挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマークする場合はログインしてください。

私が見守る魔王な

私が見守る魔王な奥さまの復讐

作者:藤正治
魔王の名前はヘリオスローザ、そして騎士の名前はユリエス

二人は伝説の通りに出会い、伝説の通りに決戦に臨み、伝説の通りに雌雄を決しました。
でもただ一つ、伝説に語られていないことがあります。
魔王は奥様になったのです。

「あなた、ねえ、あなた」
 晴れた朝、奥様は眠りこける旦那の肩を揺する。
「あなた、もう、起きてくださいな。遅れますわよ」
 ガクンガクンと割と容赦ない振動だが、旦那さんは布団に潜って抵抗する。
「今日は大事な式典があると仰っていたじゃありませんか、遅刻しても知りませんよ」
 知りませんよと言いつつ、律儀に布団ごと揺さぶる。
 しかし次第に激しくなっていく。
 脚をふんばり両手を突っ張り、ベッドの脇の壁に叩きつけて跳ね返るとまた叩きつける連続技。
 だが執拗に布団にくるまって抵抗する旦那さん。
 なにがそこまで彼を頑なにさせるのか。どう考えても目が覚めているはずだ。
 これで起きていなければ気絶を疑った方がいい。
「もう!」
 唇を尖らせ、業を煮やした奥様は数歩後ずさりしてから突撃する。
 もはや、当初の目的を忘れた勢いだ。
 だが、いきなり布団がめくれ上がる。
 ソレはムササビが皮膜を広げたような、投網が広がって獲物を捕らえるような格好だ。
「きゃあああ」
 体勢を崩していた奥様は避けることが出来ず、そのまま布団に喰われた。
 しばらく布団はじたばたと暴れまわりくぐもった悲鳴があがる。
 一瞬の静寂のあと。
 布団はリズムをつけて動き出し、先ほどとは違った甘い悲鳴があがりはじめる。

 誰かが呟いた。
 地獄に落ちろ、と。


「いってらっしゃいませ」
 奥様は家の前で旦那さんの手に剣を渡します。
 奥様が外まで剣を運ぶのは結婚以来の習慣なのです。
 しかし今日の奥様は不機嫌で、そっぽを向きながら乱暴に突き出しました。
「まだ怒っているの?」
「あたりまえです。こんな早朝からあんな……」
 そこまで言って顔を真っ赤にします。
 旦那さんはそんな奥様に困ったような、でも愛おしげな眼差しを向けます。
「ごめん、悪かった」
「……本当に悪かったと思っていますか」
「思ってる思ってる」
「反省が足りません!」
 ぴしゃりと言われ旦那さんは頭を掻きます。
「どうしたら許してくれるのかなあ」
「……誠意を見せてくれれば、考えないこともありません」
 旦那さんは首をひねります。
 奥様は上目使いで睨みます。
 ああっと、旦那さんは納得したように手を打ち、そっと奥様を抱き寄せます。
 そのまま接吻です。
 腰と背をそっと包むように腕を回され、口元の優しい感触に、奥様はうっとりと目を閉じます。
 やがてどちらともなく身を離し、見詰め合う二人。
「行ってきます」
「いってらっしゃいませ」
 旦那さんは背を向け、王城へと歩いていきます。
 奥様が手を振りますが、旦那さんは振り返りません。
 その頼もしい背中が見えなくなるまで手を振り続けました。
 奥様は呟きます。

「・・フッ、他愛もない」

「何がでございましょう」
 私が声を掛けると、奥様はビクッと肩を震わせます。
 さもありなん、私の気配遮断は他者の追随を許しません。
「旦那様のことに決まっておる。あやつを手玉に取るなど造作もないこと」
 奥様は髪をかきあげてお得意のポーズを取ります。
「はあ」
「もはや旦那様は余の虜だな。魔界最強の余の魅力に心を奪われておる」
 本人の見解ではそうなるのでしょうか?
 傍目から見るとまた違った解釈ができるのですが。
「ではいよいよ決行ですか?」
「……まだだ」
 奥様はぎりっと歯を食いしばります。
 その眼光はかつて全世界を恐怖に陥れた覇者の気迫がみなぎっております。
 そんな危ない目つきの家庭の主婦などおりません。
「かつてあやつに味わされた屈辱にはまだ足りん。もっともっと余の魅力に溺れさせ、しかる後に復讐を遂げてやる」
 詳しい事情は存じません。
 しかしあの戦場で対決したとき、二人の間で何事かあったのでしょう。

