琴別病院の屋上の手すりに、一人の女が腰掛けている。俺はその女を地上からぼーっと見上げて、まだ若い子かなぁとどうでもいいことを思う。
俺と同じ野次馬の人たちがとてもうるさい。あまりにも騒がしくて、誰が何を言っているかわからない。奇声。
気づくと女は、両手をまっすぐと広げていた。まるで十字架のように。
そして、女は飛んだ。
「水山、顔色悪い」
金曜日の学校。朝のホームルームが終わって、すぐに友人の赤城結花が話しかけてきた。
「俺は色白なんでね」
「白い通りこして、青いよ」
「そりゃあヤバイな」
俺がそう答えると、赤城は怪訝な目つきで俺を見た。
赤城とは高校に入学してすぐに仲良くなった。
身長はなんと百六十八センチ。モデル並みにでかい。お前は本当に高校生かと思ってしまうほどだ。体型はどちらかというと細い方だが、やせ過ぎている訳でもない。つまり、スタイル抜群。
顔はかなり大人びていて、化粧も手伝いかなりの美人だ。しかし、笑顔になるとまだまだ子供っぽさが抜けきっていないのがよくわかる。だが俺は、そんな子供っぽい赤城の笑顔が好きだ。
髪はセミロングで、後ろ髪の毛先はウェーブしていて、その髪型はなかなか似合ってる。しかし、それよりも紺色ブレザー、緑と赤のチェックのスカートの制服の方がとても似合っている。
性格はかなりサバサバしていて、男勝りだ。不良グループと深い親交がある。
「ねぇ、今日暇だから遊ぼうよ」
「陸上部は?」
「休み」
女子からの遊びの誘いだ。普通なら喜んでオーケーするのだが、今はそんな気分ではない。
「いや、遠慮するよ」
俺がそう言うと、赤城はスカートのポケットから香水を取り出し、俺の顔面に吹きかけた。
「おい! 香水ってのは人をいじめるための物じゃないぞ」
「うっさいなぁ。アンタね、そんな辛気臭い顔でぼーっとされてたらね、構いたくなるわよ。つーか、構ってください慰めてくださいってオーラがひしひしと伝わってくるのよ。だから遊びに誘ってあげたのになによ!」
「ヒステリー起こすな。別に慰めてもらおうなんて思ってない」
つい心に無いことを言ってしまう。赤城の言うとおり、俺は今慰めてほしい。だが、そんな弱々しいこと言えるか!
「なにそれなにそれ。ムカツク! せっかく人が心配してんのにさ」
と言って、スカートのポケットからハイチュウを取り出し、俺の顔面に投げた。
「ゆ、結花。止めなよ」
そう言って止めに入ってきたのは藤崎奈実。
藤崎は赤城と幼馴染で、いつも一緒にいる。ちなみに俺は赤城と仲良くなったおかげで、藤崎とも友達になれたのだ。
「これは食べるものだもんね、水山君」
と言って、ハイチュウの紙をピリピリと破り、俺の口に無理やり押し込む。指が唇にぐいっと当たる。
藤崎はおっとりした子で、たまにおっとりを通り越してトロイ時がある。だが、意外に賢い頭を持っており、成績だっていつもトップ争いをしている。だが、おっとりとしている割に、時たま過激なことをやったりする。ちょっと変わった子だ。赤城よりも長いサラサラセミロングヘアーが自慢の女で、清楚な女子高生。
リスみたいなクリクリした瞳で、俺を上目遣いで見つめながら藤崎は言った。
「確かに水山君、元気ないよ。どうしたの?」
「そうよ。何があったか言ってみなさいよ。じゃないと私と奈実で蹴りまくるわよ」
「お前な……。藤崎はそんな野蛮な事はしないよな」
俺がそう言うと、藤崎は髪をサラッとかきあげながら笑顔で言った。
「うん。だってパンツ見えちゃうかもしれないし」
「いや、そういう問題じゃなくてな……」
俺たちがそんな話しをしていると、教室の外が騒がしいことに気づいた。
「廊下で何かやってるのか?」
「わかんない……。水山君、見に行こう」
俺に野次馬根性は無いのだが……。赤城と藤崎に引っ張られて教室から出ると、自分達と同様に、他の教室からも大勢の生徒がドヤドヤと廊下に吐き出されていた。
俺はすぐに異変の原因に気づき、心底驚いた。なんと、廊下をセーラー服の女が歩いているのだ。琴別高校は、ブレザーだ。
どうして他校の生徒が廊下を歩いてるんだ? そしてその女だが……。なんというか、超絶美人である。藤崎と同じくらいの清楚な見た目で、大和撫子という言葉がすぐに思いついた。
顔は丸顔でかなりの童顔。そして色白。髪型はポニーテール。目がとても大きい。
「おい」
と、低い声でとある男子生徒がそのセーラー女に話しかけた。
「お前誰?」
ニヤニヤしながらそう言ったのは井出達哉。俺の幼馴染。ただのバカ。顔を見て解るが、この異常事態を楽しんでいる。
「アンタに関係ない。……おい」
完全無視だ。すぐにその女は、たまたま目があった藤崎をギロリと睨んだ。
「な、なんですか……?」
更に睨み続けるが、見た目が動物顔だし童顔なのであまり怖くない。低い声で言った。
「校長呼んで来い」
「え……?」
当然困惑する藤崎。俺はこの異様な光景を見て、混乱していた。突然、琴別高校に見ず知らずの人間が現れたのだ。なんでバレずに学校に入ってこれた? まず正面玄関では無いだろう。玄関には事務室があって、玄関から入ろうものなら事務員に即バレだ。ではもう一つの南玄関。ダメだ。この時間ならまだ先生達がうろついて、遅刻した生徒を取り締まってるはずだ。
いや、今の問題はそんな事じゃない。他校の生徒が、何しに来た?
「あ、あの。あ、貴方は誰ですか」
「千瀬奈々。つーか、校長呼べってのが聞こえないのか」
「聞こえてます」
藤崎はケロリと言った。藤崎は聞こえていたから聞こえたと言っただけだ。だがこの千瀬とかいう女からしてみれば、ナめられてると思うだろうな。藤崎は天然なのだ。
「おい、お前喧嘩売ってんのか?」
「喧嘩売ってるのはお前だろ」
と、井出が千瀬の目の前に立った。よし、頑張れ井出! 見てる分には面白い!
「つーか、お前どこの高校?」
「香蓮高校」
香蓮高校。札幌の西区にある私立高で、市内でトップクラスにガラが悪いことで有名だ。ちなみに、琴別高校は清田区にある公立高校だ。一応、進学校として有名。
「香蓮のあばずれ者が何しにきた? お前、自分のしてる事がどういう事かわかってるのか?」
井出がそう言うと、千瀬はバカにしたような顔で、鼻で笑った。
「でしゃばるなよ、進学校の坊ちゃんのくせにさ。さっさと校長呼べ。もしくは校長室教えろ」
「調子にのるなよ。さっさと帰れ」
周りがざわつく。男子は帰れ帰れと野次を飛ばす。女子はゴミでも見るかのような目つきでコソコソと何か言っている。
「さっさと帰れと言われて簡単に帰るわけないでしょ!」
とうとうキレだした。ここはどうするべきか。いや、どうもしなくていいのか。
「いいから校長出しなさいよ! 座り込みするわよ!」
座り込みか。ならば俺も一緒に座ろう。こんなに可愛い女の子となら、是非ともお近づきになりたいものだ。
にらみ合う井出と千瀬。だが、ドヤドヤと先生達がやってきた。なんだつまらん。ここで、こういう騒動で力を発揮する赤城が登場したら、レベルの高い口論が見れたはずなのに……。
数人の教師は千瀬をギロリと睨む。ブレザーの制服に囲まれたセーラー服の女。当たり前だが目立つ。
千瀬は甲高い声で暴れたが、大人に勝てるはずもなく、どこかに連れて行かれ、俺達は教室に押し戻された。
非日常な事はどうしてこうも盛り上がるのだろうか。答えは簡単だ。日常っていうのは同じことの繰り返しで、新鮮なことなんか無いからだ。楽しい楽しくないは別にして、人間は常に刺激を求めているものだと思う。
その点、この女は大いに俺達の乾ききった心に、強烈な刺激を与えてくれた。お祭りごとは非常に結構である。感謝、セーラー女。
俺はふと赤城を見て、ギョッとした。こういう事に人一番関心のありそうな赤城が、銅像のように固まっていたのだ。
「おい、赤城。どうした?」
「奈々……」
「は?」
「奈々。何やってんのよ。バカ」
……えーと、赤城さん? もしかしてお知り合いでしょうか?
