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だから私は勇者を殺そうと思うのです。





だから私は、勇者を殺そうと思うのです。


私の人生はどう客観的に見ても酷い物だったように思います。同時に、語る必要性も価値もないような瑣末なものでした。私は人生に絶望する事にも早々に飽き、だからと言って生に執着する事もなく、漫然と生きていました。比喩としても、実際の行動としても、泥水をすする人生でした。そこには私という人間はおりません。私は役立たずの道具であり、体の良いおもちゃであったのです。そんな私には、意思も権利も自由も必要ありませんでした。

そんな私に希望をもたらしたのは、一人の魔族でした。あの方は気紛れに私のいた町を訪れ、気紛れに力を振るい、気紛れにその地を焦土へと変えました。泣き叫ぶ人々に容赦なく悪の鉄槌を下し、暴虐の限りを尽くしました。地下にいた私が、偶然その地で生きている最後の一人でした。そして、あの方はまた気紛れに私を生かし、自身の屋敷に連れ帰りました。

あの方は、使用人を得る為に町を襲ったのです。
あの方は騒々しい者に使用人は務まらない、と考えました。だから町を襲い、それでも取り乱さない者を求めました。そんな人間がいなければ、また次の町を襲おうと考えていたのです。そこで見つけたのが、私でした。生死に関して思考する自由もない私は、あの方を見ても表情一つ変えなかったからです。
生に執着した町の人々がその命を奪われ、執着の無い私が生かされたのだから、運命とはきっと皮肉な物なのでしょう。

私は魔族であるあの方の使用人となり、初めて人である尊厳を取り戻しました。人の下で生きていた頃に奪われたそれを、私は魔族の奴隷となる事で取り戻したのです。あの方は命に何ら価値を置かず、気紛れに人間を虐げ、貶め、辱めましたが、あの方のお屋敷の管理を一手に引き受ける私の仕事ぶりには、価値を置いてくださいました。

あの方の奴隷となり、私は温かい食事と清潔な衣服、柔らかなベッドを与えられました。どれもこれも初めて手にするもので、私は間違って天国にでもきてしまったのだろうか、と思ったほどです。

あの方は仕事以外でも、時折気紛れに私を呼びつけました。食事を共にする事もあれば、まるで父か兄のように私を抱き上げる事もありました。あの方のお気に入りの『遊び』の一つに、『人間ごっこ』というものがあったのです。時には腕白な子どものように、時には恋人のようにあの方は幼い私に寄り添いました。

私は、あの方の遊びで初めて他人の温もりを知ったのです。気紛れに抱き上げるその腕、あの方がくれた名前を呼ぶ声、戯れを繰り返す薄い笑顔。それだけが私の真実で、例えそれが偽物でも、幻として消えてしまったとしても、私は一向に構いませんでした。

そう、私は確かに幸福だったのです。

あの方にとっての遊びに水を差さない為、私は一切の感情を滲ませないように努めましたが、本心ではあの方の事を父や兄のように慕っていました。初めてくれた温もりに、私があの方を慕うのは必然だったと言えるでしょう。私という人間に光をもたらしたあの方に抱くには何ともおこがましく、そして幸せな感情でした。幸せな、日々でした。

けれど、あの方は殺されました。

魔王討伐を志し、旅をする勇者に殺されました。その旅の途中で立ち寄った村や町の人々から数々の悪逆非道を繰り返すあの方の噂を聞き、勇者があの方の屋敷に踏み入ったのです。
そして、あの方は殺されました。私にとっての光は、幸福は、希望は、勇者に殺されたのです。

だから私は、勇者を殺すのです。
私以外の誰も認めない、復讐でした。




私があの方に町から連れ出されるのを、駆け付けた騎士団に目撃されていたらしく、私は世間に魔族に囚われた憐れな少女として認識されていたようでした。あの方のお屋敷にいた私を見付け、同情と共に速やかに保護されたのはそれが原因だったのでしょう。

勇者の仲間達は皆親切な方々ばかりでした。細やかな気遣いで私の身を案じ、心を慰めようとしています。唯一、一切の感情を晒さない勇者を除いて。

勇者はまだ幼さの抜けきらない少年でした。年は十七との事ですが、線の細い面立ちは中性的で、それが余計に勇者を幼く見せていました。代わりに表情は冷たく、無表情で排他的。他人を見下すような気配はありませんが、他人を拒絶している事はありありと伝わってきました。常に薄笑いを浮かべていたあの方とは対照的です。

