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好奇心は吸血鬼をも殺す 作者:はちゃち

第一章 未知の世界

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第一話

 加々良(かがら)至誠(しせい)は九州の片田舎で生まれ育った。
 海辺の漁業が盛んな地域で、姉と妹に挟まれた長男だった。

 寡黙な父は漁師で曲がったことが嫌いな九州男児で、母は才色兼備だったが鬼のように気の強い人だった。
 祖父は偏屈だったが人望と人脈に秀で、祖母はお淑やかで優しかったが物事を丸め込むのが実に上手い人だった。


『そろそろ起きろ。ったく、いつまで寝てんだよ』


 唐突に頭に響くのは、ぶっきらぼうな姉の声だった。


 ――あれ?


 至誠は真っ白な思考の自分に疑問符が浮かんだ。


 ――僕は……?


 地に足をつけていない事を自覚すると、そこに重力すら存在しないことも認識する。


『――』


 何か声が聞こえた気がした。
 同時に至誠は一つの結論に達する。


 ――嗚呼……これ、夢だ。


 夢であると認識した直後、意識は急速に覚醒へと向かう。


「――」


 その途中で聞き慣れない声が至誠の意識の中へ飛び込んできた。

 ――まだ、夢の中に居るのだろうか?

 そんな漠然とした意識が考えていると、再び声が聞こえてくる。


「――」


 その声は夢ではなく、現実から夢現へと流れ込んできていると至誠は感じた。

 しかし何を言っているか分からない。
 声が小さいのではない。
 頭が言葉を言葉として認識できていない。

 まるで、初めて聞く言語のようだ。


 意識が考えることに集中していると、再び夢の中に引きずり込まれそうになる。


 ――まずは起きよう。


 起きてしまえば思い出すだろう。そう至誠は自分に言い聞かせながら。


 そしてすぐに暗闇を知覚した。

 まぶたが重い。


 しかし起きようとする意思が、確実に覚醒へと導く。



 ピントがぼやけてかすれた半開きの視界が、電球色のような光源をまばらにとらえる。

 何かしらの音が聴覚を刺激する。雑音と呼ぶべき物音だったが、寝ぼけていたこともあり妙に耳についた。


 すぐに体が重力を感じ始める。

 体はベッドの上に仰向けになっているような感覚を覚えるが、いつも寝ていた布団よりも硬かった。

 同時に、枕と掛け布団をしていない事にも気付く。


 体が硬い。


 長時間椅子で寝てしまった時のような体の硬直を感じ、完全に覚醒していない意識で現状について疑問符を覚える。


「――」


 再び先ほどと同じ声質が聞こえてくる。

 ――やっぱり、夢じゃない。

 だがやはり、何を言っているのか分からなかった。
 はっきりと聞こえたが、明らかに日本語ではないことだけが理解できる。


「――」


 別人らしき声が聞こえてくる。
 言葉の内容は分からないものの、先ほどの声は女の子声のようで、今聞こえたのは老人の声のようだった。


 ――英語?


 しかし至誠には、中学や高校の授業で覚えた英会話のそれとはまるで違う気がした。


「――」


 再び聞こえた声は、さらに別人の女性の声質だ。


 無数の疑問符が過ぎっていると、徐々に焦点が合い始める。

 始めに視界の焦点が定まり認識出来たのは、無骨な天井だ。


 ――何処だろう?


 それはまるで岩肌のようだった。
 自然に生成されたにしては綺麗だが、住居としての天井にしてはあまりにも無骨だ。
 天井にある照明も、蛍光灯やLEDとはまるで違う。
 光る岩が天井の岩肌に直接埋め込まれている。そんな状態だ。