「え、ゆ、結花? あの子とお友達なの? 中学にあんな子いたっけ」
藤崎と赤城は琴別中央中学出身である。
「うん……。奈実は知らなくても当然よ。あの子は香蓮中学だもん。友達の紹介で知り合った子なんだけどね。奈々、私にすら気づかなかった。相当、興奮しちゃって……」
「そりゃ爆発的に興奮してるだろ。他校に殴りこみするぐらいなんだから」
俺がそう言うと、赤城は俺の背中に思い切り蹴りを食らわせた。痛い。俺は本当の事を言っただけなのに!
学校というのは日常を語る上で欠かせない存在なのは言うまでもないだろう。そりゃあ一日の大半を過ごすわけだし、ごく当然のことだ。
だが、この当然の日常は俺達が勝ち取ったものではない。寺子屋に始まり明治に学制が敷かれ、気づくと常識になっていた学校。
これは世の中の歴史によって用意された常識であり、俺達は何の疑問なく学校に通っている。
俺は人一倍やる気の無い人間だ。ダメな事だとは思っているが、生き方を変える気は無い。俺は精力的に生きることは嫌だ。面倒だから。
とかいいつつ、俺はこの用意された日常に多少なりとも不満を持っている。用意された線路の上を歩くだけじゃつまらん。たまには線路を曲げて、何か突拍子もない事をやったりしたい。何も線路から外れようとは思わない。俺は人と違う生き方をして生きていけるほどの人間じゃないし。
でも、線路をちょっとだけ曲げて、つまり日常を変えてみるだけの事はやってみたい。
千瀬は線路を曲げる所か、むしろ破壊した。俺達は目の前で起きた非日常に、ぼーっと見つめるか野次を飛ばすことしか出来なかった。
俺はあの後赤城に拉致されて、赤城の家に連れて行かれた。そして、俺の目の前には千瀬と藤崎もいる。
赤城の部屋は、意外にぬいぐるみが至る所に沢山置かれている。男っぽい性格だが、芯はやはり女子なんだなぁと思う。なかなか広い部屋なので、色々な物が置いてある。立派なコンポ、巨大な本棚が三つ、テレビ、ベッド、カラーボックス、机などがギッシリと並び、真ん中には小さい机がちょこんと置いてある。部屋は特定の色を基調としているわけではなく、なかなかにカラフルな部屋となっている。
「ねぇ結花。どうして私達結花の家にいるの?」
「学校から近いからよ」
「おい赤城。なんで千瀬がいるんだ」
「奈々が主役だから」
デストロイヤー千瀬が、あぐらをかいてガムを噛みながら俺を睨む。
いやしかし、本当に美人だ。中学生かと思うほどの童顔が俺的に好みだし、肌もツルツルである。
「おいお前。ジロジロ見るなよ。歯折るぞ」
「それは止めてほしいな。で、赤城。なんで俺を呼んだ」
「今から奈々がどうして、今日の朝みたいな事をやったのかお話してもらうの。で、アンタにアドバイスもらおうと思って」
アドバイスか。俺は自分でも思うほどに冷静な性格だ。それが原因なのかどうかは解らないが、よく赤城は俺に助言を求め事がよくある。だが、俺はそんな大層な奴じゃない。
それに、今回の千瀬の暴挙は俺には全く関係ない。ここにいる事自体時間のムダだ。
しかし俺だって鬼ではない。自分に関係ない事でも、ほんの気休めだけでも、友達の助けになるならむしろ喜んで頑張らせてもらう。しかし、あくまで俺なりの見解を言うだけだ。それで気休めにもならなかったらしょうがない。それまでだ。
「ねぇ結花。なんでこんな知らねぇ奴らに話さなきゃダメなのよ。特にこのトロイ女、私嫌い」
「嫌いなんて目の前で言っちゃダメよ、奈々」
と、赤城は千瀬の頭をグーでコツンとぶった。
「ちょ、結花何するのよ!」
そう言って千瀬は怒ったが、全く迫力がない。俺達は座っているが、それでも赤城の背の高さは郡を抜いている。百五十五センチくらいしかない千瀬と赤城は年の離れた姉妹にしか見えない。赤城は、千瀬を手がかかるけど可愛い妹感覚で見ているようだ。
「ご、ごめんなさい。嫌われちゃった……」
藤崎は俯いてそう言った。大丈夫だ藤崎。この女に嫌われたからって気にすることは無い。
「私ね、アンタみたいなおとなしい真面目そうな子、苦手だし嫌いなの。んでそこの男……」
「水山健吾だ」
「変わった苗字ね。水山はなんかダルそうな雰囲気がガツガツ出てる。アホそうな現代っ子。だから嫌い」
「奈々! 本当の事言わないの。それにアホそうじゃなくて、アホなのよ」
ははは。帰っていいですかー?