「勇者様、お怪我はございませんか?」

私はにこりと微笑みを浮かべて勇者に問いかけます。私は無理を言って、魔王討伐を目指す勇者一行に同行していました。戦う事は出来ませんが、給仕は得意ですし、薬草の知識を重宝していただけています。

「見れば分かるだろう」

最後まで私の同行に反対していた勇者はその一言で突き放そうとしました。私は微笑みで心を隠し、もう話は終わったとばかりに離れて行こうとする勇者の裾を掴みます。

「何をする。見れば分かると言っただろう」

暗に自身の無事と無傷を示す勇者を、私は離しません。

「ええ、ですから。お怪我をされている事が見て分かったので、お引き留めしたのです。さあ、腕を出して下さい」

珍しく、驚きという感情を比較的素直に露わにした勇者の左手の裾を、私は問答無用でまくりあげます。私は至極丁寧に勇者の傷口に薬を塗りました。
私は、勇者に忌憚ない笑顔を向けます。けれどそれは、全て復讐の為です。こうして勇者一行に合流するのも、全て。

私に戦う力はありません。だから、私が復讐を果たす為にはまず土台を仕上げなければなりません。非力な私でも本懐を遂げられる為の土台を。

私は勇者の仲間となり、こうして笑顔を向け、さも救われて感謝しているような顔をして、その懐に入り込む。ねえ勇者様、私を信じてくれないでしょうか。私に多くの機会を与える為に。どうか私を信じて、私をそばに置いてください。魔王と対峙する前に、

私が、勇者を殺すのです。




勇者は喜怒哀楽の一切を浮かべる事も無ければ、痛みや苦しみも可能な限りはひた隠そうとする悪癖がありました。怪我を負ってもそれをなかなか悟らせないので、仲間の方々はそれぞれに勇者を心配していました。だからこそ、簡単に勇者の怪我や不調を見抜く私に、大変な驚きを示しました。けれどそれは、何も不思議な事ではないのです。私の全神経はいつだって、勇者だけに向けられているのですから。

「勇者様、お怪我はございませんか?」

「………魔物の爪が肩を掠めた。だが、大した傷じゃない」

「油断は禁物です。小さな怪我でも消毒はしておきましょう」

初めこそ、頑なに怪我を隠そうとされた勇者も、今では諦めの境地できちんと怪我の具合を私に申告します。仲間の方々は大きな成長だと喜びました。
私は、排他的な勇者に変わらずにこやかに接し続けました。あるとき、やはり勇者の傷の手当てをしていると、勇者はこんな事を言いました。

「よく飽きないものだな。どうして君は、僕を気に掛ける」

私は一度包帯を巻く手を止めましたが、すぐに微笑んで勇者の手を握りました。

「無力な私達の代わりに、勇者様がその御命を懸けて魔族と戦ってくださるのです。それはあなたが『勇者』だからと、当然の事ではありません。あなたという一人の人間が、この世界の平和を望み、勇気と優しさをお持ちだからこそ、出来る事なのでしょう。戦えない私は、せめて勇者様のお手伝いをさせていただきたいのです」

それはある意味では私の本心でもありました。全ての事象は、彼が『勇者』だからではありません。彼という人間の意思で、正義で、心で成される事です。だから私は、勇者を殺すのです。あの方は彼の意思で、正義で、心で殺されたのですから。『勇者』という称号を免罪符にさせるつもりなど、さらさらないのです。
勇者は戸惑いに瞳を揺らし、慌てて自身の手を握る私の手を振り払いました。




あの方の悪業に、悩める人間はその元凶たるあの方を殺す事で解決しました。その手段は、あの方が忌避され恐れられたそれと同じものでした。ただ、あの方の行いは間違いようもなく悪だったので、あの方は正義の名の元に排除されたのです。