 かつて旦那様はこの国最強の聖騎士と呼ばれておりました。
 そして魔族との最終決戦において、旦那様と一騎打ちをされたのが奥様である魔王様でした。
 その際、陛下は聖騎士に敗北しました。
 その時に何があったのか。
 詳しいことを知る者は当事者である二人しかおりません。
 一騎打ちに敗れた魔王様は軍勢を下げ、魔族とこの王国との間に平和条約が結ばれました。
 その一年後、魔王様は正体を隠して聖騎士と再会し、なんやかやあって二人は結婚をされました。
 旦那様は奥様の素性は存じません。奥様が身寄りのない魔族の女だと偽っているからです。
 何のためにこのようなことをしているのか魔王様、いえ奥様の胸の内は存じません。
 ですが奥様は常々、こう語ります。
 全ては復讐のためにと。
 魔王の身で国を留守にして、かつての仇敵の妻となる。
 そうまでして晴らそうとしている恨みとはどのようなものなのでしょうか。
 わたしには想像もできません。
 なので放置します。

「では奥様、今日はこれからいかがなさいますか?」
「知れたこと」
 奥様は威風堂々とスカートの裾を翻します。
「見よ、雲ひとつないこの蒼穹を!」
 かつて万軍を指揮した手を天にかざします。
「東の空より昇る太陽の輝きを見よ! 遥か南海よりこの地に渡ってきた風を感じよ!」
 魔族の兵士達を戦へと奮い立たせた声で、奥様は朗々と唱えます。
「これらの事象が、余の成すべき事を示しておる!」
「まさか」
 得意になっている奥様に合わせます。
「そう、今日は絶好の洗濯日和である!」
 奥様は言ってのけます。
「黄ばんだ襟元よ! 今日こそ余が開発した禁呪、怨素漂白術の威力で消えうせるがいい!」
 なぜ洗濯ごときでこれほど威風堂々としなければならないのでしょうか?
「あの、奥様?」
「……あらお隣の」
「どうかなさいました?」
「なにがでしょう?」
「いえ、何か叫ばれていたような気がしたものですから」
「あら、お恥ずかしい。ちょっと独り言のつもりが、つい声が大きくなってしまったみたいで」
「はあ」
「あまり良いお天気でしたので、溜まっていた洗濯物を片付けようと気合を入れておりましたの」
「ああ、このところあいにくの天気でしたものね。そうそう聞きました? 先日の町内会で…」
 そのままうわさ話が始まりました。
『それでは奥さま、私はこれにて』
 気配を絶ったまま耳打ちします。奥様は相槌を打つフリをして頷きます。
『そうそう、朝から盛るのはお控えください。ご近所に聞こえてしまいます』
「っ!!」
「どうしました?」
「い、いえ?なんでも!」
 誤魔化す奥様は耳まで真っ赤です。
 奥様の影が手のように伸びてくるのをかわし、私は王城へと飛び立ちました。



 今日はこの国の王女システィリアの成人の儀が執り行われます。
 色々と理由があって国民への披露はないそうです。
 その分、王城を挙げての華やかに式典にするそうです。
 私は参内する貴族の群れに紛れて潜入しました。
 そして旦那様のお姿を探します。
 旦那様は国一番の聖騎士です。
 ならば国王の姿を探せば見つかるでしょう。

 昼頃、広間で旦那様を発見しました。
 玉座に座る国王と、一段下がった席に座る今日の主賓である王女。

 王女の背後に、旦那様がおられました。
 白銀の鎧に、白地に青い文様を染め抜かれたサーコート。
 兜はなくお顔をさらしております。その面差しは普通? でしょうか。
 国を救い、武勲一等の聖騎士となればさぞや類まれなる美貌の持ち主と想像するのが人情ですが。
 まあ、好みはそれぞれです。
 うちの奥様など旦那様の愚痴を言う時は、顔だけは魅力的なロクデナシと仰います。
 愚痴だか惚気だか分かりかねますが。

