あなたが怪しい
今日も世界は平和で、世界と言っても私の周りに限定した狭い範囲なのだけれど、穏やかな日々が流れていた。
クラスメイトの内山君が昼休みにサッカーをして怪我をしたという話を聞いたけれども、あのお調子者じゃ仕方ないなという感想しか生まれない。同情はするが、心配はされないタイプなのだ。落ち着きなく、落ち着かない。常に流動という言葉が当てはまる内山君なので、男子とはそういう生き物だし、世間では男子中学生が一番バカという評価を下しているようだが、私から見れば、女子から見れば、男子はいつまでも経ってもバカなままの気もする。
退屈な五時間目の授業も終わり、帰りのホームルームも終了して部活動に入っていない私は帰宅する段になったのだが、私は真っ直ぐ家に帰るのではなく校舎をさ迷うことにした。
目的なく、目的地なく、というわけではないけれど、目的と呼べるほどの確固たる到達点を持っているわけでなく、目的地と言うほどの明確な場所を目指しているわけでもないので、さ迷うが妥当だろう。持つことも目指すこともせず、定めることのない足取りで校舎を練り歩くことにする。本当ならこんな暇つぶしにもならないこと、する必要はないのだけれど、だけれどする必要があるので、用があるので仕方なく、暇つぶしと言える行為を暇つぶしではなく実行しなくてはならない。
教室を見やれば怪我をした内山君を気遣う木耳さんの姿があり、女子に話しかけられ顔は良いが精神が幼い内山君は、平気だと言いながら調子に乗って飛び跳ねると弁慶の泣き所と呼ばれる人体の急所を椅子の脚にぶつけていた。そんな滑稽かつ呆れる様子を木耳さんは笑って心配し、そんな二人のやりとりを尻目に私は教室を出る。
実は私のこれからの行動には、多少なりとも木耳さんが関係しているのだけれど、それを彼女は知らない。私だけが知っている、ある意味秘密とも言うべきものだった。普段と変わらない、別にいつも通りの彼女を残し、私は教室を出るとまずは隣のクラスを覗き、当然のようにいないことを確認し、今は使われていない理科準備室へ向かい、空き教室に特別教室を覗いて、最後に図書室へ向かうと――いた。
彼女が居た。
明確な目的も目的地もないとは言ったけれど、それでも私の行動に意味を持たせるなら、それは単純に彼女に会う為だった。それならば目的が当てはまるかもしれないが、それでも目的とするには、私の些細なプライドとでも言えばいいのだろうか、彼女のために自分が動いているという事実を否定したい気持ちがあるのだ。彼女の為に動きたくない、と言えばなんて人間が小さいのだと思われるかもしれないが、それは彼女を知らないからだ。彼女に協力をするくらいなら、何もしないでだらだらと寝休日を過ごす世の中のお父さん達の方がまだ建設的だ。
何をしているのだろうと、図書室なので読書以外の目的は基本ないものだが、彼女はつまらなさそうに本へ目を落とし、頬杖をついて足を組み、図書室の一角、奥の端っこの席で読書をしていた。何処にでもいる普通の女の子なのに、その姿は気取っていると言えばいいのか、鼻につくと言えばいいのか、悪印象を抱くには十分な佇まいだった。これから彼女と会話しなければならないことに気怠さと面倒さを感じつつ、ため息を吐きながら、私は真っ直ぐに彼女の元へ歩を進める。すると、足音で気づいたのか、それとも気配かは解らないが、彼女が顔を上げた。
「ん……やぁ」
近づくと、眠たそうに、怠そうに、彼女の視線が私に向く。挨拶を返すべきか悩んだが、返す間柄でもないと思い無言で要件を済ませようと思ったところ、そんなことはお見通しだったのか彼女は続けて口を開いた。
「頼んだことは、済んだの?」
「……言われたことはやっといたわ」
出鼻を挫かれた気分になったが、ここで何らかの反応を返しても彼女を喜ばせるだけだ。私は一枚の紙片を渡すだけにした。ノートの切れ端で、彼女に頼まれある男子の詳細が書かれている。彼女は本を閉じ、ありがとうと紙片を受け取ると、紙片を机の上に置き、中身を確認することもせず読書へと戻ってしまった。態度だけ見るなら横柄だが、性格も横柄なので認識は間違っていない。私はこのまま帰ってしまっても良かったのだけど、何となく癪に障り、このまま帰ってしまえばただのパシリのような気分になったので彼女の対面に座る。仏頂面を下げて彼女を睨むと、きょとんと惚けた顔を浮かべてきやがった。
「ん……特に今は、やってもらうことはないよ?」
「あんたの為にやってるんじゃないわよ」
彼女、支傾雛に対し、私はそう嘯いた。
支傾雛、彼女を端的に表すなら、『何もしない』だ。
何から何まで他人に任せ、自分は動かず、他人に動いてもらう怠慢極まりない性格の持ち主。最初会った時、最初に相対した時、私は何もしようとせず他人に任せる雛に苦言を伝えたことがある。あまりに動かず動かす姿に憤りを感じてしまったのだ。だから私は言った。面と向かって、叱るというよりなじるように。非難というより文句をつけるように。
もう少し自分で動くことを覚えたらどうだ――と。
それに対し、彼女は抜け抜けと、悪びれなくこう言い放った。
『あたしはね、あたしがするべきことを探してるの』
『するべきこと?』
『そ、するべきこと』
だからやらないのだと言われ、その時は下手な言い訳にしか聞こえなかったが、入学式から半年経った今、雛は本当に、そのままの意味で言ったのだと解る。
支傾雛、彼女は真実、自分がするべきことを探していた。
あまりに極端な思考、思想だったので理解しきれなかったが、簡単に言えば雛は『生きる価値や意味』を求めているのだ。
――何のために生きる。
――何のために産まれた。
その答えがあるようには思えない、多くの者が折り合いをつけ誤魔化し生きる世界で、雛は自分がするべきことを探している。自分にしか出来ないことを探していた。
それならば彼女は何をするのだろう、という話で、そこでやっと繋がってくるのだ。
だからこそ、彼女は他人に任せる、ということに。
他人が何処まで出来るか、何処まで出来てしまうか。
