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脳内武士と、俺と、京都。

作者: 冬城カナエ

 京都に来て、今夜で三日目だ。パワーポイントで明日使うプレゼン用の資料を作っていた俺は、タイトルが右から出るのが良いか、上から降ってくる方が良いかとか、そんなどうでもいいことで頭を悩ませていた。

 面倒になって、外の夜景を見ていると、ガラスに部屋の中の様子も写っていた。もう一人の同居人が、長ソファに寝転がってバラエティ番組を見ながらげらげら笑っている。

 全く、気楽なもんだ。

 そいつは、後ろで結んだ長い髪に着流し姿で、腰にはしっかり二本の刀を指している。年は俺と同じぐらいで、二十代後半。俳優みたいな整った顔立ちでなかなかの美男子なんだが、鼻ほじりながらテレビ見て笑ってちゃあ世話ない。

 世の中に数多く存在するらしいコイツのファンも、この姿見たら泣くだろう。

「なあ、おい、ちょっと」

「ん?」

 俺が声をかけると、侍は身体を起こしてこちらを見た。

「俺、仕事してんだよ。テレビのボリューム下げてくんない?」

「ああ、ごめんごめん」

 奴は立ち上がって、テレビのリモコンを探しつつ言った。

英紀ひでのりさ、お前飯食ったか? さっきからずっとそれやってるだろ?」

 ああそうか。そういや夕飯を食べていない。

 このホテルの近くにコンビニはあっただろうか、なんてことを考えていたら。バン! 音を立てて、部屋のドアが開いた。

 気の利いたルームサービスかと思いきや、そこに居たのは血走った目をした小汚い侍だった。

 彼は、俺の存在などまるで無視し、室内へ大股で踏み入るとスラリ。腰から刀を抜いた。

「我は長州藩士、大村孝次郎! お命頂戴つかまつる!」

 闖入者は、唐突に名前を名乗り、ウチに居た侍に切っ先を向けた。ウチの侍も、目を細め厳しい顔になった。今までの軽い雰囲気から、一瞬にして空気が重くなる。彼は、手に持ったテレビのリモコンを落とし、代わりに刀の柄に手をかける。


「新撰組副長、土方歳三。お相手いたす」


 結論から言うと、ウチの土方歳三は強い。

 剣戟はたったの一回。上段から振りかぶってきた相手をかわし、勢いあまったその背中を蹴って、そのまま後ろから袈裟懸けだ。大村何某は、どうと倒れ、歳三はそれをしばらく見つめた後、刀を鞘に収めた。

「またかよ……」

侍の死体を見下ろし、そう言ったのは俺だ。

「何で最近、こんなに多いんだよ。うるさいし仕事もできねえじゃんか!」

「怒るなよ、英紀。俺のせいじゃなくて、コイツらが俺の命を狙ってくるから悪いわけで」

歳三は弁解口調だ。負けじと睨み返すと、形成不利と思ったのか急にごまかすような笑みを浮かべる。

「京都にくると特に多いんだ。俺に恨み持ってる輩がさ。だから我慢してくれよ。頼む」

「斬り合いなら、外でやってくれよ。俺の部屋でやるな」

「そうツレないこと言うなよ。血のつながった仲じゃないか。腹減ったろ? 飯、一緒に食いに行くか?」

俺がいくら睨みつけても、苦笑いを崩さない。

「幽霊のくせに、飯なんか食えないだろ!」


 俺が土方歳三のことを知ったのは、物心ついたころだ。母親が自慢げに話していたのだ。あの土方歳三はわたしの曾婆さんの弟だった、と。つまり俺は、幕末の日本で、あの新撰組の副長として人を斬りまくり、戊辰戦争で死んだ男の子孫になるらしい。

 俺の苗字は池森で、本家でもないから、とくに人に言うことも無かったし、自慢するようなことでもないと思っていた。歳三が主人公でドラマ化もされてる小説も読んだが、他人事のような話に思えた。すなわち、俺と奴は無関係に等しかった。

 それがこうして目の前に現れるようになったのは、半年ぐらい前からだ。

 ある日、自分の部屋に帰ってきたら、居た。

 自分は君の先祖に当たる土方歳三で、いろいろ訳あって君のそばにいることにした。大丈夫、守ってあげるから心配しないでくれ。

 そんなことを言いながら、妙に親しげに話かけてくるコイツを見て、俺はやばいと思った。精神科医か厄除けの寺か、どちらに行くか相当迷ったが結局行かなかった。

 忙しかったということもあるが、そのころ、確かに俺は仕事やプライベートなことで、すっかり参っていた。妄想を見ても不思議ではない状態だった。

 つまり、俺はこの土方歳三の幽霊を自分の妄想の産物だと片付けることにしていた。まったく、このリアルな歳三の姿を見ていると、自分の想像力の豊かさに感服してしまうのだが。


***


「おい、携帯電話忘れてるぞ」

「ああスマン」

幽霊に携帯電話を渡され、俺はホテルの部屋から出勤する。一緒にエレベータに乗って下に降り、朝の京都の街に足を踏み出す。

「なあ英紀、いつまで京都にいるんだ?」

「あと十日ぐらい」

 まだ八時だというのに、アスファルトの照り返しがひどく暑い。信号待ちをしながら、フェイスタオルを出して汗をぬぐった。

「そんなに、京都が嫌なら、東京に残ってれば良かったじゃないか」

横にいる歳三に向かって言う。確かに東京に居たときは多くて月に一、二度だった刺客の数がここのところ毎日だ。幽霊といえども大変なのかもしれない。

「うーん。まあそれも考えたんだが」

信号が変わって青になる。歩きながら俺は周りの人々を見回した。こんなにハッキリと幽霊と話しているのに、周りの人間はまったく反応しない。俺が歳三にかける言葉は周りには聞こえず、その姿も見えないらしい。