それは人間達にとって当然の事でしょう。安寧たる生の為に危険を取り除く事も、大切な人を奪われた憎しみを抱く事も、至極当たり前の事なのです。

だから私は、あの方を奪われても人間達に理不尽さや怒りを感じる事はありませんでした。ただ、許さないだけです。私はけして許さない。相手にいくら正当性があろうとも。

私は、あの方を殺した勇者の正義も、人々の希望も夢も許さない。彼という悪を許さなかった、人間達と同じように。




私はいつになれば、勇者を殺せるのでしょう。
私と勇者には歴然とした力の差があり、真っ向から挑んで敵うものではありません。私は策を講じなければいけませんでした。しかし、そのいずれも時間を必要とするものでした。

勇者は危険な旅をしています。この世に混沌と恐怖をもたらした、おそらくは世界最強の魔王の討伐の為の旅。その道程では、多くの魔物や魔族に襲われました。

勇者を殺す為に、勇者一行と旅をする中で、私の懸念は勇者が戦いの中で命を落とさないかという事でした。勇者を殺すのは私です。私以外の人間が勇者に害成す事は許されないのです。

だから私は飛び出しました。普段、一行に庇われ物陰に隠れている私は立ち上がり、一心に駆け、一瞬の隙が出来て膝をついた勇者の前に立ち、両手を広げて彼を護る。魔物の鋭い爪が胴を切り裂き、そして私は意識を失いました。

勇者の仲間の一人である魔法使いに治癒魔法を施された私は、致命傷を負いながらも生きていました。魔法の力を身を持って体験し、その偉大さに感嘆していると、私が寝かされていた宿の部屋に勇者が飛び込んできました。

あの、冷たく、無表情で、他人に一切の関心を払わない勇者が、息を弾ませ、余程急いできたのか、髪も乱れ、額に汗を滲ませ、まるで安堵でもしたかのように力の抜けた身体を、扉にもたれかけて支えていました。

「………アルコル…っ!」

それは、私の名前でした。勇者がそのとき初めて呼んだのは、あの方からいただいた、私の宝物でした。




『人間は弱いものだろう?』

だから私に『アルコル』という名前を付けたと、あの方は薄い笑みを浮かべました。いつだって泰然としていて、他人を不安にさせる笑みを浮かべるあの方に、私は感謝を込めて頭を下げたのでした。
その名を今、勇者が呼ぶ。

「アルコル。怪我はないか?」

先日、私が勇者を庇って怪我をして以来、私達の立場は少々逆転しました。勇者一行に庇われる私が怪我などするはずがないのに、勇者は例の無感情な瞳で私の無事を確かめるのです。

勇者には相変わらず愛想というものはありませんでしたが、もう私を拒絶する事もありませんでした。私がそばにある事を、無言で受け入れるようになっていったのです。

あるとき、地下道を通って逃げる事がありました。そこで私は、足が竦んで動けなくなってしまったのです。以前の地下での暮らしは、私に染みついていました。私はあの方と暮らしている頃から、あの方から引き離され、またいつあの場所に連れ戻されるのだろうか、と想像しては、それだけを恐れていました。幸福であったからこそ、過去の記憶が恐ろしかったのです。
あの方をなくして恐れるものなど何も無かったはずなのに、過去の記憶は今も私の魂にまで巣食っていました。

立ちすくむ私に仲間の方々が戸惑っていると、一人冷静だった勇者が私を抱え上げて走りだしました。慌てて、一行が勇者に続きます。私は驚いて、降ろして下さい、と声を上げました。
しかし、勇者は言うのです。

「降ろさない。君は仲間だ。アルコルが恐怖に竦む所でも、こうして僕がすぐに連れ出す。だから、君はもう、怯えなくて良いんだ」

勇者は宣言通り、私をしっかりと抱えて安全な所まで連れ出してくれました。それはまるであの方のように、勇者は二本の腕で私を抱き上げ、私を安らぎへと導いたのです。

あの方だけが唯一私に温もりをくれる存在でした。けれど、今はあの方ではない腕が、あの方のように私に触れたのです。それは、あの方がもういないからこそ起こり得る状況でした。