もし出来ない事があれば、それは自分がやるべき事柄なのかもしれないと。
だから彼女は、謎というか問題に対し、多くの人間を使い、任せ、解決させようとする。
自分がするべきことを探すため、自分自身の為に。
「ふぁ……」
恥ずかしげもなく大口を開け欠伸をする雛は、本を閉じると私に手渡してきた。面白いから読んでみろ、という意味ではなく、片付けといてくれ、という意図だ。不服ではあったが、私がここで本を戻さなければ雛は当然のように放置し、図書委員が不満を述べながら片付ける羽目になるのはここ半年で痛いほど、嫌になるほど理解していたので片付けてやる。雛のことなので放っておいてもいいのだが、私が出来ることを放っておくというのは性格的に出来ない質なので、雛もそれが解っているから渡してきたのだろうが、私は本を確認して分類されているであろうコーナーに行く。てっきり小説、娯楽小説の類でも読んでいるのかと思いきや、この間までライトノベルと呼ばれる若者向けの、学生くらいの年齢向けの小説を呼んでいたかと思えば、今日はスヌーピーの解説書、だろうか。スヌーピーについての逸話などが書かれているようだ。試しに中を覗いてみると、トリビア的な内容から文中のセリフについてなど色々なことが書かれていた。面倒ではあったがちゃんと外国文学のコーナーへ行き、恐らく抜いたであろう空白が生まれた隙間に差し込んで雛の元へと戻る。そんな私に向かい、雛は人懐っこい可愛らしい笑顔を浮かべてお礼を言った。
「ありがと」
一応お礼は言える甲斐性はある雛だった。ただ、あまり誠意というのが感じられず、不満を解消するには至らない。私は不機嫌さを隠さず、乱暴に椅子に座る。そして、唐突に話を変えた。いや、戻した。
「貴女、それ、どうする気?」
私が先ほど手渡した紙片を、机に無防備に置きっぱなしにした調査報告書を指差し尋ねる。雛は眠そうにまた欠伸をすると、事もなげに「伝えるよ」と言った。
「でも、それは貴女が危惧したことが書かれているのよ」
「あたしは危惧なんかしてないよ。ただ、その可能性が高いって言っただけで、それを聞いた村雨が協力してくれだけ」
にっこりと、笑みを浮かべて言う。まるで、共犯者だとでも言うように。
確かに頼まれたことで、それを了承し引き受けた雛からしたら、頼まれたことを報告するのは当然なのだろうが、これは火種だ。
少しばかり面倒な、面倒になる、厄介な火種だった。
出来る事ならこのままなかったことにしたい、平穏な日常を守るなら握り潰しておきたい代物だったが、私に止める権利も義務もない。責任はあるかもしれないが、それでも私に害が及ぶ話ではないし、だからこそあっさりと、報告することを見越して渡したのだけれど。
私が何か言いたげに、言いたいことは確かなのだが何を言いたいのか明確に言葉に表せないのを見ると、雛はフォローとは違うだろうが、正しいことを、いつも通りのことを言った。
「安心していいよ。別に、これは村雨が調査しなくてもそのうち解ることだったんだから。他の誰かが、解っちゃうことだったんだからさ」
その言い方は私でなくても良いと否定された感じがしたが、それは正しい。
私がしなくとも、きっと雛は他の誰かに頼んだろうし、雛が何もしなくとも、他の誰かが伝えてしまうことだったのだろう。
以前、私が人を使うことに対し、どうしてそんなに色んな人に任せるのだと尋ねた時に、こう答えた。
『例えばさ。一人に任せて失敗か成功を願うよりも、数撃ちゃ当たる方式で成功率が高い方に賭けるのは普通じゃない? 別にあたしは頼んだことをしてくれなくても、文句を言うつもりはないよ。その人に出来ない別の人に頼むし、別の人もダメならまた違う人に頼む。そうやって最終的に、あたししか出来ないことを探してるんだからね。出来ても出来なくても、あたしにとって究極的には同じことなんだよ』
期待しない。
信頼しない。
依存しない。
雛のそれは、結局のところ誰の行動も頼ることも信じることもないという事だ。
出来て当たり前、出来なくて当然。
出来なくて当たり前、出来て当然。
同じ言葉なのだ、雛にとって。
そして、同じモノなのだ。雛にとって、人間は誰も。
言いたいことはあったが、私はそれをぐっと堪え、話を進めた。
「……まぁ、自業自得だし、アフターケアーなんてする気はないけどね」
「そうそう、裏切った責任も、疑った責任も、当事者にさせればいいんだよ」
そんな淡泊なことを言った。
それはいい。それはもういい。責任とは元々、やった本人が取るべきものだから。
だから聞きたいことは、知りたいことは別にあった。
「ところでさ」
机に突っ伏し本格的に寝る体勢に移った雛へ、私は説明を求める。
解らないことを、どうして雛が調べる前に、まるで当然のように私に言った言葉の真意を。
「あんたは、どうして解ったの? 今回のこと、私が調べたのは裏付けみたいなものだけど、あんたは私が調べる前に、私に頼む前に、予想してたじゃない」
私に頼む時に、話を持ってきた時に、雛は言ったのだ。
「どうせダメだろうけど、一応調べといてなんて、なんで最初から浮気してるって解った状態で私に頼んだのよ?」
「んー? ああ、それはね」
雛は大きく欠伸をすると、むにゃむにゃとふざけた事を呟きながら、言った。
「人間、大抵同じことしかしないからだよ」
◇
雛に頼まれたことは、確かに彼女が言った、人間は同じことを繰り返す、というモノの代表かもしれない。愛の数だけ悲しみがある、とは誰の言葉だったか。
けれども、それをただの高校生が行うというのは、引き受けるというのは、いささか奇異なことだと思う。
雛が引き受けたこと、私が任されたことは、端的に言ってしまえば浮気調査だった。
雛はうにゅーと恐らく私を苛立たせる為だけにふざけた効果音を口で呟きつつ、呆れた口調で感想を述べた。
「彼氏が最近怪しいから調べて欲しい、だなんて、ちゃんちゃらだね」
「ちゃんちゃら?」