「英紀のそばが一番居心地が良くってなあ」

「俺は居心地悪いよ」

拗ねたような目をして歳三が俺を見る。

 四条通りの商店街アーケードの下に入った。日差しからは逃れても、歳三はしっかりと後ろをついてくる。

「今はいいさ。けど、彼女とか居たらどうすんだよ。家に連れて来れないだろ」

「お前以外には、俺の姿は見えないんだから気にするな」

にやにやしながら、歳三は言った。「お前も相当モテるみたいじゃないか。エリちゃんだったかエミちゃんだったか、ちゃんと恋文出してるのか」

「うるせえな。女なんかウザいだけだ」

全く、暑いのに本当にいらいらする。なぜだか知らないが、京都に来てから歳三の奴は昼夜ずっとそばにいる。仕事中もずっとだ。前は昼に出てくることはなかったのに。俺のココロの病気も進行しているのかもしれない。

 会社に着くと、幽霊でも気を使うらしくあまり話し掛けてこなくなる。一緒にエレベータに乗ってオフィスに入ると、歳三は真っ先に窓のそばに行って、下を行き交う車や人を眺め始める。ちょっと楽しそうだ。


 俺の方は、やっと一息ついて、パソコンの電源を入れて今日のスケジュールを確認した。午後に打ち合わせがある。あとの自由な時間を使って、企画をまとめ上げておこう。

 頭の中を仕事脳に切り替えて、パソコンに向かった。

 俺の会社は、いわゆる広告代理店であり、俺の専門は広告のキャッチコピーを書くことだ。広告やCMのデザインをしたり絵コンテを書いたりすることもあるが、要するにコピーライターである。世間一般には、給料が高くてカッコイイ仕事だと思われがちだが、実際は少し違う。

 売れるコピーがゴミ箱に捨てられ、質の悪いコピーが高い評価を得るという現象が頻繁に起こる。すなわち採用される基準は、そもそも質ではないということだ。それなら何が評価されるのか。

 東京でのことを思い出し、嫌な気分になった。営業の連中に無理やり連れ出され、行きたくもない接待に付き合わされたこと。酔っ払ったクライアントに頭を下げて頼みこんだこと。その他いろいろ。

 所詮、カネと権力だ。その二つの力だけが、この日本を動かしている。

 俺はすでに、そういった権力闘争から手を引いていた。先に脱落した先輩が立ち上げた会社に誘われたこともあったが断った。どこに行ったって変わりはしない。カネと権力から逃れられないのだから。

 考えれば考えるほど暗い気分にもなったが、実際、世の中なんてそんなものなのかな、とも思っていた。


***


 そんなわけで、京都の四日目の夜は“残業”上がりとなった。池森君も京都の面子とまだ慣れてないだろうからと、そんなことを言われ二軒目を誘われた。

「断ってくれ、英紀。もう帰ろう」

歳三が営業二課の上田課長との間に割って入る。「夜は物騒だから、出歩かない方がいい」

 物騒なのはお前だけだろうが。そう思って無視しようと思ったが、ことこどく俺の視界に入り嘆願する歳三の小ざかしいことと言ったら……。

 そんなに嫌なら一人で帰ればいいのに、それもしない。

「英紀、本当に頼む。腹痛いとかなんとか適当に言って断ってくれ」

 俺はため息をついた。仕方ない。先祖を大事にしてやるか。

 すみません、課長。腹が痛くなりましたので帰らせて下さい。上田課長に近寄ると、俺は傍目に見ても投げやりに頭を下げた。そのまま相手が引きとめようとする間も与えず、失礼します、で締めくくる。

 歳三は俺の腕を引いて小道に入り、しばらく足早に歩いてから、やっと腕を離してくれた。幽霊のくせにさすが武士だ。けっこうな力だった。

「白状する。お前の力が必要だ」

彼は振り返って唐突に言った。

「何だよ、薩摩や長州と戦争でもすんのか」

我ながら冷めた返答を返してしまう。だが、歳三は怒った様子も見せず、辛抱強く続けた。

「そうじゃない。俺たちはもう死んでる。実体がないから、そんなことには興味がない。英紀の力が必要だと言ったのは、俺自身の問題だ。お前という子孫の近くにいるおかげで、現世とのつながりが濃くなる。だから力が強くなるんだ。こんな霊気の強いところで、お前とひと時でも離れたりしたら、俺は殺されちまうよ」

「殺されちまうって……」

風情のある柳の下で、不思議な気分になった。

 幽霊なのに死ぬことがあるのだろうか。と、そう考えてみれば確かに昨夜、ホテルの一室に踏み込んできた侍の幽霊は歳三に斬り伏せられていた。

 歳三もああなる可能性があるということか。

「分かってくれたみたいだな」

「まあね。幽霊でも死ぬのが怖いんだな」

「そりゃそうだよ」

にやりと笑ってしまう。歳三には悪いが、面白いと思った。

 幕末のヒーローであるご先祖さまの弱みを握っているというのも、なかなか悪くない。現実の世界で面白くないことが多い分、コイツと話してるのが楽しくなってきた。

 妄想にしたって、なかなかの想像力じゃないか俺。小説が一本書けるぞ。

「じゃあ帰ろうか。また誰か踏み込んでくるかもしれないけど」

 返事がなかった。

「歳三?」

 ふと見ると、歳三は俺の後ろを呆然としたように見つめていた。

 振り返ると路地の入口のところに、三人の侍が立っていた。距離にして5メートルくらいか。どう見ても友好なムードではない。

 俺の視線に気付いたのか、両脇の侍がチャキと音をさせて刀に手をかけた。

「よせ」

 だが、真ん中に立っていた背の高い男がそれを制して止めた。お前たちは帰れ、両脇の男たちにそう言うと、ゆったりと腕を組んで笑う。何者だろうか。狼が獲物を狙うようなそんな恐ろしい笑みだ。

