最終話は少し長くなってしまいました。2つに切ろうかなとも思いましたが、全5話と宣言してしまったので、そのままアップします。
ラストの方は、かなりエグいです。残酷描写が苦手な人はご注意ください。なお、15禁となっております。
最終夜
相模の二之宮とは、すなわち川匂神社の事である。
第十一代垂仁天皇の御世に創祀されたこの式台社は、小田原城から見て丑虎の方角にある事から、北条氏の鬼門を守護する神として崇敬されていた。
永禄四年、鬼がやって来た。
毘沙門天の化身、長尾景虎である。
この鬼神は、関東の諸将をこぞって引き連れ、十万という大軍で小田原城下に押し寄せた。そして一ヶ月もの間、北条氏康の小田原城を包囲しながら、この間に古河御所を襲い、北条氏康の外孫にあたる足利義氏を追放して兄の藤氏を鎌倉公方に据えた。
この功績により威信を高めた景虎は、上杉姓を継ぎ関東管領となってゆくのである……。
そして、この戦いの折、川匂神社の社殿は焼かれてしまった……。
「東国ゆうところは、ほんに物騒な所ですなぁ……」
「そうそう、昨日も浜辺に若い女の死体が打ち上げられたそやないか」
「イヤやなぁ……。街道脇から海に下った所にある祠からは、夜な夜な誰のものとも知れぬ念仏が聞こえるそうやで……」
会話をしているのは、京から呼び寄せられた宮大工達である。
北条氏政は、二年前からこの川匂神社の復旧工事に取り掛かっていた。小田原の鬼門を守る御祭神が鎮座する神々しい社殿は、ほぼ焼失する以前の姿を取り戻しつつあった……。
「ところで……、そこの藁葺き門の下に可愛らしい巫女はんが立ってはるが、ここの神人ですやろか?」
「あれは、ほら……、歩き巫女やろ」
「歩き巫女言うたら、加持祈祷しながら諸国を巡って……ついでに春も売るていう……」
「ほんまか? そら、ありがたいわぁ……。今日の仕事が上がるまであこに居ってくれへんやろか……」
「はっはっは……。そら無理ですやろ。何せ彼女達は気紛れや……」
秋の空高く、槌を打つ音が幾重にも響き渡り、鬱蒼とした鎮守の杜にこだまする。
相模國鎮護の二之宮は、はたしてその神力により戦国の鬼を遠ざける事ができるのか……。
川匂神社の表参道を海に向かって下り、東海道を突っ切って海岸へと続く小道に分け入ると、そこに古びた祠があった……。
蛭子神を祀ったこの小社は、一面に浜荻が自生する小高い斜面の途中に、その朽ちかかった姿を浜から吹き上げる風に晒していた。
干からびて白く変色した鳥居には、黒々と鴉が群がり、近寄る者をその鋭い眼光で威嚇していた……。
「遅いな……」
祠の前に網代笠を被った男が五人、薄汚れた裁着袴の裾を潮風にたなびかせていた。
「大禿の奴め……、何してやがるんだ?」
そのうちの一人、頬までびっしり髭に覆われた矮躯の男が、大きな目をぎょろつかせながら溜息まじりに言った。風魔一党の申阿彌である。
「お頭の狼煙が上がってから、もうまる二日も経つのによ……」
申阿彌は、浜で拾ってきた流木に腰掛け、顔にまとわりつく蠅を手で払いながら苛立たしげに顔をしかめた。
「誰ぞ、城へ走らせましょうか?」
他の者は、風魔一党の下忍である。みな二尺足らずの刀を一本だけ腰に差し、腕を組んだまま申阿彌を囲むように立っていた。彼らもまた、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
「いや……。お頭に、大禿の配下と合流するまでは動くなと言われている」
申阿彌は、不機嫌そうにぺっと唾を吐いた。
強烈な悪臭が漂っている……。