 少なくとも、自分の家ではないことは理解できた。


 ――それともまだ夢の中なんだろうか。


 そう朧気とした意識下で思っていると、誰かが声をあげる。


「――!」


 驚いた様な、驚愕したような、あるいは安堵したような語調に感じたが、言葉が分からないので確信はなかった。

 声質から女性であることと、かなりの年を召していることが想像できた。

 声のした方向は至誠の左手。
 だが右側から足音が聞こえてくる。

 その足音は確実に至誠の方へ向かってきていた。


「」


 思わず至誠は声を発する。


 発しようとした。


 だが声帯は震えることなく、弱々しく息を口から漏れるにとどまった。


「――」


 視界の頭の方から見知らぬ顔が飛び込んでくる。

 至誠は唐突に視界に入ってきた事に驚きを隠しきれなかったが、肉体的な反応は付随せず、瞳孔だけが唯一物語っていた。


「――」


 焦点の先に映るのは、声から想像できたよりもはるかに幼い顔だった。


 一見した印象では小学校の高学年ほど。

 だがその色白な肌と顔立ちは西洋風、むしろ北欧風だと至誠は感じた。
 少なくとも見慣れた弥生人や縄文人的な顔立ちではない。

 その白人のような顔立ちを覆い隠すかのように、赤々とした髪の毛が重力に従いさらさらとなびいていた。

 外国には赤毛の人がいることを至誠は知っていた。
 だがこれほどまでに鮮やかで煌びやかな赤色は見たことはない。
 至誠の感覚で赤毛といえば、通常は橙色に近い色を思い浮かべる。

 しかしその少女の髪色は、まるで赤漆(あかうるし)だ。

 瞳もまた吸い込まれるような赤色で、まるでルビーやガーネットに代表される宝石のようだ。至誠を見下ろす二つの眼球には縦に長い瞳孔が走っており、細く縮まり焦点を合わせる瞬間を目にする。