 男はこちらに一歩踏み出した。後ろの二人も迷いながらも、一緒にこちらに歩いてこようとした。

「帰れと言ってるだろうが!」

男が吼えた。二人は飛び上がらんばかりに驚いて、男の背中に一礼し、走り去っていった。

 すごい貫禄だった。俺たちより少し年上ぐらいで、体格も立派なもの。きちんと紋付袴を身に着けているし、かなり強そうだ。今までの奴らとまるで雰囲気が違う。

 歳三は勝てるんだろうか。振り返ると、歳三は鋭い視線でまっすぐに男の視線を受けていた。武士の顔だった。俺は彼のそんな顔を初めて見て、正直、気圧されてしまった。

 男は腕を組んだまま、ゆっくり、ゆっくり近づいてくる。邪魔をしてはならない、そう思って俺は脇へ退いた。

 男は不敵な笑みを浮かべたまま、歳三のすぐ前まで来て歩を止めた。

「抜かんのか?」

 歳三の腰のものを見ながら、アゴをしゃくる。

「抜きません」

「ほほう。今度は俺を斬らんのか」

「斬りません」

「なぜ」

「あんたを斬る理由がありません」

「なるほど。なら、今度は俺がお主を斬り捨ててもいいのだな」

チャ、と手馴れた様子で男が刀の柄に手をかけた。

 歳三もそれに呼応して、一歩下がり刀に手をかけた。冷たい目ではあったが、それは何らかの感情を押し殺しているようにも見えた。

 やるのか? 見守る俺も息を止めた。誰だか分からないが、相当因縁のある相手らしい。二人は微動だにせず、ただ強く睨みあった。

「ハッ。よせよ、土方ァ。冗談だ」

突然、男は刀から手を離し、両手を広げてみせた。

「もう百何十年と経ってんだ。お前に斬られたとはいえ、恨みは消えちまったよ」

男は先ほどと正反対の、人好きのする笑みを浮かべてみせた。顔をくしゃくしゃにして、豪快に声を上げて笑う。

「土方。よく来たな、京へ」

歳三もゆっくりと居住まいを直した。表情は硬いままだったが、刀の柄から手を離し、相手に向って礼儀正しく一礼した。

「芹沢さんもお元気そうで、何よりです」

「おいおい、そいつァ皮肉か?」

二人は力強く握手をした。



***


 俺も、新撰組の局長であった芹沢鴨のことは、本で読んで知っていた。

 新撰組の母体になった壬生浪士組は、京都に来る将軍の警護という名目で結成されたもので、浪人や身分の定かでない者の集まりだった。それが紆余曲折あって、そのとき京都守護職──今でいうところの京都府警察本部長だ──を務めていた会津藩主の下で働くことになり、京都の治安を守る警察隊のような存在になっていった。

 芹沢は、水戸藩士で身分のきちんとした武士であり行動力もあったので、そのころはまだ壬生浪士組と呼ばれていた新撰組の最初の筆頭局長になった。

 だが、強引に金を借りまくったり、商家を焼き討ちしたり、いろいろ素行の悪いのが祟って、同じ浪士組のメンバーに殺害されたとされている。つまり歳三たちのことなのだが。さて。


「まったく、今の酒ってェのはどうしてこんなに不味くなっちまったんだろうなァ」

芹沢は歳三に注いでもらった酒を飲みながら、そんな風に愚痴った。

「混ざりモンばっかりの酒になっちまいやがって、“生酒”だなんてふざけていやがる。酒は混ざりモンがなくて当たり前だろうがよ。なァ、子孫。お主もそう思うだろう?」

「は、はあ」

 話を振られ、苦笑した。小さな飲み屋で、熱燗とおちょこ三つがテーブルの上に並んでいる。もちろん幽霊が金を払うわけがない。金を払うのは俺だ。芹沢は随分早いペースで杯を空けていくが、飲まれた酒が一体どこにいくのか非常に疑問だ。やはりこれはみんな俺の妄想で、俺が一人で杯を空けていることになるんだろうか……。

 歳三はというと、飲み始めてからやっと硬さが取れて、笑うようになってきた。そりゃそうだろう。自分が斬り殺した相手と酒飲み交わすなんてことは通常は有り得ない。硬くなって当然だ。

「お主はとにかく、すげェ人気だな、土方ァ」

「そうですね。生きてた時はゼンゼン人気なかったんですけど」

「そりゃそうだろ。お主は卑怯モンだし、何しろ俺を酔わせて闇討ちしちまうんだからなァ」

芹沢はキツいことを言いながら、大きな口を開けて笑った。カンベンしてくださいよ、と返す歳三はちょっと弱々しい。

 誰それがどうした、どこの何某は元気か、そんな幕末ファンが聞いたら喜びで卒倒してしまうような話ばかりしていたようなのだが、大して歴史に興味のない俺にとっては、見知らぬ同窓会に同席したみたいなものだった。