下忍の一人が、鳥居のすぐ脇にある草むらを怨めしげに睨んだ。そこには、無造作に敷かれた筵の上に無惨な水死体が折り重なっていた……。
蠅の飛ぶ音がやたらと耳につく……。
水死体は殆ど白骨化していたが、一番上に昨日浜に打ち上げられたばかりのものがあった。今朝から申阿彌達を悩ませている悪臭の正体である……。
「まさか……、邪魔が入ったのではあるまいな」
「甲斐の忍びが潜伏していると聞きますが……」
「ああ……。この前、その仲間を一人殺したよ…………」
言いながら申阿彌は、昨日上がったばかりの赤黒く腐乱した死体を見た……。
腐敗による瘴気が溜まりぱんぱんに膨らんだ下腹の奥には、紛れもない女の印が刻まれていた……。
服装から見て、若い娘のようである。乱世を嘆いて海に身を投げたものか、それとも峠に巣くう野盗どもに拐かされ、陵辱の果て海に棄てられたものか……。
「きききっ! あのくノ一、割といい女だったなあ……」
女の水死体をぼんやり眺めながら思い出し笑いをしていた申阿彌であったが、不意に真顔になった……。
「……うん?」
彼は、片方の眉をぴくりと吊り上げた。
「如何しました……?」
下忍の問いかけには答えず、申阿彌はやおら立ち上がると、水死体の山に近づいた……。
「……な、何を!?」
狼狽する下忍をよそに、申阿彌は折り重なった水死体をじっと見つめる。
「おい……。これは、何だ?」
申阿彌が指差す先には、奇妙な物があった……。
それは干からびた肉の塊で、大きさは牛の頭ほどであったが、何より奇妙なのは、その肉塊からは長く艶やかな黒髪が地に垂れ、中程に埋め込まれた二つの眼球がじっとこちらを睨み付けている事である。
醜悪な景色に融け込んで気付かなかったが、他の死体と比べて明らかに異質な存在であった……。
申阿彌は、しばらくそれを見つめていたが、不意にやりと笑った。
「こいつ生きてるぜ……」
「ま、まさか……」
「きききっ! 俺様には分かるんだ」
そう言うと申阿彌は、その肉塊の黒髪を掴んで下忍達の前に放り投げた。
「……こ、これは面妖な!」
彼らが思わず後退る……。
「おい、油を持って来い」
申阿彌がにやにやしながら言う。
やがて、油の入った竹筒を受け取ると、地べたに転がしたものにそれをふり注いだ……。
「いいか……、見てろよ」
申阿彌は、その肉塊の横にしゃがみ込み石を打って火を付けた。途端に、ぱちぱち音を立てて生臭い煙が立ち上る。
くええええぇぇぇぇぇ……
それは、声ではなかった。
風が梢を鳴らすような甲高く、そして乾いた音であった……。
しかし、申阿彌はそれを見て腹を抱えて笑った。
「ぎゃははは! そうれ見ろ。こいつ苦しがってるぜ」
「さ、申阿彌様……。これは?」
「甲斐のくノ一の仕業だ。きゃはは! たぶん式神か……、それとも自分で化けてやがんのか?」
下忍達は、燃え上がる炎と黒煙を固唾を飲んで見守った。
「あ……」
突然、金色の蝶が視界を横切った。
それを目で追った下忍の一人が、網代笠を落とした……。
いや、そうではない。
落ちたのは、笠を被ったままの首だ……。
続いて、首を失った胴体が鮮血をまき散らしながら、糸の切れた操り人形のようにぐしゃりと崩れた。
申阿彌は、下忍の首が飛ぶ瞬間、光る物が目の前を掠めるのを見た。
「散れ!」
彼がそう叫ぶと同時に、四つの網代笠がふわりと投げ捨てられ、次の瞬間、申阿彌と残る三人の姿はかき消えていた……。
鴉が、ぎゃあぎゃあ哭きながら一斉に飛び立つ。
腐敗臭に血の匂いが混ざり、浜風とともにに舞い上がった……。
――――敵は、どこにいる?