私はこのとき初めて、あの方の死を頭ではなく心底で理解しました。それはやはり、絶望でした。分かり切っていたからこそ、残酷な現実でした。

私は勇者に抱えられたまま、逃げる最中に泣きました。嗚咽を堪え、あの方が亡くなられて以来初めての涙を流します。
だから私は、勇者を殺さなければならないのです。




『どうしたんだい、アルコル。愚鈍で憶病なアルコル』

あの方は時折、まるで父親のように大らかな口調で私に呼びかけました。あの方のお気に入りの人間ごっこです。選ぶという事を知らないその言葉は、大抵容赦の無いものでしたが、私はあの方のその声にほっと安心するのです。

『また暗闇に怯えていたのかい?可哀想にね、アルコル。こんなものに怯える君の弱さは、いっそ憐れなものだよ』

そして、あの方はやはり父親のように私を抱え上げて微笑むのです。あの方の腕の中はどこよりも幸福な、世界で一番安全な場所でした。


あの方の死を理解してからしばらく、表面上は取り繕っていても私はどこか呆然として日々を過ごしていました。私の全ての活力源だったあの方は、もうどこにもいないのです。

身体の中が纏めて空っぽになってしまったような喪失感を抱えながらも、私は事務的に勇者一行と接し続けていましたが、さすがに私の様子がおかしい事は悟られたらしく、仲間の方々には気遣いから距離を置いてもらえるようになりました。あの方のお屋敷でのおぞましい暮らしの記憶が蘇っているのだろう、といたく同情していただいたようです。

まったくの見当違いでしたが、笑顔を装う事にも疲れていた私は、それにあやかって一人で過ごす事が多くなりました。そんな中でも、何の気遣いもなく、普段と変わらず接して来たのは勇者だけでした。

いつものように怪我を申告されれば、私は中途半端な崩れかかった笑みで勇者の手当てをします。大きな怪我は魔法士の方の領分ですが、消毒や薬草だけで十分な怪我や痛み止めは、私が担当しているのです。

「僕は、君を羨ましく思う」

いつも通り無感動な面を貼りつけ、勇者は呟きました。その視線は私が手当てしている傷口へと注がれています。

「僕は勇者などとは名ばかりで、やっている事と言えば、この手に剣を握り、傷付ける。僕が出来るのは殺す事だけだ。だから君が羨ましい」

私は手当の手を止めて、勇者の顔を見返しました。

「………何故、それで私が羨ましいのですか?」

勇者は手当てを終えた自身の腕を、ガーゼの上から労わるように撫でます。実感を込めるようにゆっくりと撫で、勇者は私の問いに答えました。

「アルコルの手は、人を癒す手だ。優しさを持つ君の手に、僕は憧れた」

私は勇者の言葉に、息を呑みました。
それは何とも、見当違いも甚だしい言葉でした。くだらない戯言でした。勇者が優しく人を癒すと言ったこの手は、今や勇者を殺す為だけのものです。かつてあの方の為だけにあったこの手に、やるべき事は最早それしかない。

ああ、なんて。なんて愚かな勘違い。そして、私には好都合な、勘違い。

「………私はそのような人間ではありません」

だから、黙っておけば良いのに。微笑んでお礼を言って、あわよくば自身を卑下する勇者を励ますような事を言えば良いのに。いくら意気消沈しているからと言って。

俯く私をじっと見つめて、勇者は首を横に振りました。何と、その顔に見間違いかと思うような淡い微笑みが浮かんでいたのです。まるで、私に自身の言葉を信じさせようとするような。まるで、あの方のように夢と現の狭間のような。
それは、私が見る初めての勇者の笑顔でした。




ほどなくして、私は普段の調子を取り戻しました。私は、勇者を殺さなければならないのです。落ち込む暇もありません。

勇者は少しずつ変わっていきました。極々たまにですが、今まで皆無だった笑みを覗かせるようになりました。これには仲間の方々も大層驚かれたようです。

他者への興味も、共感も、親愛もみせるようになりました。それらは全て、勇者が元々持っていたものだったのでしょう。初めは驚きばかりがあった勇者の変化も、時が経つごとにそれこそが本来の姿であると感じられるようになりました。

「勇者に選ばれたばかりの頃、恐ろしくて堪らなかった。魔族と言えど、命は命だ。それを僕の手で奪わなければならない事、それによって恨まれる事、そして僕自身もいつ命を落としてもおかしくなかった。恐怖を感じない感情のない兵器であると、自分自身で思い込まなければ堪えられなかった。元々の僕は、そんな憶病な人間なんだ」