雛が説明せず眠りそうだったので、私は机の下から彼女の椅子を蹴り飛ばす。がくんっ、と不自然に雛の身体が揺れ、雛の顎が机に打ちつけられた。恨めしそうな視線を送ってきたが気にしない。顎をさすりながら、雛は説明を続けた。
「……彼女さんはどうして怪しいと思ったんだと思う?」
「そりゃ、例えばデートとか、休みの日に会えるのが少なくなったとか、色々あったんじゃない?」
私が言うのも何だけど、今まで恋人がいない身分でこんなことを言うのもアレだけど、普段と違う行動を取られた時、怪しいと訝しむのは普通だろう。さすがに依頼を引き受けたのは雛なので、どうしてそう思ったかまでは知らないが、大方そういった理由から雛に頼んだのだろう。
なぜ雛に頼んだのか、それについて不思議はない。雛は他人任せに生きているが、そういう人間だと認知されているが、同時に、他人の悩みや問題を解決してくれる人間だとも認識されている。
その理由が雛曰く、他人を使い自分の代わりに出来ること出来ないことをやらせていくうちにそうなったというのだから、今回の件でも同じように話を、噂を聞いた女子が相談に来たのだろう。迷惑な話だ。面倒な話だった。
「うん、まぁあたしに相談しに来た時も概ねそんな感じだったよ。最近会えないとか、すれ違いが多いとか。そんな下らない理由で、人を疑ってた」
「下らないって、言い過ぎじゃない?」
「そう? 愛し合ってるはずの男女が、簡単に疑うなんて出来るとは思えないけど。浮気調査なんて、例え疑っていてもなかなか出来ない事だと思うけど」
「だから、そんな簡単に疑ってないんでしょ? 悩んで、その結果あんたに相談に来たんじゃない」
私がそう言うと、雛は呆れたような、憐れむ瞳を向けてきた。ムカついたので頬を抓ってやった。
「いひゃ、いひゃいいひゃいよほぉー」
「いいから、どうして解ったのか言いなさいよ」
「うぅ……村雨は本当に乱暴だよ。そんなんだから彼氏ができないんだ……」
私がもう一度頬に手を伸ばすと、雛は慌てて起き上がり距離を取った。怯える雛に向かい、私は腕を組んで反論する。
「言っとくけどね、私だって結構モテるんだから。今度の文化祭にだって、一緒に回らないかって声をかけてくる男子がいっぱいいるんだからね」
「へぇー、それは凄いね。お父さんとか?」
もう一度、机の下から雛を蹴り飛ばす。今度は椅子ではなく、彼女の脚を蹴り飛ばしてやった。おぅっ、と奇声を上げ足を擦る雛を一瞥し、私は続きを促す。
「いいから、さっさと話を進めて」
「図星かよ……まったく」
雛は脚をさすりながら、事の次第を話し始めた。
「先に言っておくけど、別に村雨がバカだから解らないとかじゃなくて、村雨のおつむが足りないとか発想力とか想像力が足りないとかそういうんじゃないよ」
「足、出して」
「やめて靴跡付いちゃう。あのねだから別に推理力といらなくて、単純にあたしが他の人にも頼んでたから解ったことなんだよ。村雨は悪くない。村雨がバカかどうかとか関係ないんだ」
「次は鼻を摘まもうかしら?」
余計な言葉を挟んだ雛に告げる。雛は慌てて両手を顔に当てた。
「だ、だから、浮気調査を依頼してきた彼女さんは、最初から浮気を疑っていたってことだよ」
「そりゃそうでしょ。だから、だから木耳さんはあんたに依頼をしてきたんだから」
そう、浮気調査を雛に依頼したのは、クラスメイトの木耳さんだった。
木耳さんと同じクラスという理由から、私は雛に頼みごとをされたのだが、それ以前にもちょくちょく雛の依頼を私が手伝っていたので、今回も同じ理由から私が手伝うはめになっている。何でも他人任せにする雛の行動が気に喰わないのもあるが、私自身、雛とは違って自分で物事をやらないと気が済まない質なので、割と多い頻度で雛の手伝いをする関係になったのだ。
「それの何がおかしいの?」
「おかしいでしょ」
私の疑問に、雛は即答で否定する。
「なんで最初から、木耳さんは浮気を疑ってたの?」
堂々巡りだ、と思った。
雛が言いたいことが解らない。
私が理解していないことを悟った雛は、ヒントを出すように問いかけてくる。
「じゃあさ、村雨から見て、教室内の木耳さんはどうだった?」
「どう……って?」
「ここ最近の木耳さんを見て、どう思った?」
そう言われても、特に何も思い浮かばない。
今日だって内山君に接している姿を見ても、いつも通りにしか見えなかった。
「別に、普通だったけど」
「そっか」
「それで?」
「それだけだけど?」
埒が明かない、とはこの事だろう。
説明する気がないのか、雛は一向に何故解ったのか口にしなかった。
「ねぇ、いい加減教えてくれない? どうしてあんたは、浮気してるって解ったの?」
苛立ちが混ざった声色で私が問うと、雛は、彼女は、他人任せに生きる彼女は、悪戯めいた笑みを浮かべた。
「村雨、あたしはね、村雨の信条っていうか、行動規範みたいなの、結構評価してるんだよ」
「何よ、突然」
「あたしはさ、前にも言った通り、自分が出来ることを探してるんだ。でも、村雨は自分が出来ることは自分でするってスタイルじゃない? ううん、むしろ自分が出来ないことでも自分でするってタイプだよね。なんかさ、それが似てるなって、共感できるって思ってるのよ」
雛と似ていると言われても、怠惰の印象しか抱いていない私からすれば侮辱に等しい評価だった。嬉しくないし、喜びもできない。
「やめてよ、私とあんたは似てない。一緒にしないで」
「あはは、別にいいじゃん。そんな嫌わないでよー。それにさ、似た者同士のあたし達なら、あたしが出した答えくらい、村雨だったら自分で辿り着くと思うんだよね」
挑発するように、事実そういう意図を持たせた笑みを浮かべ雛が言う。カチンと来る、同列に評価しながらも未だ同じ到達点に来ない私をバカにする言い方。雛はまだ解らないかと言ってきているのだ。
暗に明に、口に出して口に出さず、私に対し挑戦状を叩きつけてきた。
「それは……挑戦、と受け取っていいのかしら?」
「どうでもいいよ、好きに受け取って。そうだね、じゃあ村雨が自分なりの答えが出るまで、この報告は木耳さんにはしないよ。あんまり、してほしくなさそうだからね村雨は」