下忍の一人が、祠の後ろに生える松の葉陰に身を隠しながらじっと辺りを窺っていた。首筋を汗が伝う……。
殘賊強暴横……
不意に背後で若い女の声がした。
ぎょっとして振り向くと、後方にある老松の二股に分かれた枝に、巫女が両手をゆるりと広げて立っていた。
「あっ」
巫女がにやりと笑う。甲斐の浮穴媛だ。
彼女は、神楽を舞うような所作でふわりと白衣の袖を翻すと、軽やかに枝から飛び降りた。
「ま、待て……」
下忍も、慌ててその場から身を躍らせた…………が、着地と同時に首と胴が離れ、別々の方向に転がった……。
「いたぞ!」
残る二人の下忍が浮穴媛の姿をみとめ、疾風のごとく駆け寄る。
一人は走りながら抜刀し、鬼の形相でそれを脇に構えた。
もう一人は、地を蹴って高く跳躍する。
「逃がさん」
飛び上がった下忍は、片手を大きく振りかぶって手裏剣を投げ打った。重たい十字手裏剣が、風を切り裂きながら浮穴媛の華奢な姿に吸い込まれてゆく。
「ふん」
浮穴媛は、腰に差した白扇を広げるとふわりと煽いだ。ぱんと乾いた音がして、重たい手裏剣があらぬ方向に弾け飛ぶ。
「死ねぇーっ!」
間髪入れず、後方から詰め寄った下忍が、白刃一閃、浮穴媛の細い胴を薙いだ……。しかし、彼女はゆるりと体を回転させてこれを躱し、下忍の体をふらふらと前に泳がせた。
「おのれ……」
彼は再び体勢を立て直し、さらに踏み込んで猛然と袈裟へ斬り下げた。
がっと音がして刃先が止まる。
浮穴媛は、折り畳んだ白扇で敵の刃を受け止めていた……。
殘賊強暴横……
浮穴媛のもう片方の手元が、きらりと妖しい光を放つ。
「んあ……」
声にならない叫びとともに下忍の体が力なく足下に崩れた。同時に首がごろりと胴から離れ、地べたを大量の血が汚していった……。
「ば……化け物」
最後に残った下忍は、恐怖に顔を引きつらせながら狂ったように棒手裏剣を放った。
浮穴媛は、再び白扇を広げると神楽を舞うようにひらりひらりと攻撃を躱した。檀紙で束ねた黒髪が生き物のように揺れ動く。
「く、くそっ」
下忍は腰を屈めて抜刀し、眼光鋭く渾身の力を振り絞って敢然と斬り掛かってきた。
「やあああぁぁぁ!」
殘賊強暴横……
浮穴媛は、ふわりと後ろに跳躍しながら横に一回転した。手元から放たれた光が下忍の襟元を風のように掠める。
「ぐひゅっ……」
下忍の首がくるくると宙を舞った……。
首を失った体は血の霧を引きながら、それでも五、六歩ほど走り、やがてへなへなと力なく両膝をついて倒れた……。
「はははっ! 風魔一党の力とは所詮この程度のものか。これでは北条氏政も枕を高くして寝られまい」
浮穴媛は白扇を口に当て、からからと愉快そうに笑った。
「きききっ! なかなか、やりおるわ……」
一陣の風とともに凄まじい殺気が走った。
浮穴媛の表情が途端に険しくなる。彼女は身を低くして、ぐるりと四方を覗った……。
「面白ぇ得物を使うじゃねえか……」
七、八間ほど離れた斜面に、忽然と申阿彌が立っていた。
蓬髪と髭に埋もれた顔には、大きな目が炯々と光を放っていた……。
「手裏剣にしちゃ一寸でかいな」
「ふんっ、これは蛇比禮というのじゃ」
蛇比禮とは、大國主神が須佐能男命の差し向けた蛇を薙ぎ払った伝説の武器で、饒速日命から物部氏に伝承された十種神宝の一つである。それは、複雑な形をした光り輝く円盤であった。
「ふふふ……、今から貴様にも味わわせてやろう」
そう言って浮穴媛がふわりと舞うと、その手から放たれた光の輪が見る見る申阿彌に迫っていった……。
次の瞬間、甲高い金属音が響き、蛇比禮は放物線を描きながら申阿彌の頭上を越え、遥か後方へ跳ね飛ばされた。彼の分厚い唇がにいっと笑った……。
「きききっ! 蛇は退治出来ても、この猿には効かねえようだぜ……」
「……何をした?」
申阿彌の高く構えた右手の先から、ひゅんひゅんと空気を切り裂く音がする。彼の指の周りを何かが旋回していた……。
「そうか……、微塵だな」
浮穴媛が吐き捨てるように言った。
微塵とは、鉄の輪から放射状に延びた三本の鎖の先に分銅を取り付けたもので、輪の部分に指を通して回転させながら使用する武器である。その威力は、分銅の遠心力も相まって敵の頭蓋を粉砕するほどに強力であった。
不意に申阿彌が走り出した。
迅い!
