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好奇心は吸血鬼をも殺す 作者:はちゃち

第四章 城塞都市ベギンハイト

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第二六話

 2/10 9:45


 玉虫色をした髪をした少女は目を覚ますとゆっくりと顔を上げる。
 混濁した意識、焦点の定まらない視界、反響する聴覚――それらを振り払うかのように頭を横に振る。


 リッチェ・リドレナの意識は覚醒する。


 脳裏には混乱と疑問符がよぎるが、同時に体が動かない事に気付いた。


 体は意志を受け付ける。だがその上で動けないよう椅子に固定されていた。


 腕は肘掛けに、足は椅子の脚に。

 大腿部と腹部もしっかりと固定され、微塵も動かす余地がない。
 とかれた髪はただひたすら重力に従い垂れ下がり、口には口枷がすげつけられ唾液がよだれとなってこぼれている。

 なぜか何も着衣しておらず、肌寒い空気がやんわりと皮膚をなぞる。

 首にも拘束具が付いているが頭は固定されておらず、かろうじて周囲を見渡すことができた。



 薄明るく狭い部屋にいる。


 部屋の隅に掲げられた蝋燭台から漏れる光が唯一の光源だ。

 壁には継ぎ目も模様もない簡素なものだ。
 蝋燭の灯火と同じ暖色をしているが、それが光に当てられての色だとすれば元は白い壁なのだろうと憶測できる。

 前方には小窓の付いた重厚な扉――おそらく金属製――があり、他に扉や窓は見当たらない。

 リッチェの目算では、一片が四ルク(三.一三メートル)程で構成される正方形の部屋だ。


 そこまで認識したところで、ある違和感に気がついた。

 ――空気中にオドが全く存在していない。

 オドは透明で無味無臭だ。
 しかし魔法や鬼道への精通がある程度の領域に達すると、漠然とした感覚でオドを感じ取ることができるようになる。

 その境界線は今なお未解明だが、少なくともリッチェは数年前にその領域まで達していた。
 さらなる高み――陛下や師匠であれば、そのオドに直接干渉する事もできる。


 だが問題は、オドが存在しないことそのものではない。


 何せ本来オドは有害物質だ。
 オドがない空間でも生命活動に影響はなく、むしろ体内で無害化しなくていいのだから健康的とすら言える。

 しかし魔法に必須であるマナは、オドを分解して生成される副産物だ。
 故にオドが存在しない空間というのは、必然的にマナを生成出来ない空間といえる。

 そして、リッチェの体内に残留しているマナは、ほぼない。



「いったい……なにがどうなって――」



 リッチェは何が起こったのか思い出そうとする。


 不浄の地から逃げていた。
 神託の地が見えて、脱出が目の前まできていた。
 だが怨人の襲来によって、都市の上空でちりぢりになって投げ出されてしまった。

 あのとき、すぐに至誠を助けようとした。

 だが即興の術式の不安定さと怨人の襲来が相まって、どこかの都市上空でちりぢりになって投げ出されてしまった。

 あのとき、すぐに至誠を助けようとした。

 だが怨人の放つ衝撃波に吹き飛ばされ引き離され、一度目は失敗に終わった。
 地面が差し迫る中、再び救援に向かおうと体勢を立て直した。

 その直後、地上から何者かが急接近してきたところまでは覚えている。


 ――失敗した? 助けられなかった? 今の状況は?