人が”この人嫌い”と思うのはしょうがない事だし、別に悪いことじゃない。誰にでも気の合わない人、ウマの合わない人は沢山いる。
それを上っ面で付き合っていくか、全く関わらずに生きるのかはそりゃあもちろん人の自由だし、どちらが正しいというわけではない。ちなみに俺は、どちらかという後者だ。何故か。俺は不器用だからだ。
だがな、千瀬。なんとなく嫌いだからといって、それを面と向かって言うのはただのガキだ。学校に乱入するわ、あっさりと本人を前にして嫌いと発言するなんて、常識知らずの女と言われても文句は言えないぞ。
しばらく女三人の雑談が続いた。本題に入る前に、空気を良くする為なのかどうかは知らないが、赤城が積極的に話題を提供していく。千瀬は藤崎に悪口をぶつけまくると思ったが、意外にやツンツンとした態度ではあるけど普通に話している。藤崎のまったりのほほんペースに乗っけられてる所もあるとは思うのだが……。女はよくわからん。
千瀬が、急に俺を睨んで言った。
「おい水野」
「水山だ」
「何ボーっとしてんのよ。飲み物でも持ってきなさいよ」
「そうよバカ山。アンタ何のために来たのよ」
「水山君、早く持ってきてね。私、喉乾いたの」
お前らそんなに俺が嫌いか。
「さて、冗談はともかく、奈々。そろそろ話して」
赤城は、ワックスで髪をわしゃわしゃといじりながら言った。藤崎はご丁寧にキッチリ正座した。
「うん……。私の友達にね、中崎由希って子がいたの」
千瀬は、突然目をうるうるされてそう言った。藤崎が答える。
「過去形ってことは、もうお友達じゃないの?」
「は? なんて事言うのよ。今だって私の友達よ!」
「な、奈々。落ち着いて」
「確かにメールも返してくれないし笑ってもくれないけどさ!」
なんだ。じゃあ喧嘩したのか。……いや待て。それと今回の事と全くつじつまが合わないぞ。
「由希はね、自殺したのよ。琴別病院の屋上から」
俺は、目の前が真っ白になった。俺がみたあの光景。あの子の友達が、千瀬奈々だったのか。
人はその気になれば、不可能な事を可能に出来るものなのか。その由希という女の子は、一瞬だが空を飛んでしまった。しかし、その代償は大きすぎる。
だがその女の子は、むしろその代償が欲しかったのだ。
しばらく沈黙が続いた。ほんの数十秒だが、とても長い時間に感じた。このまま、時が止まってしまうのではないかと思ってしまうほどに。
世界中の時が止まってるとも思った。だが、言うまでも無くそんな訳はない。その由希という子が死んだ瞬間、中崎由希の時間は当然止まるが、その瞬間だって他の人間は友達と騒いで楽しんでいたり、一人で趣味に没頭していたり、恋人といちゃいちゃしてる人が数え切れないほどにいる。
それは当たり前のことであるのだが、とても悲しいことだと思う。だがそんなことを思うのは偽善者でしかない。だって、俺は見ず知らずの人が目の前で飛び降りて死んでも、泣けないのだから。
俺は、確かに中崎由希という人間の死に際を見ている。落ちた後は見ていない。だが落ちている途中は見ているのだ。あの光景は一生忘れることは出来ない。いっそ忘れたい。
だが、その中崎由希の友達の千瀬という人間が、目の前にはいる。
「由希はね、とてもいい子だったの。でも、内気で難しい性格はしてたわ」
千瀬は犬のぬいぐるみをいじりながら、俺達を見回した。
「由希、小さいころに両親が離婚してね、お父さんに引き取られたらしいの。でも、お父さんは由希が中一の時に事故で死んじゃったの」
千瀬は赤城の顔を見つめたあと、声のトーンを一層低くして続けた。
「とても悲しいでしょ。でも、由希はニコニコしながら言ったわ。漫画みたいな展開よねって。あの子は心にないことをよく言ってごまかす子だったから。……で、その後は親戚の人に育てられてたの。その親戚の人と約束してたらしいんだけど、少なくとも高校を卒業するまでは札幌で過ごすって。でも最近になって、親戚がどうしても名古屋に帰るって言い出したらしいの」
高一の秋に、いきなり名古屋に転校か。どんな事情があったかは知らないが、そりゃあ酷いだろう。
「で、ここからが問題。由希は中学のころ頑張って勉強してね、琴別高校に行くことを決めたの。ちゃんと願書も出したわ」
なんと。琴別に願書を出していたとは。
「由希はまぁ……。学力は中の下くらいだったし、正直琴別は難しいと思ってたわ。でもあの子は凄く頑張った。どうしてかって? 彼氏の西羽勇樹って人と同じ高校に入るためよ」
西羽勇樹の名前を聞いて驚いた。ここで一回整理しようか。香蓮中学は千瀬と中崎由希。琴別中央は赤城と藤崎。そして俺と西羽は同じ夕葉中学なのだ。だが、西羽は琴別にはいないぞ?
それに何故中崎由希と西羽が恋人同士だったのかは解らないが……。まぁ、その事は後で言おう。今言うとこんがらがる。
「健気な子ね。私なら、むしろ恋人を自分と同じ高校に入るように脅すけどね」
「ゆ、結花……。脅すなんて」
赤城は放っておけ、藤崎。
「由希は、本当におとなしい子だったわ。でも、内気な性格なりに頑張って友達を作ってた。当然、おとなしい性格だから恋人も出来にくいでしょ。でも、ちょっとしたきっかけで西羽と付き合うことになったの。確か中三の秋頃だったかな。それはもう凄い喜んでいたわ」
藤崎は真剣にうんうんと聞いている。自分なりに理解して、千瀬の話を聞いて何かしら答えを出そうとしているのだろう。考えを組み立てながら、聞く。
赤城は壁にもたれかけて話しを聞いている。赤城は話しにとにかく集中して聞く。考えるのは後だ。藤崎みたいに一度に同じ事をやったり、難しく考えない。話しを聞いた後に、深く考えないで、はっきりと自分の考えを発言するのだ。
俺は藤崎タイプである。どうやら俺はこの子と考えや気が合うらしく、いつも会話が噛みあう。お互い意見が食い違うことはない。それはとても良いことだと思う。
だが、赤城とはそうもいかず、意見の食い違いで言い合うことは多い。だが、俺はそれもとても良いことだと思う。
「そしてね、西羽も由希も見事に琴別高校に受かったわ。でも、西羽はこう言ったらしいの。俺は私立の明清東に行く。俺は特進コースを受験して、受かった。特進だと授業料半額になるからって」
「マジ? ひっどーい。せっかく彼女が頑張って同じ高校受験して合格までしたのに? 人間の風上にも置けないわね」
と、赤城。
「子供の届かない所に置いておかないと、ダメだね」
こら藤崎。西羽を危険物扱いするな。
確かに西羽の行動は、恋人視線から見るとかなりひどい。だが、西羽にも言い分はあるだろう。人生でとても大事な高校という場所を、いつ別れるか解らない恋人のために、決めていいものだろうか?
俺は西羽を責める気はないし、まず責めることは出来ないと思う。それはあまりにも西羽がかわいそうだ。
「由希の落ち込みようったらなかったわよ。だって由希はね、私立は香蓮高校を受けていたのよ。どうあがいても西羽とは同じ高校には行けない。でもね、あの子は良い子だった。明清東に行くことに決めたのは西羽の自由だし、勝手に自分が西羽と同じ公立高校を受けただけ。学校は違っても付き合いは続けれるしって、自分なりに納得してたのよ」
俺ならなんだかんだ言っても、ひねくれて別れるだろうな。強い女である。
「由希はね、西羽と同じように私立は特進コースを受験していたから、香蓮に入学したわ。そして徐々に友達が出来たころに、名古屋へ転校よ? そして由希は西羽に言ったらしいの。遠距離でもいいから付き合いましょうって。でも、西羽は拒んだわ。遠距離なんか出来ないってね」
確かに中崎由希からしてみれば、地獄だっただろう。だがやはり、あまり西羽を責める気にはならない。西羽がどの程度中崎由希を好きだったかは知らないが、遠距離で付き合い続ける自信が無かったから、別れることを決めたのだろうし。付き合い始めたのが中三の秋頃だったのなら、長い付き合いとはいえない。だから西羽は、遠距離恋愛を出来るほどの自信がまだ無かったのかもしれない。
遠距離恋愛出来る自信もないのに付き合い続けても、それは相手に対して失礼だろうし、西羽の考えは別に悪いことではない。
千瀬はとても悲しそうな顔で、ぬいぐるみをいじくりまわしている。
「……それで、あの、千瀬さん」
と、藤崎が目をうるうるさせて言う。千瀬はやりにくそうな顔で「奈々でいい」と言った。
「奈々ちゃん。今の話と、今回の事件、何か関係あるの?」
「いや、直接は関係ないわ」
「え?」
目をまんまるにして、藤崎が驚く。さすがの赤城も目を点にしている。
「実は、由希は死ぬ直前にね、私の携帯にメールを送ってたの。琴別が憎いってね。西羽の事かと思ったけど、にしてもまわりくどい言い方だったわ。確認しようにも、私は西羽と会ったことなんてないし。だから私どうすることも出来なくて……。でも琴別が憎いっていうのがどうしても引っかかってさ。だからとりあえず、校長に聞いてみようかなって」
「バカかお前は」
ついそう言ってしまい、俺は千瀬の蹴りを何発も食らった。
「解った。解ったからちょっと待て。俺は、西羽と知り合いなんだぜ?」
千瀬は蹴るのを止めた。
「……マジ?」
「マジだ。同じ夕葉中学出身だ。何か知らないか、聞いてやってもいいぞ。ただし、お前は来るな。ややこしくなるから」
「は? 何言ってんのよ。アンタみたいなミジンコみたいな男に頼めるかよ!」
ミジンコと来たか。
「じゃあ聞いてやらんぞ」
「……わかったわよ。その代わり、ちゃんと聞いてきなさいよ」
「あぁ、分ってる。明日にでも西羽の家に行って聞いてくるよ」
「あら珍しいじゃない。水山が他人の協力なんて」
確かにそうだ。俺には全く関係のない事だ。でも、人が死んでいるのだ。俺は千瀬の話を聞いて、とても中崎由希に同情して、親近感に近いものさえ感じた。
偽善者と言われてもしょうがないが、俺は中崎由希のために何かしてやりたい。もしも琴別高校が憎い理由に、西羽以外の何かがあるのなら、その答えを探し出す努力ぐらいなら、してもいいのではないか?