 近藤だとか沖田だとか、坂本龍馬だとか有名人の話をひとしきりした後、芹沢は一つ大きなシャックリをして黙り込んだ。目が据わってきている。

 凄みのある目つきだった。こういう顔をされると、正直、離れて座りたくなる。気に入らないとか言われてバッサリやられそうだ。

「それで、土方。一つ聞きたいんだが」

「何ですか」

「どういう理由で、俺を殺したんだ?」


 歳三は、はたと手を止めた。

 じっと相手の目を見る。対する芹沢は杯から口を離し、薄笑いを浮かべながら舌で唇を舐めた。

「会津公からの命が……」

「奴は奴だろうがよ!」

何か言いかけた歳三に、芹沢は中身の残った杯を投げつけた。

「お主はどうして、俺を殺したんだ?」

歳三の着物に黒い酒の染みが広がっていく。歳三は帯にひっかかった杯を丁寧に机の上に戻し、長く息を吐いた。

 ほかの客たちの会話が止まる。なぜか喧騒が一瞬だけ途切れた。歳三は覚悟を決めたように芹沢の目を見た。

「あんたの存在が俺たちを“やくざ者の集団”にしていた。俺や近藤さんは大儀を成しとげるために京に来た。あんたと一緒にいたらそれができない。そう思ったからです」

「大儀、だと?」

恐ろしい目つきで歳三を睨む芹沢。

「そんなことのために俺を殺したのか」

歳三はうなづいた。

 芹沢は俯いて目を閉じる。怒りを堪えているのだろうか。

「詫びの言葉もねえんだな」

 カッ、と目を見開いて歳三を見据えた。新撰組の副長は言葉もなく、その凶悪な眼光を正面から受けた。

 静かな間。二人は強く睨みあった。

「いいぞ。土方。それならいい」

フンと芹沢は鼻を鳴らすと、呆れたように苦笑いを浮かべた。今までの刺すような視線が嘘のように消え去った。

「芹沢さん」

「納得したよ。お主に会えて良かった」

 芹沢はすっかり機嫌を直したようだった。理解不能だ。何でさっきの状況から、元に戻れるんだ?

 歳三はというと、とくに動じた様子もなく、相手を見つめている。

 武士同士の会話はよく分からない。二人の顔を代わる代わる見ていたら、芹沢は俺の飲んでいた杯を奪って、また酒を飲み始めた。

「京にはあとどれぐらい居るんだ」

「十日程度です」

「そうか……なら、山南にも会っていけよ」

歳三は少しだけ目を見開いた。

 山南? 新撰組の総長だった男のことか。

 ええまあ。と歳三の反応が妙だ。口ごもり言葉を濁す。苦手な相手なのか?

「組のことでお主と言い争いになって、しまいには腹切らされたって奴は言ってたぜ」

「いや、それは……」

 腹、切らせた? 切腹させたということか。

 どういうことなのだろう。俺も歳三の顔を見た。

 しかし突然、胸ポケットがブルブルと震え、俺は驚いて胸を押さえた。

 ──電話だ。こんなときに誰が? 俺は立ち上がって、携帯電話の着信を見た。

「ちょっと、外にいるわ」

 歳三に言い残して、俺はそっと外へ出て、電話を耳に当てた。


「どうしたの?」

「どうしたのって……。英紀が電話くれたんでしょ」

「え、俺電話なんかしてないよ」

「ウソ、だって今朝わたしの電話に着信あったよ」

「俺は電話してないけど」

「ああそう。まあどっちでもいいわ、そんなこと」

三ヶ月ぶりに聞いた声に、酔いかけた頭を覚まされた。幕末モードから現実に引き戻され、俺は額に手をやった。すぐに電話を切りたかったが、切るのも億劫になってきた。大きく酒臭い息を吐く。

「今どこにいるの?」

「京都」

「あら、じゃあ会社辞めたんだ。良かったね」

「いや、辞めてない。出張」

恵美。電話の向こうでガタタンガタタンと電車が通り過ぎる音がした。新橋か。あのガード下のところを今歩いてるのか。

「英紀は元気してる?」

 しばらく沈黙した後、恵美が続けた。俺は、うん、まあとか言いながら言葉を濁す。

「わたしね、社会保険労務士の試験、受かったよ」

「そうなんだ。良かったな」

「なぁんだ。わたしのことなんかぜんぜん興味ないって感じね」

ケラケラと、恵美は電話の向こうで乾いたような笑い声を上げた。

 電話を切ろう。そう思った。

「ねえ、わたしさ」

と、恵美が俺の行動を見透かしたように言った。

「あんたが浮気してたことについてはホントにもう怒ってないの。男なんだしさ、たまにはフラフラっとなることもあると思うのよ。……そうじゃなくて、わたしがあんたの何が嫌だったのか、前に話したよね」

「聞いたよ」

黙っていたら、向こうも沈黙した。

大きく息を吐いて、恵美はポツリと言った。

「どうしてそんな風になっちゃったの?」

 電話を切った。

 

「英紀」

 振り向くと、歳三が店の入口に立っていた。「帰ろうか」

「芹沢さんは?」

「帰ったよ」

「なんだ、そうなのか。じゃあ俺のお役目を果たすよ」

携帯電話を二つに折ってポケットにしまうと、俺は財布を懐から出して歳三に見せた。

「さあさぁ勘定奉行のお通りだぞ」

にやにやしながら冗談を言ったが、歳三は真面目な顔をして俺のことを見ていた。

「何だよ」

「恵美ちゃんか」

 今の電話、聞いてやがったのか。

「武士のくせに人の電話盗み聞きすんなよ」

「盗み聞きは俺の常套手段だ」

歳三は全く怯まなかった。「何で、彼女と会わなくなったんだ?」

「うるせえな」

 言い草がまるで親父みたいだ。歳三を押しのけて店に入ろうとしたが、その身体は岩のように動かなかった。がしりと腕を掴まれ、英紀、と声をかけてくる。

「──意気地なしだって言われたんだよ!」

 怒りのあまり顔が火照った。怒鳴るように歳三の腕を振り払う。

「先輩の会社に誘われたのを断ったって話をしたら、突然アイツが怒りだしたんだよ。夢がどうのとか言い出して……。夢を捨てた俺みたいな意気地なしには魅力を感じないんだと。成長しない俺には愛想をつかしたんだってよ!」

