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1話 尊敬の理由

「とーさま、あげる!」


「ん? ってお前それどうした?」


 きょとんとした父親の眼前には柔らかそうなパン。

 焼き上がったばかりなのか、それはホカホカと湯気が出ていて、齢三才の息子の小さな手に乗せられていた。


「とーさま、あつい、とって」


「おお、悪い悪い」


 しかし皮膚の薄い子供にはそれは酷だったらしく、執務机から直ぐに離れると焼き立てらしいパンを取ってやる。


「んっ!?」


「え?」


「パンが柔らかいな。アルファン、ちゃんと中まで火を通したのか?」


 父親が手にとったそれはふよりと柔らかくて、温かかった。

 通常、パンといえば硬く焼き固めたものが一般的で、スープに浸して食べるというものだったのだから料理をした事がない父親がそう勘ぐってしまうのも無理はなかった。


「……僕が焼いたパン、おいしいよ?」


「お前が焼いたのか!?」


 アルファンと呼ばれた息子は意味がわからないと首を傾げおいしいと主張するが、” 柔らかいパン ” を見たことがなかった父は俄かには信じがたい。

 いや、それどころか息子がパンを焼いた事自体信じられなかった。


「お前、怪我しなかったのか? 火傷はしてないか?」


「大丈夫。 料理長に手伝ってもらったよ?」


「そうか……」


 子煩悩な父ーー領主、コハンスティール・ガジルーーは、息子の愛らしい手に怪我がないことに安堵すると、今度は新たな疑問が出てくる。


「作ったって、これには小麦が必要だろう?」


「とーさま、先に食べて。 冷めちゃう」


「あ、あぁ」


 どこか腑に落ちないながらも、最愛の息子にそう言われてしまえば食べる他ない。

 しかも、最初は生焼けを覚悟していたが嗅げば嗅ぐほど香ばしいパンの香りがしてくるではないか。

 思わず唾を飲み込んだ父、ガジルは息子を目の前の長椅子に誘った。


「アルファン、お前も座りなさい」


「はい、とーさま」


 パンを食べようと、使用人に皿と飲み物を持ってこさせたガジルは先ずパンをちぎろうとする。

 するとどうだろうか。柔らかいとは思ってたパンに指がのめり込み、いとも簡単に二つに割れたではないか。


「なんだ、これは」


「?」


 何よりすごいのは、その断面。

 生焼けどころか、ふんわり仕上がったパンは均一に気泡が入り、力を入れた事で萎んだ筈の表面もいつの間にか元通り。

 そんなものを見てしまえば、期待を込めた瞳で息子に見つめられるまでもなくガジルはパンに齧りついた。


「…………うまいっ!」


 気がつけば手の中のパンはあっと言う間になくなっていた。

 隣に座っていた息子は父を見て嬉しそうに顔を綻ばせ、残っていたあと半分のパンは四分の一個ずつ父と息子の腹の中へと消えた。


「お前、どうやってこれを作った?」


「天然酵母がやっと完成したのです」


「?」


「とーさまがいつも頑張っているから、僕、とーさまに喜んで欲しくて」


「ありがとうアルファン……」


 正直、テンネンコウボとは何なのかよくわからなかったが、それはとりあえず置いておいて、まだ幼い息子のプレゼントにガジルはいたく感動した。


「僕もいつか、とーさまみたいに立派な領主になって、領民のみんなにおいしいごはんをお腹いっぱい食べさせてあげたいんだ」


「…………くうっ!」


「あれ? とーさま、どうしたの?」


「い、いやなんでもない。それよりアルファン、さっきと同じパンはまだ作れるか? 出来る事なら領民の皆に食べさせてやりたいんだが」


「うん、大丈夫だよ!」


「ありがとうアルファン。もしかしたらこのパンは、この領を再生させるのに大事なものになるかもしれないから、このパンは俺とお前の秘密だぞ」


「うんっ!……あっ」


「どうした?」


「あの、料理長のミルクはいい?」


「ああ、ミルクや使用人たちは家族同然だからな。それにこのパンを作るのに手伝ってくれたんだろう?」



 この小さな村ラナークでは、領民の人気が高いコハンスティール家の運営によって成り立っているといってもよかった。

 現当主、ガジルが十五年前に王都より居住を移し、間もなくスラムと成り果てそうだったこのラナークの初代領主となった。


 その縁はガジルが少年だった頃まで遡り、僅かではあるが冒険者として活動していた頃に立ち寄ったラナークの民にとても親切に対応されたのを覚えており、結婚したのを機に懐かしい顔がみたいと再訪した。


 しかしガジルを待ち受けていたのは荒れ果ててしまったラナークの町並み。

 飢餓で今にも倒れてしまいそうな領民たち。

 もちろん見知った顔もいたが漏れなく今にも倒れてしまいそうだったそうだ。


 そこで立ち上がったのが、我が父ガジルだった。


 世話になったラナークの村を放ってはおけない。

 そもそも、ここまで荒れ果ててしまった原因として、領主不在が挙げられる。

 領主がいなければ税も集められないが、収穫量の少ないこの量では税収も見込めない。なのに領主としての義務は求められ、赤字覚悟の運営を出来るものが早々いるはずもなかったので国も見て見ぬフリを決めていたようだ。


 それでも、領民同士助け合って贅沢は出来ないまでも支えあって生きていたのだが、十五年前に運悪く父が訪れる直前に盗賊に遭ってしまった。


 そうなった時、領民たちは頼るべき領主が存在しなかった。

 村を囲む塀も小さな野生動物から畑を守れる程度の瑣末なもので、大の男達から身を、家を守る術がない。

 そんな中頼れるのは自分だけだと、農具を片手に盗賊相手に果敢に向かって行った若い男達もほとんど殺され、略奪されてしまった。


 不幸中の幸いだったのは、もしもを予測して女子供を隠す大規模な穴を掘っていたこと。

 盗賊も女がみつからないのに不満そうにしていたが、盗むものを盗んだらさっさと帰って行った。


 その話を聞いたガジルは即座に行動にうつし、王都で勤めていた騎士団を辞め、冒険者時代に稼いだ財産を持って家族ごとラナークに移住した。

 そのうちに功績をもって国王から領主として認められ、今日に至る。


 自分はそんな父を尊敬しているし、いつも明るく優しい愛すべき領民たちを守れるように強くなりたい。

 いつかは父を超えてみたい。

 そしてなにより、今度は胸を張って堂々と生きてみたい。


 前世では、いつも下を見て生きていた自分が大嫌いだった。


 齢三歳の自分には何故か、日本人だった頃の記憶がある。

 いつも自信がなくて、大人しくて、長いものには巻かれまくる自分。

 他人に嫌われることはほとんどなかったと思うから、それなりに平凡で幸せな人生ではあったのだろうけど、自分自身には不満タラタラで、でも変わる勇気もなくて……


 老衰で死んだ記憶も事故や病気で死んだ記憶もないけど、今自分がココにいるということはおそらく日本での自分は死んだんだろう。


 今世では思いっきりやりたい事をやって、胸を張って生きてみたい。


 それが、俺がこの世に生まれ落ちた瞬間に決意したことだった。






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