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rotoio人外ものシリーズ

鉄壁エスコート

作者: ゲストa

「いつもありがとう、また明日」

「キュイル!夜に泳ぐ君よ、迷わず陽を目指し蘇れ」


「きゅいる、あなたの魂と共に。お休みなさいシシル」


一瞬額に触れた指先は硬質、柔さも温もりもない。

私が触れた額も同じく、ごつごつと並ぶ不揃いな突起は鋭利な乱ぐい歯のようだ。

灯った青白い人工の光は弱く、本来のはがねのような色味は褪せ、ただのっぺりと黒い。


向かい合う私達の、背後の扉が音もなく滑る。

あいにく扉の両側には誰もいないし、自動制御で開く扉でもない、ただ目の前のシシルの長い尻尾による行為で、好意だ。

幽霊ではない、大事なことなので何度でも言おう、幽霊ではないのだ!!

ただ初回は驚きのあまりシシルにしがみ付き、その後全力でハタいたが。


私に合わせ跪いていた巨体が身を起こし、長い尾も合わせてヒュッと風鳴りをたてながら引かれた。

闇に浮かぶその輪郭をどう表せばいいのか、長らく世話になっておきながらいまだに迷う。


肌は金属的な色艶と強度で、かつ要所要所に厚くとげとげの物質が装甲を成している。

歩行形態は二足だが非常事態には四足でも駆けることが可能、身体能力もこの世界に住むどの獣にも劣らないという無双ぶり。

当然四肢と第五の手ともいえる器用な尾は、どれもが恐ろしくしなやかでいて頑強だ。

大きめの頭は犬のような鼻の突き出す形で大小様々の突起で凶悪に鎧われ、一際大きな二本角が威圧感たっぷりに螺旋を描く。


何このヤバそうな生物めちゃめちゃ怖い、それが彼らを目にして一秒後の正直な感想だった。

しかし当然でもある、なにせ“見た目が怖い知的生物堂々の一位!”という煽りにつられて、局の情報庫を検索したのだから。

誰が仕掛けた罠だったのか、その情報を手元の端末に引き寄せた途端、一通の辞令も同時に届いた。

なぜか音声付きだったのだが、その能天気な軽さが胃を締め上げる重圧と対照的で、乾いた笑いが漏れたのを覚えている。


『好奇心旺盛なアナタにぴったりの赴任先が決定しました!! 彩号:紫黒~☆ 業種:狩人~☆ 日時:出来るだけは・や・く♪』









私の生まれた世界はなぜか穴だらけで、別世界へと繋がる薄い膜のようなものがあちこちにゆらめいている。

陸にも海にも空にも当然のようにあるそれらは、太古からほぼ全てが異なる世界へと繋がったまま安定していた。


おっかなびっくりの出入りを繰り返したこの世界の住人は、様々な法則を学んでゆく。

その穴を意識し、通り抜けられるのは、この世界の者だけだということ。

繋がる世界の全てが、自分たちの住む地より遥かに広く、過酷で、住まう生物もまた強靭だということ。


生物らしい生物がいない世界、呼吸出来る空気もなく足跡一つを残して命からがら逃げ戻る者達がいた。

こちらに似た文明を見つけ、喜び勇んで接触を図ったもののあまりの容貌の違いに囚われ、何十年の苦闘の末帰った者がいた。

もちろん帰らない者もたくさんいた、それでも。


仄光る幾重もの膜の向こう、灯る陽が、うつろう闇が、よぎる影が、命のざわめきが。

狭く静かな世界に生きる、私達の心を捉えて離さないのだ。

特技らしい特技を持てなかった私のような臆病ものにさえ、その憧れは容赦なく根を下ろし。

穏やかだった日常を――死地に変えてしまった。



彩号とは、ゆらぎの向こうの世界の識別色であり、暗くなるほど危険度は高い。


職業とは、渡った先の世界で期待される働きであり、狩人を請けた者が戦いを免れることはない。



ちなみに私の戦闘的感性は、十段階評価の成績表に場違いな花丸が咲いたほどだ。

教官も全く及第の当てがない生徒にはこういったもので『もう合格でいいでいいよ、これ以上は時間の無駄だし』と示すのだろう。

異世界の環境をふまえ、明色でも相当に、まして暗色の彩号に渡るものはひたすら厳しく選抜されるのが常識なのに。

出来るだけは・や・く♪逝ってこいと?全世界多様生態保護局がこんな暗黒組織だとは知らなかった。






出来るだけ早く辞表を書こうと早退し、安寧の地であるべき自宅で目にしたのは、金額にすれば私が一生どころか三生働いても稼げない、高価な装備や備品の山だった。

見たい知りたいでも死にたくないと、異世界探索への情熱は我が世界の文明や技術を急激に発展させたのだ。


私でも、この全耐性付加防護鎧:やすら着や、最新型避難房:楽しい我が家2436型改があれば溶岩流れる焦土を散歩し、竜を相手に戯れ、敵に十重二十重と囲まれた極寒の極地で安眠できる。

そして一際存在を主張するのが無造作にごろりと転がった土木機器の最高傑作、一発で山を射抜きトンネルを貫通させる掘削機ヅラをした名称未定兵器だ。

現在業界ではその商品名をめぐり、もぐらのモグタン派と潜らぬモグラン派との対立が深刻化していると新聞が取り上げていた。


そんな可愛い代物かというのが私の感想だ、コレを狩りに使えというならそれは殲滅というもおこがましい破壊行為、せっかく憧れの異世界に渡っておきながらそこにあるものを損なうなど、許されないし、絶対にしない。