「そりゃ、そうだよ。英紀」

 だが激昂する俺とは対照的に、歳三は静かに答えた。

「人生、守りに入ったら負けだ」

「……お前、マジあっち行けよ」

歳三に向かって言い放った。それは自分でも驚くほど、低く冷たい声だった。

「俺にどうしろってんだ? 才能があるわけでもない。リーダーシップもない。かといって、おべっかも使えない。こんな平凡な人間が、夢だなんだの言ったって何の役にも立たないんだよ! そのうち食うに困って、自殺すんのがオチだ」

一気にそう吐き出すと、息が荒れた。

「英紀」

 奴はたしなめるように俺の名を呼んだ。

 うっとおしかった。世の中の全てがウザったい。歳三も恵美も、会社も上田課長も、幕末も現代も、この飲み屋も飲み屋の暖簾も、この京都の暑さも。全てが全て。

 俺は歳三に背を向けて歩き出した。もう一度、英紀、と後ろから名前を呼ばれた。当然、無視した。

「英紀、待て」

 最後に強く、歳三は俺を呼び止めた。その押し殺したような低い声音が、俺の足を止めさせた。

「──金、払っていけ」


 ぐぅ、と俺の咽が音を立てた。

「何だよ、心配してくれてんのかと思ったのに!」

次の瞬間には逆ギレだ。

 対する歳三は声を上げて笑った。はっはっはっ。面白い奴だよ、英紀は。だから一緒にいると楽しいんだよ。そんなことを言いながら、文字通り腹抱えて笑っている。

 あんまり笑うので、怒るのもアホらしくなってきた。

「いいじゃないか。死んだって」

笑いを収め、歳三がぽつりと言った。

「はァ?」

思わず変な声を上げてしまう俺。

「お前は今の仕事、好きなんだろう? 嫌いじゃないはずだ」

言われて、返答に詰まる。

 最近は昼間もそばにいるから分かるよ、と前置いて、歳三は続けた。

「いいじゃないか。好きなら、それを極めていけばいい。有名になれなくたって、金が稼げなくたって、お前はその仕事が好きで、自由にやりたいんだろ? だったらやればいい。その上で、うまく行かなくなったら、その時に考えればいいだろ。死にたきゃ、そん時死ね」

「死ねって……。そう簡単に死ねるワケねえだろ」

「じゃあどっちなんだ。死ぬか生きるかしかないんだぞ?」

新撰組の鬼の副長は間を置かず返してきた。

「どうしてお前はそう極端なんだよ。今は幕末じゃねえんだよ」

「だったら生きろ」

奴は諭すように言った。「それが出来ないんなら腹切れ」

「腹切れって……」

 奴の顔を見つめてしばらく。

 俺は東京の汚い自室で、自分が白装束で脇差を腹に当てているアホな想像をしてしまった。有り得ない。

「切腹なんかするわけねぇじゃん。アッタマ古いんじゃねえの」

「まあな。ざっと百四十年ぐらいな」

 俺の表情が緩んだのを見てとって、歳三も笑みを浮かべて見せた。

「今どきの自殺ってのは、首吊ったり、高いところから飛び降りるんだよ」

「何? 駄目だ、そんな美しくない死に方は。ごちゃごちゃ言わずに腹切っとけ。な? 俺の子孫なんだから」

「嫌・だ・よ」

 アホな先祖にアホな子孫だ。もうどうにでもなっちまえ。


***


 昼の二時、上田課長と一緒に先方のオフィスに出向いた。幽霊のくせに歳三も腕組みしながら悠々と着いてきている。

 今回のクライアントはキーテック・エンタープライズというアミューズメント施設運営会社である。今までは、関東圏から東北にかけてパチンコやゲームセンターなどを運営していたが、このたび西日本初進出となる温泉スパ施設を京都にオープンさせることになった。

 京都郊外という立地、初の温泉スパ施設、今までのような男性相手ではなく女性がターゲットであるということで、同社の意気込みは相当なものだ。

 そんな中、ウチのオープニングキャンペーン企画案が奇跡的に通ってしまった。業界第五位の中途半端な会社が他社を出し抜いた格好だ。上層部はアホなことになぜその企画が通ったのか分からないので、企画を書いた本人である俺を京都に派遣することにした。

 それが今までの大まかな経緯だ。

 企画自体はOKが出ているので、今日は前回の打ち合わせで出た要望や修正点を組み込んだCMやポスターの原案を見せて説明するだけである。これについては俺から直接説明することになっていた。

 しかし会議室に入った途端、上田課長が急に立ち止まり、その背中に顔をぶつけそうになった。どうしたのだろうと部屋の中を見回してみて、俺も息を呑んだ。

 不自然に広い室内に長いテーブルが一つ。その向こう側にクライアントたるキーテック・エンタープライズの菊池部長と、見知らぬ男が座っている。テーブルの両側には合わせて三人、初めて会う連中が席に着いており、俺と上田課長をじろりと見た。