赤城はニヤニヤして俺を見ている。こいつは俺の知り合いの中で一番賢い。勉強では藤崎に負けるかもしれないが、観察力などでは赤城がダントツだ。
多分、俺の考えてることは全てお見通しだと思う。だが、こいつはいじわるな女だ。
「水山ったら、なんか企んでるんじゃない?」
「お前なぁ……」
「ゆ、結花。水山君に失礼だよ。せっかく西羽君に話し聞いてくれるって言ってるのに」
藤崎は優しいが、物事を深いところまで考えるタイプではない。純粋なので、物事を怪しまずにストレートに受け止めるタイプだ。
でもその分、余計な気持ちは無しで、いつも俺を支えてくれる。俺は藤崎と赤城にとても感謝している。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。女三人で楽しんでな」
俺はこの後、井出と会う約束をしているのでそろそろ退散だ。
「み、水山君帰っちゃうの?」
俺が立ち上がると、藤崎は正座したまま俺を上目遣いで見つめる。リ、リスみたいな目で俺を見つめるな。それは反則だぞ藤崎!
藤崎のキラキラした瞳から死に物狂いで逃げて、赤城の家を出た。自転車で住宅地を突っ切ると、大きい交差点に出る。琴別高校があり、近くにはジャスコとイオンタウン。そして中学の頃、俺が通っていた塾がポツンとある。
自転車をこいでる間、俺はなんともいえない気持ちになった。なんか、心の中にしこりがある。なんなんだ? とても居心地が悪い。この気持ちはどこから来るのだろうか?
交差点をわたり、ペダルをひたすらにこぎすすめて住宅地に入ると、そこはもう俺の家だ。時間にして五分。
家に帰り制服から私服に着替え、また自転車に跨る。数分自転車をこいで井出の家に着き、インターホンを押してさっさと家に入る。
「遅いぞ水山」
ワックスで髪を逆立てた井出がそう言って出迎えてきた。さっさと部屋に入る。赤城の部屋はちゃんと大きいカラーボックスの上にコンポが置いてあったが、井出の部屋はそうでもない。MDラジカセは床に置いてあり、MDやらCDやら雑誌が適当に投げ捨ててある。ベッドの上にはペットボトルや赤ペンやらが置いてあり、とても寝る場所とは思えない。壁にはヴィジュアル系歌手のポスターが沢山貼ってある。
「健吾やっほー」
と、幼馴染の飯島佳織が笑顔で言う。こいつとは幼稚園からの付き合いである。身長はなんと百四十四センチ。赤城より二十四センチも低い。
ボブカットヘアーがなかなか似合っていて、千瀬以上の童顔で、小学生か中一ぐらいにしか見えない。なのでよく赤城や藤崎にからかわれている。
俺の知り合いの中で一番テンションが高く、赤城とはいつもギャーギャー騒いでいる。
「ねぇ、聞かせてよ。あのセーラー女のこと」
「そうだ。進学校の坊ちゃんとか言いやがって。あいつ、ゆるせねぇ」
井出はとても怒っているが、無視しよう。
「話してやるかわりに、お前らには手伝ってほしいことがある」
「なによ?」
佳織が、飴をガリガリと噛み砕きながら、キョトンとした顔をする。俺は、先ほど赤城の家で話したことを全て、なるべく丁寧に話した。
「なーるほど……。重い話ね。西羽かぁ。そういえばいたわね、そんな奴」
佳織は天井をぼーっと見つめる。井出が聞いてきた。
「おい水山。明日といわず今すぐ聞きに行こうぜ。西羽の家ならすぐそこだろ」
「今からか? もう時間も遅いし、めんどい」
「めんどいし、時間も遅いし、でしょ?」
と、佳織。いちいち突っ込まないでくれ。
「……わかった。家も近いし、行ってみよう。最初に言ったけど、手伝って欲しいというのはそういう事だ。俺一人じゃ自信ないんでね。同じ中学の佳織に一緒に来てほしい」
「俺は?」
「そうだな……。一応井出も来てくれ。西羽は、大事なことは隠すタイプだからな。何か秘密にされたらめんどうだし、三人で圧倒して全て包み隠さず話してもらおう」
西羽よ、悪く思うな。これも中崎由希のためだ。
……中崎由希のため? やはり、おかしい。確かに何かしてやりたいという気持ちはあるが、俺は中崎由希とは会ったことがない。ただ、死に際を見ただけである。
俺が中崎由希に何かしてやりたいと思うは、やはり変なことなのだろうか? 心の中のモヤモヤが晴れない。歯の隙間に食べ物がはさまって、もどかしい感じ。
いや、考えるのはよそう。とにかく、俺は西羽に話しを聞かなければならない。
歩いて西羽の家に行くと、西羽は一瞬戸惑ったが、とりあえずは部屋まで入れてくれた。
俺が何か言おうとしたら、佳織が目で制してきた。
「ねぇねぇ西羽くーん。高校に入ってから始めて会ったよね。どう、明清東高校は? 確か特進コースだったよね。なんか大変そう」
佳織が笑顔で話しかける。制服のスカートのポケットから飴を取り出し、西羽に渡す。西羽は表情が柔らかくなり、飴を口の中で踊らせ始めた。
「そうだな……。毎日七時間授業だから、正直やってらんないよ。でも自分で選んだわけだし、人生甘くないからな。挫けずに通ってる。文句言ってられないさ」
ふむ。やはりしっかり者だ。西羽は愚痴ることなく、物事をちゃんとこなせる奴だ。性格も悪くないので俺は嫌いじゃない。だが、佳織は西羽のことはあまり好きじゃないらしい。佳織ごとく「あぁいうムダの無い男は嫌い。つまんないもん」らしい。なんとなく言いたいことは解る。
佳織みたいな、真面目な人間が苦手な女からしてみれば、確かに西羽みたいな真面目君タイプはつまらないかもしれない。中二のころ、西羽はとある女子と付き合っていた。その女子はいわゆるギャル系であった。二人は最初、かなりの両想いだったらしいのだが、女の方はすぐに冷めたらしい。聞く所によると、西羽は遊びに誘っても何時までに帰らなきゃとか、帰って勉強するからあまり遊べないとか、いちいち真面目なことを言い、そのくせ結構しつこくて、別れた後もネチネチとメールを送ってくるらしい。
個人的な意見になるが、確かにそりゃつまらん。佳織は、どちらかというとちょっとアホっぽくて、気の抜けた男が好きなのだ。そう、普段は腑抜けだが、いざという時に頼りになるような。
「そんなに特進がよかったの?」
と、佳織。ナイスである。こういう聞き方と展開なら、西羽の本心を自然に聞きだせる。これは佳織を連れてきて正解だったな。ちなみに、井出は自分に出番はないと悟ったらしく、あぐらをかいて勝手にゲームをしている。西羽も、ゲームくらいはやるんだなぁ。
「まぁな。本当の事を言うと、俺は琴別高校に行きたかった」
西羽は、受験の合格発表の時に、掲示板に自分の番号がなくて落胆するような悲しみたっぷりの顔でうつむいた。佳織は顔色ひとつ変えず、ケロッとした顔で聞く。
「受かったんだから、行けばよかったんじゃない」
「あぁ、そうだな。そりゃ確かに明清東の特進に行けば授業料半額になるけど、頑張って進学校の琴別高校に受かったし、琴別なら家から凄く近いからさ」
確かに進学率は琴別の方が良いし、西羽みたいな勉強して良い大学いきてぇ! 的な奴は琴別に来るべきだろう。家が近いというのもポイントだ。明清東に行くには、ここからだと地下鉄で宮の沢まで行かないとダメだ。
ふと佳織を見ると、女子特有の座り方(膝をくっつけて座るアレだ)をし、指で床をトントン叩いている。
あぁ、イラついてるなとすぐに解る。西羽が中途半端に話しを終わらせたのが気に食わないのだろう。佳織はふぅと溜息をついた。
「じゃあ、どうして琴別高校に来なかったの? 知り合いだって琴別高校に沢山いるでしょ。私なら明清東なんて選ばないわよ。そりゃあ授業料半額は魅力的だけどさ」
佳織は言った瞬間、軽く舌打ちした。ちょっと尋問的になったな。しかし、幸い西羽は特に気にした様子は無かった。
「ここ、借家なんだ」
ふーん。
「うちは新聞とってないんだ」
それはそれは。
「お小遣いは五百円なんだ」
俺は五千円。
「つまり、西羽君の家はとてもとても笑えないくらい貧乏なんだね」
佳織は笑顔でそう言った。プロレスラーの強烈な蹴りぐらいの威力である。確かに西羽は自分の家が貧乏だと言いたかったのだろうが……。
佳織は物事をズバッと言う。うじうじした奴は嫌いだ。言いたいことははっきり全部言ってくれないとイライラするタイプなのだ。
中学一年の夏ごろ、俺と佳織は”良い雰囲気”になっていた時があった。今思うと不思議でたまらない。何故あんなに佳織を意識していたのだろうか?