けれどこれだけの品が用意される現実があるのだ。

そして、そこに向かう人間が皆私のような平和主義者の皮を被った臆病者だという保証もない。


結局その夜のうちに規定通り遺書をしたため、モグ某は丁重に送り返し、残った物品の扱いを覚えるのに半月を費やして。

私は爆笑する膝でカクカクと、どす黒い彩号に振り分けられたお先真っ暗の世界に旅立った。






滴るような緑が、朝もやに滲んで柔らかに輝いていた。

その印象が影響したのか、実際に大気の組成が違うのか、異世界最初の呼吸は濾過されても青く、濃く、肺を満たした。

二重写しで視界を流れる目まぐるしい情報も、みな穏やかな色で瞬き警戒すべき要素はない。

その世界は、静かに私を受け入れてくれた。


深い安堵にじんわり潤む視界、ゆっくりと見渡す中に遠く、黒い影が佇んでいた。

その姿は端末に立体投影されていたままで、大きく、恐ろしく。

銀色の双眸がこちらを捉え、長い虹彩がきゅう、と細ったのを備わる遠見機能が捉えた。

巨躯の膝が折れ、顔が伏せられ……唯一上へと動いた右腕、ごつごつとして金気を帯びた凶器のような指先で。


小さな、赤い花が揺れていた。


花を愛でる感性がある、小さな客人に膝を突く気遣いが、その花を差し出すだけの歓迎の気持ちが。

ぼろぼろ流れる感涙を拭う機能が流石のやすら着も追いつかず、すっぽり頭部を覆う兜を脱ぎ捨てた。

目に鼻に、耳に肌に、映り、届き、震い、撫でた鮮やかな感覚に酔いしれ、更に全身の守りを解除した。

鼓動と共に脈打つ幸福感が、口から飛び出す。


「幸せすぎるーー!!やれる、ここならがんばれるぞーーっ!ぅおぉおおおおお~~!!」


幼い頃見た夢の中に、立っている今も夢見心地で。

彫像のように動かない黒いのをいいことに、お礼と共に駆けよって、花を奪いざまその辺を走り回り、笑い転げ。

はしゃぎ疲れと高揚の反動で、花を握り締めながらころりと眠ってしまった人間の、正気を疑わなかったのかと。

何度シシルを問い詰めても黙秘が返るが……それもう、答えてるのと一緒ですよ?

不運にもお迎え係を務めたばかりに、一台しか接続できない脳内端末直通の翻訳機はシシル用に調整され。

その後もひたすらに、迷惑をかけ続けることになる。









彼の同族――キュルキィルウィ――現地語をほぼ正確に採用するのは無茶です保護局の皆さん、言いにくい!

きゅるきゅるい、違うか、もう黒さんと呼ぶが、彼らと私達の世界の交流は万の単位で細々と継続している。

巨体の彼らも寿命が長いが、私達穴ぼこ世界の住人もゆらぎに触れれば触れるほど老化しにくくなり寿命も延びる。

同じ時を過ごせるのが心地良いと、無理やり黒さん達の集落に翻訳機一つで飛び込んだ迷惑な勇者が交流の祖らしい。

最初は弱い、煩い、侵入者めと疎まれていた彼だが、ほぼ生態系の頂点に立つ黒さん達の、唯一の天敵を退けるのに協力したことで変化が訪れた。


今も穴ぼこ世界から一人狩人が常駐し、天敵来襲の際は力を合わせるという契約が結ばれているらしい。

常時共にというわけで、住みこみが基本で期間中は帰界もろくに許されていない、完全ボッチ、咳をしても独りきりの人類。

それこそ世界が違うので共通の生態も無く話題はさらに無く、文明的にも開きがあり手軽な娯楽も無い。

豊かな生態と穏やかな気候風土に似合わない彩号の暗さは、どうやら精神面の負担から来ているようだ。

が、まだまだ私には無縁の心境だった、とりあえず毎日を生きていくのに精いっぱいで。


そこからシシルの災難は始まった。

とにかく、彼の同族と来訪者たる私との取り持ちだとか、この世界で私が成すべき狩りへの相談とか。

そういった最優先の契約関連など二の次に、日常生活全てをおんぶに抱っこで面倒を見てもらう日々。

この世界の環境や生活様式、農耕や建築に関する知識の教授、あたりの探索にも同行を願い、つきっきりにさせてしまったのだ。


主張しすぎる影法師のように、寡黙に連れ立つだけだったシシルが豹変したのはまだ一月にも満たない時期だった。

まあ木材・食材・その他モロモロを得るために通う巨大生物ばかりの森で、十歩に一度はふらつき、百歩に一度は転げ、食虫植物のひげと必死のワルツを踊り、そこらの昆虫にびびっては――しかし体高は膝まである――葉影にまぎれ込んで消える客人のお守りを仰せつかれば、誰でも思うのかもしれない。

