女優志望
――季節は夏。
映画、漫画、小説……メディアの形を問わず“ホラー作品”を愛する私は、テレビでホラー番組が放送される“夏”を、“ホラー”と共に愛していた。
その時期だけテレビ情報誌を買ってきて、ホラー番組であれば全部録画! ……そして一緒に暮らす姉と二人、姉妹揃ってそれらを鑑賞する。そんな夏を、毎年過ごしていた。
――三年前……私が二十三歳の時、こんな体験をした。
休日、私と姉は朝から晩まで録画してあったホラー番組を見てやろうと、二人して意気込んでいた。
……昼の二時を過ぎた頃だった。
見ていた番組は、「嘘じゃない怖い話」の二時間スペシャル。心霊体験を視聴者から募集し、その再現ドラマを放送するという番組だ。
その中で、こんな話があった。
――自殺願望を持ったある少年が、自殺に失敗して病院に運ばれた。少年の母は心配し、毎日病室にやってきてりんごを剥くが、少年はそれを食べようとしない。生きることに絶望した少年は毎日、「次はどうしたら死ねるか」について考える。――そんな少年の元に、ある日“女の霊”が現れた。霊は、少年に覆い被さり、首を絞めながら言う――
『……ワタシハ………………イキタカッタノニ…………』
――“死”に直面したところで、少年の頭の中には母の姿が浮かんだ。(……やっぱり死にたくない)。――そう思ったところで少年は目を覚ます。見れば、外はまだ真昼だった。……戸惑いながらも、少年はテーブルの上のりんごを一口、囓った――。
「……感動系ホラーかぁ」
ドラマを見終えた姉はぼやいた。
「まぁいいんだけど、そればっかになっちゃうのはなぁ。やっぱ“ホラー”は、怖くなくっちゃあ」
「そうかなぁ。私はいいなぁ、と思ったけど」
――私はそう言いながらも、あることが気になっていた。
画面は切り替わり、コマーシャルが流れる。
「……ねぇ、お姉ちゃん。さっきの話のお化けんとこさ。もう一回見して」
リモコン権を握っている姉は、キョトンとした顔で私を見た。
「……何。あんたアレ、そんな気に入ったの」
「イヤ、そうじゃなくって……ちょっと気になって……」
「え、ヤダ。ホンモノが映っちゃったとかぁ⁉︎」
「ヤ、そうでもないんだけど……」
姉は言いながらも、リモコンの“早戻し”を押した。コマーシャルからドラマシーンへと、逆再生する。
場面は、女の霊が少年に覆い被さり、首を締めるシーン。
女の顔が、アップになった。
『……ワタシハ……』
「あぁっ‼︎」
私は突然、大声を上げた。
「ッ‼︎ 何よぉ! びっくりするじゃない!」
姉は咄嗟に“一時停止”を押しながら、非難の目を私に向ける。
「ヤッチャン‼︎」
「……は?」
「ヤッチャンだわ! 皆川泰子ちゃん! 高校の時、同じクラスだったのよっ!」
「……えええっ‼︎」
二人揃って、画面大きく映った幽霊役の女優の顔を見つめた。
……その顔に、見覚えがあった。間違いなく、それは高校時代のクラスメイトの顔だった。
*
その後、一時“ホラー会”は中断となり、引っ張り出してきた卒業アルバムを姉に見せた。
「……本当だ」
四十インチのテレビ画面いっぱいに映った顔と、卒業アルバムの個人写真を見比べる姉は感心したように頷く。
「仲良かったの?」
「うん、それなりに」
ヤッチャンとは卒業して以来会ってはいなかったが、高校在学中はクラスメイトだったこともあり、何度か遊んだことがあった。美人でスタイルも良く、勉強もスポーツもできた彼女だったが、一番熱を入れ込んでいたのは演劇部での活動だった。私は友人達と、ヤッチャンの出ている舞台を学園祭などで見たことがある。……舞台上で見る彼女の姿は、女である私であっても、見惚れるほどだった。
(あれから演技がんばって、女優さんになったんだ……)。再現ドラマの幽霊役とはいえ、テレビに出るなんて凄いことだと、私は感心した。こうなると、急に連絡が取りたくなってくる。
「お姉ちゃん。私、ちょっとヤッチャンに電話すんね」
そう言うと、携帯電話を取り出した。連絡帳のアプリを開き、画面をスクロールする。
電話番号が表示されるとそれをタッチし、携帯電話を耳に近付けた。
――プルルルルルルルル……プルルルルルルルル……
『はい』
「ヤッチャン? 私。シノよ。篠宮紗子」
『あぁ、シノ。久しぶりー。どうしたのー?』
「どうしたのってさぁ。見たよぉ。テレビ! 『嘘じゃない怖い話』!」
『あぁー! 見てくれたんだぁ。嬉しいよー』