幼稚園から小学生までずーっと同じクラスだった。もうそれが当然だと思っていたのだ。お互いいつも目の前にいるのが当たり前。一緒に帰る時は多かったし、家も目の前なのでよく遊んでいた。
だが、中学になって始めてクラスが別になった。学校で佳織といる時間は極端に減ったし、自然とお互い帰る時間もズレるようになるので、一緒に帰ることは少なくなった。
これまで当たり前のようにいつも目に入っていた佳織が、たまにしか入らなくなったのだ。三日ぶりに話す時はほんの少しだけ緊張すらした。
制服を着ている佳織は見ていて不思議であった。十二年間生きていて、制服を着ている佳織なんか見たこと無かった。そんなことを思っているうちに、俺は佳織を女として見るようになり、お互いぎこちなくなっていた。なんとなく、このまま友情は薄れていくのかと思っていたが、むしろ逆だった。
お互いを異性と意識し始めたので、お互いの家に行って話すだけでも緊張したし、そういう雰囲気にも何回もなった。だが、どうもお互いギクシャクしていたのである。好奇心より恥ずかしい気持ちが勝っているような。
そんなある日、佳織は俺を公園に呼んだ。話しを聞くと、どうやら佳織は俺と同じことを思っていたらしい。恥ずかしいことを何食わぬ顔でスラスラと言うのだ。しかし、俺は恥ずかしくて何も言えなかった。それに佳織はキレた。言いたいことあるならはっきり言いなさいよ、と。俺はその日、佳織に強烈なビンタをくらった。ビンタされた時、何かが弾けた。そう、火山が噴火するように。
そして俺は思っていることを言ったのだが……。まぁ、この話しはまたの機会にでもしよう。
西羽を見ると、やれやれといった顔をしていた。
「相変わらず飯島はキツイな……。ま、そうなんだ。うちは貧乏だから、まともに授業料なんて払えない。でも、明清東の特進コースに行って授業料が半額になれば、なんとか高校に通えるんだ」
なるほど。それなら、高校を明清東にした事を責めることは出来ない。とりあえず、西羽に悪意がなかったことは確認出来た。
「相当迷ったよ。だって琴別高校は……」
と言って、西羽は喋るのを止めた。しかし、佳織は抜け目がない。西羽の言葉を代弁した。
「琴別高校に行けば、中崎由希と一緒にいられる」
次の瞬間、西羽は学制鞄を佳織の顔面に投げていた。
「おい西羽!」
俺は気づくと西羽のむなぐらを掴んでいた。佳織に鞄ぶつけるなんて、許せない。
「お前、今なにした?」
俺がギロリと睨んだところで、井出が無言で立ち上がり、俺と西羽を引き剥がした。井出はとてつもなく怖い目をしていた。
「あー、疲れた。楽しくもないゲームをやるのは体力を消耗するな。おい水山、佳織。そろそろ帰るぞ」
「うん。帰ろう」
佳織は冷たい声でそう言った。俺は一気に血の気が治まった。
「じゃあね、西羽君」
部屋を出る際、佳織はスカートのポケットからお菓子のゴミを取り出し、床に投げ捨てた。
外に出ると、もう真っ暗だった。俺は札幌の夜の風が大好きだ。
札幌は十月にもなると、とても寒い。本州の人から見ると信じられないかもしれないが、この時期になると、もうストーブで暖まっている人が多いくらいだ。
そして札幌は夜になると一気に気温が下がる。夜風が心地よい。この風の感触はなんともいえない懐かしさに浸れる。なにより匂いが一番好きだ。どういう匂いなのかと聞かれたら答えに困るのだが、自然の匂いとでもいうべきか、ほんの少しだけ幸せになれるような、そんな匂いだ。……あぁ、これを赤城に言ったら、あいつは大笑いするだろうな。
俺達はとりあえず”どろっこ公園”に場所を移した。泥だらけになるまで遊びましょう、ということでこういう名前らしい。
ベンチに座り、佳織が笑顔で言った。
「西羽、マジになってたよね。ありゃあ嘘は言ってないわよ。言ってることは絶対本当よ」
俺もそう思う。
「そして遠距離恋愛をする自信が無くて、別れることにしたか。……でも、それ以外の事は何も聞けなかったな」
そうだ。今回の目的は、新しい情報を入手することが重要だったのだ
「健吾が怒ったから、もう何も聞けないじゃない」
「すまん」
俺がそう言うと、佳織は耳元で「でもありがとう」と囁いた。
「水山、そんなに落ち込むな。人生ってのは、思い通りにいかないのさ。だから人生なんだろう」
「お前何カッコつけてんの?」
井出は笑って俺のわき腹を軽く小突いた。
「だから、人生ってそんなもんなんだよ。苦労無しで生きてたら、人間皆ダメになるぜ」
「言えてる。さて、俺はそろそろ帰るかな。この話しはこれで終わりだ」
「え、もう終わり?」
そうだ。もう終わりだ。俺は別に中崎由希になんの感情も持っていない。当然だ。俺は話したことなんてないんだから。ただ、千瀬の話を聞いて同情して偽善者ぶって、西羽を訪ねてみただけにすぎない。日常の中の一コマだ。これ以上俺が何かやる必要はないし、やるべきじゃないだろう。後は帰って風呂に入って寝るだけだ。
「そうだよ。もう何もしない。俺は自分に関係ないことには深く首を突っ込まない主義なんでね」
「でも、首突っ込みたいんでしょ?」
「え?」
佳織はもみあげをいじくりまわしながら、大きい瞳で俺を見つめた。井出はあくびをしながら空を見ている。
「さすが佳織。水山の思ってることは全部お見通しか」
「井出だってそうじゃない。……ねぇ健吾。アンタはまた何かやり足りないんじゃない?」
心にグサッと突き刺さった。確かにそうだ。何かまだしこりがとれない。何故だ。俺は中崎由希にこれ以上何かする理由なんてない。理由がないなら何もする必要はないはずだ。
「あのね、アンタは機械的過ぎるのよ。理由があるならやる。無いからやらない。やんなくてもいいからやんない。やるべきならやる。それって、自分の意思で行動してるわけじゃないでしょ? どうして自分のやりたいようにやらないの?」
確かに佳織の言うとおりだ。自分でも最近自覚し始めている。
「健吾ってさ、表現力に欠けてるのよ。授業中さ、皆答え解らなくて黙ってて、自分だけは答えが解ってても、発言しないで黙ってるタチでしょ? やりたいようにやりゃあいいのよ。アンタさ、世の中は狭くてしょうがないと思ってるみたいだけど、別に世の中そんなに窮屈じゃないわよ」
そうか。俺は世の中はとても窮屈な箱だと思っていたが、どうやらそれは俺の情けない思い込みだったらしい。
「佳織言い事いうねぇ。水山、俺もそう思うぞ。顔でわかるんだよな。納得いかねぇよちきしょうって顔してる。もうちょっと何かやってもいいんじゃないか? 中崎由希って子も、別にそれぐらいなら余計なお世話とも思わないだろ」
「そうだな……。考えてみる」
俺は二人に感謝する。世の中、そんなに悪いもんじゃない。
家に帰ると、もう八時だった。風呂に入り飯を食い小指を椅子の角にぶつけイライラしている時、携帯の着メロが鳴っているのに気づいた。知らない番号。
「もっしもーし」
「……誰だお前」