「イルジオ・エージェンシーの上田です」

 課長が名乗ったので、俺も続いて名乗り頭を下げた。

 すると、菊池部長の隣の男が立ち上がった。

「初めまして。キーテック・システムズの小野寺と申します。お約束もせず、突然お邪魔してしまいまして申し訳ありません」

 どうぞお掛け下さい、と男は滑らかな口調で俺たちに席を勧め、続けた。

「今回の『癒しの花湯』の件については、弊社としても是非とも成功させたいと考えておりまして、菊池さんに無理を言って、同席させていただいた次第です」

 パイプ椅子に座りながら、俺は爆発的に嫌な予感がした。キーテック・システムズは東北を拠点とする大手情報通信会社で、エンタープライズのいわゆる親会社である。小野寺と名乗った男は色白で三十代後半ぐらい。若いが、おそらく事業部長クラスだ。雰囲気で分かる。

「これから企画を進める上で参考程度に、と思いまして。彼らにも来ていただきました」

 小野寺は他の三人を簡単に紹介した。左に座っていた、ぽっちゃりした茶髪の男は業界第三位の広告代理店の人間だった。その隣のホネみたいに痩せた女は、カード信販会社。右にいたヒゲの濃い馬顔の男は、業界第二位の広告代理店だった。

「では、イルジオさん。キャンペーンについてご説明いただけますか?」

 小野寺はニコリと微笑んで、席に着いた。


「“和の心に浸かろう”か……。正直言って、地味だなぁ。パンチが弱くないですか?」

俺のプレゼンを聞き終わったあと最初に口火を切ったのは、ぽっちゃり茶髪だった。

「いかがですか? 菊池部長」

茶髪に話を振られ、菊池部長はそわそわした様子で、ええまあ、などと答えた。

「まあ、確かに地味とも言えますね」

代わりに明瞭な口調で言ったのは小野寺だ。「しかし予算が限られていますからね。オープンまでの時間的余裕も少ない。あなたにいいアイディアでもあるんですか?」

「それはありますが……しかし」

茶髪はチラとこちらを見る。

「参考程度に、お話してみてはいかがですか?」

またも口を出したのは小野寺だ。茶髪は待ってましたとばかりに、それでは失礼ながら、とワザとらしく前置きしてから話し始めた。

 施設のオープンにあわせて、利用者に対しポイントの溜まるクレジットカードを発行して加入会員を募る。カードはこちらのカード信販会社のものにすれば、加入促進のためのキャンペーンにもなるので、信販会社から多額の費用を捻出できる。だから、もっと大きな規模の金を動かすことができる。

「カードですか。それはいいですね。でもそのお金で今度はどんなキャンペーンをするんですか?」

小野寺の質問に、今度は向かい席のヒゲ馬顔が答えた。

「予算があるのですから、もっと集客力のあるタレントを呼びましょう。イルジオさんが選んだこの女優もいいですが、もっとメジャーで、もっと集客できるタレントを呼んだ方がよろしいのでは? 例えば……」

ヒゲ馬顔は、十代のアイドル女性歌手の名前を上げた。

「なるほど」

小野寺はうなづいて、「ウチとしてもポイントカードが絡めば、システム戦略の面からも関わることができて喜ばしい限りですね。……菊池部長、いかがでしょうか? 企画について少し軌道修正を加えてみては」

「準備が間に合うのであれば、こちらとしては特に……」

話を振られて、菊池は力なくうなづきながら言った。

 視線を泳がせた後、ようやくこちらに視線を転じ続ける。

「イルジオさん、そんなような事情なので、申し訳ないんですがこちらの方々と一緒に企画を進めていただくわけにはいきませんか?」

「一緒に、と言いますと?」

上田課長の声は、かすかに上ずっていた。

「キャンペーンの企画に少し修正を加えさせていただきますので」

やはり答えたのは小野寺だった。「それに合わせて、ポスターや吊り広告などを製作していただけますか?」

がくりと首を折るように上田課長は頷いた。

「わ、分かりました……」

「ふざけるな!」

課長の言葉に重ねるように声を荒げたのは、俺ではない。歳三だ。

俺の隣で、立ったまま机に手をついて、他の連中をぐるりと睨んでいる。

「何だそれは。英紀んトコで落ち着いた話じゃないか。何で今さら他の連中が首突っ込んでくるんだ」

「歳三。よせ」

他の連中には聞こえないといえど、俺は歳三を窘めた。

 そもそも俺らがここにいること自体が奇跡だったのだから。後からハイエナどもが群がって、企画を骨皮だけ残して食い荒らしにきたとしても何ら不思議ではない。しかも仕掛け人はクライアントの親会社。勝ち目があるわけない。

「英紀、何か言い返せ。お前が残業しながら一生懸命書いたものじゃないか。それをこんなに、ないがしろにされてもいいのか」

「うるせえよ。こんな状況で俺が何言ったって変わらねえよ」

「お前だって武士だろう、英紀」

歳三にスーツの襟を掴まれ引っ張られた。

「……自分には才能がない。頭も張れず、ゴマすりもできない。だから駄目か?」

彼は顔を近づけて凄みのある声で言う。

「分かってるじゃないか」

真っ昼間だっていうのに、どうしてこんなに話し掛けてくるんだ。

「いいか英紀。俺も同じだったんだぞ、才能も何も持ってなかった。だから行動を起こしたんだ。 お前もここで動かなかったら、必ず後悔するぞ。何も動かずに後悔するんだったら、何かやってから後悔する方がマシじゃないか!」