「なんで教えてくれなかったのさぁー。すごいじゃあん」
『いや、だってさぁ……。幽霊役だもん。なんかちょっと恥ずかしくって……』
「でもすごいよー。テレビなんてさー。がんばったねっ! おめでとう!」
『うんー……。……ありがと」
「うん。……それだけっ。あははっ。……がんばってね」
『うん。がんばるよ。わざわざ電話、ありがとね」
「うん。じゃあね。今度、ご飯でも行こっ」
『うん! じゃあ、またね』
……そうして、電話は切れた。
「おめでとう」の気持ちを直接伝えられて、嬉しかった。
「よかったね」
姉が微笑みながら言う。
「うん」
私がそう返事をして、“ホラー会”は再開された。
*
――それから二ヶ月後。街に出て買い物をしている時、高校時代の同級生に会った。名前は、大野眞子。学生時代、一番仲の良かった友人だった。
「ちょっとお茶していきましょうよ!」
マコの誘いにもちろん同意し、私たちはレストランに入った。
食事を済ませ、食後の温かいお茶を飲みながら世間話をしている時。私はふと、ヤッチャンのことを思い出した。
「ねぇ、二ヶ月くらい前にやってた『嘘じゃない怖い話』のスペシャル、見た?」
「あ……うん……」
急に、マコの表情が強張った。
私は疑問に思いながらも、話を続けた。
「ヤッチャン出てたよね! あれ! すっごいなぁ。私、見た後すぐヤッチャンに電話しちゃったもん」
「え……」
マコは驚き、絶句した。……私もさすがにこれは様子がおかしいと気付く。
「……なに?」
「えっ……シノ、電話したって……」
「うん。ヤッチャンにだよ。……なんで?」
マコは、少し震えているようだった。
「シノ、知らなかったの……? ヤッチャン……死んじゃったんだよ……?」
――。
(……死んだ? ヤッチャンが……?)
呆然とする私に、マコは追い打ちをかけるように、言った。
「それもね…………。これは一部の人しか知らないことなんだけど……ヤッチャンはね……」
――あのテレビで放送されたドラマの、収録日前日に、死んでるの……。
「え……」
――マコがそのあと私に教えてくれたのは、こんな話だった。
ヤッチャンは大学に進み、演劇のサークルに入って演技の技術を磨きながら、小さな芸能事務所に所属してたくさんのオーディションを受けた。……結果、いくつかの舞台に立つことができたが、それらはどれもセリフすらまともにない、端役ばかりだった。
大学を卒業して、それでもアルバイトを続けながら役者活動を続け……ようやく初めてテレビの仕事が決まった。――それがあの、「嘘じゃない怖い話」の幽霊役だったのだ。……ヤッチャンは、それはもう喜んだという。
――その再現ドラマの、収録日前日。ヤッチャンは息抜きに、一人でドライブに出かけた。……その出先の山道、下り坂でカーブを曲がりきれず、谷底に車ごと落ちてしまった。……即死だった。
しかし、収録日。スタジオに、ヤッチャンは現れた。そこにいたマネージャーからスタッフ、他の演者全員が、その姿を見たというのだ。……収録は、特にトラブルもなく。……無事、終わってしまった。
マネージャーが連絡を受けたのは、次の日のことだった。そんなはずはないとテレビ局に連絡をとったが、間違いなく収録は終わり、映像は撮れていた。――紛うことなきヤッチャンの姿が、映像には映っていたのだ。
その後も事務所側は局側に連絡を取りつづけていたのだが……ちゃんと連絡が伝わらなかったのか、信じてもらえなかったのか。……あの映像は編集され、そのまま放送されてしまった――。
「そんな……」
私は、その放送された映像を見ている。……あれは、間違いなくヤッチャンだった……。
それに……。
「……シノ……。本当に、ヤッチャンと話したの……?」
あの電話は……?
*
――家に帰った後、その全てを姉に話した。
私がそれを聞いた時のように――驚き、慄きながら聞いていた姉は全てを聞き終えると、感心したように腕を組んで、ウンウン頷きながら言った。
「なるほど……たいした女優魂だわ……」
――私はそれを聞きながら、ふと思った。
あの電話を受けたヤッチャンは、自分が死んでいることに気付いていたのだろうか……。
もし死んだことに気付いていて、その上で電話に出ていたのだとすれば……。やはり、素晴らしい演技だったのだと思う。
でも……もし気付いていないのだとしたら……。
まだヤッチャンは……。