忍者は基本的に横に走る。
暗殺、闇討ちを常とする彼らは、敵と正面からぶつかり合う事を嫌うのだ。右に飛び、左に走り、ときには数歩後退しながら旋風のごとき軽妙さで敵との距離を詰める。この走りが更に加速すると敵の目に残像が焼き付き、あたかも複数を相手にしているかのような錯覚を引き起こさせる事がある。
浮穴媛には、申阿彌が三人に見えた……。
「くっ、やりおるわ……」
彼女も緋袴の裾をひるがえして疾駆しが、あっという間に追いすがられ、強力な微塵による洗礼を受ける事になる。凶暴な分銅がぶうんと唸りをあげて、何度も浮穴媛の美しい顔を掠め、白衣の袖が何ヶ所もざっくりと裂けた。
やがて、追い詰められた浮穴媛が砂地に足を取られ蹌踉めいた瞬間を、申阿彌は逃さなかった。
「食らえぃ!」
微塵が申阿彌の手を離れ、強力に回転しながら浮穴媛に襲い掛かる。鋼鉄の鎖は蛇のように彼女の足に絡みつき、つんのめって斜面をごろごろ転がる間も、その華奢な足に巻き付いて離れなかった……。
「きききっ! 召し捕ったりいーっ」
申阿彌は、嬉々として砂地に横たわる浮穴媛に駆け寄った。
「さあて……。捕らえた兎をどう料理するか」
そう言って彼女を覗き込んだ途端、申阿彌の顔から笑みが消えた……。
「あれ……?」
そこに転がっていたのは、浮穴媛と等身大の藁人形であったのだ。
「ちくしょう、人形だ!」
鎮は安なり 人の陽気を魂といふ 魂は運なり
浮穴媛の声がする。
申阿彌は、きょろきょろと辺りを見回した……。
言うは離遊の運魂を招きて 身体の中府に鎮む 故に鎮魂といふ
「あんな所にいやがる!」
先刻まで申阿彌がいた斜面の上に、浮穴媛の飄々とした姿があった。
彼女は、両手を組み合わせて鎮魂印を結んでいたが、やがてその手の平を申阿彌に向けた。次第に掌中に光の珠が輝き出す…。
天の火気…… 地の水気……
「何だ……ありゃあ……?」
鈴のように凛とした声が響く。
「やあっ!」
同時に、彼女の手から勢いよく光の珠が放出され、一直線に申阿彌の体に吸い込まれていった。一瞬の出来事である……。
「あ……あれ……?」
申阿彌は、光の珠が入り込んだ胸の辺りを不思議そうに撫で回した。
「一体どうした……?」
次に顔を上げて浮穴媛を見る……。
ぱんっ!
血煙と肉片を四方にまき散らしながら、申阿彌の体が木っ端微塵に消し飛んだ。
「ふふふ……、相模の土となるがよい」
浮穴媛の周りを金色に輝く蝶がひらひらと飛び回っていた……。
遠く、相模の海の水平線を秋の陽射しが、まるで魚の鱗のようにぎらぎらと輝かせていた。
雲の流れが、徐々に速度を増している……。
海を臨む蛭子神の小社には、相変わらず浜風が吹き上げていた。
その側らに、力なくかがみ込む浮穴媛の悵然とした姿があった……。
「双葉よ……。酷い目に合わせてしもうたの」
彼女の前には、黒く焼けただれた双葉の塊があった。黒髪は全て焼け落ち、二つの眼球はすでに生命の光を失っていた……。
「許せよ…………」
その時、浮穴媛の細い肩がびくんと震えた。
彼女はゆっくりと立ち上がりながら言った。
「妾の後ろを取るとは……見事じゃ……風魔小太郎!」
いつの間に現れたものか、浮穴媛の後ろには風魔小太郎の姿があった。
ちりちりと火縄の燃える音がする……。
「ふん……。種子島か……」
言い終わらぬうちに耳をつんざく発砲音が響き渡り、浮穴媛は衝撃で二、三歩前によろめいた。
右肘から下が無くなっていた……。