やってられるか、と。


そこで私を放り出すでもなく、人に押し付けるでもなく、広い右肩に小さな鞍もどきを括りつけ、ぽすりと跨らせるのがシシルだ。

そのまま私が作りかけていた掘っ立て小屋を持ちあげ、いつの間にか用意されていた森の中の更地に運ぶと。

その無骨な手指で信じられない器用さを発揮し、私サイズの丈夫な平屋に仕上げてくれた、半日で。


深ぶかと、木々の根を断ちながら肥えた腐葉土を黒土と混ぜ合わせるのは、剥き出しの手足だった。

重機の勢いで突き進むシシルの背後で、これまた器用な尾が出てきた小石や石や岩をぴんぴん弾き飛ばしうねの形を整えて。

弾き損ねたかに見えた岩が、流石に降ろされていた私の斜め後ろに着弾し、ぱぐしゃ!という硬くて柔らかい物が潰れる音もした。

……シシルの雄姿に見惚れている内に、ナニかに捕食されかかっていたのだ。

畑の開墾と同時に護衛の任まで難なく果たす、この有能で強力な生物の助っ人が私というのはもう冗談の域だろう。

立派な菜園が完成し、柵で囲われ、種が撒かれ、私達がほうっと顔を見合わせたのは……さらに半日後のことだった。


「……すごい。今まで歯痒くて堪らなかったんですね?」

「キュルルィ!牙が磨り減る思いでした…………!」


時々シシルがぎこぎこ鳴いていたのは、何かの表現ではなく歯軋りだったらしい、どうりで翻訳されないわけだ。

他にも言葉の前の鳴き声には肯定と否定の二音があり、金属のネジが擦れるような甲高いきゅる!系は肯定を意味する。

ただそのニュアンスは曖昧で、相手に対する感情の好悪や相槌ていどになるので同じく翻訳はされない。


「本当にありがとうございますシシル、これで生活の目処がつきました。泥だらけですね、近くに水場はありますか?」

「キュルル!近くにあります、少々お待ちください。汚れを落とした後で貴女の荷も移しましょう」


「結構ですよ!お疲れでしょう?自分で運びますから今日はもう引き上げて下さい」

「ブー!」


この否定音、本当にしっくりくるなと感心してしまう一方で、即却下の強引さに不満も覚えて。

水辺に向かうシシルに並走し、迷惑そうな雰囲気に構わず水浴びを散々手伝ってやった。

跳ね上げた飛沫が金色に輝き、濡れたシシルの体表も私の鎧も柔らかな茜に染まって美しかった。

この世界は、美しかった。









荷物を受け取ればもう宵の口、珍しく帰る素振りを見せないシシルを誘い、煌めきの片鱗をみせる星空を見物した。

発光機能を備えた伸縮自在の敷布が、蛍火のような色合いで上に寝転がる大きくごついのと、柔くちんまりした輪郭を青闇に浮かび上がらせていた。

沈黙を彩る葉ずれ、生身にも心地好い微温の風はまだ知らない花の香りを乗せて。

閉じた瞼の裏にまで焼きつく、銀色の月が見事な夜だった。


「キュルルゥ!なぜ貴女はこんな事をしているのですか?」

「…………ふぁっ?失礼、ええと、何でした?」


「キュキュッ!わたしは先代の狩人との仲立ちでもありました。彼女は狩り以外で森に入ることも、私の前で鎧を脱ぐこともありませんでした。強固な住処に籠り、決してこの世界の物を食さず、わたしを呼ぶのも最低限必要の場合だけでした」

「性格も行動もそれぞれでしょう?ただあなたの手を今日まで煩わせ続けたことは申し訳なく思っています、すみませんでした」


「ブッブーー!!全くですよろよろコロコロとっ、いつ踏み潰すかと毎日気が気ではありませんでした……!」

「本っ当にすみませんでしたっ……しかし、それならあなたこそ何故そうも丁寧に面倒を見てくれるのですか?放っておいても死にはしないと、あなたほど知っている方もいないでしょう。今まであなたを付き合わせた全てが私の……我儘だと、知っていますよね?」


「キュル!」

「ふっ……!そうです私、実はとってもワガママなんです。どこにいても出来る無難な生活なんて絶対イヤなんです!だってそれじゃ、私とこの世界を繋ぐものなんか……なんにも残らないじゃないですか」


任につくにあたって、衣食住は完璧に保証される。

局に通信を入れれば畑など作らずとも、幾らでも食料は届くのだ、狩りも採集も必要無い。

家だって無用だ、楽しい我が家2436型改は耐久性はもちろん居心地にも十二分の配慮がなされている。

だけど違う、それじゃ足りないのだ、せっかく異世界に居るのに既成品を食べそんな物に寝る生活は、私には耐えられない。


「シシルにとっては来ては去る狩人の一人でも、落ちこぼれの私がこの目で見られる異世界なんかここしかないんです。よって自重など全く考えていませんのであしからず。たとえ貴方の協力を得られなくなっても私は、この生活を続けたいと思っています」

「キュルルルッ!構いませんとも、貴女の望みなど歴代の狩人達と比べれば些細なものです」


「……そうですかね?」

「キュル!わたしを“シシル”と呼んだのは貴女が初めてです。先代も先々代もその前も皆、呼び名は“バケモノ”でしたよ」


「……はい……?」


ソレは断じて何気なく口にすべき台詞ではないと思われるが。


「キュルゥ!先ほどの問いの答えでもあります。怪物と呼んで憚らない相手に、ヒトがどういった扱いをするかは言わずとも察して頂けるでしょう?わたしは彼らが暇を紛らわす玩具でした。わたしは、我が一族が貴女のために用意した“壁”で、“監視者”です」


――イィイイイイィ…………ン!