雛の挑発に簡単に乗った私は、「覚悟してて」とだけ言い残し図書室を後にする。今考えれば、話を流してしまって雛から直接聞けば手っ取り早かったのだが、プライドが邪魔をした。
しかし、結果的には良かったのかもしれない。
もし私が考えず、挑発に乗らずにそのまま雛に任せていたら、きっとこういう解決には至らなかっただろうし、もっと面倒な、醜い人間模様を見せられていたのかもしれないのだから。
◇
私はまず、雛が協力を頼んだもう一人の人物に会いに行く。図書室を出てからすぐの行動だったが、律儀なのか舐めているのか遊んでいるのか、律儀以外の思惑なのだろうが、私の携帯に雛から協力者の名前が送られて来たのだ。
手のひらで踊らされている気分にはなったが、それでも情報を対等にするためには会う必要があると、私はその協力者のところへ行く。行くと言っても、時刻は放課後、すでに大半の生徒は帰宅しており、後は部活に参加している生徒しか残っていない。目当ての人物が部活に入っていないと面倒だったが、幸いなことに、その人物は部活動に参加していたので簡単に見つけることが出来た。
「お、どうした村雨」
「ちょっと聞きたいことがあるの、内山君」
雛が選んだ協力者は、巷でお調子者のレッテルを貼られている内山君だった。何を頼んだのかは解らないが、人選ミスのような気がする。
内山君はテニス部に所属しており、校庭の一角で活動していた。部活中ということであったが、怪我をしているため見学していたようなモノだったらしい。最初にも述べたが、内山君は顔が良く成績は悪いがお調子者で、人当たりも悪くないので割とモテる。だからか、私が声をかけると隣のコートで部活動をしている女子テニス部の面々何人かが不審な視線を送ってきた。不審というより武人的な視線だ。眼光に敵意が籠っている。君達が不安に思う内容じゃないよと、心の中で呟きながら本題に入る。
「支傾に聞いたんだけど、あいつから何か頼まれなかった?」
「ああ、そういえば木耳のこと聞かれたな」
「良かったらどんな内容か教えて欲しいんだけど」
「いいけど、大したことじゃないぜ? 木耳と同じクラスだから、何か変わったことがあったら教えてくれってだけだ」
変わったこととは、何とも抽象的な物言いだった。尋ねられた内山君もどうしてそんな事を言われたのか解っていないようだった。
「それだけ?」
「ああ、一応謝礼は貰ったからな。別に変わったところはないって報告したけど、なんかあったん?」
「いえ、別に、何でもないわ。ありがとう」
私はお礼を言うと、そそくさと退散することにした。女子テニス部の方々の視線が痛くなってきたからだ。そろそろ物理的な痛みになるかもしれないと恐れをなしての逃亡だった。
それにしても、だ。
何故、内山君だったのだろうか。
頼んだ内容は本人が言っていた通り、大したことではない。それなら同じクラスの私でも遂行できそうなモノで、わざわざ内山君を使った意味が解らなかった。
そういえば謝礼がどうとか言っていたな、私は貰ってないけどそれは現金なのだろうかと少しばかり俗世的な思考をしながら校舎に戻っていると、下駄箱で呼び止められた。
「ちょっと」
周囲を見ると人はおらず、自分のことかと幾分か疑いを持って振り返ると、そこには体操服に身を包んだ女子生徒が立っていた。左手を腰に当て、右手にはテニスラケットを持っている。
「えっと、私?」
「そう。ねぇ、内山君に何の用だったの?」
単刀直入に聞いてくる。会話を楽しむ余裕すらなく、彼女は剣呑な光を瞳に宿して、侍のように腰にラケットを携え聞いてきた。厄介で面倒なことになった。煩わしいも当てはまる。
どうやらこの女の子は何か勘違いしているようだ。それも至極迷惑な、困った勘違いを。恋する乙女は盲目になりやすいと言うが、話しかけただけでいちいち確認するのは大変だろうなと思った。確認される方も大変だなと思った。進行形で。
誤解を解くのはいいが、何の用かと聞かれると困った。正直に、雛が内山君に木耳さんについて頼まれたことがあるから聞いた、などと答えるわけにはいかない。一応木耳さんの立場を考えると、相談内容は秘密にしておくべきだし、おいそれと口に出していい事ではない。
どう答えるべきか悩んでいると、業を煮やしたのか、テニス部女子が口を開いた。
「内山君に気があるの?」
「まさか」
「隠さなくてもいいのよ」
「まさか」
最初のまさかは驚きを、後半のまさかは失笑を含んだものとなってしまった。この場合の失笑は、誤用と正用両方の意味が付随される。つまり、思わず吹き出し、あんな奴に恋慕を抱くことはないという呆れを、言外に出してしまった。
言ってしまってから怒らせてしまうかなと思ったが、テニス部女子は後半のまさかの言い方に、私が本当に恋心を抱いていないのだと悟ると幾分か表情を柔らかくした。
「そう、それならいいの。ごめんなさい。最近ちょっかいかけてくる子がいるから、またなのかと思って」
「ちょっかい?」
「ええ、内山君と同じクラスだからって理由だけよ? あの子、彼氏がいるのに」
心底気に入らないのか、明後日を睨みながら爪を噛むテニス部女子。誰なのか名前を尋ねるが、知らない子なので解らないと言う。どんな人物かは説明を貰えたので大体の当たりをつけられたが、先ほどの私への対応を見るに、どうにも近づく女子はみんな内山君に好意を抱いていると勘違いしている節もある。話半分に聞いた方がいいかもしれない。
「ありがとう、助かったわ」
段々と内山君のカッコよさへと話しが逸れていき、退屈かつ疲れそうな内容だったので、早々にお礼を言い切り上げた。
さて、詳細は解らないが、それでも内山君に近づく女の子は少なくないことが解った。そして、最近になって新しく興味を持った子も、行動し出した子もいることが解った。
そこでふと、今日の放課後を思い出す。雛に会いに行く前の、教室の風景。内山君が怪我をして、声をかけた女の子は誰がいたか。ずっと内山君を見ていたわけではないので、多くの女子が声をかけていたかもしれない。ただ、一人だけ、気にはなる人物がいた。
