水音
駅からアパートまでの直線経路には公園がある。
夜は街灯が少なく薄暗く、園内には池があって夏場には蚊が多い。あまり気分のいい道ではなかったが、迂回するよりは余程に早い。だから俺は平素から、その公園を抜けて帰宅していた。
当初はやはり物騒ではとの躊躇もあったが、通い慣れるうちにそれも消えた。
だから飲み会で終電ぎりぎりになった今夜も、俺はいつものように公園を突っ切ろうとしていた。
──とぷん。
池にさしかかったところで、水音が聞こえた。
足を止めて見やると、暗い水面から何かが突き出ていた。
数秒の間があった。
また、とぷん、と音を立てて、それは水中に没した。
いやいやとかぶりを振って、俺は自分の視覚を否定する。
それはまるで人の頭のようだった。だが見間違いに違いない。いくら最近暑いとはいえ、こんな池で泳ぐ酔狂な奴がいるはずもない。
しかし。
──とぷん。
再び浮き上がってきたのは、紛いようもなく人の頭だった。
濡れた長い髪がべったりと顔を覆って貼りついている。その濡れ髪の隙間から、ふたつの黄色い光が透けて浮かんだ。
息が詰まった。総毛が立った。
こちらに気づかれたという感触があった。
──とぷん。
潜り、また浮き上がったその位置は明らかに俺へと近付いてきていた。
そして、目が合った。
先の光は双眸だった。
灯りの殆ど届かない暗い水面で、けれどくっきりと見えた。爛れたように黄色く光る虹彩。感情のない爬虫類のような、黒く縦に長い瞳孔。
俺を射竦めるその瞳が、品定めするようにゆっくりとまばたいた。
──とぷん。
頭が水中に沈み、呪縛が解けたその瞬間、俺は駆け出していた。
次に浮かんでくる前に、この場を逃げ去らなければならないと思った。必死の思いでアパートまで走り続けた。
息急き切って鍵を開けるや部屋に飛び込み、普段はしないチェーンをかける。テレビをつけて音量を上げ、汗だくのまま布団に包まり身を守った気分になった。
それから、数十分も経ったろうか。ようやく恐怖は弱まってきた。流石にここまで追いかけても来ないようだ。
安堵したら急に喉の渇きを覚えた。
布団を抜け出すと近所迷惑なテレビのボリュームを落とし、冷蔵庫へ行って買い置きのビールを取り出す。汗で体がべたべただったから、風呂に湯を張るのも忘れない。
のんびりアルコールを再摂取してから湯船の様子を見に行くと、もういい具合に溜まっていた。蛇口を止めて、さっさと入浴しようとシャツを脱ぎかけた、その時。
──とぷん。
水音がした。
振り返ると、浴槽から頭が突き出していた。
爛れて黄色いあの瞳が、じっと俺を見据えていた。