翻訳は音を供わず脳に伝わるが、黒さん達本来の言語は機械音に近い甲高い音で喉にも耳にもたいへん厳しい。

それが哄笑ともなると、可聴域を超えた震えを肌で感じ、耳はおろか脳髄に痛みの針を差し込まれた状態になるようだ。

喚きながらのたうつ私がシシルにぶつかった途端、振動が止んだ。


「ブー!!大丈夫かっ!?どこが痛むっ?」

「そ、りゃ心ですよ……っ疎まれる覚悟はあっても、痛めつけたいほど……ってのは」


「ブゥッ!違うっ!!今までわたしの前で鎧を脱ぐ奴などいなかった!だから無防備なお前達が、お前がっ、こんなに脆いとは――」

「――頭も……っ。兜、被れば損傷度合いが……」


そして、このみっともない泣き顔も隠れる。

あの日のように潤む視界が、この世界に渡った時の記憶を呼び覚ました。

まだ鮮やかな花の赤が、やり切れずに目を閉じた。









とんでもない所で切れた記憶と鈍く残る痛みに、頭を抱えながら目を覚ますと、見知らぬ家の中だった。

しかし、兜装着のまま寝かしつけるのは勘弁してほしかったですシシル……。

首まで痛いうえに、身体は鎧をまとう為の薄手の上下だけなので、とても間が抜けている。

床に重なる滑らかな毛皮の海に溺れながらも這いだすと、遥か上空にかかる屋根と、きっとびくとも動かせない壁のような扉と、伸びても跳ねても外が見えない小憎らしい高さの大窓がある。


黒さんたちの生態や生活様式の記録はどこを探しても出て来なかったが、この大きさなら彼らの住居で間違いないだろう。

生活感がないから恐らく作業小屋のようなもの、忌まわしい異界人を押し込めるなら集落を外れた場所だろうか。

兜がそのままなのと拘束がないのが腑に落ちない、でも鎧のない私などシシルには小指で潰せる相手だ。


ただ、体内に埋め込まれた生体反応記録装置があるので、そう簡単にぷちっといく予定はない。

どこでどんな風に死んだかも詳細に残されるので、やがてシシル相手の狩人なんてものが来るかもしれないから。

それに黒さん達に確かに天敵が存在する以上、狩人は必要な戦力だろうからそこは心配しなくていいだろう、まだ。


昨日の音波攻撃で後に残る影響は無かったらしく、体機能は上々だ。

感情的な齟齬だけで身の危険がない現状では、帰界の許可は下りないと予想もつく。

だから脱出など、するだけ事を荒立てるのかもしれないが、少し悪あがきしてみようと思った。

全身全霊をささげ、渾身の力で扉を押して、押して、たまに引っ張って、息が上がって膝を付くまで。

やがて力尽き仰向けにひっくり返ると、角度的に少しだけ窓から外の木々と、その他の黒光りが見えた。


「ブゥー!引戸ですよお嬢さん」


無駄に赤くなった両手が哀れで、やり切れずに目を閉じた。






「ブッブー!わたしが怒られるのは理不尽ですっ、貴女の家も引戸で造ったのになぜ仕様が違うと?鎧もすぐ身に着けられるよう隣に置いておいたのになぜ纏っていないのですか!脆弱な貴女はもっと自衛に努めるべきなのに……っ」


何もかもおっしゃる通りだった。

滑るように軽く開く引戸、その匠の技を褒めちぎったのは昨日のことだったのだが、大きすぎる扉を引く発想は無かった。

試しもしなかったが、高性能な兜には対である鎧の発する信号を受けるという、あまりにも基本的な機能が備わっていた。

ヒコン、と脳裏に煌めく光点、示された位置は山と積まれた毛皮の寝床の中で。


……ぐうの音も出ないので黙っていたわけだが、シシルは私が拗ねていると取ったようだった。

しばらくぎこぎこ鳴いたあと、毛皮を一枚持って来て倒れ伏したままの私を芯にし、くるくる巻き込むと胸元に抱え上げた。

音も無く開いた扉の外には、押し包むような緑の中鮮やな黒が目を引く出来たての菜園と、同じく出来たての私の家と。


さらに真新しい簡素な作業小屋らしきものと、清水がさらさら溢れる自然石の水盤と、そこを終点に伸びた、恐らく川から水を引いているのだろう精巧な樋、木陰にさり気なく建てられたあずまやなど諸々目新しい設備が鎮座ましましていた。


「……私が眠っていたのは一晩ですよね?シシルは凄い、まるで魔法使いです」

「ブー!不思議がることでもないですよ。貴女が本当にこの世界に馴染みたいのだと、気付いた時から準備をしていましたから」


陽光を浴び清々しい木の香を漂わせるそれらは、全て私に使い勝手のいい大きさで。

なのに、ちらりと返り見ればシシル仕様にそびえ立つ家も、その生活圏の中に堂々と食い込んでいるのだ。



人を、嫌いなはずなのに。


私を、嫌いなはずなのに。



見渡す景色の全てに垣間見えるのは、溢れるような気遣いと――……。

シシルは、また言葉に詰まった私をそっと両手に包みこんで大きな大きな顔の前に掲げ、銀色の双眸をゆっくり瞬かせた。

微笑んでいるのだと、思わせる穏やかな空気、歌うような抑揚。


「キュルゥウ!御機嫌は直りましたか?」

「どう言ったらいいのか、分からないぐらい素敵ですシシル。ありがとう。でも、別に拗ねていたわけではありません」


「ブブゥー!拗ねていましたとも。見知らぬ環境で目覚めても、開かない扉で閉じ込められても、貴女はわたしを呼ばなかった」

「それはっ……歴代の狩人からひどい仕打ちを受けた聞けば、同族の私も疎まれていると思うでしょう?」


「ブブー!それなら貴女は怯えましたか?もしくは罪悪感で萎縮されましたか?いえ、勿論そういった感情も持たれてはいたのでしょうが、一番強いのは怒りや恨みだったのではありませんか?」


曇りのない銀色が、情けなく顔を歪めた私を――まるっと包み込んだ無骨な兜を映す。

どんな絵面だと思っても、す巻き状態の人間に出来ることなどない。


「キュルルルル!裏切られたと。もう信じないと思われたから呼ばなかったのでは?貴女がわたしを信頼し、好意を向けるほどにはわたしが貴女を重んじていないと、悔しく思われたのではないのですか?」

「ちがっ~~っ!」


言葉だけで鮮やかに、内面を曝き出される羞恥。

それをする相手が異種族ともなれば居た堪れなさも倍増しだ。



――見透かされまくりか、どれだけ単純なんだ自分!