木耳さんだ。
彼女も、声をかけていた。
先ほどのテニス部女子は言っていた。彼氏がいるのに、と。
それだけで木耳さんだと決めつけることはできないが、聞いた容姿も当てはまり、候補に入れるくらいは出来るだろう。
だが、それがどうしたと言うのだ。私が今調べていることは、どうして雛が私の調査を予想できたのか、その理由を知るために動いている。木耳さんが疑った彼氏の浮気について、どうして解ったのかを。
だが悔しいことに行き詰ってしまった。
聞くべき人には聞いてしまい、知るべきことは知ったのだと思う。この材料があれば、雛は辿り着けると判断し情報を出したのだ。
ならばこの情報だけで考えて、予想してみるしかない。
まずは現状の整理だ。最初から、解る範囲の経緯を思い出そう。
木耳さんが彼氏の言動に不審を抱き、雛に相談した。
雛は私と内山君に情報の提供者として利用した。
内山君は木耳さんの教室内の様子、普段と特に変化がないことを報告した。
私は木耳さんの彼氏が、浮気をしているだろうことを、怪しいという段階だが突き止めた。
そう、雛が言ったことで問題なのは、ここなのだ。
浮気していない、浮気している。この二つのどちらかを言って、当てずっぽうで言って、見事予想を当てた、というわけではない。そんなことなら、わざわざ聞くことはなかった。何故解ったのかなど、確かめる必要がなかった。当てずっぽうなど、そんなことで解ったのならそもそも思考と推理自体が存在しないのだから。その程度の人物なら、私が雛に協力ないし、一緒にいることはない。問題はそこではない。雛はその先の、知っていたとしか思えないことを言い当てたのだ。
私が調査を開始する前、話を持ってきた時、雛はこう言った。
『じゃあよろしく頼むよ。村雨なら上手い具合にやってくれると思うけどね。ま、どうせ浮気しているだろうってことしか、解らないだろうけど』
言われた時は私の実力を舐めているのだと考えた。確固たる証拠など掴めず、適度に適当なことしか解らないだろう、と。
だが、違った。調査を進めていくうちに、違うことが解った。
その通りなのだ。雛が言うように、調査を進めると案外すんなりと、浮気らしい現場を目撃したと証言が取れた。
知らない女の子と歩いているのを、見知らぬ女の子と一緒にいるのを見た話しを聞いたと。
そういう話は何人かから聞けた。だが、そこまでなのだ。それ以上の話が聞けないのだ。一緒に歩いていたのが浮気かどうか、判別するまでに至らない。友達かもしれないし、家族かもしれない。一応最初に話を聞いた数人、それは木耳さんの友人からの情報であったが、これだけで浮気と判断するにはまだ早い。早とちりで、この程度の情報だけで浮気していると決めつけるわけにはいかない。さらなる情報を、確証を得るために私は範囲を広げて聞きまわった。
けれどダメだった。それ以上の情報は得られず、それ以外の情報を得られず、それ以内のことしか解らなかった。それでも解ったことと言えば、彼氏さんの友人に聞いた限りだと、一人っ子なので姉も妹もいないという浮気の証拠を固める証言だけだった。
「はぁ……ったく、変にややこしくなってきたわね」
私は下駄箱で靴を履き替え、少しばかり休憩しようと中庭へ向かうことにした。
下駄箱の正面、校舎に入ってすぐには全面ガラス張りの大窓がある。窓の向こうには中庭が広がっており、それほど広くはないのだが、整備された綺麗な木々が一望できる。
私は中庭へと向かう。一応上履きでも出ることができるようになっていた。
四角で区切られた中庭。
頭上には夕刻を迎え赤くなった空が見え、等間隔で植えられた木々と、中間辺りには池もある。池の近くにはお昼を摂れるようにベンチが二つ並んであり、私は池側ではなく校舎に近いベンチへ腰を下ろす。見上げると二階と三階の窓が開いていた。
「あーもう……」
思わず弱音を吐きそうになる。
私は探偵ではない。小説やドラマのように、少ない手掛かりから事件の犯人を推理するなんて技、持ち合わせていないのだ。
だがそれでも、雛に出来て自分にできないのが悔しくて、こうしてミステリー小説の真似事をしている。
何事も他人任せにする雛。
その癖、こういった思考だけは驚嘆に値する結果を導き出すのだ。
「なんで私、こんな事してんだろう……」
無益なことをしているのは解っていたが、雛に負けたくない意地で行動していた。それでも虚しさを覚えてしまうのだ。
思わずもう帰ってしまおうかと考えていると、
「――からっ――――ない!」
「ん?」
何処からか声が聞こえてくる。それも会話というより言い争いが近く、諍いの類。
「どこ?」
辺りを見回し、もう一度上の方から声が聞こえ見上げると、そこには男女がいた。二人の人間が、声を上げて、荒げていた。
「もういいよ! どうせ私のことなんて」
「だから、なんでそうなるんだよ!」
放課後だからいいが、もしこれが昼間だったら注目の的だろう。二人が言いあっているのは二階。窓が開いているので声がよく聞こえた。思わず耳を向けてしまう。勘違いしないで欲しいが、盗み聞き趣味があるわけではない。喧嘩をしている二人、木耳さんとその彼氏だから思わず聞き耳を立ててしまったのだ。
木耳さんは激昂しているというより、不貞腐れている感じだった。
「もう話す事なんてないから」
「なんでだよ? 怒ってる理由を言えって」
「自分の胸にでも聞いてみたら?」
埒が明かない、といった感じだった。
木耳さんは話し合うつもりはないらしく、聞く耳を持たなかった。彼氏さんは何故そこまで木耳さんが怒っているのか、理由が解っていないようだ。
しかし不思議だ。まだ雛は木耳さんに報告していないはずだ。他人任せで自分じゃ何もしない雛だけど、約束は守る方だ。私が自分なりの答えを雛に言うまで、木耳さんに報告することはない。
そう、だから。
だったら何故、木耳さん達は喧嘩しているのだろうか?