 旦那様が護衛する王女は十六歳。
 国一番の美貌とうたわれているようです。
 正直、さほどの美しさとは思えません。
 少なくともうちの奥様より一段も二段も劣るでしょう。
 まあ多少の贔屓目はあるでしょうが。
 次々に拝謁し、祝いの言葉を述べる貴族に、優雅に応えられています。
 まあ、その点はうちの奥様よりもマシでしょうか。
 奥様の成人の儀のときなどは、ひどい有様でしたから。
 礼儀の欠片もない魔族は、奥様の美貌に魅了され、次々と求婚を始めたのです。
「我を欲しくば、力を以って奪ってみよ」
 奥様の言葉に、大乱戦がはじまりました。
 襲い掛かる上級魔族百人との大激闘。
 助太刀するまでもなく、奥様の勝利となりました。
 剣で、魔術で挑んでくる魔族を、ちぎっては投げちぎっては投げの大活躍。
 その勇姿に先代陛下は感銘し、その場で玉座をお譲りになられました。
 あまりにも電撃的なこの出来事は、長く魔界に語り継がれることとなりました。

 それが奥様の不幸の始まり。

 いえ、客観的に見れば魔族は奥様に心服し、その統治を磐石なものとしました。
 ですが女性としての奥様は……

 もの思いにふけっていると式典は終わり、王族達は退出します。
 護衛である旦那様もそれに付き従います。
 私もそれを追いました。
 長い廊下を曲がりくねって進むうちに目的地は分かりました。
 王族専用の休憩室でしょう。
 毎日王城に出入りして旦那様を監視、もとい陰から護衛しているので簡単に推測できます。
「護衛、大儀であった」
 国王が王女と並んで豪華なソファーに座り、旦那様を労います。
 その周囲には数人の大臣が控えています。
 これは珍しいことです。この休憩室は王族と護衛以外はめったに立ち入ることはないのです。
 旦那様は一礼し、壁際に退こうとしました。
「待て、話しがある」
 国王が呼び止めると、旦那様はひざまずいて次の言葉を待ちます。
「システィリアも成人の儀を迎えたからには結婚を考えねばならぬ」
 まあ、そうでしょう、王女なのだから。
 むしろ今頃、結婚の話が出るのは遅すぎるぐらいだ。
「そこでシスティリアをそなたに降嫁させる」

 なんですと?

「陛下?」
 旦那様は不審げなお顔です。というか驚かれないのですか?
「私は既婚者ですが?」
「ああ、たしか魔族であったな」
 いま思い出したという顔です。
 そんなのはポーズです。旦那様と奥様の結婚はその当時、そうとうな物議をかもしたのですから。
 国王が知らないはずがありません。
「とても良い奥様だとうかがいました」
 システィリア王女が口を開きます。
「わたくしもその方に代わり、精一杯尽くしたいと思います」
 顔を真っ赤にして健気に言うのですが。
 奥様を褒めた口で、代わりとおっしゃいましたね?
 まわりの大臣達も、めでたいめでたいと祝いの言葉を口にします。

 なるほど、そういうことですか。

「その者には、そちからよく因果を含めておくのだぞ」
 国王の言葉を背に、私は王城を飛び出しました。


「遅いぞ!!」
 戻るなり奥様に叱責されました。
「なにをしていたんだ!」
 なにをって、いつも通り旦那様の監視、もとい護衛を務めていたのですが?
「奥様、ご報告が―――」
「後にしろ、緊急事態だ!」
 奥様はたいへん焦ったご様子です。
「魔王領へ跳ぶぞ!」