勇者なんてそんな立派なものじゃない、と勇者は憑き物がおちたように穏やかな表情で告げました。勇者の懸念は当たっていました。こうして、勇者は魔族から奪った命で恨まれ、密やかに命を狙う私がいるのですから。

「本当は、未だに戦いの前後では剣を持つ手が震えるんだ」

勇者は自身の手のひらを見て自嘲するように言いました。戦闘の恐怖を思い出したのか、その手は今も確かに震えています。

「だけど、今なら分かる。本当の優しさや強さ、勇気というものは、心がなくては得られるものではない。僕は君に出会ってそれを知った」

勇者は、苦しそうに淡く微笑みました。何かを堪えるような、眩しさに目を細めるような、感情の籠った微笑みでした。

「………アルコル。君の手に触れても良いだろうか?」

勇者の微笑みは、見ていて息苦しくなるようなものでした。勇者の視線に含まれた緊張と恐れが、視界から私にも移り、おそらく私の手も勇者と同じく震えていたでしょう。

私はゆっくりと腕を持ち上げ、勇者へと差しだします。あまりの息苦しさに、縋るような思いでした。
私は、他人に何かを求められるなどこれが初めてだったのです。地下での頃は言うに及ばず、あの方からはただ与えられるばかりで。だからこそ得体の知れない、湧き立つようなこの感覚に、潰れてしまいそうでした。

勇者は不思議なくらい丁寧に、私の手を握ります。壊れものに触れるかのように優しく、そっと両手で包み込みました。

「―――ああ。ありがとう。だから僕は、戦える」

手のひらから伝わる温もりは、知っているようで知らないもの。私に安らぎをくれたあの方と同じようでありながら、けして勇者はあの方ではないのです。

混乱する私には、勇者の全てが分かりません。その目も、声も、熱も。そんなものは向けられた事が無かった。あの方にすら。
まるで焦がれるような―――

私が勇者を、貴方を殺すのに。




勇者は特別強い人間ではありません。いえ、こと戦闘という分野においては圧倒的強者でしたが、その心は、良くも悪くも勇者といえどもただの人間だったのです。

いくらあらゆる感情を封じ込めたつもりでも、捨てきれない人の情を持っていたように。幸福には喜びを、不条理には怒りを感じ、不甲斐なさを嘆き、涙を流す。感情という面では勇者もただ一人の、無力な人間でしかなかったのです。

汚れを落とす為、姿を消した勇者を私は探しました。他の仲間の方々は、勇者を気遣って探されようとはしませんでした。ただ、私にだけは、あいつのそばにいて欲しい、と言います。
だからという訳ではありませんが、私は勇者を探しました。妙な焦燥感に駆られていたのです。

この日、勇者は人を殺しました。魔族に蹂躙の限りを尽くされ、最早人とは言えぬ存在へと成り果てた人間を、苦しみから解放する為にその命を奪いました。一瞬で致命傷を与えられたその人は苦しむ事もなく、ありがとう、と最期に人間らしさを取り戻して穏やかに逝きました。

それでも、勇者が命を奪った事には変わりありません。

森の奥に進んだ先にある湖に、勇者は服を着たまま腰まで浸かっていました。血や、砂埃を洗い落とそうとする事もなくこちらに背を向け、湖の中で佇んでいます。

私が一瞬息を呑んで足を止めれば、それだけで気配に気付いたのでしょう。勇者はゆっくりとこちらを振り返りました。勇者の目は、どろりと濁っており、心を無くした獣のように虚ろです。
最近、淡く微笑むようになった勇者が、石ころでも見るかのような目で私を見ていました。

どうして、勇者がそんな顔を。殺した側の勇者が、どうしてそんな、死にそうな顔をするのですか。

私は地面を蹴って一目散に勇者の元へ駆けました。迷わず湖の中に踏みこみ、重い衣服を引きずるようにして勇者に手を伸ばし、男性にしては華奢な身体を力任せに抱きしめます。そんな、まるで慰めるみたい、に。

「……ぅあ…あ………あぁっ」

途端に勇者の身体は激しく震え始め、それまで私が抱きしめていたのに、勇者の方が私を強く抱きすくめました。

「――――――――っ!!」

それは、獣の咆哮のようでした。声にならない、哀しい獣の嘆きでした。『勇者』などという肩書もない、彼というただ一人の人間の魂の叫びでした。

勇者は何度もごめん、と口にしました。同じくらい、縋るように私の名前も呼びました。私はその間中、勇者に抱きしめられたまま、その背を撫でています。勇者はこうして一つの命を奪う度、心を無くしてきたのでしょうか。あの方の、ときも?

