第二章10「鬼神 対 闘神 その1」
「やるしかないか……」
重々しげに俺は覚悟を決める。
右手をそっと矛の柄までもっていき、いつでも抜刀できる状態を保つ。
視界の端に映るわずかに陰った空模様が、これから訪れる“嵐”を伝えている気がした。
俺がこの幻想郷にきて、命の危険を感じとったのは三回目。
一度目は幽香と出会った時。
あの時は、幽香が本気を出せる状態でなかったために事無きをえた。
二度目は天魔と出会った時。
これは途中で大天狗が介入したこともあって闘うこともなく有耶無耶に終わった。
そう。
俺はこの幻想郷という土地にきてから、一度たりとも死闘というものに遭遇していないのだ。
もちろんそれが普通であるし、それを求めてもいないので俺としては万々歳なのだが、
魑魅魍魎跋扈しているこの幻想郷で、ずっと平和に過ごすという方が無理な話だ。
人間に限らず、妖怪や神ですら永遠の平穏はありえない。
(それでも、この展開は酷すぎるけどな)
今回の三度目の危機。
おそらく誰の手も借りることは出来ない。
自分の力でどうにかするしかない。
「覚悟は決めたようじゃな」
「ああ」
本当は“闘う”という選択肢なんざ取りたくないんだけどね。
リアルな決闘ってのはゲームや漫画とかみたいに気軽に出来るもんじゃない。
まだ“弾幕決闘”が存在しないこの時代において、決闘とはすなわち『殺るか殺られるか』である。
正直、気を抜いたらすぐにでも足が震えそうだ。
「まずはお手並み拝見といこうかの」
俺と同じくらいの高さで空中に留まっている妖怪は、
どこから取り出したのか、その手に体躯に見合わぬ大槌を持って俺を見据えた。
セリフとその表情からは絶対の自信が惜しげもなく現れている。
それもそのはず。
なんせ今から俺が闘うはめになるであろう彼女の正体とはおそらく……
鬼子母神
全ての鬼の母にして、鬼の頂点に君臨する双璧の一人。
妖怪でもあり、神でもあるという規格外な存在にして、俺が出会ってきた妖怪の中で文句なしの最強の化物だった。
俺が鬼子母神という史上最悪の死亡フラグをたてたのは何故か?
事の始まりは紫の家に遊びに訪問してた時から始まる。
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「最近、ヒビキが言ってたことを本気で検討してみようかと思ってるわ」
「? なんの話だ」
俺が紫の家に訪問するのは実はわりと珍しい。
いつも紫の方からうちにやってきているので顔は頻繁に会わせてるし、
俺は店の経営もあるため、あまり人里から用もなく離れる機会が少なかったしな。
「“式”の話よ」
「ああ。そういえば言ったな」
以前紫がうちにやってきた時に確かにそんな話をした。
あの時は幽々子の件もあり、すっかり流してしまったが。
「そんなに忙しいのか?」
「そうね。妖怪の山でちょっと一騒動起きそうなのよ」
前に言ってた、妖怪の山で不穏な気配が漂ってるってやつのことだろう。
そういやそれも詳しい話を訊こうと思ってたな。
「何が起きてるんだ?」
「“鬼”絡みよ」
紫の言葉に俺はやや眉間にしわを寄せる。
(……あまり関わりたくないな)
鬼といえば、東方でいうと伊吹萃香や星熊勇儀あたりが思いつく。
どうやら彼女達もすでに妖怪の山にいることはいるみたいだ。
正確には、“山の四天王”という存在が既にいると言った方が正しい。
疑問なんだが、四天王ということは他に二人も居るってことなのか?