 リッチェの脳裏に気がかりが反響し始めたのと同時、足音が聞こえてくる。
 それも一人二人ではない。


「おっ、さすが閣下! ぴったりですよ」


 複数の足音をかき消すのは、若く活気のある男性の声だ。

 男は部屋の外にいるようで、その姿はどこにも視認出来ない。


「状況は?」


 問い返すのは、重低で渋い男性の声だ。


「およそ二分前に目を覚ましてます。まだ何も」


 目を覚ましているというのが自分の事を指しているのだと、リッチェの直感は語っていた。

 すぐに扉にすげつけられた小窓がスライドし開く。


「目が覚めたようだな」


 その男に心当たりはない。小窓からみえる目は鋭く細い。人ならば三十歳前後といった面持ちに見えるが、目元だけではその判断は難しい。


「何者だ?」


 男は間髪を入れず問いかけてくる。

 だが口に枷を咥えさせられていては何も言えない――そう思って居ると、男は指を鳴らす。同時に口枷の拘束だけが緩み、すぐに口から外れ足下に落ちていった。


「私は――」

「怨人か?」


 リッチェの声を遮り、男は質問を変更する。

 不快に感じるが、これは示威行為だとリッチェは察する。

 こちらからは一方的に攻撃が出来る状態である。そして会話においても圧倒的な優位性がある――そう言わないが為の演出だ。


 リッチェは相手のペースに飲まれては駄目だと自分に言い聞かせ、落ち着いた口調で端的に答える。


「違う」


 小窓からのぞく目がいっそう細く見据える。


「ならば証拠を示せ」


 自分が化け物でない証明をしろ――そう男は要求する。


「怨人であれば、このように会話はできない」

「言葉を発する怨人も居る」


 リッチェは不浄の地に足を踏み入れたのも、怨人を直接見たのもはじめてだ。
 だが知識として、怨人と意思疎通が取れた事例がない事を知っていた。

 そして実際に不浄の地では、確かに怨人は音を発するが、それは声と呼べる代物ではなかった。


「雄叫びや悲鳴が『言葉』に含まれるなら、確かにそう」

「怨人とは人智の及ばぬ存在だ。会話を会得したのやも知れない」

「そうであれば、その存在理由をぜひ聞いてみたい」


 小窓から見える男の視線が一瞬外れる。


「全くだな。では怨人ではないとして――」


 ひとまず自分が怨人でないという前提で話が進む様子にわずかに安堵を感じる。

 根拠や証拠に関わらず怨人だと判断された場合、それらしい理由を付けて殺されかねないからだ。

 ともあれ、怨人でないと信じてくれるならそれに越したことはない。


 だがリッチェには状況が分からない。

 しかし向こうもわざわざ問いかけてくるということは、向こうも分かっていないのだろう――そう考え、リッチェは無駄な対立を避けて情報収集に注力するべきだと考える。


「ならば貴様は何者だ?」

「私は――」

「種族からだ」


 男の言葉は再度リッチェを遮る。
 それは主導権はこちらにあるのだと見せつけるに留まらず、苛立たせて思考力の低下の誘発と情報の露呈を目的とした駆け引きなのだと理解する。

「魔女」


 故に淡泊に単純に答えだけを返す。
 苛立つ様な言動を見せれば、それは相手の思う壺だろうと考えてのことだ。


「ほぅ、魔女。マシリティ帝国の魔女か?」

「違――」

「マシリティ帝国の傘下に獣人の国家があるな。レギリシス族長国、だったか? 君のお友達はそこの者か?」


 ヴァルルーツ王子のことを言っているのだろう。だが、北部の国家であれば人狼がレギリシス族長国連邦の脅威をものともせず独立国家を維持している事を知っているはずだ。ならば男は、男のいるこの場所は北方ではない。

 その憶測を頭の片隅に置きつつ、端的に返答する。


「違う」


 眉一つ動かさず答える態度に、不快感からか、あるいはより詳細に観察するためか男は目を細めリッチェを凝視する。


「《《残り一人》》の種族は?」


 残り一人――それがリッチェの耳に強く残る。


 名前の挙がっていないのはテサロ師匠とミグと至誠の三人いる。

 ――師匠はヴァルルーツ王子に抱えられていた。だから気付かなかった?

 おそらく至誠のことを言っているのだろう。
 ミグは彼の体内にいたはずなので、一瞥しただけでは気付かれないだろう。


 問題は至誠についての情報を開示についてだ。


 自分が勝手に判断できることじゃない――今回のアーティファクト(加々良至誠)の調査に本来ならば自分の同行は予定されていなかった。

 何せ身分で言えばまだ学生だ。
 成績において主席とはいえ、未知の脅威をもつ可能性があるアーティファクトの調査に同行するなど場違いにも程がある。

 それでもリッチェが今回の調査に同行できたのは、志願による強い意思表明と、テサロ・リドレナの娘であるとという血筋、そしてミグが推薦してくれたからだ。


 もしここで自分から下手なことを喋り、それが皇国や陛下にとって悪い結果をもたらすことになれば、すなわち師であり親であるテサロと推薦してくれたミグの顔に泥を塗ることになる。


