たぶん俺は最低な男と呼ばれても仕方ないことをしてきた。好きでもない女を、簡単に抱いた。誘われて拒むことはほとんどなかった。その代わり、深入りはしなかったし、いつも突き放すような態度しか取らなかった。
俺は愛情なんか知らなかった。信頼なんか知らなかった。俺は家族に抱きしめられた事がなかった。頭をなでられた事もなかった。
友情も愛情も、くだらないと思った。そんなものはいらない――そう思っていたのは、単に傷付くのが恐かったからだ。信じて裏切られるのが恐かったからだ。
中学生の頃、母が弟を連れて家を出た。部活から帰って来ると誰もいなかった。置き手紙だけがあった。俺は事態が上手く飲み込めなかった。その内帰って来るだろうと、食事もせずに一晩中待って朝を迎えた。次の日には学校を休んだ。
「美幸」
美しいけれど、残酷で我儘な恋人の名を呼んだ。
また朝帰りだ。しかも安いボディソープの匂いをさせて、シニョンにして出かけた筈の髪を下ろしている。もう耐えられない。
「何度言ったら判るんだよ。お前が俺に浮気するなって言ったんだろ。好きでもない女と寝るなって」
これじゃただの嫉妬深い男だ。
「寝たのか?」
尋ねた俺に、美幸は肩をすくめて答えた。
「寝たわよ」
酷い最低な女だなんて知っていた。セフレの時から、毎晩のように他の男と寝ていた。性欲も物欲も強い女で、並の男じゃ扱えないし満足させられない。
そんなことは、恋人になる前から良く知っていた。好きだと言ったのは、美幸の方だ。俺に愛されたいと、俺の心が欲しいのだと、そのためならば何でもすると言ったのに。
ミイラ取りがミイラになった。そういう気がする。俺はこんなに独占欲の強い男だったか? 女が他の男と寝たというだけで、心乱れ怒りを覚える。
「俺は寝てないぞ。それとも前言撤回か? お前が他の男と寝るなら、俺もそうするぞ」
「貴雄はダメ」
「何だと?」
思わず睨みつけた。
「だって貴雄、他の男と寝た後の私とするの、実は結構好きでしょ? いつもより激しいし濃厚だし、時間もかけてくれるし」
「ふざけるな。いい加減にしろ」
冗談じゃない。生まれて初めて本気になった女が、失いたくないと思った女が、こんな最低な女だなんて。
今までの俺の不埒な行いの報いなのか。だとしても耐えられない。俺はそんなに殊勝でも寛容でもない。
「じゃあ、別れてくれ」
それでもまだ好きだ。だけど辛い。苦しい。心臓を引きずり出して刻みたいくらいに。
思わず美幸の白くて華奢でか弱い首に手をかける。
「でなきゃ死ね」
美幸は俺を見上げ、うっとりと呟く。
「素敵」
俺も美幸も病気だ。心底病気だ。救い難い病に侵されている。
「殺して?」
ああ、なんて魅力的に聞こえるのだろう。
「今すぐ殺して?」
どうしようもなく救い難い酷い女。
「殺してよ?」
そのサロメのような甘くて残酷な瞳で、セイレーンのような男を誘惑する声で、繰り返し囁くお前は、本当に最低最悪な女だ。
俺は殺したくても殺せないのだと痛感させられる。
頼むから俺のものでいてくれ、なんて言えない。言ったとしても、お前は平気で俺を裏切る。
「好きよ、大好き。愛してるわ、貴雄」
最低最悪な嘘吐き女。だけど、何故かその言葉だけは、真摯に、切実に聞こえる。
「私が欲しいなら、もっと求めて。昼も夜もなく狂うほどに、あなたしか見られなくなるくらいに、私を求めて愛してよ?」
逃げられるものなら逃げたかった。殺せるものなら殺したかった。俺はマゾヒストの性癖はなかった筈だ。クールで冷淡で、何事にも動じない、冷酷なサディスト。
なのに狂う。狂ってしまう。
誰も俺達を理解してくれない。誰も俺達を救ってくれない。俺は堕ちていく。美幸は娼婦のようでありながら、どこか少女のような顔で、俺に囁く。
「あなたの愛が、心が欲しいの。あなたの全てを、私にちょうだい。欲しいの」
たぶん俺達は狂人だ。美幸も俺も狂っている。
断罪はいらない。慈悲もいらない。救いもいらない。
俺は殺す代わりに、美幸を抱く。だけど心は満たされない。
何故こうなってしまったのだろう。俺達は歪んでいる。俺達は狂っている。
俺達は狂人の恋をしている。これが、恋と呼べるなら。
The End.
|