拗ねていないと言ったその口を不自然につぐみ、思いっきり顔を逸らすという行動はいろいろ救いようのないものだった。

イィーン……と、耳鳴りのような忍び笑いが響いて、反射的に身を竦めた私の背に。

ごつごつした大きな指が添い、とん、とん、と優しく弾んだ。


「キュルルー!行動はどんな言葉より確かだと、わたしは思います。ここに築いた全てが、夜を徹して表したわたしの気持ちです。どうか隅々までご覧ください……エニム」

「いえ、ツエルニィ=アムンですシシル」


「ブー!スウィルシェルルゥです、エニムん」

「す、すシルるー」


「ブニーー!!やはり訂正します。貴女にはシシルと呼ばれていたい、せめても」

「私はエニムんも可愛らしいと思いますが、噴き出しても許して下さいね?慣れるまで十年ほど」


初対面は名乗りもせず寝落ち、一夜明けての自己紹介では今しがたの通りの、無残な発音。

互いに呼び合うこともままならずにぎこちなく始まった協力体制、いや、ただひたすらに面倒を見てもらう日々。

恩を受けた思い出は星の数だが、私がシシルに何かを返した覚えはない。

負の方面に傾いていただろう先入観を帳消しにしたもの、そして隣人に迎えられるまでに彼を変えたものなどどこにあっただろう?


「……分かりませんシシル。貴方の好意は、私には過ぎたものです。“狩人”への期待の表れだとしたら、後でどんなにがっかりするか知れませんよ?私は本当に落ちこぼれなので、狩りの詳細さえろくに示されず送りこまれたくらい……その、使えない奴で」

「…………キュイル!そういえば貴女は“狩人”でしたね」


「がっかりですシシル!!私の唯一の存在意義が忘れ去られていたなんてっ……!?」

「キュルルル!わたしも驚いています、まさか貴女があれらと戦うつもりでいたなんて。ありふれた花や虫を踏まないようにと森をまともに歩けもしない貴女が?虫喰い蔓を千切ることさえ躊躇い、わたしが手を出すまで延々ともがいていたのに」


「……少し不器用なだけです。そういった意図ではありません」

「ブッブーッ!では幼獣の掛かった罠を緩めて回っていたのは?手当までして逃がしていたでしょう」


「まだ携帯食が残っていましたし……そう、もっと大きくなってから捕まってくれるかもしれないでしょう?」

「ブブーッ!緋炎花の大樹が近く咲くのだと教えれば、ねぐらを抜け出して夜通し木の下で無邪気に待っていた」


「あ、その節はありがとうございました。明け方には帰ろうと思っていたんですがつい、って……!?」


“監視者”だと告げたからか、平然と暴かれる一人気ままに取ったはずの行動。

夢うつつに迎えだと囁いたシシルに掬いとられ、安定感のある両手の窪みにふたたび横たえられて。

目が覚めたのはまだ森の外にあった拠点の前、ふにゃふにゃとお礼を言う私に小さく頷いて見せたあの優しさは。

浮かれた異世界人に対する、憐れみからきていたんですか……?


「ずっと、見てたんですか……日の出を見ようとして木から落ちかけた時も?月蕩草の蜜袋を虫という虫に横取りされ続けた時も……?」

「キュルルィ!大嘴の朝鳴きに驚いて住処に逃げ戻ったところも。星のない夜は決まって寂しげに膝を抱えていたところも」


よし完璧だ、晒していない醜態などもう思い付かない。

それらを一通り見たうえであの家があり、菜園があり、シシルの家までついてきている。



これはもう、仕方がないから今後も面倒を見てやろうということだ。


これはもう、お前の好意くらい受け止めてやるということだ、と思う。



「キュルルルルゥ!もっとも、初対面で全身の守りを解くような無防備な異世界人を、この世界に一目で惹かれ涙を流すほどに感動した貴女を、嫌えたはずもありませんが。女性は花に弱い、そんな初代の口伝てだけで用意したつまらぬ一輪で、異形であるわたしにみずから触れてくれましたね?本当に恥ずかしかった、どうしてもっと美しく珍しい種を用意しなかったのかと。その話題のたびに黙りこむわたしを責めないでくださり感謝しています」

「こちらこそ、正気の沙汰ではない行動を初対面で見せつけてしまい心からお詫びします。もうお互い忘れましょう!」


「ブー!至らないわたしは昨夜もまた、不用意な言葉と行為で貴女を傷つけました。もう痛みはありませんか?」

「…………まだ、少しだけ」


「ブッブー!滑稽だったのはわたしなのです。表裏なく接して下さる貴女の人柄を疑い、密かに見張る長い夜に。頭に浮かぶのは本性を暴く計略などではなく、貴女を喜ばせる方法ばかりでした。わたしはわたしの直感を信じなかった。過去に囚われ貴女を信じなかった。わたしは貴女に笑われたかった。叱られたかった。散々に怒られた後で……許すと、言ってほしかった。身勝手な願いの結末は、身も心も傷付いてうずくまる貴女の弱々しい姿でした」