どれくらいの時をそうしていたでしょう。ようやく落ち着いた勇者は、やはり今にも泣きそうな微笑みでありがとう、と呟きました。簡単に壊れてしまいそうな、脆く儚い笑顔でした。
そして、言うのです。

「アルコル、君がいてくれるから、僕は僕でいられる」

ああ、どうして。
どうして勇者がそんな言葉を私に向けるのですか。私はそれに、満たされるような想いで微笑むのですか。どうして、

私は勇者を、殺す、のに。




魔族との戦いは、日に日に緊張感を増していきました。勇者一行も生傷が絶えなくなり、それと同じだけ強くなっていく事が、私の目から見ても分かりました。
魔王との戦いが近いのです。この一行でも、誰かが死ぬかもしれません。賑やかな旅路の中でも、隠しきれない憂いが漂っていました。

勇者は、よく晴れた夜に星を見に行こう、と私を誘いました。空のよく見える開けた場所で並んで星を眺め、勇者は意を決したように口を開きます。

「……アルコル、お願いがあるんだ」

「何でしょうか、勇者様」

私は夜闇の中でも微笑みました。この旅路の中で、私はすっかりこの表情が基本となってしまったのです。勇者は俯き、躊躇うように何度か深呼吸してから、勇者らしい淡い微笑みを持ってその願いを口にしました。

「僕の名前を呼んでくれないだろうか。勇者ではなく。僕は、君に名前を呼んでもらいたい」

勇者は拒絶を恐れるように、慎重に言葉を口にしました。私は喉が引きつれるような気がしました。名前くらい呼べばいいのに、変に躊躇って怪しまれるのは得策ではないのに。それを口にしてしまえば最後の砦すら崩れてしまいそうで、私は呼吸の仕方さえ分からなくなってしまいました。

私は勇者を殺すのです。
私の希望であり、夢であり光であった唯一のあの方を奪った勇者を、けして許しません。そこに正義だとか悪だとかなんて理屈は必要ないのです。ただ私が、許さないだけ。
それなのに―――

「ダメだろうか、アルコル」

切なげに私の名前を呼ぶ声に、私の頬に触れる温もりに、ぎこちない微笑みに。どうしてこんなにも泣いてしまいたいような気持ちになってしまうのでしょう。涙なんて、あの方の死を理解したときにしか、流した事も無かったのに。こんな、ただ、見つめられただけで。

「………………………………サイラ、さま………」

そして、どうして私は、勇者の名を呼ぶのでしょう。自身で望んでいながら驚いた顔をして、心底嬉しそうな笑顔を見せる勇者に、どうしてこうも胸が締め付けられるのでしょう。
ああ、どうして――――

私はこんなにも勇者に惹かれている。私が殺すのに。私がサイラ、貴方を。




私の全てだったあの方の欠けた部分に、容赦なく勇者が入り込む。

あの方だけに与えられた温もりも安らぎも、今では勇者に与えられています。勇者はどうしてだか、私を見る度に柔らかくなった表情を更に緩め、幸せそうに微笑むのです。そのくせ、まるで恐れるように躊躇って、私に手を伸ばす。触れあった手のひらに、泣きそうな笑顔になりました。温かい、と勇者は小さく呟きます。

そして、いよいよ一行が魔王と対峙する時が来ました。戦えない私だけは、魔王のいる最後の扉の前で一行の帰りを待つ事になりました。城を護る魔族はすでに掃討しているので、私は安全に戦いの結末を待つ事が出来るのです。

私は、仲間の方々から再会の誓いの言葉を受け取りながら、青褪めていました。それを、仲間の方々は心配していると受けとったようです。けれど、私がそれよりも追い詰められていたのは、勇者が行ってしまうからです。命を落とすかもしれない戦いに、行ってしまう。

私が勇者を殺すのに。
私が勇者を殺すのに。
私が、私、は、
勇者を殺せるの?本当に?