もしかしたら浮気とは関係ない、他のことで喧嘩しているのかもしれない。だがそれは、次の木耳さんの発言により否定された。
「俺がなんかしたか?」
彼氏の悲痛かつ情けない台詞に、木耳さんはニヤリと、少しばかりあくどい笑みを浮かべた。
不遜で不敵で、不審な笑みを。
「あんたが浮気してるの、知ってるんだからね」
「……へ?」
衝撃の言葉だった……と言えるだろう。だが、秘密がバレたに等しい発言に、彼氏さんは戸惑った、演技か本心かは解らないが、声をあげた。
「な、何のことだよ?」
「今に見てなさいよ。浮気してたって証拠、持ってくるんだから」
木耳さんはそれだけ言い捨てると、彼氏さんを置いてさっさと立ち去ってしまった。残された彼氏さんはわけが解らないといった感じで、呆然。
私はそこで、考える。考えた。考えられた。
たまたま偶然だが、木耳さんの本心を聞けた気がした。
そして思いつく。
そこで考え付く。
あまりに突飛で、推理なんて烏滸がましいただの思いつきだったのだけれど、一つだけ、今のこの状況を説明できるかもしれない結末を。
私は慌ててベンチから立ち上がると、中庭から下駄箱に向かい靴を履き替え外に出て、校庭を見渡せる位置に行き、ひっそりと隠れるように待つ。しばらく時間が経って、そろそろ部活動も終了という時刻。野球部にサッカー部、テニス部に陸上部が活動中の校庭で、私は見た。目撃した。すべてを、答えを。
「そういうことね……」
こうしてやっと辿り着いたのだ。
雛のところまで、同じ位置に。
◇
図書室に向かうと、もうすぐ下校時刻ということで生徒の姿はなかった。図書委員だけがせっせと仕事をしていたが、それも司書室という部屋にいて、図書室の中にはただ一人、雛が可愛らしい寝息を立てている以外静寂に包まれている。
「おい、起きろ」
「ひぶっ!?」
私は遠慮なく雛の後頭部を叩いた。誰もいない図書室に、小気味良い軽快な音が響く。
「いったぁ……」
涙目になりながら雛が起きる。後頭部を擦りながら、非難の視線を投げかけてくるが、図書室は昼寝をする場所ではないので咎める意味でも問題はない。
私はもう一度図書室内を見回し、誰もいないことを確認して雛の正面に座る。そんな私の挙動を見て、雛は嬉しそうに、楽しそうに口を開いた。
「へー、凄いね。もう解ったんだ」
「なに、嫌味?」
「ううん、純粋に驚いてるんだよ。二、三日くらいかかるかなぁって」
「嘘でしょ」
「ん? なんで?」
「本当にそう思ってるなら、なんでまだ、あんたはここにいるのよ」
ジト目を向けてやるが、雛はどこ吹く風と涼しげな顔だった。底が読めない、心が読めない奴だ。
「それで、村雨はどういう結論を出したの?」
嬉々として尋ねる雛に、私は先に結論を述べた。
「浮気はなかった。そういうことでしょ」
「へーそうなんだー浮気してなかったのかー。でも、村雨が最初に持ってきた情報」
そう言ってつい数刻前に私が持ってきた紙切れをひらひらと揺らす。
「これには、そんなこと書いてなかったけどなぁー」
明らかにわざとな口調だったので、またもや思いっきり机の下から雛の脚を蹴り飛ばしてやろうとしたのだが、さすがに何度も受けていれば学習したのか、雛は椅子の位置を変えて避けた。しかもただ避けたんじゃなく、椅子の足に私のすねがぶつかり、意図してやったのか解らないが声にならない悲鳴が漏れる。
「――――っっ!!」
「あれ、どうしたの村雨ちゃん? あれ、なんか泣きそうだけど何処か痛いの村雨ちゃん? ねぇねぇ大丈夫? ここ? ここが痛いの?」
「さっ、触る……なっ!」
つんつんと指先で私の脚を突くせいで、ビリビリと静電気を数倍にした痛みが脚から身体に登ってくる。雛は私の右足を左腕でがっちり抑え、嗜虐的な笑みと共に私の脚を気持ち悪い手つきで触ってきた。抜け出そうともがくが、痛みを訴える脚を動かすわけにはいかず、それならばと反対の脚で蹴りつけるが、机の下なのでどこに雛の脚などがあるか解らず空回りするばかりだった。
「放し、なさいよ」
「えー、村雨の脚ってすべすべしてて気持ちいいんだもん」
「あんた変態だったの?」
「村雨ちゃんこそ、誰もいないからってパンツ丸出しは良くないよ」
「あんたが脚、掴んでるからでしょうがっ……!」
もがけばもがくほど絡まっていく気がした。どんな植物だこいつは。食虫植物とかにそういうのがあった気がする。気が付けば抵抗していたもう一つの左足も、いつの間にか雛の両足に捕縛されていた。両足を人質に、足質にされた私。傍から見た滑稽極まりないし、足を掴まれているせいでお尻がずれてスカートが捲れてしまっている。誰かいたらパンツを露出させる変態と思われる体勢だった。雛は雛で一矢報いたのが嬉しくてたまらないのかきひひと笑い、それを見た私は相手をするのは無駄に喜ばせるだけだと悟り、今の状態のまま話を進めることにした。とっても嫌だけど、凄く屈辱だけど!