「許します、許しますから!!オチまで聞かず気絶してすみませんでしたっ、というか頭痛に関しては勝手に装備を解いていた私が悪かったんです!言いがかりでしたごめんなさいっ!拗ねてしまってごめんなさいっ!!」


岩より鉄より頑丈な、敵など無い種族に生まれ、長い寿命の中で惨憺たる経験も重ねてきただろうに。

優しさも繊細なまでの感受性もちゃんと心に育て、咲かせて。

差し出してくるのか、あの赤い花のように。


「キュルルルルゥ!ありがとうございます。その償いというわけではありませんが、わたしは貴女を守りたい。今までは貴女を陰から見守るだけで満足していましたが、貴女の好奇心は尽きず、行動もいつまでたっても危なっかしい。そのうえ生身があそこまで脆いとなればもう、目を離す隙を作りたくはないのです。どうかわたしと一緒に暮らして下さい、ちぇニムん」

「ぶふっ!!……失礼、喜んで。これからもよろしくお願いします、シシル」



いやいや、これはもう……結構な好かれ具合だと自惚れていいのではないだろうか?



応えるように薄く口が開き、渦巻くように生えた幾層もの、幾種もの歯牙が覗く。

雑食が極まれば黒さん達のようになるのだろう、肉も骨も、植物も、鉱石ですらかみ砕きすり潰す頑強な顎がすぐそこにある。

傍から見れば今にも丸呑みにされそうな、捕食者と獲物の図だろうに。

その口は、ヒィイィイ……ンと兜がなくても私を傷つけない、ごく忍びやかな笑いを奏でるだけだ。

聞いていると、何故だか泣きそうになった。


「シシル、私はこれから狩人として全力で頑張ろうと思いますっ!!」

「ブビーーッ!?無謀です!!」


「それ以上貴方のお役に立てることがあるでしょうか?いえ無いですね。私だって言葉より確かに語ってみたい。その、貴方が……」

「キュルルゥ!“大好き”だと?」


「ふぐっ……!」


言葉ほど強気でぶつけられた問いなら、ノって、笑って肯定したのに。

否定を恐れながら、それでも問いをためらわない果敢な貴方が。

決して弱者たる私の意志をないがしろにせず、いつでも敬意と労わりを示してくれる貴方が。

世界の違いも種族の違いも越えて、もうその強暴な姿にさえ目を奪われるほどに。


「キュル…………好き、でしょう?」

「きゅるっ!!すっごくめちゃめちゃ大好きですとも!!」


身をよじりたくなるような、あったかこそばゆい空気が流れる。

こちらの表情や顔色がシシルに判別できるとは思えないが、間の抜けた兜の存在が今はとても有難かった。

沈黙を、声が上擦らなくなるまで引き延ばす。


「ええと、それではもう一度。ふつつか者ですが今後とも末永くお願いします」

「キュルルルルィ!!」


「それではっ、明日からは一緒に狩りに励みましょうね!!」

「ブー!」


「……あれ?」






繰り返し説得は試みた、しかしシシルもその話になるとぶーとしか鳴かない生き物と化す。

虚しく響きつづけるその音に堪りかねつい折れてしまう私が、本来の務めを果たせる日はいつだろう。









ひたり、回路が繋がる感覚。

界を飛び越えた通信は負担が大きく、途端に身体は弛緩し致命的に無防備になる。

楽しい我が家2436型改を使うのは、もうこんな時だけになった。


「お久しぶりですツエルニィさん、問題ですか?」

「ええ、思いもよらないことでしたが。以前お返ししたモグ某という兵器、送ってもらうことは出来ますか?」


「あれは土木機器ですよ~?でも!それじゃやっぱり必要だったんですねっ?一撃粉砕☆モグラッタ君が!」

「ああ、やはり命名失敗したんですね。和解の名残がありますが、どうして誰もカワイイ路線に無理があると気付かないんでしょう」


「それを言っちゃお仕舞いですよ。それにっ!最初から持っていって下さいな、使用許可取るの大変なんですよぉ危険物はっ!!」

「兵器ですよねやっぱり?いえ、すみません、私には使いこなす技術も覚悟もなかったんです……が――」


「――はいっ、確認してますよ~、これは送るのは無理ですね。接続地点周辺がもの凄い質量で包囲されていますから!渡界当日からコツコツこつこつ岩だのなんだの積み重ねて、ほんと彼らのマメな性分は何世紀たっても健在ですね!!」

「当日……え、埋めたのシシルですか!?」


「ええもう虫一匹通さない勢いでがっちり、隙間なく、緻密に埋め立ててらっしゃいました!執念ですね~!!もう狩人など必要ない、こちらとの関係も断ちたいと“壁”の一族の代表として打診されていた方ですが、正式に撤回も頂き嬉しい限りです!」


「……ええと。お話がよく分からなくなってきたのですが……?」

「あれ~?当代守壁のスウィルシェルルゥさんとは関係良好ですよね?」


「良く、してもらってはいますが……“狩人”としての信用が足りず、まだ狩るべき相手の詳細すら黙秘されています……っ」

「あはっ、えらく気に入られちゃいましたね~!アレらは不死にして不壊、余所の世界なら神として祀られてそうな特異体ですから下手にじゃらすと大怪我しちゃうんですよ。でもずっと構ってあげないと、癇癪起こして暴れるので手が掛かるんですよね~。悪いものではないんですが」


「……ええと。いつからペットのお話に?」

「そういった認識でも問題ないですよ?ただスウィルシェルルゥさんより百倍大きくて~、万倍頑丈で~、各種超自然的能力が使える存在が何体か、寂しくなったり暇を持て余したりするとキュルキィルウィさん達の集落まで遊びに来るんです」