しかし、彼女は苦痛に悶えるどころか、嬉々として言い放った。
「はーはははっ! 愚かなり風魔小太郎。この至近距離で狙いを外すとは、焼きが回ったか?」
彼女は、肘から大量の血を垂らしながらも、壮絶な形相でゆっくりと風魔小太郎の方を振り向いた。
「次は貴様の番じゃ……。その手足引きちぎってくれよう」
しかし、風魔小太郎の姿を見た途端、彼女の表情は凍りついた。
「……何だ、それは!?」
再び、発砲音が轟く。
浮穴媛の左肘から下が消し飛び、血煙が舞い上がった。その反動で大きく仰け反った彼女は、それでも踏み留まって風魔小太郎の顔を睨みつけた……。
「そ、それは、鉄砲か……?」
「ふふふ……。甲斐の山奥に住んでおっては、見た事もなかろう」
風魔小太郎は、異様な形をした鉄砲を構えていた。
それは、銃底を軸に六本の銃身を束ねて一つにしたもので、六つの銃口が輪になって一斉に浮穴媛の方に向けられていた……。
「こいつはな……、大枚はたいて雑賀鉄砲衆から譲り受けた六連輪廻銃というものじゃ……。いちいち弾込めする事なく、六発の弾丸を続けて発射する事ができる」
そう言い終わった途端、六連輪廻銃が三度目の火を吹いた。弾丸は浮穴媛の右足に命中し、彼女はもんどり打って地べたに転がった。右膝から下が消えていた……。
「お、おのれ……風魔小太郎……」
血の気の引いた唇がわなわなと震えた。風魔小太郎はその顔を見下ろしながらせせら笑った。
「お前は、得体の知れぬ術を使うからな……。まずは、うんと痛めつけておかねば」
風魔小太郎の視界を金色の蝶が横切った。
途端に彼の手が素早く動きそれを捕らえる。握りつぶされた蝶は、紙片と化し浮穴媛の胸の上にぽとりと落ちた……。
「甲斐の躑躅ヶ崎館にいる信玄は影武者であると、伊吹の鬼童丸が言うておった……」
「……鬼童丸だ?」
「越後の軒猿じゃ……。奴には、一度見た人間の顔をその黒子の位置まで正確に記憶する能力がある……、そいつが影武者であると太鼓判を押したのじゃ」
「ふふふ……、詮無い事を……」
「そうやって、白を切り続けるがよい」
四度目の発砲音が天地を震わせると、浮穴媛はそのまま気を失った…………。
秋の空は、刻一刻とその表情を変える。
それは無常な戦国の世を、克明に写し取っているかのようでもあった……。
さっきまで穏やかだった海には、いつしかうねうねと高い波が渦巻き、墨を流したような黒雲が空を覆い始めていた……。
気が付くと、浮穴媛は祠の中に運び込まれていた。
衣服は脱がされ、失った四肢の先には血止めの紐が固く縛りつけられていた……。
「気が付いたか……」
薄暗い祠の中に寂然と座す、風魔小太郎の黒い影があった。
「何故、殺さぬ……?」
彼女の問いには答えず、風魔小太郎はしみじみと言った。
「お前は、本当に美しい……。もっと他の生き方はなかったのか?」
「あっはっは! 何を戯けた事を」
浮穴媛は、土気色の顔を歪めて笑った。
「妾は戦火に滅ぼされた村で、焼け死んだ女の腹から生まれた子じゃ! 人買いの手から手へと渡り、甲斐國巫女頭領、望月千代女様に拾われたとき思ったぞ……六道などない……この戦乱の世こそが即ち、修羅であり、畜生であり、餓鬼であり、地獄なのだ……とな」
風魔小太郎は、ふうっと大きく溜息をついた。
「まあよい……、お前と禅問答しても始まらぬわ」
彼はゆっくりと立ち上がり、鷹のように怜悧な目を細めた。