「千瀬奈々だバーカ。声でわかるだろ。今から奈実と一緒にアンタの家に行くわ」
「来るな」
俺は電話を切ろうとしたら、千瀬は甲高い声で叫んだ。
「切るなよバカ野郎! 女の子二人で家に押しかけてやるんだぞ? ほら、ドア開けろ」
俺は家のドアを開けた。すると、携帯を耳に当てた千瀬と、背後霊のように突っ立っている藤崎がいた。二人ともまだ制服を着ている。
俺と千瀬はお互い携帯を耳に当てたまま、見つめあった。そして千瀬が、携帯を耳に当てたまま口を開いた。
「やっほーい水山!」
「あぁ、やっほう」
バカである。携帯の存在理由が全くなくなった。とりあえず携帯の電源を切る。千瀬も俺に習う。
「藤崎まで連れてきて……。何しにきた」
「いいから家入れよ」
「今からドラマ見るんだけど」
「録画しとけ」
「ビデオもDVDも無いんだが」
「どうせドラマなんかネットにすぐにアップされるでしょ。あ、おじゃましまーす」
最悪だ。いくら可愛くても、勝手に家に入られたらたまったもんじゃない。ふと、リビングから父親が出てきた。
「おう、いらっしゃい。藤崎さんと……君は初めてだな」
すると千瀬は、とびきりの営業スマイルで「こんばんわ。遅くに失礼します。すぐに帰りますので」と言い、深く深くお辞儀をした。
とりあえず部屋に通すと、千瀬は思い切り床にあぐらをかいた。藤崎は「ごめんね」といい、静かに正座。
「で? お前ら何しに来た」
「さっき由希の家に行ったのよ。名古屋の親戚の人が家にいるから、会いに行ったの。そしたらその親戚の人がね、机からこんなのを見つけたんだってさ」
そう言って、千瀬は紙切れを床に投げ捨てた。何か書いてあるので読んでみると、”今の生きてる私は空っぽ。大事なものは全部消えた。ゼロ。死んだら当然空っぽ。同じくゼロ。何も変わらない。だから死ぬ。”と書いてあった。
「遺書……か?」
「まぁそんなようなもん。ねぇ、どういう意味だろ? 生きててもゼロで死んだらゼロ」
千瀬がそう言うと、藤崎が説明を始めた。
「生きててもゼロってのは、心がゼロってことなんだよ?」
「は?」
「だからさ、もう傷ついてボロボロになってるって事よ。生きてても死んでも大して変わらないって思うぐらいに、傷付いてたんじゃないかな」
藤崎がそう言うと、千瀬は突然悲しみいっぱいの顔になった。藤崎の言うとおり、中崎由希は生と死は同じと思えるくらいに傷ついていたんだろう。
「大事なものは全部消えた。……友達、親友、西羽。私?」
千瀬はそう呟いた。
「水山」
「なんだ?」
「私は大事なものの一つに入ってたのかな?」
俺に言われても困る。仲が良かったらそりゃ入ってて間違いないと思うが、それを今日会ったばかりの俺に聞くのは間違いである。
「信じるしかないだろ」
「まぁね……」
千瀬は思いつめた顔をしている。色々と思うことがあるのだろう。
「あの、奈々ちゃん」
「なぁに? 奈実」
と、千瀬は笑顔で答えた。ほう、もう打ち解けたか。最初は藤崎のおっとりした所が気に食わない様子だったが……。意外に気が合ったみたいだな。仲良くなってくれて結構。
数時間で、藤崎のペースに完全に取り込まれたようだな。性格の良い奴は、どんな人とでも友達になれる。
「その親友の子って、名前なんていうの?」
「なんでそんな事聞くのさ」
「だって、私達住んでるところ近いじゃない。もしかしたら知ってる子かも」
「あ、それは言えてるね。成本裕子だよ。裕子は小学校の時に由希と親友になったんだってさ。裕子は小学校を卒業してすぐに転校したから、中学は違う所に行ったの。だから私は裕子とはあんまり親交ないのよねぇ」
「裕子!」
藤崎が突然そう叫んだ。
「ど、どうしたの奈実」
千瀬が驚いてそう聞くと、藤崎はいきなり立ち上がり、走って部屋から飛び出した。
「お、おい藤崎!」
「ちょっと待ってて」
そういい残し、玄関から出て行った。
「ど、どうしちゃったのあの子」
「気にするな。たまにあいつは暴走する」
「そ、そうなんだ」
そうなのだ。藤崎は、普段とてもおとなしいが、一度何かが爆発すると、性格がガラッと変わる。今だって、普段ののんびりした、聞いてて眠たくなるような喋り方ではなく、ハキハキと喋っていた。
前に赤城から聞いた話なのだが、藤崎は中学生まではクラスのリーダー的存在で、めちゃくちゃ騒いでる子だったらしい。
俺と千瀬は仕方なく、格闘ゲームをして藤崎の帰りを待った。どうでもいいが、千瀬はゲームがハンパなく弱くて相手にならなかった。藤崎ならプロ級のテクニックを披露してくれるのだが……。
三十分ぐらいで藤崎は戻ってきた。手には卒業アルバム。
「これ、琴別小学校の卒アル。水山君、奈々ちゃん見て」
言われなくとも。
「えーと……。あったあった、六年二組成本裕子」
俺と千瀬は噴出した。女子の写真の下には、確かに成本裕子と書いてある。
「こ、これ。かなり幼いけど確かに裕子だわ」
「でしょお!」
「……いや、ていうかアンタ! いちいちこんな物持ってこなくていいわよ」
「だってビックリしたんだもん!」
二人とも落ち着け。
「ちょっと待て。成本は小学校の時に中崎由希と親友になったんだろ? ってことは、藤崎」
「お、覚えてないよ。だってうちの小学校は一学年に五クラスはあったし、生徒全員となんて話さないもん。結花はどうだったか知らないけど」
千瀬は目を丸くして藤崎を見ている。
「ちょ、ちょっと貸しなさいよ!」
と言って、藤崎からアルバムを奪い取り、勢いよくページをめくっていく。そして、見つけた。六年五組中崎由希。とても可愛らしい子だ。
「由希だ……。まさか、奈実と同じ学校だったなんて」
あぁややこしい! もう一度皆の出身校をまとめよう。藤崎、赤城、成本、中崎由希の四人が同じ小学校。そして藤崎と赤城だけが同じ琴別中央中学に向かい、成本は転校して一人別の中学に行き、中崎由希は香蓮中学に入り、千瀬と出会った。ちなみに千瀬は香蓮小学校出身。俺と佳織と井出は夕葉小学校、夕葉中学、琴別高校。西羽とは小中ずっと同じであった。
不思議な感じだ。昔バラバラの学校出身だが、中崎由希をきっかけにして、今俺達はこうして出会い、繋がったのだ。同じ学校にいても一度も話さない奴なんて沢山いるのにな……。
千瀬はボーっと中崎由希の笑顔を見ている。
「なんか、変な感じ。今日知り合った子が、由希と同じ学校だったなんて」
「うん。そうだね……」
場がかなりしんみりしてきたので、俺は話題を変えた。
「とにかく、成本は藤崎の知り合いなんだろ。明日にでも話しを聞きに言ったらどうだ?」
「ダメ。私は会えない」
「なんで?」
藤崎は俯いた。
「私、裕子とは中学生になっても仲良かったの。でも、中三の時に喧嘩して、そのまま」
「わかった。わかったからそんな泣きそうな目で俺を見るなよ。心がハンパなく痛む。」
「えぇと。じゃ、そろそろ私は帰るよ。奈実も帰ろう」
「うん……」