「ったく。もういいわよ。あと、最初に報告したのは忘れて。あれは私が上手く嵌められただけだから」
何でもないように、まるで今の状態が通常だと言わんばかりに私は平然と続けた。
そう嵌められた。敵に上手いことその結論に行きつくように誘導された結果だった。ミスと言えばミスだ。正しい情報を持っていくのではなく、間違った情報を雛に渡してしまった。しかし、雛は私の告白を聞いても咎めたりどういうことか質問することはなく、続きをどうぞと首を傾げた。恐らく、すべて解っているのだろう。そして、今思ったが私が間違った情報を持ってきたことに対する、名誉挽回、汚名返上のチャンスを与える為に、わざわざ雛は再調査をするように差し向けてきたのかもしれない。
それが優しさなのか、それともただ単に小馬鹿にしたいのかは解らないけれど、雛は雛で他人の扱いに長けているので、雛本人が手を下さず、こういった悶々とする自問自答を本人にさせるのはお手の物だった。もしかしたら、私の脚が拘束されて撫でまわされているのは雛なりの罰なのかもしれない。ただのセクハラなんだけど。
とりあえず私は、さっさと話を済ませようと、調査の結果を確かめることにした。
「あんたも、解っていたんでしょ」
「何がー?」
「今回の全ての発端は木耳さん。そして、全ての黒幕も木耳さんだったってことよ」
それが、私が再調査して、怪しいところがあると考えて動いた結論。もし、雛に何も言われずもう一度再調査していても、この考えには至らなかっただろう。
雛は最初から怪しいと見ていたのだ。浮気調査をしてほしいと、浮気をしている前提で頼まれたことに、疑問を、疑惑を感じていた。別に、それだけだったら普通だと思う。確信はせずとも、怪しいと思うからこそ、見え方も調べ方も変わってくる。
「ふーん、どうしてそう思ったの?」
「浮気調査っていうところから、罠だったんでしょ。普通、浮気調査をしてくれって言われたら依頼人が浮気されてるって思う。でも、浮気調査は調査対象が不義理をしているからってわけじゃなく、別れたいと思っている依頼人が都合よく別れるためにお願いする場合もある。要は相手の弱味を握れってことだからね」
高校生程度の恋愛ならともかく、大人の浮気調査を例にすると解りやすいだろう。離婚するにも非がある方が慰謝料を請求されるなど、裁判で有利になるための材料を揃えるものだ。それと同じで、今回木耳さんは、自分に都合がよい別れる理由を求めて雛に依頼したのだ。
「浮気調査をしてほしいって言われたら、調べるのは彼氏側の動向。依頼人についてなんて調べないでしょ。木耳さんはそれを利用した」
こうなると見知らぬ女の子といたという証言の話も怪しくなってくる。この話を聞いたのは木耳さんの友人からで、協力していたのかそれとも利用されたかまでは解らないが、目撃ではなく『聞いた話』だった。木耳さんがそれとなく友人に浮気をされているかもしれないと話していれば、私が調査していると言えば、怪しいという行動を探っている前提で話をすれば、人はその怪しい部分を無意識に語ってしまうものだ。無意識に意識して、結び付けてしまう。
警察の聞き込みでも、事件と関係ない話はしないように無意識に話題を取捨選択してしまう。相手が警察だから、関係ないことを話して迷惑をかけちゃダメだと、勝手に選んで話をしてしまうのだ。それと同じだ。
そもそも、私はもっと早く気づくべきだった。雛は証拠を揃えるために私を使ったのかもしれないが、それだけじゃなく、ちゃんとヒントも出していたのだ。
再調査する前に雛が聞いた、教室での木耳さんの様子。聞かれた私は普通だと答えた。いつも通りの彼女で、何らおかしなところはなかったと。その報告が、それこそがおかしいのだ。
雛に相談して、浮気なんじゃないかと疑って依頼をした癖に、教室ではそんなことおくびにも出さずに過ごしているなんて、ありえない。
好きな人に裏切られているかもしれない、という不安を抱えているのにも関わらず、浮気調査なんてマネまでしているのに、だ。
それなのに、木耳さんはいつも通り、なんら変わりなく過ごしていた。
つまり、木耳さんは知っていたのだ。浮気なんかされておらず、それどころか浮気をされているという事実を作り出そうとしていた。
その証拠が、先ほど目撃した木耳さんと彼氏さんの喧嘩。木耳さんは言った、もうすぐ証拠を持ってくると。この言い方はおかしい。まだ何も解っておらず、怪しいという段階であり、しかも雛は報告もしていない。途中報告でもして怪しいところがあると伝えていたのならともかく、最初から浮気がありその証拠が出てくる前提で話していた木耳さん。
それを得意気に、笑みさえ浮かべて言っていた。浮気をされているなんて悲しい事実であるのにも関わらず、木耳さんは微塵もそんな様子を見せずに言ったのだ。
そして、私はこの時に気が付き、確認した。
私が窓へ視線を向けると、雛が脚を放した。私の意図を察し、そして、私は雛の意図を察した。何もかもお見通し、といった態度の雛に腹が立つも、私は最終確認のため、席を立ち窓の前に立つ。
見える景色は夕暮れに染まる校庭。
部活動は終了しており、ぽつぽつと帰宅していく生徒の姿が見える。
その中に、いた。
これは偶然で、でも確認した時の時間を考えると、恐らくそろそろだと予想していた。
校門へ向かう二人の人影。楽しそうに会話し笑顔さえ見せるそれは、木耳さんと、テニス部所属でモテる内山君の姿だった。
中庭で喧嘩の一部始終を聞き、私がすぐさま校庭に出て様子を伺っていると、予想通り木耳さんが内山君のところに向かっていたのだ。確か木耳さんは特に部活に入っていない。なのに、こんな時間まで残っていたのが不思議だった。どうして残っていたかを考えた時、思ったのだ。誰かを待っているんじゃないか、と。そしてそれは、この時間まで学校に残っている生徒、部活動に所属している人間じゃないかと。
どうして内山君だと解ったのかは、ほぼ勘だった。テニス部女子から聞いた、最近内山君に言い寄る彼氏持ちの女子の姿。そして教室内で見かけた、内山君と親しげに話す木耳さんの姿。
木耳さんは今の彼氏から内山君に乗り換えようと思っているんじゃないかと、私は考えた。
そして、それを裏付ける光景が眼下にある。
嫌な気分だ。胸の奥がむかむかする、そこらにあるものを蹴飛ばしたい気分。
雛に利用されるだけでもムカツクのに、事もあろうに木耳さんは私も利用しようとした。それも、自分の不義理を正当化するための、最低な手段の協力者に。