歳三は瞬きもせずに俺の目を覗き込んでくる。言われなくたって分かってる。でも俺は。

「いい事言うじゃないか、土方君」


 突然、誰かの声がした。

 歳三は弾かれたように俺の襟から手を離し、声の方向を見た。会議室の奥に一人の若い男が立っていた。髷を結いきちんとした身なりをした、細面の侍だった。

「子孫に対しては、いい事言えるんだね」

どこから現れたのか、その男はテーブルの横に進み出てくる。歳三は呆けたような顔で下顎をだらりと下げ、山南さん、とつぶやいた。

「ようこそ、京へ。歓迎するよ」

男は上品な微笑みを浮かべて言ったが、言葉とは反対にスラリと刀を抜き放つ。

 山南さん、と歳三はもう一度相手の名を呼ぶ。

「言葉は要らないよ。土方君。……手合わせ願えるかな」

山南敬助。新撰組の立役者の一人で、芹沢暗殺にも加担。後に総長という局長に次ぐ地位に着くが、近藤勇や歳三と意見が合わず新撰組を抜けようとして切腹させられた男。

「何でこんなところに……」

歳三が言った。それは俺も同感だ。

「ちゃんと君に会いたかったからだよ。同じ条件でね」

山南は両手で柄を握り、刀の切っ先を真っ直ぐ歳三に向けた。抜きたまえ、と悠然と言い放つ。

 歳三は俺から離れ、山南の正面に立った。

「あんたと斬り合いはしたくない」

山南は軽く鼻を鳴らして、口の端を歪めた。笑ったのだ。その刹那、刃が閃いた。

「歳三!」

 俺は思わず立ち上がっていた。ぶつかるように切迫した二人の身体から、キン、と澄んだ音がした。

 歳三は鞘から抜きかけた刀で山南の一撃を受けていた。そのまま力を込めて、相手を押し戻す。二、三歩飛び退く山南。そして歳三は左足を後ろに引いて、刀を抜き、ゆっくりと下段に構える。


「池森君」

俺は、上田課長から腕を叩かれて我に返った。椅子を蹴飛ばして立ち上がっている俺に、その場にいる全員の視線が集まっていた。

「何か、不満でも?」

言ったのは業界第三位の茶髪。しまった、と思ったがもう遅い。

「お言葉ですが」

俺は腹をくくった。こうなったからには言いたいことを言ってやる。

「『癒しの花湯』の主なターゲット層は、二十代から三十代の女性のはずです。可処分所得の多い独身女性で、京都に和の心を求めてやってくる女性グループを想定していると聞いています。だからこそ、このキャッチコピーと女優の組み合わせが、彼女たちの共感を呼び起こすために必要なのです。十代のアイドル歌手を起用して、果たしてそういった共感を生みだせるでしょうか」

 シン、と場が静まり返った。こんな下っ端が吼えるとは思わなかったのだろう。隣で上田課長は目を見開いている。俺は、震える手で椅子を戻し席に座った。

「池森君、だったね」

そこで口を開いたのは、やはりこの男だった。

「僕は広告に関しては素人だがね。我々が西日本初進出になることは知っているだろう? 必要不可欠なものは何だと思う?」

小野寺は俺の目を見据えただけで、返事を待たなかった。

「インパクト、だよ。我々は西日本の、京都の人たちにインパクトを与えないといけない。一千万の金でタレントを呼ぶとしたら、君はどうする? 僕だったら百万円のタレントを十日間呼ぶよりも、一千万円のタレントを一日だけ呼ぶね。その方がマスコミや世間に与えるインパクトが大きいからだ」

「そうですよ、集客力を求めて何が悪い」

他の連中の言葉は猿の鳴き声のようだったが、小野寺の答えは論理的だった。上田課長も俺を見て、黙れと目で訴えてくる。

「納得いきません」

しかし俺は思った通りのことを口にした。言ってしまったからには、もう後には引かない。

「しぶといね、君は」

敵は苦笑し、ゆったりと机の上で手を組んだ。視界の端で二人の武士が戦いを続けている。刀と刀がぶつかったかと思うとまた離れ、お互いの様子を探りあう。

「インパクトが必要だということは、よく分かりました。しかし本当にそれでいいのでしょうか。京都の人は本当に納得するんでしょうか。彼らは共感してくれるでしょうか」

歳三が突きを繰り出した。しかし山南はそれを受け流し、返す刀で歳三の手を狙った。

「京都の人が、そこまで重要かね」

「笑われますよ」

チッと声を上げて歳三は手を引いた。刀が手から離れ床に落ちる。そのまま山南の剣筋に首を捉えられそうになるが、間一髪、歳三は下へ床を転がりそれをかわした。

「京都の人は笑いますよ。東北と東京の“田舎者”が考えることは、どうせこの程度かと。それがやがて西日本全体に広がるでしょう」

「──田舎者だって?」

山南が歳三を追った。刀を無くした歳三は床に膝をついたまま、相手をキッと見上げる。

「予算を多く使えることは確かに魅力的です。しかしそのお金をドブに捨てるようなことは避けるべきです」

俺は一息ついてから小野寺の目を見て言い放った。

「億単位の金を動かして、あなた方はわざわざ世間の不評を買うんですか?」


 山南が歳三に向かって振り下ろした刀が途中で止まっていた。山南はこちらに背を向けており、何が起こったのか分からない。

 俺は小野寺から目を離さなかった。誰も何も喋らない。会議室全体が静まり返り、誰かがゴクと息を呑んだ音だけが俺の耳に届いた。

「ハハ、池森君の言う通りかもしれないな」

 その静寂を破ったのは、小野寺本人だった。瞳を細めて微笑んでいる。

「僕らの負けだ」

テーブルに着いた全員が驚いた顔をして彼を見た。もちろん俺も。

「アイドル歌手を使うのはやめよう。ただしカードを導入するのはやらせてもらうよ。これは譲れないからね。あとは、予算があるんだからもっと集客力のある女優を探すことにしようじゃないか」