 服装は大きな襟の付いた黒いコートらしき服を羽織っているが、至誠の視界からは全体像が見えない。


 至誠の意識は瞬間的に少女の容姿を認識するが、一つだけまるで理解できないモノが存在していた。


 少女の頭上に、謎の物体が浮かんでいる。
 頭部のアクセサリーではない。正真正銘、宙に浮いている状態だ。

 それは三本の棘が生えた金色をした金属製の円環であり、緩やかに回転している。


「――」


 少女は何かを問いかけてくる。
 口角を上げ、笑みを零しながら。

 その際隙間に歯が見え隠れするが、その中でも八重歯が異様に目立ち、幼さを際立たせる。

 その外観だけ見れば幼く見えるが、子供とは思えない(あで)やかな表情を浮かべている。


「――」


 しかし何を言っているのか分からない。

 やはり日本語ではない。

 その顔立ちが北欧風ならば、北欧あるいはロシア辺りの言語だろうかと考えた。
 しかし至誠は授業で習った英語が少し分かる程度で、他の外国語はまるで分からない。


「――」


 少女は再び何か言葉を口にする。

 何か答えなければ――そう思い、口や体を動かそうと試みてみる。
 しかし金縛りにあっているかのごとく、まるで意思を受け付けない。


「――」


 それでも少女は言葉を投げかけるが、至誠は何度も無意識に虚ろな瞬きを繰り返すだけに留まった。

 しばし至誠の反応を見ていた少女だったが、その後は視線をそらし、別の誰かに言葉を向け始める。


「――」

「――」


 少女の言葉に返すのは、先ほども聞いた女性の声だ。
 少女とも老女とも違う。幼くはないが、幼さを残す――そんな声だ。


「――」

「――」

「――」


 そこに老婆の声も混じり会話が進む。

 至誠には理解出来なかったが、その間になんとか声を出そうと再度試みる。


「」


 何度も試みる。より強く、体を動かそうと意志を神経へ巡らせながら。


 しばらくしていると努力が功を奏し始める。

 声帯がわずかに震えた。
 しかし、それはまだ声と呼べるものではない。声量はまるでなく、母音の発音すらできていない状態だ。

 だがその声帯の震えは、少女の視線を引き戻すに事に繋がった。
 そして少女に、自分が声を出そうとしているのだと伝えることができた。


 少女は悠然とした所作で、至誠の頬に手を添えて笑みを零す。

「――」

 少しの間、何かを語りかける。

 言葉が終わると、その小さな手が頬から離れた。


 少女の姿も視界から外れると、素足の独特な足音が右手より聞こえてくる。
 足音はすぐに至誠の足下へ向かい、ベッドがかすかに揺れる。 

 それが少女がベッドの上に立ち上がったことによって発生したのだと理解できる。同時に少女の姿が視界の端に辛うじて収まった。

 黒を基調とし金のラインが入ったコートを羽織っている。
 体格に合わない大きさのそれは、袖を通しておらず、まるで子供が大人の服を羽織っている様な出で立ちだ。


「――」

「――」


 少女の視線は至誠を見据えている。

 しかしその言葉は、別の誰かに投げかけたれたものらしく、返事が聞こえてきたかと思うと、何度かやりとりが入る。


 至誠ではない別の誰かに言葉を投げかけ、何度か言葉が行き来する。


 会話の直後、至誠の視界の端に、何かが飛んできたのを目にする。

 それは投げられた書籍のようだ。

 その大きさは定かでは無かったが、至誠にはA4程度の冊子に思えた。上製本のような分厚いカバーが見て取れ、背表紙は二から三センチメートルほどだ。


 至誠は驚いた。

 その本が投げられた事ではない。そのカバーを目にしたからでもない。
 少女が本を手にしていないと言うことにだ。

 手にしていないにも関わらず、投げられた本はその動きを止め、あまつさえ少女の目の前で浮遊し開かれる。

 何枚もページがめくられていく。その動作にも少女は一切手を触れていない。


 三分の一ほどめくられると、少女は視線を本へ移しながら左手で本をなぞる。

 少しして少女の右手が至誠の方へ向けられると、その腕の周囲が淡く光を放ち始める。


 だがそれも一瞬の事で、次の瞬間には少女の周辺に謎の光源が発生する。

 その光は至誠が思わず目をしかめる程で、次第にその光量が増していく。
 耐えきれず目を瞑る至誠だったが、その直前に光の一つ一つが複雑な紋様をしていたことが理解できた。

 しかし、だからといって何かできるわけでもなく、体が動くわけでもなかった。



 その状態がしばらく続いていたが、光がかき消えると、不意に声が聞こえてくる。


「どうだ少年、これで言葉が通じるだろうか」


 聞こえてきたのは先ほどの少女の声と同じ声質だ。

 しかし決定的に違うのは、それが日本語であることだ。
 不意に聞こえてきた日本語に、至誠は驚きながら目を開けた。

 目の前にいるのは、変わらず北欧を思わせる白人の少女だ。
 だが彼女が発したであろう言葉は、片言ではなく、まるで生まれながらに日本語圏で生まれ育ったかのような、自然な日本語だった。


 ――いったいなにがどうなっているんだろう。


 そんな疑問は尽きないが、ともかく少女の問いに今は答えようとする。

 だが相変わらず言葉は発せられない。

 どうにかして意志を相手に伝えられないだろうかと考えていると、わずかに首を動かせることに気付いた。


「首を縦に振ると言う行為は『言葉が通じているか』との問いに対する『肯定』で問題ないだろうか? もしそうであればもう一度首を縦に振ってくれ」


 再び同じように首を縦に動かすと、少女は満足そうに表情を綻ばせる。


「よし通じたな。喋れるかね?」


 首を横に振ると、少女は左手で浮遊していた書籍を戻すように放り投げ、ベッドの上を歩きながら近づいてくる。


「首を横に振る行為は『否定』で問題ないだろうか?」


 その問いに再度首を縦に振り、肯定の意を返した。
 どうやら簡単な意思疎通は問題無い様子で、少女は質問を続ける。


「それは、言葉を発する事が一時的に不可能な状態か、あるいは言語を口にする知識や機能がそもそも無いのだろうか? 前者なら肯定、後者なら否定で表してくれ」


 至誠が頷き肯定すると、少女は嬉しそうにはにかみ零した。

 だがそれもつかの間のことで、すぐに視線を逸らすと別の誰かに言葉を向ける。


「テサロ、声が出るように優先治療を。ミグはその間、容体が急変しないよう内面から補佐だ」

「畏まりました」

『ういっす』


 それが自分の体の事を指しているのだと至誠は理解できた。

 だが至誠は理解できないでいた。


 ――なぜ自分はこんな見ず知らずの人たちに囲まれて目を覚まし、さらに体は言うことを聞かないのか?


 至誠は記憶をたどってみるが、こうなるに至る経緯が全く思い出せなかった。


 ――何かの事故に巻き込まれた? あるいは事件?