「最近は鬼も随分とおとなしくなったんじゃないのか?」
最近といっても数十年単位の話らしいけどな。
不老不死に近い者同士の会話になると時間感覚も滅茶苦茶だ。
よく「昨日のことのように思う」とかいう比喩表現があるが、俺達にとっては比喩ではなくマジで思ってるのだから始末におえない。
「私はそう思ってたのだけど。嵐の前の静けさだったのかもしれないわね」
「嫌な思い違いだな」
天と地の差だろ。
「ここにきてなんでまた活動し始めたんだ?」
「それはまだ分からないわ。一つ可能性はあるけど」
「可能性?」
「可能性というより不確定要素に近いかもしれないわね」
紫はいつも通りの曖昧さで言う。
俺はやや冷めてしまったお茶をすすりながら話を促した。
「“鬼子母神”って知ってる?」
「安産の神にして鬼の母……だったか?」
鬼子母神は妖怪としても神としてもそれなりに知名度が高い。
ましてや俺なんかは幻想郷に住むと決めてからは、妖怪に関する知識は日々高めている。
鬼子母神も当然把握済みだ。
俺の持論としては“知識も力”。明日の生存のために、知らないよりは知っていたほうがマシだろう。
余談だが、今もっとも知りたいものは花妖怪に関する情報だったりする。
誰か俺にあの凶悪妖怪の対応策を伝授してくれ。
「もしかしたらその鬼子母神がこの幻想郷に入りこんだかも……って話が出てるわ」
「……マジでか」
「あくまで“かも”の話よ」
俺は思わず渋い表情になる。
鬼というのはただでさえ強力な妖怪だ。
萃香や勇儀のレベルで既に幽香や紫と同格か、それ以上の存在と俺は思っている。
そんな二人の上に立つ鬼となれば一体どれほどの怪物なのか想像出来ん。
「珍しいわね。貴方がそんな表情をするなんて」
「出てきた名前が名前だからな」
「そうね。今回ばかりは私も余裕はなさそうだし」
「出来る範囲ならば手助けはする」
「……ありがと」
妖怪と人間が手を貸しあうというのも、今までの常識から考えると異端中の異端なんだろうな。
人間は妖怪を悪として退治し、妖怪は人間に怨みをもって襲う。
それが本来の人妖のありかたのはずだ。
(今更気にしても仕方ないことではあるけど)
「しかし仮に鬼神がいたとして、そいつはここで何をやらかすつもりだ?」
「それこそ謎よ」
お手上げだと言わんばかりに紫もまたお茶を啜る。
しかしもし鬼子母神がいるとすれば、間違いなく妖怪の山は荒れる。
最悪、里の方にまで飛び火するかもしれない。
「ともかく。色々と情報が錯綜してるから何ともいえないわ」
「しかも相手は鬼。下手に動くことは出来ない……っていうことか」
「ご名答よ」
鬼は妖怪の山で地位的にも格が高い。
今でこそ、天狗達が作り上げた社会体制の中で妖怪は動いてるわけだが、本来なら鬼が統治しなければならないわけだ。
ただ鬼というのは正々堂々な心意気と闘争心を持つ反面、権力だとかには興味がない節があるらしい。
そのおかげで、今日の山の統制はなし崩し的に天狗が受け持っているにすぎない。
実力も地位も高い“鬼”。
これほど敵にまわすのが厄介な者も少ないだろう。
そんな事を考えてた時だった……
「紫殿はおられるかの?」
大天狗の鞍馬風雲の来訪に、俺は悪い予感を感じずにはいられなかった。
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……………
……
鬼が動き出した。
それも俺にとっては最悪の方向で。
「人里に襲撃をかけるとはどういう了見なんだ?」
「ヒビキ殿。まずは話を聞いてもらおうかの」
風雲から告げられた内容とは『一部の鬼が人里に降りて行った』というもの。
言葉はソフトに言い換えてるが、要訳してしまうと人里に襲いに行ったといっても差し支えない。
「我輩も時間がないので、手短に話すが」
曰く。
鬼達は昨今の幻想郷のあり方に大いに不満があるらしいとのこと。
今の幻想郷では、妖怪達は滅多に人里の人間を襲わない。
むしろわざわざ遠くに出て行ってまでして、幻想郷とは何の関わりもないような人間を襲うことが多い。
その理由に関しては様々なものがあげられるだろう。
今の人里はほとんどの妖怪に対して、条件つきで里の出入りに寛容である。
そのせいなのか、妖怪もまた人間のように買い物をしたり、あるいは人間と共に仕事をしてみたりと昔と比べて随分と親密な仲になった。
いわゆる“情”。
友情・愛情といったものが妖怪と人間の間に芽吹きつつあるのだ。
もちろんそれは幻想郷の人間に限る話なのだが。
そうなれば自然と妖怪達は幻想郷の人間に手を出すことが激減する。
なんせ下手に手を出せば、その人間と親しかった妖怪に報復されるかもしれないのだ。
そんなリスクを冒すぐらいなら、多少面倒でも別の場所に住む人間を襲ったほうが安全である。
「鬼はそれが気に食わないってか?」
「言ってしまえばな」
「唐突すぎるな……」
幻想郷という名が生まれる前からも、この地ではそういった風潮があった。
だからこそ紫はここに理想郷を作ろうとしたのだろう。
「しかし起きてしまっては仕方あるまい、時間も限られる。紫殿の助力を頼みたい」
「いいわよ。理由はなんであろう動くつもりだったわ」
紫は溜息交じりにそう答えた。
鬼の言い分は人間である俺にも理解できる。
(人間は妖怪を悪として退治し、妖怪は人間に怨みをもって襲う……それが世の常)
まるで呪いのような言葉だなと思う。
妖怪という存在がいかにして生まれるかを考慮すれば仕方のないことなのだが、その一方でやるせない気にもなる。
「ヒビキ、貴方も里に戻るでしょ?」
「ん? そうd……」
あれ? 待てよ。
今人里って鬼によって絶賛襲撃中なんだよな?
そこに帰るってことは……
「いや、俺は急用がある」
鬼と争うことを恐れてのこの判断に、どうしようもなく後悔することになろうとは、この時の俺には知る由もなかった。
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