上体を反らせて、小野寺は胸ポケットを触ってタバコの箱を引っ張り出した。

「だから、コピーも女優の人選もイルジオさんにまかせてみてはと思うんですが、いかがですか? 菊地さん」

ライターを手に持ったまま、隣の菊池部長に話を振る。彼はもう小野寺の言うなりだった。他の人間を見ないようにして、小さく頷く。

「そこまで言うなら、池森君の力で大金に見合うだけの評価を買ってきてもらおうじゃないか」

 話を振られ、俺は口をパクパクさせながら、なんとか頷いた。

 歳三がゆらりと立ち上がる。崩れ落ちるように膝を折ったのは山南だ。刀を持ったままの右手で床に手を着く。歳三の手には切っ先の赤く染まった脇差が一振り、光っていた。

 勝ったのは歳三。低い姿勢から脇差を抜いて相手の腹を刺したのだった。

「山南さん!」

 次の瞬間には歳三は刀を落とし、山南の肩を掴んで揺さぶった。膝をついた侍は、左手を自分の腹あたりに当て、上体を折った。しかし傷は深くないようだった。介抱しようとする歳三に、大丈夫だからと声をかけているのが聞こえた。

 一方、こちらのテーブルでは茶髪やヒゲ馬顔が何かを言い、腹立たしげに席を立った。

「これからもよろしくお願いしますよ、イルジオさん」

三人はまるで捨て台詞のように吐き捨てて、会議室を出て行った。

 すると今度は上田課長が椅子を蹴飛ばして立ち上がり、菊池部長のところに行って平謝りをし始めた。ウチの若い者が失礼を致しまして、云々。

「池森君、ちょっと」

そこで立ち上がり、俺を手招いたのは小野寺だ。そばに行くと彼は名刺ケースから一枚取り出して笑顔と一緒に俺に差し出した。それを受け取り、俺も慌てて自分の名刺を渡した。

「ああ、普段は東京に居るんだ。京都よりは近いな」

名刺を見ながら小野寺はタバコに火を付けて、上目遣いに俺を見た。

「僕は普段、仙台にいるんだ。近くに来たら寄れよ。うまい牛タン、食わしてやるからさ」

言いながら微笑む。

 もう少し何か話をしたかったが、上田課長に呼ばれたので、俺は小野寺に頭を下げて、失礼しますと告げた。彼は軽く手を上げてそれに答えてくれた。


 歳三の方に目をやると、二人とも立ち上がり普通に談笑していた。

「納得しましたよ。土方君」

腹の傷を抑えながら山南は笑顔を浮かべた。「私たち剣士にはこういうのが一番いい。貴方が自分の信念に従って行動して、後悔していないことも分かりました」

「いや、俺は……」

「私は私で、自分が切腹することで、貴方や近藤さんを間違った道から救い出せると思い込んでいたんです」

馬鹿でしたねぇ。言いながら山南は微笑んだ。

 俺は今さらになって気付いた。山南の微笑みは小野寺のそれだった。幕末と現代といえど、二人のかもし出す雰囲気はピタリと一致していた。

 歳三は何と言おうか迷っているのか、黙っていたが、ようやく口を開く。

「済まなかった、山南さん」

山南は歳三を見た。いぶかしげに眉を寄せたが、それも一瞬。すぐに微笑んで自分の腹に出来た傷を指差した。

「……これのことですか? 気にしないで下さい。幽霊なんですから。それにしても、腹切った相手の腹を刺すなんて、君らしいね」

言われて、歳三は苦虫を噛み潰したような顔をして苦笑した。

「ひどいな、その言い様は」

「百四十年前からこうだったでしょう」


***


 そんなわけで、俺のホテルには一気に幽霊が増えた。歳三以外にも新撰組の連中が溜まりだすようになった。

 みんなでテレビを見てバカ笑いし、部屋の中でチャンバラごっこ。仕事を持ち帰っても全く集中できないので残業をしてから帰るようにしていたが、歳三は仲間と楽しそうにしていた。

 昼間もたまにしか現れなくなった。彼は単に今まで孤独なだけだったのかもしれない。

 俺の仕事はというと、忙しくはなったが、あと数日で東京に帰れる。あの会議室での一幕は、まぐれ当たりみたいなもので、俺の人生や仕事がいつでもうまくいくわけではないだろう。それは分かっている。

 ただ、少しだけ楽しみ方が分かったような気がする。

 俺は誰かの空けたビールの缶を手にとった。まだ残りが残っていたので飲んでみたら生ぬるかった。舌打ちしながら、携帯電話を取り出す。



 そして、俺は恵美に電話をかけた。



この小説は2004年7月31日に執筆いたしました。すこし時間が経っておりますが、ケータイ電話の読者さまのためにこちらにアップさせていただきました。

http://www.talkingrabbit.net/ もよろしくです。 

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― 新着の感想 ―
[一言] あの土方歳三が、「テレビの音量を下げろ」と注意されている。大爆笑してしまいました。土方歳三ファンの私にとって、主人公がうらやましいです。続いたら絶対に読む作品でした。
[一言] まさに土方ファンにはたまらない読み物でした。
[一言] あの土方歳三が、テレビのバラエティ番組を見ているくだりが、私はとても引き寄せられました。しかし、最後にはもっと何か大きな事件が起きて欲しかったという思いがあります。
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