 眠りに就く直前をはじめ、新しい記憶ほどぼやけている。何かあったのは間違い無さそうだと思考を巡らせてみるが、すぐに答えは得られそうにない。


 ふと、首を横に振った際に、思ったより動かせたのを思い出す。


 今少女が視線を向け言葉を投げかけた方へ首を傾け、視線を向けてみる。

 真横に居たのは声質から受けた印象通りの歳を召した女性がいた。
 ぱっと見の年齢は八十歳ほど。柔和な表情を浮かべながら凜とした背筋で立っている。

 羽織るローブは複雑な形状をしており、至誠の知る洋服とも和服とも違う。

 だが何より目に付くのは、その身の丈以上もする「棒状の何か」を手にしていることだ。その先端には複雑な装飾がされ、まるでゲームに出てくる「魔法の杖」の様相だ。

 その周囲には、先ほど見た紋様と似た図柄がいくつも宙に浮遊している。
 だがその輝きは柔らかく、先ほどの目をしかめるほど強烈な光とは比較にならない。

 その杖が魔法の杖ならば、その図柄は魔法陣とでも形容すべきだろうか――至誠の脳裏にそんな冗談が過ぎる。



 それと同時に、さて少年――と、少女の声が再び至誠に投げかけられたため、視線を元に戻した。


「私の名はリネーシャ。リネーシャ・シベリシスだ。この名に聞き覚えは?」


 至誠が首を横に振ると、リネーシャはいっそう表情を綻ばせ言葉を続ける。
 歓喜、高揚、愉悦。
 それらが入り交じったかの表情だ。

 だがそこに子供っぽさは感じられない。
 子供のような無邪気な笑みではなく、大人が醸すような妖艶な笑み。
 そんな印象を受けたからだ。


「よろしい。君には疑問や戸惑い、不安と様々あるだろうが、それらはお預けだ。今は体を治す事を最優先するとしよう。どこか痛みのある箇所は?」

 大人っぽさを感じたもう一つの理由は、少女の言動が少女らしくないのもある。
 だがもちろんそれは、至誠の主観的な感覚によるものだ。

 ともあれ質問に答えるべく、至誠は首を横に振った。


「違和感のある箇所はあるだろうか?」


 違和感と言えば、体が動かない事そのものが違和感だ。
 かといって、あからさまに違和感を覚える箇所があるかと言われれば、具体的に挙げられそうな箇所はない。


「判断しかねる――といった感じかね?」


 どう返答すべきか迷っていると、リネーシャがくみ取ってくれる。

 判断しかねると頷くと、そうか――とリネーシャは呟き、再び別の誰かに声を投げかける。
 だが、視線は至誠を向いたままだ。


「ミグ、問題があれば報告せよ」


 誰に向けて話しかけているのだろうか――そんな疑問と同時に、リネーシャの口にした単語に引っかかる。
 ミグというのは、ロシア語であった気がする――確信はなかったが、漠然とそんな知識が引き出された。


『問題ないですねー。続けてもらっていっすよ』


 その直後に聞こえてきたのは、二十歳前後の女性といった印象の若い声だ。

 だがその声は耳に届くと言うよりは、直接頭に響く印象を受ける。耳を塞ぎながら自分の声を聞いたときのような反響を伴っていたためだ。


「何かあったらすぐに報告しろ」

『ういっす』


 リネーシャは視線を至誠の足先の方へ向けると、さらに別の誰かに声をかける。


「リッチェ、経過はどうだ?」

「まだ血圧と心拍が弱いです。ですが許容範囲。意識レベルは順調に回復中」


 淡泊な印象の若い女性の声が帰ってくる。
 足下の方に居るようだが、至誠からはよく見えない。


「テサロ、声が出せるまでの所要時間は?」

「後一分ほどで終われそうでございます」

「続けよ。スワヴェル、食事の用意だ」

「承知しました、陛下」

 二十代か三十代の若い男性らしき声が遠くの方から聞こえてきたが、すぐに足音と扉の開閉音が聞こえて居なくなった。


 同時にリネーシャはベッドから飛び降りると、素足による足音を至誠耳に届けつつ、視界の外へと消えていった。
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