思わず舌打ちする私に、雛はあっけらかんとした調子で言う。
「うん、そうだね。あたしと同じ結論だ」
その態度に、私は更なる苛立ちを覚えた。
利用されて、しかも犯罪行為とは言えないが、それと同等の行為の協力をさせられそうになったのに、どうしてそんな澄ました顔をしていられるんだ。
犯罪行為じゃないからって、だからって罪がないわけじゃない。
例え犯罪に結びつかない行為だとしても、それは十分に咎められる行為なのだ。
「なんであんたはそんなに平気なのよ。利用されて悔しくないの?」
「悔しいとか悔しくないとか、それ以前の問題かなー」
「以前?」
雛は、雛の顔は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも、諦めているようにも、愁いを感じさせるようにも見える、薄い笑みを張り付けていた。
言葉じゃ言い表せない、言葉じゃ言い足りない、口を閉じさせる表情。
「あたしは他人を利用して生きてる。それはあたしの勝手な思想と決意だよ。なのに、あたしが利用されるのは許さないっていうのは、なんだか卑怯だと思わない?」
「それは……」
やるからやられる。
覚悟と言えば聞こえのいい、悲しい想い。
「あたしは利用するよ、誰でも。これからだって村雨を利用するし、あたしを利用しようとした木耳ちゃんも利用する。今回のことを使って、木耳ちゃんを支配下に置くこともできる。だから、あたしもちゃんと利用される」
覚悟、と言えばいいのだろうか。それは雛にとって、覚悟なのだろうか。利用するからされてやる、なんて、投げやりにも聞こえる言葉だけど。
「……いいの、それで?」
思わず聞いてしまった。雛の表情を見て、悲しくも見えて、でも嬉しそうには見えない顔を見て、本心か解らなかったからだ。
そんな私に、雛は言う。
「もちろん、村雨に利用されるのも大歓迎だよ」
「そういう、意味じゃ……」
「だって、もしかしたら、でしょう?」
「え?」
雛が言う。
雛が言う。
両手で顔を隠し、口元に壮絶な笑みを浮かべて、雛は言う。
けれどもその、浮かんで張り付けられた笑み。そこにはやはり、怒っているようにも、悲しんでいるようにも、諦めているようにも、愁いを感じさせるようにも見えた。
「誰かに利用されるのが、あたしのするべきコトかもしれないじゃない」
そんな、心にもないことを言った。
改めて、思い知る。雛の信条を、雛が求める、願望の生き甲斐を。
ふざけて言っているわけじゃなかった。雛は本当に、探している。
生きる意味を、生きる価値を。
誰もがなぁなぁで済ませる、自分自身の指針を。
それは辛く険しい道のりだ。
それは悲しく難しい所だ。
まだ子供と言っても問題ない私達の年齢で、雛はもうすでに、先を見ている。
生きるために、生きていくために。
人生とは何のためにあるのかを、見つけるために。
そんな彼女に、同い年の癖に達観した、ちょっと悟ったみたいな真似をする彼女が気に食わなかったので蹴飛ばしてやった。
「ふん」
「ひゃっ!?」
派手な音を立て椅子から転げ落ちる雛。
このタイミングでこんなことをされると思っていなかった雛は、驚き半分非難半分の声をあげる。
「ちょ、ちょっと、なにすんの!?」
「さっきの仕返し」
「村雨が先にしたんじゃん……」
「そういえば、どうしてあんたは解ってたの? 最初から状況を知ってたならともかく、こんなこと普通考えないでしょ」
雛の文句を聞き流し、気になっていたことを聞く。私でさえ、偶然と周囲の情報を手に入れて推理を組み立てたのだ。しかも大分想像と勘で補っている。私に協力させる前から解っていたのは不思議だ。
「ああ、それは簡単だよ」
雛は服についた私の足跡を払いながら言った。
「言ったでしょ? 人間、大抵同じことをするって」
事もなげに、当たり前のように。
もしかしたら、こいつは私の知らないところで似た依頼を受けたことがあるのかもしれない。それが失敗したのか成功したのか、それとも上手く利用されてしまったのかは解らないが、もしそういう経緯が、過去があったとするなら、少し納得できる。
いくら別れるために人を利用するにしても、どうして木耳さんが雛に声をかけたのか。もしかしたら似たことをして、上手くいった人がいたから持ちかけたのかもしれない。浮気調査なんてしたら、動くのが解っているのだから周囲に漏れる可能性だってある。それなのにどうして木耳さんはそんなことを他人にも等しい雛に依頼をしたのか不思議だったのだが、そういう理由があったのなら、少しは。
ただ、確認しようとは思わなかった。そんなこと、どっちだっていい。
先ほど雛が見せた複雑な表情が関係しているかもしれないが、そんなこと、どうだっていい。
私はただ、自分でやる事は自分でやるだけだ。
他人にやらせる雛とは違い、他人にやらせる雛の代わりに。
「ほら、もう下校時刻過ぎてるんだから、さっさと帰るわよ」
手を差し出す。
何もしない彼女へ、自分で立たせる為に。
雛は私の差し出した手を見て、それから私の顔を見上げ、数瞬悩みながらも、掴んだ。にっこりと笑顔を向けて。
「ねぇーおぶってー」
「ふざけんな痩せろ」
「村雨よりは痩せてるよ?」
「そんなわけないでしょ。なんもしない癖に、歩くのも人に頼るような奴が痩せてるわけ……」
「乙女の秘密を教えてあげよう。ごにょごにょごにょごにょ」
「はぁ!? 嘘!? え、なんで!?」
「ちょ、ちょっと村雨、お腹触るのは反則ですよー」
「そんな……なんでウエストこんなに……」
「ひゃは、きひひひ、ちょ、ちょっと村雨、くすぐったいよぅ」
「あ、脚は、ふとももなら私の方が……」
「きひひ……え? あれ? 村雨ちゃん? ちょ、落ち着いて!? さすがのあたしでも廊下で下着を晒すのは恥ずかしいんだけど!?」
「うるさい、ちょっとスカート持ってなさい!」
「待って待って! ごめん、謝るから! 許して!」
「くっ、こんなふともも、許せない……!」
「こんなキャラだったっけ村雨って!?」
何もしない少女と、何でもする少女がいた。
意図せず、意図して二人は意味と価値を探している。
生きる意味とはなんだろうか。
生きる価値とはなんだろうか。
そんな、誰もが一度は抱く難問に、二人の少女はそれぞれの生き様で立ち向かう。
他人の想いを背負いながら。
自分の想いを背負いながら。
不器用に、無作法にも見える彼女らは、それでも曲げることをしない。
まるでそれが――
自分たちの生きる意味や価値だとでも、言うように――。