 故にリッチェは「残り一人」が至誠でないことに賭ける。


「魔女」

「ほぅ、君と同じ、魔女かね」

「そう――」

「魔女が二人もいるなど、物騒な話だ。やはりマシリティ帝国の手の者と考えるべきだな」

「違う」

「ではなぜ魔女と嘘をついた?」


 どっちだろう――魔女だと信じられない言葉か、はたまた至誠がいる事を知っていてかけられた言葉かの判別が難しい。


「魔女だけどマシリティ帝国の関係者ではない」


 だが下手に主張をブレるとそこを追求されかねない。
 ならばここは、至誠は存在していないという言動の方で統一した方がいいだろうと判断する。


「魔女はマシリティ帝国以外に存在しない。かつてあの国は自分たち以外全ての魔女を粛清してまわった歴史を知らないのかね?」


 魔女によって建国されたマシリティ帝国には世界の大多数の魔女が属している。

 それまで他国にいた魔女は引き抜き、同調しないものは粛清した。
 そうリッチェも聞いている。
 そのため世界にマシリティ帝国に属していない魔女は数える程しかいない。

 男の主張も理解できる。


 そしてこのままでは、マシリティ帝国の間者として話が進むおそれがある。
 それはそれで、怨人と間違われるのとは違った面倒ごとになるだろう。

 男の立ち位置が不明瞭だが、マシリティ帝国と対立している国は多い。


 故にリッチェは情報のカードを一つ切る。


「私たちは、レスティア皇国から来た」

「なるほど。確かにあそこなら(かくま)えるな。では目的はなんだ?」

「皇国に戻る途中」

「戻る――来たのではないのかね?」


 先ほどは来たと言い、今は戻ると言った。
 男からしてみれば怪しく感じるだろう。


「戻る途中で事故が起きた。ここがどこか知らないが、用はない」

「ではなぜこんな辺境の地を通ったのか説明して貰おうか」


 問いかけられている事に対し、より詳細に答えるために質問で返す。


「まず、ここはどこ?」


 数間を置き、男は答える。


「ベギンハイトだ」


 だがリッチェの記憶に心当たりはなかった。


「国名?」

「ロゼス王国と言えば分かるだろう?」


 ロゼス王国のベギンハイトという街、あるいは土地なのだろうと理解するが、いずれも心当たりがなかった。


「……どこにある国?」

「ものを知らない女だ」


 男はあきらかに不快そうに言葉を漏らす。
 だが、ため息一つこぼすとその雰囲気は消え、改めて問いかけてくる。


「何故ここに?」

「レスティア皇国に戻る――」


「何故、ここに?」


 リッチェの答えが男の望む答えでなかったのだろう。
 より強くなった口調で遮り繰り返される。


「……不測の事態に巻き込まれた」

「不測の事態、とは?」


 どこまで情報を渡すべきか悩ましいが、それでもここでいっさいの回答を拒絶すると、こちらも情報が入ってこない。


「アーティファクトの影響、だと思う」

「なるほど――だが、ここではレリックと呼びたまえ」

「……分かった」


 アーティファクトとは、レスティア皇国がそう呼んでいるだけに過ぎない。
 その研究と対策においてレスティア皇国がもっとも精通しているからこそ国際的に浸透してはいるが、統一されているわけではない。