「ところで、お前…………」
にやりと笑う。
「生娘だな?」
「な、何を……?」
浮穴媛の顔に狼狽の色が現れた。
風魔小太郎は、彼女の上に身を屈めると、くんくんと下腹の匂いを嗅いだ。
「ふっふっふ、男を知らずに逝かすのも哀れじゃ……。ひとつ、お前を女にしてやろう……」
「何をする気じゃ!?」
風魔小太郎は、突然、浮穴媛の横に嘔吐した。その吐瀉物は、毒々しい玉虫色をした巨大な芋虫だった……。
「こいつは、お前が殺した松虫の弟で、月虫という……。是非にも兄の仇を討ちたいというので、ここへ連れてきたのじゃ」
その奇怪な芋虫は、重たい体をずるずると引きずりながら、膝から先を失った、浮穴媛の足元へと這い寄った……。
「さあ、月虫や……。憎き兄の仇じゃ……、存分に喰らうがよい」
月虫は、ぎいと哭くと彼女の白い太腿の間に徐々にその凶暴な体を埋めていった……。
「んわあ!」
浮穴媛の四肢のない体が大きく仰け反った。目を大きく見開き、洞穴のように開いた口からは上ずった声が漏れた。
「お、おお……おのれ……おのれ風魔小太……小太……こた……こ……こ……こおおおぉぉ」
手足を失った体を激しくよじる姿は、この上もなく凄惨かつ妖艶であった。それ自体が一匹の虫のようでもあり、悪鬼に捕らわれもがき苦しむ天女のようでもあった。その瞳は、恐怖と苦痛に怯えながらも抗い難い恍惚感に濡れ輝いていた……。
「おのれ……風うま小太ろおおお……おの……おの……ふう魔こた……こた郎……お……お……あああ!」
この、瀕死で横たわる女体の一体どこに、このような精気が残されていたのか…。
反り返った白い首の曲線はうっすらと汗ばみ、細い肩を結ぶ華奢な鎖骨が小刻みに震える……。そして、未発達の乳房は次第にその大きさと固さを増し、その先をつんと尖らせながら激しく揺れ動いた……。
その下に浮き上がったしなやかな肋骨の影や、綺麗にくびれた腰がびくんびくんと激しく波打ち始めると、彼女の喘ぎ声の調子がだんだんと狂気をおびてくる……。
白くたおやかな腹に、筋肉の線が浮き上がる程に身をよじり、激しく首を振るたびに艶やかな黒髪が生き物のようにうねうねと揺れ動いた……。
風魔小太郎は、そんな様子を感情のない瞳で見下ろしていたが、やがて浮穴媛の体が激しく痙攣し始めると、長く地へ垂れた髭をつまみながら、ふふふと含み笑いをした。
「や、や……やめ……やめ……こ、こ、こ……ころし……し……ころしてたも……お、お……おお……おおおおっ!」
浮穴媛は、涙と涎に濡れた顔を狂ったように振りながら、短い手足をばたつかせた。
断末魔の絶叫は、金切り声だった。
ひいいいいいぃぃぃぃぃぃっ!
やがて弓なりに仰け反っていた体はぐったりと全ての力を失い、睫毛の長い切れ長の瞳は、そのまま静かに閉じられ二度と開かなかった……。
「ふ……昇天したか」
風魔小太郎は、どっかりと座り直し、浮穴媛の腹の中にいる虫に呼びかけた。
「月虫や……、如何であった? 処女の体はこの上もなく美味であろう……?」
にっこり笑いかけるが、返事はない……。
「……これ、月虫?」
げらげらげらげらげらげらげらげら……!
突如、死んだと思っていた浮穴媛がけたたましく笑った! 風魔小太郎は、驚愕のあまり目を皿のようにしてその顔に見入った……。
「月虫は死んだわ!」
浮穴媛の目がかっと見開かれた。
「妾の腹に、禍々しき蟲の精を宿してなぁ!」
げらげらげらげらげらげらげらげら……!