「それ蹂躙ですよね!?それを追い払えと?シシルが“壁”なら私が攻め手で?……ははっ、空耳がひどいので一端切ります」

「切らないで~!!いいんです戦わなくてもっ、死に物狂いで逃げるだけで“鬼ごっこ”として楽しんでいたという記録が!!」


「ああ、それなら簡単ですね!」

「でしょう?そうでしょう!」


「なんて言うとでも思いましたか?無敵すぎるでしょう鬼が!!ああ、どうりで護身用具さえ馬鹿げた出力だと……!そこまでの相手、今手持ちの道具で何とかなるんですか?なりますよね?ならないなんて言わせませんよ?あと、シシルに身体を張って庇われるくらいなら私が囮になってどこまででも逃げますから」

「それそれ、スウィルシェルルゥさんも同じような心境で、あなたをアレらから遠ざけようとしているんでしょう。でもっ!きちんと共闘態勢を築いておかないと怪我しちゃいますよ~?試算ではモグラッタ君ですら、アレらを一瞬押し返せたら上出来ですからねぇ」


「まったく……まったく。来るんじゃなかったなんて口が裂けても言いませんが、情報開示が遅すぎませんか?来てしまってから告げるのは詐欺です。ああ…………暗紫の彩号は伊達じゃなかったんですね、こんなに穏やかな世界なのにおかしいと思いましたよ」

「いいえ?不倶戴天クラスの敵性体はゼロなので身体的脅威の面から暗色に分類されたわけではありません。ご存じのように文明レベルは低いながら、自然豊かで安定した住環境でもあります。それでも黒に近い底辺に位置し続けているのは、何と言いますか……歪な者を呼ぶから、でしょうか?」


オペレーターさんは、実は結構な美声なのだ。

いつもふわふわとした調子の方に気をとられて、意識してはいなかったけれど。

こんなに真面目に話せるのかと、ここまで改まった話なのかと、薄ら寒い予感を覚えながらただ耳を傾ける。


「数多ある世界の中では特色など無いに等しい平凡さなのに、いつからでしょうか?そこを希望する者は老若男女の差を問わず、誰も彼もおかしくなる。元から因子があるのか、滞在する内に“ダメ”になるのかは解りません。ただアレらの存在に狂喜し目の色を変えて挑みかかるんです。戦う事にしか興味を向けなくなって、無謀な挑戦を繰り返し自滅する。時にはキュルキィルウィさん達にさえ害意を向ける。歴代守壁の皆さんはその様を生き飽いたような、と表わされました。だから希望者を募るのは止めたんです。そして全く闘争意欲のない者を試験的に送り込んで、様子を見ることになりました」


「あ~……あの戦闘訓練の花丸、もしかしてそういう意味でした?」

「ええ、運動能力には問題ないのに他人を傷つける行為を拒否する、理想の人材へ贈る花丸です。卒業と同時に強制的にそちらへ送る案も上がっていたのですが、それによって悪印象を持つことも考えられたので。あなたがその世界に興味を示すか、異世界派遣の試験を受けたら、という条件になっていたんですよ」


「それは、さぞやきもきされたでしょうね。全くそんな気ありませんでしたから」

「それはもう。ですが、その分とうとうあなたが餌に食いついた時の興奮は――……いえいえ、キュルキィルウィ種を検索して頂けた時の喜びは大きかったですねぇ。気が変わらないうちにと異例の速さで辞令ももぎ取ったんですが、後で考えるとちょっぴり強引だったかと……あんなにじっくり期を伺ったのを台無しにするところでした。えへへ、私もまだまだ辛抱が足りませんね」


色々と、衝撃を受けた。

担当の挨拶を受けた時から馴染みやすい声だと思っていた理由が、あの恐怖の辞令が脳に染み付いていたからだなんて。

この世界に渡るまでに重ねた夜は悪夢一色だった、薄闇を埋める無数の黒さんに追われながら、無限再生される能天気な逝ってこい宣告。

同一人物だったなんてっ……聞けば納得のノリの軽さだけど!!


そして見事に嵌められた当時、鬱陶しいほどに端末を賑わせていた通信添付広告は、その何割が罠だったのだろう。

一学生の成績表まで手を出せる組織力、唾をつけた相手を取り込んで虎視眈々と隙を伺う運営方針。

全世界多様生態保護局、やはり恐ろしい所だ。


「話が逸れてしまいましたね。さてキュルキィルウィさん達に、ついに天敵以上に厄介な存在として疎まれてしまった私達ですが、穴を閉じる技術もありませんし、様々な世界との交流は、私達の世界の発展に欠くことのできないものです。あなたを送りこんだ後も二手三手と用意はしていたのですがまさか、早速このような結果が出るなんて!!よほどあなたはその世界との相性が良かったんでしょうねぇ……」

「…………どうですかね。ただ、シシルが優しすぎただけのような気もしますが」


覚悟した以上に重い話だったけれど、否定できる情報の持ち合わせはない。

どうして、あんなに温厚なシシルが人間への疑心暗鬼を募らせていたのか。

どうして、シシル以外の黒さん一族を何カ月経っても目にすることがないのか。

彼らにとっての“バケモノ”とは、もう――。


「もっと自信を持って下さいよツエルニィさ~ん。ちなみに後任者は未定ですので、任期など気にしないで憧れの異世界生活を楽しんで下さいね!」

「それ、狂うかどうかするまで帰れると思うなよってことですよね?実験体一例目として」


「ツエルニィさん、深読みが過ぎると人生息苦しいですよ?謎めいた知的生命体との心温まる友情、想像の上を行く壮観な生態系、何を見ても何をしても新鮮なその生活!あなたにしか、いえ、あなたのためにあるその世界を心ゆくまで堪能し、ただただ健やかに生き抜く……充実した人生じゃありませんかっ!」