 眼下を進軍する一万あまりの軍勢。
 色とりどりの旗印の下、隊列を組む兵士は、魔族。
「あの軍勢は?」
「ベレスフォードの馬鹿だ!」
 魔王様は苦々しげに罵ります。
 ああ、あの筋肉馬鹿ですか。いえ、馬鹿にしているわけではありません。
 基本的に諸将はみんな馬鹿ですから普通なのです。
「このまま進むと明日には王国の国境を越えるのでは?」
「その通りだ」
 なるほど、だから焦っておいでだったのですね。
 魔族の軍勢が国境を越えればせっかく結んだ平和条約は破棄、即開戦となりましょう。
 まあ、それならそれで構わないというのが私の意見ですが。
 しかし魔王様がそれを望まぬなら、それに従うまでです。
「ではベレスフォードを討ち取って参りましょう」
「いや、余が行く」
 魔王様はそう宣言すると、浮遊術を解かれました。
 当然、重力に従って落下していきます。
 いえ、凄まじい勢いで加速していきます。
 眼下の軍勢でも目のいい者が上空の異常に気が付いたのでしょう。
 隊列に乱れが見えます。
 大気を切り裂き、白い蒸気の軌跡を残して魔王様は大地に激突しました。
 凄まじい衝撃が周囲を襲いました。
 土煙が巻き起こり、大量の土砂が吹き飛びます。
 軍勢は混乱し、散り散りに逃げ惑います。
「静まれえ!!」
 あの声はベレスフォードでしょう。
 あいつは獅子神王の末裔の一族です。
 その咆哮は敵をすくませ、味方を鼓舞します。
 やがて混乱が静まった軍勢の前に、土煙から人影が出てきます。
 言わずと知れた魔王様です。その御姿に汚れひとつありません。
「久しいなベレスフォード」
「ああ、陛下。ひさしぶりだな」
 軍勢の先頭にいた巨漢が応えます。
 獅子の頭に漆黒の鎧、巨大な斧槍を背負った上級魔族。
 魔王第三軍を率いる猛将ベレスフォードです。
「相変わらず口にきき方がなっていないな」
「別に礼儀作法で将になったわけじゃないからな」
「確かにそうだな」
 次の瞬間、魔王様は威圧を放ちました。
 辺りを押しつぶすようなプレッシャー。
 軍勢はそれに押されるように一斉に後ずさります。
 しかしさすがは腐っても一軍の将、ベレスフォードは一歩も引きません。
「余の命に背き、軍を率いて王国に進むのはいかなる仕儀か、申し開きしてみよ」
「申し開きなんてねえよ」
 ベレスフォードはうそぶきます。
「陛下の目を覚ましてやろうと思っただけだ」
「ほう?」
 魔王様は目を細めます。
「たいそうなざれ言をほざくではないか」
「ざれ言かどうか、自分の格好を見てから言いやがれ!!」
 ベレスフォードが吼えます。
 その気迫たるや、側に控えていた武将が落馬するほどでした。
 魔王様といい筋肉馬鹿といい、周囲の迷惑を考えて欲しいものです。
「余の格好がどうした?」
「そのピンクのひらひらはなんだ!」
「エプロンだが?」
 魔王様はシレッと答えます。
「なんで魔王がエプロンなんてしてるんだよ!」
「その方は無知だな」
 いかにも相手を小馬鹿にしたような言い方に、私までイラッときました。
「これは実に機能的な装備でな。料理中には汚れを防ぎ、洗い物のときは濡れた手を拭くのに便利だ」
「だからなんで魔王が料理や洗い物をしてやがるんだ!」
「……愚かだとは思っていたが、その方がそこまで愚かだとは思わなかったぞ」
「なにがだよ!」
「誰かが調理せずしてどうして料理を食膳に供することができようか」
「魔王が料理なんてくだらねえことやるなって言ってるんだよ!」
「くだらないだと」
 魔王様は冷たい目をします。
「いま吐いた言葉、シスシスに教えてやろうか?」
「な、なんだよ、女房は関係ないだろ!」
「毎日、そなたのために食事を用意している彼女に、旦那は調理など下賎の輩の……」
「そこまで言ってねえ! やめろよマジで!」
 シスシスはとても可愛い栗鼠獣族の女性である。もし手のひらに乗れば一日中愛でたいほどです。
「あいつが泣き出すとすげえめんどくせえ……」
「ほう?」
「あ、いや、嘘だから。お願い言わないで」
「いいだろう。黙っていてやるからとっとと帰れ」
「わ、わかったよ」
 そう言って踵を返そうとして
「じゃ、ねえええ!」
「……チっ」
「舌打ちしたな!?」
「貴様ほどの馬鹿でもさすがに騙せんか」
「だれが馬鹿だ!!」
 魔王様はため息をつきました。
「お前の言いたいことは分かる。魔王が国をあけ、他国で人間の妻となってうつつを抜かしている。だから王国との戦端を開き、かの国で魔族の排斥を増長させれば余が国へ戻るとの算段であろうが」
「お、おう、その通りだ」
「……もうなんか面倒になってきたぞ」
 魔王様が肩を落とします。私には分かります。ことを穏便におさめようとしていたのでしょう。
 ですがそろそろ忍耐が尽き掛けているようです。むしろよくここまで頑張ったと褒めてあげたいです。
「私はいま大変に忙しい。大忙しだ。寸刻を争うほどに時間が足りない」
 やたらと多忙を強調していた魔王様の姿がフッと消えます。
「失せろ」
「グボオオ!」
 魔王様の拳が、ベレスフォードの腹に打ち込まれます。
 その一撃で分厚く頑丈な装甲に亀裂がはしり、全身の鎧が砕け散ります。
「エビの殻を剥くために開発した新技だ」
 魔王様が得意げに説明します。
「特徴は中身を傷つけずキレイにツルリと剥ける点だ」
 ベレスフォードは血反吐を吐きながらのた打ち回っています。
「すまん、まだ未完成なんだ」
 謝罪しながら回復魔法を施します。
「……料理の実験台にするんじゃねえ」
「よし、それだけ減らず口を叩けるのなら命に別状はないな」
 魔王様はニッコリ笑います。
「シスシスを悲しませるわけにはいかんからな。安心しろ、死なないように十分気をつけるから」
 そう宣言した魔王様は、ぐるりと周囲の魔族たちを見回しました。
「命令に従っただけのそなた達も同様だ。安心するがいい」