震えだしそうな身体を必死になだめながら、服の中に隠したナイフを意識します。これが最後の機会である事は明白であるのに、私の身体は何を選ぶ事も恐れて、身動きが取れません。

一行からの挨拶を受け取り、最後に私の前に進み出た勇者に私は途端に怖気づきました。勇者があまりに、優しい微笑みを浮かべるからです。まるで表情で、その心を語るみたいでした。

「アルコル、魔王を倒して、無事に君の元に戻る事が出来たら」

泣きそうに、幸せそうな顔をして、これから命がけの戦いに赴くとは思えない安らいだ顔をして、勇者は言いました。

「僕と一緒に暮らしてくれないだろうか。僕はずっと、アルコルのそばにいたい」

私は何も答えず、勇者は答えを求めず、一行は扉の奥へと消えました。
私は、勇者を殺せませんでした。

「ぁ………あ、あぁ……」

私はふらふらと、覚束ない足取りで扉に歩み寄り、扉に爪を立てて指が傷付くのも構わずに、何度もガリガリと引っ掻きました。消えて行った何かを必死に取り戻そうとするように。

「……ぃ、ああぁ……な、い………許さ、ない…!」

気付けば私は泣いていました。狂ったように扉を引っ掻きながら、泣いて叫びました。

「っ勇者、私は貴方を、許さない…!」

私からあの方を奪った貴方を。私を絶望に突き落とした貴方を。あの方を許さなかった貴方を。
あの方を奪っておきながら、貴方まで私から取り上げると言うのなら、
勇者、貴方を許さない。

だから、お願いだから、私から貴方まで奪わないで。




勇者一行が最後の戦いに赴いてどれくらいの時が経ったでしょう。
待ち続けていた私の前で、扉はゆっくりと開きました。

「ただいま、アルコル」

ぼろぼろの様相で、けれど晴れやかな顔をした一行が、誰一人として欠ける事無くそこにいました。
私は堪らず駆けだして、勇者を目指します。一人扉の前で一行の帰還を待ちながら、私は決意していたのです。

私は片手に持ったナイフを煌めかせ、一行が唖然としている間に満身創痍の勇者に襲いかかりました。それなのに、どうしてでしょう。勇者はとても穏やかに微笑んで、両腕を広げて私を受け入れたのです。

「…っして!どうして!あの方を、あの方が、あの方は…っ勇者!貴方が、殺したのに…!」

勇者共々地面に倒れた私は、仰向けに倒れる勇者の首を掻き切ろうとして、その首の横の地面にナイフを突き立てただけに終わりました。役に立たない己の身体に震えが立ちます。

「どうしてどうしてどうして!!殺さなきゃいけないのに、どうして私は…ああ!主様に光を与えられた弱き者の分際で、私は主様への忠誠さえ果たせない…!」

役立たずで恩知らずな奴隷でごめんなさい、と私は届かぬ想いを吐き出しました。このままでは、あの方のおそばに参る事も出来ません。今まで勇者を殺す為に生きてきましたが、それが終わった暁にはあの方の後を追わなければと思っていたのに、こんな裏切り者では、あの方のおそばに置いていただく資格もありません。

「知っていたよ、アルコル」

自身に失望し、あの方を切望して泣き狂う私に、勇者は穏やかな顔で告げました。それは、先程まで信頼しきっていた人物にナイフを向けられたとは思えない、優しい顔でした。

「あの魔族に頼まれたんだ。自分が死んでも、僕を殺すという目的があれば君は生きる事が出来るから、恨まれてやって欲しいと」

「どうして、あの方がそのような…」

「彼は君に出会って変わったんだ。君との遊びが本気になってしまったと、君と接する事で、慈しむ気持ちを知ったと彼は言った。報いを受ける覚悟はあるけれど、君の事だけが心配だと」

私は否定したい気持ちと、信じたい気持ちで息苦しくなりました。もしも本当にあの方にそのように思われていたのなら、それは例えようの無い幸福で、同時にすでに失ったそれへの絶望がより深くなるだけだからです。