俺は、帰り際につい成本の家を聞いてしまった。何故だろうか。俺は常に自分の意思がはっきりしていない。壊れたコンパスのように、いつも震えていて、気持ちが定まらない。
自分に自信が無いとか、人より劣っているとか、卑屈な気持ちが俺は人より多いのかもしれない。
そもそも”人より”という言葉はあまり良くない。人より下手だからやらない。人より不器用だから何もしない。人間得意不得意はあるんだから、そんな事言ってたら前に進めないではないか。
だが、今日のことで気づいたが、俺は世の中に対して、自然と卑屈になっていた。人より表現力が下手だから、何もやらない。それはあまりにも情けないんじゃないか?
俺はもう少し、中崎由希の事について調べたい。やりたいと思うなら、やってもいいんじゃないか?
別に話しを聞くぐらいのことなら、良いに決まっている。何も深く考えることはない。誰に迷惑をかけるわけでもないんだし。
翌日の土曜日。俺は昼頃にのそのそと起きた。
昨日は心底疲れた。なんかやたら美人な女が学校に乱入してくるわ、気づいたら千瀬の話を聞いていて、西羽の家に行き殴り合い寸前まで行き、家には千瀬と藤崎がおかしかけてくる。
俺は面倒なことは人一番嫌いだ。そのくせ、周りに流される。昨日だってそうだ。周りのペースに乗せられていないと言えば嘘になる。
だが、昨日はいつもとは違った。俺なりの意思で西羽の家に行き、そして成本の家を聞いた。自分に驚く。俺はこんなに精力的に活動した事があっただろうか?
これまでの俺だったら、それすらもしなかっただろう。
出かける準備をすませて家を出ると、庭には何故か千瀬がいた。しゃがみこんで、ペットの犬とじゃれあっている。
「……おい」
「あ、水山おはよー。ね、この犬可愛いね」
「あぁ、可愛いだろう」
千瀬は百万ドルの笑顔で頭を撫で回している。千瀬は口が悪いが、根は良い奴だとは思う。性格が根っこから悪い人間は、千瀬みたいな綺麗な目はしていないし、千瀬のような笑顔も出来ない。
千瀬の服装は、上はガイコツのガラが描かれている白色のTシャツに、オシャレな黒色のブラウス。下は黒色のフリルミニスカート。
「名前なんて言うの?」
「ポチ」
「は?」
千瀬は、とても驚いて俺を見る。
「ダサすぎだって! ポチって名前つけるやつ始めて見た!」
「ポチは日本で一番メジャーな名前だけどな、実際つけてるやつなんていないだろ?」
「……アンタ、変わってる」
よく言われる。
「ま、いいや。ねぇ、私も裕子の家に行くわ。しばらく会ってないし」
「そうか。じゃあさっさと行くぞ」
俺がスタスタと歩き出すと、千瀬は甲高い声で言った。
「早く歩かないでよ! 私歩くの遅いんだから!」
千瀬はCDを俺のほっぺたにおしつけながら、横に並んだ。
「……なんのCDだ? つか、いきなりなんだよ」
「私の好きなバンドのCDよ。私はこれを世界最高のアルバムだと思ってる。だから、一人でも多くの人に聞いてほしいの。それにまぁ、一応お礼」
千瀬は、そっけなく低い声でそう言った。良い奴だな。わざわざお礼なんかいいのに。
「ねぇねぇ。どうやって行くの? 確か中央区だよね」
「バス一本で大通りまで行って、その後は歩くぞ」
「ラジャー!」
笑顔でそう言うと、千瀬はいきなり俺の腕に右腕をからみつけてきた。
「おい」
「うわっ。顔赤くなってる〜。女の子にこういうことされるの慣れてないの?」
「うるさい」
強引に腕を振りほどいた。こんな可愛い子にあまりこういう事をされたら、大通りに行くまでに頭がどうかしてしまう。
バスで揺られている間、千瀬は永遠と喋り続けていた。会ったばかりの時は、本当に危なそうでとっつきにくそうな奴だとばかり思っていたが、話してみるとなかなか面白い子だ。
友達はとても大切にするが、他人には容赦ない……って感じの人かな。
大通りに着いて、少し歩くとすぐに立派なマンションを見つけた。そこが、成本の家だ。
「でっかいねぇ。札幌でも郡を抜いてるわよ」
「街の目の前だし、あの立派さを見ると相当お高いと思うぜ?」
「想像を絶するほどに高いでしょうね。羨ましいなぁ。毎日気軽にススキノや狸小路に行けて、あーんな立派なマンションに住めて」
千瀬は、キラキラとした瞳でマンションを見上げる。
「あんだけ立派な所に住んでるって事は、当然かなりの金持ちだな」
「PS3とウィーの両方、絶対持ってると思うわ。あぁもう羨ましいなぁ!」
俺は騒ぐ千瀬を無視して、マンションの入り口まで行った。あらかじめ千瀬が成本にメールをしておいてくれたので、成本は既にマンションの前に立っていた。
当然だとは思うが、卒アルとはかなり違っていた。大人びた顔をしているし、化粧もしている。髪型はセミロングで、全体的にパーマがかかっている。色白。色っぽくて、二十歳ぐらいにも見える。
「奈々、凄い久しぶりじゃない。あ、水山君だっけ。初めまして。奈々のお友達よ」
成本は笑顔で挨拶した。えくぼが可愛らしい。
「あぁ、宜しくな」
「ね、裕子。つまんない男でしょ。アンタ、もっとなんか面白いことでも言いなさいよ」
千瀬がそう言うと、裕子は軽く千瀬の頭を小突き、「早速入って」と言いながら、中に入っていった。成本の家は七階だ。
部屋は、もうビックリするほどに立派だった。部屋の数が凄いし、とにかく広い。家具もさすが金持ちと思うほどに立派だった。
成本の部屋は、ぬいぐるみが大量にあって、本棚には参考書などが沢山あった。窓からはテレビ塔が見える。
「二人とも、そんなまじまじと見ないでよ。なんか恥ずかしいじゃない」
「いや、こんな立派なマンションは始めてだからさ」
「ねぇ裕子、この漫画貸してー」
一時間ほど雑談をして、そろそろ……という雰囲気になったので、俺は話を切り出そうとした。テーブルには、ご丁寧にもアイスコーヒーとたけのこの里とカントリーマァム。
話してみてわかったのだが、成本は相当賢い。人の考えている事を、すぐに理解する。目の動き、雰囲気、話の展開で相手の真意を読み取る。こいつに嘘は通じない。良く言えば、冗談や皮肉がうまく通用する子だ。
「なぁ成本。中崎由希とはどのくらい仲良かったんだ?」
「どのくらいって……。とってもよ」
「なんか変な事とか、言ってなかったか?」
俺がそう言うと、一瞬成本の目元が歪んだ。
「変なことって……。別に何も言ってなかったよ。由希は勇樹に振られて、転校も決まってかなり落ち込んでたから、口数も少なくなってたし」
千瀬はお菓子をバリバリと食べながら話しを聞いている。ほっぺたについているチョコを指で取りながら、俺は考えた。
確かに、彼氏が自分と同じ高校を選ばず、高校に慣れてきた頃に名古屋に転校が決まり、そして振られる。それはかなり苦痛だったろう。死にたいと思ってもしょうがないだろう。ただでさえ人間は、ふと嫌なことがあった時、一瞬このまま死んだら楽だろうなと思ってしまうものだ。こんなにも嫌なことが続けば、誰でも死にたいと嘆いても仕方ないと思う。
だが、本当に死ぬことはないんじゃないのか?