「おおおっ!」
風魔小太郎は、恐怖に仰け反った。浮穴媛の両目が妖魔のごとく黄金色に輝いていたのである。
「あな嬉しやなぁ、風魔小太郎ぉぉ……妾は孕んだぞ……禍々しき蟲の子らをなあっ!」
風魔小太郎は尻餅をついたまま、ずるっずるっと後退った。彼の視線は恐怖のために忙しなく揺れ動き、全身の皮膚が粟立っていた……。
「あな嬉しやなぁ、風魔小太郎ぉぉ……妾は産み落とすぞ……恐怖と厄の子らをなあっ!」
そう叫んだ途端、浮穴媛の股間から鮮血が飛び散り、続いてぬらぬらと光る粘膜の糸を引きながら、奇怪な節足動物がずるずる這い出してきた。一匹、二匹、三匹……。その数はたちまち増え、風魔小太郎は足下にまとわりつく蟲を払いのけながら悲鳴を上げた。
「はぁーはははっ! 妾は占い当てたぞぉ! 北条は滅ぶ! 卑しき出自の将に討たれてなぁ!」
風魔小太郎は、祠の壁に背をもたせ掛けながら、ずりずりと起き上がった。袴を黒く小便が濡らしている。蟲の数は、今や祠の床を黒く覆い尽くすほどに増殖していた……。
「はぁーはははっ! 妾は占い当てたぞぉ! 風魔一党は下賤の徒に成り下がる! そして、その首を刑場に晒すのじゃあっ!」
祠の扉がばたんと開いた。いつの間にか外には強い突風が吹き荒れ、入り口から勢いよく流れ込んで風魔小太郎の逆立った総髪をなびかせた。
「はぁーはははっ! 妾は占い当てたぞ……」
そこまで言い掛けたとき、突然、割れんばかりの発砲音が祠の内部を揺るがせた。
浮穴媛の首が消えた……。
その側らには、震える手で六連輪廻銃を握りしめる風魔小太郎の姿があった。
「お、おのれ……甲斐のくノ一め……。あ、ああ……どうしたものか……。相模の地に厄の種が広がってしまう……」
彼は狂ったように足下を這う蟲を踏みつぶした。しかし、その禍々しい蟲は次から次へと壁や床板の隙間をくぐり抜け、外の世界へと、肥沃で豊かな相模の大地へと這い出していった……。
「ああ……ああ……。北条は……相模の国は滅ぶのか…………」
風魔小太郎は、夢遊病者のような足取りで、砂嵐が吹き荒れる海岸へと下った。
最後の発砲音は、ごうごうと激しく荒れ狂う波の音にかき消された。
その後、風魔小太郎の姿を見た者はいない……。
雷鳴が轟き、やがて滝のような雨が大地を打ち始めた……。その水煙に霞む祠の下から黒い影がゆっくりと起き上がった…………。
足柄峠に鬼女が出るという噂が立ったのは、この凄惨を極めた戦いから、ややあっての事である。
その姿は、全身黒く焼けただれ、頭髪は全て焼け落ちていたという…………。
落葉が雪のように降り注ぐ季節の話であった……。
忍法夜話/巫女狩り 完
( この物語は創作であり、歴史的資料に綿密に取材したものではありません )
あとがき
高校に通っていた頃、クラスメイトに潔癖症(医師やカウンセラーではないので断定は出来ませんが)の女子がいました。彼女は、何かに触れるたびに手を洗い、また消毒液のスプレーで念入りに殺菌していました。僕は、どうしてそこまで清潔にするのだろう? と、いつも不思議に思っていましたが、ある時、ふと考えました。あの子が心の奥底で本当に望んでいるのは、手を清める事ではなく、泥の中に手を突っ込んでこねくり回す事なのではないだろうか……、嫌悪とは憧憬の裏返しなのでは……と。
人は、たとえ理性が否定しても、やはり恐い物や残酷な物を見てみたいという衝動にかられてしまいます。何故でしょう? それは残酷な物を求める欲求が、性衝動とカタルシスを共有しているからだと私は考えます。イタリアン・ホラーに代表される所謂エログロというものが、ひとつのジャンルとして確立されているのもその表れです。また、かつての文学少年達が、江戸川乱歩の小説に単なる推理小説以上の熱狂と興奮をおぼえたのは、やはりそこに思春期の性的好奇心を満たしてくれる何かが存在したからではないでしょうか。残酷と性……。この二つに共通している事は、どちらからも生命というものを強烈に感じるという事です。これを『臭い物には蓋』的な発想だけで人々の目から遠ざけてしまう事は、返って良い結果を生まないのではないでしょうか。(もちろん、違法な物や未成年者の人格形成に支障をきたすような物は取り締まらねばなりませんが) ここのところを取り違えると、私達は死ぬまで心の中を消毒液で殺菌し続ける事になるのでは……、そんな事をふと思った次第であります。 (平成二〇年四月 閉伊琢司)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
この小説は、『春エロス2008』という企画に参加するためだけに書いたもので、ジャンルはあくまでもホラーです。そのため歴史を説明するような文章はなるべく省きました。
第1話はかなり昔に書いたもので、取りあえずそれを投稿してしまってから残りのストーリーを考えました。その為、全体を通して物語に整合性がなく時間経過もあやふやとなってしまいましたが、自分としては、とてもいい勉強になったと思っております。
エロスを間接的に表現する為、残虐性に置き換えてみたのですが、いささか調子に乗りすぎたきらいがあります。今後、この分野で突っ走る気はありませんが、機会があれば、また挑戦してみたいと思います。
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