「何、を………じゃあ、勇者は私の目的も知っていたと言うんですか?それなのに、そばに、なんて」

勇者は仰向けに寝転んだまま、馬乗りになる私の頬に手を伸ばしました。武骨なグローブを嵌めたままの手のひらなのに、何故だか泣きたくなるくらい温かいのです。

「それでも君といたかったから。アルコルは心を殺そうとしていた僕を、救ってくれた。それがどんなに打算の含まれたものでも、嬉しかった。アルコル、ずっと言えなかったけど」

勇者はそっと私の頬から手を離し、その両手も大地に投げ出して、晴れやかな笑顔を見せた。

「君を愛しているんだ。勇者という免罪符はいらない。多くの命を奪った、サイラという一人の人間の罪を、君に裁かれたい」

そして、勇者は私にあの目を向けます。視線で語るような、焦がれるような目。その視線の意味に私は気付いていながら、ずっと考えないようにしていたのです。理解してしまえば、戻れなくなってしまうから。

私は、叫ぶようにして泣きました。ナイフを放り投げ、勇者の胸を叩きながら泣きました。

きっと私は、あの方の温もりが本物であると、無意識の内に気付いていたのでしょう。だから私はあの方をこうまでお慕いしたのです。だからこそ、なんて苦痛。胸が張り裂けそうでした。私を愛してくれたあの方に願われて、どうして私が死を選べると言うのでしょう。そして、あの方がいないこの世界で、私を愛しているなどと甘い毒を吐いた勇者が私の裁きを望むなど、ああやはり。勇者はなんて憎らしく残酷なのか。

「こんな所で死ぬ無責任を、私は許しません。魔族の残党がいます。勇者にはまだ役目があるでしょう。罪悪感があるというなら、一生それにもがき苦しみなさい」

泣きやんだ私は、勇者に生を押し付けました。今更あの方の言葉で私に生を押し付け、息苦しい愛を語った勇者に、拒否を許しませんでした。

「貴方を殺すのは私です。もしも貴方が私以外の誰かに殺されたなら、私は自ら命を絶ちます。貴方は死ぬ時すら、私という命を奪うのです」

「それなら僕は、君を死なせない為に生きる。約束しよう。僕を殺すのはアルコルだけだ」

こうして、私達はお互いを縛り付ける契約を結びました。
あの方を奪った勇者への憎しみという感情から復讐を誓った私が、今度は強い意思で新たな誓いを立てます。口にする事は無くとも、私もまた、勇者を愛しているのでしょう。


だから私が、勇者を殺すのです。







読んでいただいてありがとうございます。
長い割に読了感も悪い話で申し訳ありません。

他にも魔王が出てくる話も書いていますが、この魔王、ひいては魔族は完璧な悪役です。当初の『あの方』の行いを種族単位でやらかしています。


アルコル:『あの方』を勇者に殺され復讐を誓う。人としての尊厳を奪われつくした半生の為、現在の彼女の情緒は『あの方』の元で生まれたもの。非常に視野が狭い。しかし、本人はそれで良いと思っている。柔和な微笑みで他人と接するが、その本心が笑っている事はまずない。

サイラ:勇者。元々は優しさだけが取り柄の少年だったが、勇者に選ばれてからは責任感やその優しさが災いし、どんどん感情を殺すようになった。傷つけるくらいなら、傷つけられた方がマシ、というタイプ。何か色んな因縁とか考えてましたが、作中で出せなかった無念がある、とここで呟いて昇華。

あの方:残虐非道を繰り返していた魔族。人間の弱さと醜さを愛し、それを引っかき回して絶望させることに喜びを感じていた。常に薄笑いで、それが余計におぞましさをかんじさせる。『愛しているよ。僕の可愛い、アルコル』と言って遊んでいる内に自分の戯言に洗脳されてしまった。

勇者一行:勇者の幼馴染や、勇者の本来の人間性に気付いて同行している者ばかりなので、基本的にお人好しで勇者の排他的な態度にも嫌悪を抱いていない。むしろ心配。勇者とあの方のやり取りを一行は知らず、アルコルに心を開いて行く勇者を微笑ましく見守っていた。



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