「もう一度聞くぞ。どのくらい仲良かった?」
成本はアイスコーヒーを啜った。
「ここに引っ越す前は由希の家の隣に住んでたのよ。だから幼稚園も小学校も同じ。九年間同じクラスだったわ。中学生になってからは家も遠いし学校も違ったけど、沢山会ってたの」
成本は、千瀬が落としたお菓子を拾って、千瀬の口に放り込みながら話しを続ける。千瀬はあごを突き出して笑顔で「ありがとう」と言いながら、「アンタ達、そんなに仲良かったんだ」と感想をこぼす。
「小学生のころは磁石のSとNみたいにくっついてたわ。朝一緒に学校行って、授業中は手紙交換して、休み時間に沢山お話して、一緒に帰って、遊ぶ。小六から携帯を持ち始めて、沢山メールもしたわ」
それはそれは。俺と佳織もかなり一緒にいたが、そこまではいかなかった。やはり女同士の友情は凄い。
「お互い、絶対的な信頼を持ってたわ。たまに相手に対して何か不信感持っちゃうのはしょうがないでしょ? 沢山の人間とトラブルが起こるのは、人間として当たり前でしょ? でも、私は由希だけは最後まで信じることが出来てたの。喧嘩もいっぱいしたわ」
「中崎由希もか」
「そうよ。由希も私をいつでも信用してくれてたわ。ていうか、私達はお互いを疑ったり恨んだりすることなんて、考えられないことだったもん」
「裕子」
突然、千瀬がギロリと成本を睨みだした。アイスコーヒーを飲みながら、リップクリームを成本に渡す。成本は驚きながらも、乾ききった唇にリップクリームを塗っていく。
「アンタ、さっき西羽のこと勇樹って言ったわよね?」
それを聞いてハッとした。確かに成本は、勇樹と言っていた。ということは、成本は西羽と深い関係があったという事になるんじゃないのか?
いや待て。成本と西羽は小中高、一度も同じ学校にはなっていない。
「なんでよ、裕子?」
「と……友達の紹介で知り合って、友達になったのよ」
「紹介?」
成本は唇を噛んだ。
「どうした? またリップクリーム使う?」
千瀬は頬杖をつきながら、人を小馬鹿にしたような笑い方で成本を見ている。
「いや、遠慮するわ」
「ねぇ裕子。いつ頃から西羽と付き合ってるの?」
「ちょっと待ってよ。友達だって言ってるじゃない!」
ハッタリ。最初からそうと決め付けて話しを進める。なかなかうまいやり方をするな、千瀬。
「もう知ってるのよ。だからこそ、今日ここに来たんだから。水山が西羽と同じ小中だったのは知ってるでしょ? 西羽は水山には話してたのよ」
「あのバカ……」
成本は大きく溜息をついた。俺も同じく溜息をついた。なんか、今すぐ家に帰って寝てしまいたい。だが、千瀬は顔色を一つ変えずに、話を続ける。
「じゃあ、付き合ってたんだ?」
「うん」
「初耳」
「え?」
千瀬はニヤリと笑う。成本は全てを悟ったようで、テーブルに突っ伏した。
「確かに付き合ってるわよ。今年の六月か七月頃からかな。でも、私は悪くないもん。誰と付き合おうが私の勝手だもん」
「ちょっと待ちなさいよ」
と言うなり、千瀬は立ち上がって成本のむなぐらを掴んだ。そして俺を見る。
「水山、今日は何日だっけ?」
「十月十二日」
千瀬は成本に視線を移した。
「いい? よく聞きなさい。由希が死んだのは十月よ。で、名古屋に転校が決まったのは九月。で、由希は名古屋に転校が決まった時に、西羽に振られたのよ。ていうことは、少なくとも由希は夏が終わってから西羽と別れたの。これまでの話しをまとめていくと、そうなるわ。なのに、なんでアンタたちは西羽と付き合ってるのよ? ねぇどうしてよ」
「そ、それは。……ほら、由希は中三の合格発表が終わった後、実はもう勇樹とは別れていたのよ。勇樹が高校を別にしたから……」
「そんな嘘通用すると思うな!」
そう叫び、千瀬は思い切り成本を突き飛ばした。そして、早口で言った。
「やっと解ったわよ! そうか、そうだったんだ。由希は私に嘘をついてたんだ。夏が終わってから別れたの、嘘だったんだ。本当は夏にはもう別れてたんだ。西羽は、由希が名古屋に行くのを知って、あっさりと捨てたんだ。そしてすぐにアンタと付き合ったんだ。西羽は由希を捨てて、アンタは由希の彼氏を奪ったんだ!」
千瀬はもう泣いていた。これ以上ここにいると、千瀬は何をするかわからない。
「おい千瀬。もう帰るぞ」
暴れる千瀬を押さえつけて、俺は成本のマンションを出た。成本は、無表情のまま涙を流していた。
近くの公園のベンチに千瀬を座らせて、缶コーヒーを渡した。
「……ありがと。ねぇ水山」
「なんだ」
「親友と彼氏に裏切られたら、アンタはどうする?」
「死にたくなるかもしれないな」
千瀬はスカートのポケットから携帯を取り出した。画面を覗くと、成本のアドレスを削除している所だった。
「私、あの女が憎い」
「あぁ。俺も腹が立ってしょうがない。……でも」
「うん。別に裕子は悪いことはしてないと思う。人間だもん。私だって、立場が裕子だったらどうしてたか解らないし」
千瀬はまだ泣いていた。下を向いたまま。
もう夕方だ。札幌は四時を過ぎると、暗くなり始める。目の前を、無邪気な子供達が走りながら通っていく。俺も昔は、あんな無邪気に走り回っていたのかな。
残念ながら、今の俺は目の前の女の子に何を言うべきか解らない。言葉が見つからない。どうしていいかも解らない。とても無力だと思う。
なんで俺は子供なんだろう。大人だったら、何か千瀬に言ってやれたのだろうか……?
中崎由希は、今俺達を見てどう思っているのだろうか。笑っているのか、呆れているのか、もしくは怒っているのか。俺には解るわけもない。 |