なにしろ人間は結構水を使うものですから」
 そういいながら彼は貯水槽に水を入れた。
「あの、便は……」
「この栄養システムでは便は出ません」
「でも、病院では消化管を使わないと身体に悪いって……」
 サービスマンの怪訝そうな表情に気がついて、妻は口をつぐんだ。
 この機械は、長生きさせるものではない。
 体内で作ったエネルギーをギリギリまで回収し、法律的に問題の無い範囲で見栄え良く命を先細りさせていく、私達の自己満足のための機械なのだ。それは、このシステムを購入したときからの暗黙の了解だった。
「尿も、このチューブから自動的に廃棄ボトルの中に入るようになってます。ああ、言い忘れてましたが」
 彼は声を少し潜めた。
「これは消音ボタンです、どれだけ騒がれてもこれを押せば声が外に漏れません」
 私達が黙り込んでしまったので、彼は少し慌てたようだった。
「ご家族の手を煩わすことが無い上に、お茶の一杯でも沸かせるエネルギーを供給できて、お父様もきっと本望だと思いますよ」
 そう言うとサービスマンはそそくさと去って行った。


 しばらくは、カプセルを見るたびに胸が痛んだがそのうち、このシステムが与えてくれる恩恵のほうが身にしみてきた。
 今まで親父の介護で右往左往していた妻は自分の時間が出来たといってずいぶん明るくなった。夫婦で遠出もできるようになった。
 このシステムが出始めた当初は人としての尊厳が無いと結構反発も出た。でも、人の尊厳とはいったい何なのだろう。子供がいない自分達は、老いても赤の他人の世話になるばかり。それよりは、最初から人情から切り離されたこういうシステムの中で燃え尽きるほうがいい。
 人の迷惑にならず、いつしか存在は希薄化して透明になる。
 すやすやと眠る親父を見ながら、次第に自分の老後はこんなのも悪くないと思えるようになった。
 時折、風景の一部と化したカプセルが静かに立ち上がる。
 それも徐々に日常のリズムの一つになり、以前と何も変わらぬ日々が戻ってきた。
 ただ一つ。
「親父、ご馳走になります」
 お茶を飲む前に、必ずこの一言を心の中で呟くようになった以外は。

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