 魔王様は言葉通り、安全と安心の攻撃で一万の軍勢を壊滅させました。

「こうして手加減が出来るようになったのも、サヤエンドウの筋取りの成果だな!」
 私には、両方とも面倒だという共通項しか見出せません。
「こうしてはおれん!! 急いで帰らねば!!」
 時間を思い出したのか、魔王様は飛翔呪文を唱えます。
「待てよ………」
「なんだ! まだ言いたいことがあるのか!」
「………陛下が……そんなに…急いでいるの……はなんでだ?」
 ベレスフォードが首から下を地面に埋めた格好で尋ねます……ぷ。
「知れたことっ!」
 叫びと共に魔王様は地面を蹴ります。
「晩御飯の支度が間に合わぬ!」
「そんなこったと思ったよドチクショウ!!」
 大空に翔けあがった陛下に向けて叫びます。
 負け犬の遠吠えですね。ああ獅子でしたか。



 奥様は竈の前で鍋をかき混ぜています。
 実に楽しそうで鼻歌まで漏れています。
 その姿はどう見ても、夫を温かい食事で迎えようとする良妻です。
 ……とても、復讐を目論む魔王には見えません。
「奥様」
「ん~~なんだ~~」
「奥様が旦那様に受けた屈辱とは何なのですか?」
 王城での出来事を報告する前に、聞いておかねばと思いました。
 奥様がぴたりと身動きを止めます。
 ……煉獄の業火で焼かれるのでしょうか、わたしは。
 しかし奥様はお怒りになった様子もなく、作業に戻りました。
「この国までつき従ってくれたそなたには、毎日苦労を掛けている」
「いえそんな」
「だからそなただけには話しておこう」

 あの日、戦場で出会った聖騎士ユリエスは、一目見て尋常ならざる力の持ち主だと分かった。
 それこそ余に迫る力量だと。
 だから王国と魔王領、ふたつの軍勢の雌雄を決する一騎打ちの申し出を受けた。
 たしかに我が軍がそれを無視して進軍すれば、戦には勝てたかもしれない。
 だが余は魔王だ。強者の挑戦は受けねばならぬ宿命だ。
 ましてや相手は人間、いや人間だからこそ逃げるわけにはいかない。
 だが同時に、人間風情がそこまで高みに登りつめた奇跡を惜しいとも思った。
 だから剣を交える前に命じたのだ。
 余の婿になれ、と。

「きゃあああ!」
 私は思わず嬌声をあげました。
「奥様から結婚を申し込まれたんですか!」

 う、うむ。まあ、そうなるな。
 しかし、しかしだ!
 奴はにべもなく断ったのだ。

「え~~ひどい~!」

 しかもだ、あろうことか、余に対して許されぬ暴言を吐いたのだ!

「どんな、どんなことですか!」

 なぜそなたはそんなに楽しげなんだ?
 まあ、よい。奴は、人間風情である奴は、余に向かってこう言ったのだ!
 汝こそ私の妻になれ、と。

「………」

 なんという増上慢!
 魔王領を統べ、世界制覇に乗り出した余に対して何と無礼な!
 しかもだ!
 優雅で美しく、夜空に輝く星でさえも恥らう貴女を刃にかけるのは、魂が引き裂かれる思いだと!
 戦いを始める前から勝ったつもりでいたのだ、奴は!