「そんなに全力で丸めこまれなくても頑張りますから!関係修復に力を尽くすのもやぶさかではありません、望むところですとも。でも、だったらいっそう問題なんですよ!」


ここでようやくこの通信の、本題に戻れたことになる。

気付いたのは今日だった、やすら着その他の定期点検と自分の健診に戻ろうと、久しぶりに訪れた世界間の接続地点の上に。

何の脈絡もなく、土山がそびえ立っていた。


目を疑い、記憶を疑い、何度も何度も位置確認をしたが、私が通るべき穴はやはり地中深くに埋没していた。

生活物資は全て現地調達、通信も場所は選ばない、となればそうそう此処を訪れる必要もなく。

だから、こんな事になっているなんて三年間全く気付かなかったのだ。


到底自力でなんとかできる事態ではなく、途方に暮れてシシルに相談しようとしたら。

謝罪に加えてぽつりと一言、そして四つ足を着く本気の走法でどこかに逃げ去ってしまった。

なるほど、あれがシシルの仕業なら謝罪も出るだろうが、理由も教えていってくださいよ……。


「私がゆらぎに触れたのなんて、ここに渡る一回だけですよ!?基礎寿命に加算しても100年ほどです、シシルよりだいぶお先に逝っちゃうんですが…………接続地点、埋まっちゃって。掘り返そうにも道具を送ってもらうことも……ははっ、『わたしを置いていかないで下さい』ってどういう意味でしょうね?実際そうするためにこちらも必死なんですが」

「少しすれ違っていらしゃるようですね……でも大丈夫!きちんと事情を話し合えば、きっと一夜にして山が消える勢いで協力して下さいますよ~、生態系の頂点をナメちゃダメです。ついでに勤勉、まめまめしいときたら、良いお婿さん捕まえましたね!!」


「…………はい?」

「下さったんでしょう?お家。雄が異性のために住処を用意するのが並ならぬ愛情の証だというのは、世界多しといえど変わらぬ真理です!あ、千年その世界で無事に勤めあげたら“種族変化”の権利が与えられます。もちろんキュルキィルウィ種化も可能ですので、ゆっくり家族計画を話しあって下さいね。それでは無事のご帰界、お待ちしてま~す!!」


ぱつり、回路が途絶える感覚。


「っはは、そんな奇跡が起こるわけないでしょう。なんで……っ!」


一度だけ、やんわりと過去をにおわせたシシル。

迫害の事実だけで衝撃だったのに、その期間も深刻さも、実際は想像も及ばない規模だったのだ。

予想以上に深かった人と黒さん達との確執を知ってしまっては、シシルに会うのさえ気が引けて……。

うじうじと二日ほど閉じこもった楽しい我が家2436型改は、三日目を待たずそっと抉じ開けられた。

シシルの第二形態、その禍々しいまでの威容と威力とはさておいて、自分が嫌いになったかと聞く消えそうな声にやられ。

もう、わんわん泣きながら謝ったり、泣き言や葛藤やその他諸々をぶちまけた気はするのだが、これが興奮しすぎていてあまり記憶に無く……。



疲れ果てて気絶するように眠り、目を覚ました時にはもう接続地点は見事に掘り出されていた。

相変わらず“狩り”への参加は渋られているものの、シシルはその日から他の点では大幅に態度を軟化させた。


大反対だったらしい帰界も、名残惜しそうに尻尾をぐるぐる巻きつけながらも『いってらっしゃい』と言ってくれた。

あとなぜか毎朝必ず、瑞々しい花を一輪手渡してくれるようにもなった。

ついでに増築されていくシシル邸に呑みこまれてしまった私の家は部屋の一つと化し、いつの間にやら同居の形に落ち着いて。

数え上げればきりがない、そんな好意の数々に溺れていると。

やがて消せない過去からくる罪悪感や疑念とも、徐々に折り合いがつくようになっていった。









あちらとこちらの様式が混ざった奇妙な、それでももう随分馴染んだ挨拶をかわし、部屋へ戻る。

つぎつぎと送られる花の香りに、包まれて眠るのにも慣れて久しい。

しかし、だからと言って聞けるわけではないのだ、私は貴方のなんですか?だなんて。


自分はあの日、超長期勤務特典までシシルに告げてしまったのだろうか?

世界が違う、種族が違う、まとも考えれば有り得ない思考なのに。

シシルの揺るぎない献身が、皮肉にも私の気持ちを惑わし、揺らすのだ。


こちらにしたって、シシルを連れていけない元の世界には日帰りで充分、寿命一杯こっちで暮らそうと決めている程度。

友情とも親愛ともつかないこの程度の想いで、隣を望んでいいのだろうか。

このまま誰よりも、貴方の近くに居たいのだと。

もしそうでなくなれば、どんなに寂しいか。


心騒がせる自問自答を、今日も押し込めて横になる。

人生の持ち時間が長くなると、やたら気も長くなるのは悪い所だ。

それに目下最大の悩みがシシルが好き過ぎてツライだとか、ちょっと幸せだとも思ってしまうから。


「大丈夫、千年あれば何でもできる!」


気休め一つ目を閉じて、遥か彼方に先延ばし。

更けゆく異界の夜にそっと沈みこんだ。

本作はゲストa氏より頂いたお話です。許可をもらいrikiが投稿しております。

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