 ゆえに、アーティファクトと呼ばない国もある。
 たとえば「レリック」という名称だ。
 これが主にラザネラ帝国が用いる名称のことだと、リッチェは知っていた。


 すなわちここがラザネラ帝国の影響下にある国だと推測できる。
 そしてラザネラ教圏は、特に南方で強い勢力を持っている。

 そして自分たちが不浄の地を北上していた事を思い出す。

 すなわち、不浄の地に面した南方のどこかの国だ。その事を理解していると、
 ――それで?
 と男は続きを催促する。


「この近くの不浄の地に転移してしまった。だからここまで逃げてきた」

「……なるほど」

「あなた方に対して敵対行動を取るつもりはない」

「ほぅ」


 男の目元に愉悦が浮かんだ気がした。


「迷惑をかけないよう早急に出て行く」

「君一人だけ帰ろうというのかね?」

「全員で返して欲しい」

「全員、とは?」


 リッチェはあえて人数を避けた返答をするが、男は追及してきた。


「私とししょ――もう一人の魔女と、人狼の三人」


 師匠と言いかけた。
 それはわざとだ。男の注意が自分と老婆の関係性に気を逸らすために。


「四人ではないのかね?」


 だが男はねっとりとした目笑を浮かべながら告げる。

 しまった……やっぱり把握されていた――そんな心の声がリッチェの表情にわずかに浮かんでいるのを男は見逃さなかった。


「いいだろう。《《三人》》が帰国できるように手を回してやろう」


 男の目元は嬉々としている。
 ここまでのやりとりは全て手のひらの上だと言わんばかりの雰囲気だ。


「人狼と老いた魔女と、お前の三人でいいのだろう?」


 意図して隠そうとしていたということは、何かしらの重要な人物であると男が考えるのも無理はない。

 隠そうとしたことが裏目に出たとリッチェは後悔するが、今できる最大の主張を口にする。


「全員で、返して欲しい」

「三人と言っていたではないか」


 声に笑いが漏れるほど愉快そうに指摘する。


 男の視線は鋭くリッチェを見据えている。

 だがここにきて、それが警戒心ではないように感じた。


 どう返答すべきか窮していると、男の方から「だが――」と落ち着き払った口調で提案してくる。


「こういうのはどうだ。帰れるのは人狼と老いた魔女、そして隠しておきたい人物の三人だ」


 男の視線は舌なめずりするようだ。


「お前のような上玉はなかなか手に入らないからな」


 リッチェの表情に目に見えて動揺が浮かんだ。
 男は至誠の叡智ではなく、リッチェの体が目的だと理解したためだ。

 最初からそれが目的なのかもしれない。

 ――いや、すでに何かされた可能性が……。


「安心しろ。《《まだ》》何もしていない」


 まだ――と強調し男は続ける。


「あいにくと肉塊を抱く趣味はない。女と肉塊の違いは何か分かるかね? いい声で鳴くかどうかだ。君はきっといい音色で鳴いてくれる」


 リッチェは相手の目をにらみ貫く。
 だが男にとってそれは威圧とはならず、むしろ歪曲した欲望と嗜虐心を後押しする結果となった。


「もう、閣下ははいつも一人で楽しみ過ぎですよ。たまには壊す前にこっちにも回してくださいよ~」


 若い男の声が割って入ってくる。男の視線がリッチェからそれ、声の主の方へ向いた。


「こいつはダメだ。手を出したら殺すぞ」

「うっへー、閣下まじこわ」

「代わりに今回の討伐賞与でお前達に好きな奴隷を買ってやろう。それで存分に楽しむといい」


 男の声に、若い男以外にも複数の男の声が聞こえてくる。


「さすが閣下は話が分かる!」

「三英傑の中でも一番懐が広いのが閣下ッス!」

「よっしゃ、一番いい女抑えときますわ!」


 扉の向こうで和気藹々(わきあいあい)とした口調がリッチェの耳にまで入ってくる。だがそれが狂気じみていると感じざるを得なかった。

 さて話を戻そうか――と、男は再度リッチェに語りかける。


「選ぶがいい。仲間のためにお前一人の犠牲で済ませるのか。何なら全員処刑してお前を飼ってもいい。だが俺は紳士だ。自ら這い寄り足を舐める愛玩動物は相応に可愛がってやろう」


 男の目は本気だ。欲情した獣の目だ。少なくともリッチェにはそう見えた。

 ――どうする?

 リッチェは考える。


 自分が犠牲になり皆が助かる――やぶさかではない。
 そう思えるのはテサロに似たからだろう。

 しかしそんなリッチェの脳裏に過ぎるのは、不浄の地で至誠とヴァルルーツがテサロの自己犠牲を阻止した記憶だ。


 そもそも(ひざまず)いて乞うたところで、この男がまともに約束を履行するとは思えない。自分への脅し道具として確保しつつ、必要になくなれば殺してしまうだろう。


 だがここで明確に拒否した場合、他の人に矛先が向く可能性が高い。



「――バラギア准将閣下! こちらにおいででしたか!」


 返答に窮していると、扉の向こうから慌ただしい足音共に声が響く。


「報告致します! 今し方、教会から――」

「待て」


 バラギアと呼ばれた男は報告を遮ると、リッチェに宣告する。


「戻ってくるまでに返答を用意しておけ」


 バラギアは愉悦に浸る様な笑みを浮かべながら小窓を閉めた。


「報告は向こうで聞く」

「ハッ! 失礼いたしました!」

「シグナスガとミルクイナは残れ。他はついてこい」


 了解――と声が聞こえてきたかと思うと、複数人の足音が遠ざかっていく。
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