「それでどうされたのですか?」
 奥様は罵りながら、身体をクネクネとよじっています。
 私は醒めた口調で続きをうながしました。
「なんやかやあって余は敗れた」
「はや!」
「うむ、面倒だからな」
 きっと優雅とか星も恥らうあたりしか憶えていないのでしょう。
 しかし、確信をもって断言できますが。
 その下りは奥様の脳内補正です。
 あの旦那様にそんな気障なセリフを考える頭はありません。
『あんまりキレイなんでびっくりした』とか、その程度でしょう。
 まあ魔王を前にしてそれもたいがいですが、それを素で言えるのが旦那様なのです。

 しかし、奴は余に止めを刺すことなく、軍勢を下げて欲しいと頭を下げた。
 余が死んでも、軍勢は止まらぬことを理解しておったのだな。
 無論、勝者に従うのが敗者の義務だ。
 撤退を約束すると、奴は感謝して自陣へと戻っていった。

「……あれ? 妻になれとかは」
「そうなのだ!!」
 奥様はおたまを竈に叩きつけました。
 竈の角が欠け、おたまはへし折れました。
「何事もなかったように、一言も触れることはなかった!」

 ……どうやら真相は見えてきたようです。
 たぶん旦那様は気軽に
『残念だけど婿にはなれない。君みたいなキレイな嫁さんは欲しいけどな』
 と言ったのでしょう。
 そこで魔王様の脳内補正が働き、妻になれと変換されたのでしょう。
 なぜ脳内補正が働いたかと言うと、魔王様がもつ結婚願望が原因でしょう。
 衝撃の即位の日以降、すべての魔族たちは魔王様に心服しました。
 だけど同時に、魔王様を女性と見る男性はいなくなったのです。
 強大な力を誇る魔王の中の魔王。
 そのような女性を妻に欲しがる男性などいるはずがありません。
 ですが魔王様も年若い娘なのです。
 側仕えの侍女たちがひとり、またひとりと嫁にいくのを羨ましそうに見ていたのを知っています。
 ちなみにその内のひとりがシスシスです。
 やがて結婚願望がこじれ、世界征服の野望につながっていくのですが、割愛しましょう。
「それでは復讐というのは」
「そうだ! 偽りの妻となり、身も心も余の虜となったそのあかつきに正体をあかしてやるのだ!」
 そして離婚してやるのだ。
 あの日受けたのと同じ屈辱を与えてやるのだ。
 魔王様は気勢をあげて復讐計画の概要を語ります。

 そういうことでしたら構わないでしょう。
「旦那様に縁談が持ち込まれています」


「お帰りなさい、あなた」
 戻ってきた旦那様を奥様は迎えました。
 いつものように玄関で剣を受け取ります。
 家の中では剣を妻に預ける。
 その習慣は旦那様から申し出たことでした。
 どういう意味があるのかは知りませんが、今晩は命取りになるでしょう。
 旦那様はひどく沈んだ様子でした。
 奥様を見る目は後ろめたそうで、その後の破局を予感させるものでした。
 しかし奥様は常と変わらぬ様子で旦那様の着替えを手伝います。
 旦那様を風呂場に連れ、甲斐甲斐しく背中を洗うのも一緒でした。
 お疲れ様でした。
 旦那様の一日の苦労をねぎらう言葉も同じでした。
 微笑を絶やさず、仕事で疲れた夫を癒す良妻の姿そのものです。

「すまない」

 食卓に向かい合って席についた時、旦那様が頭を下げたときにもその笑みは消えませんでした。


「まあ、予想されたことだな」
 私の報告を聞いた魔王様は平然と言われました。
「旦那様は一騎打ちで魔王を退けるほどの強大な力を持った人間だ。王家にしてみれば厄介な存在だろう」
 代わりのおたまをちょこっと顎にあて、考え込みます。
「その場合、二つの方策しかない。一つは罪をもうけて処刑、いや暗殺だ」
「ですから私に旦那様の護衛をさせていたのですね」
 なるほど。浮気防止の監視の建前ではなかったのですね。
「そうだ。あとひとつは王家そのものに取り込んでしまうことだ」
「では今までシスティリア王女に結婚話が出なかったのも」
「まさにこれを狙っていたのだろう」
「だとすると、王家はよく奥様との結婚を黙認されましたね」
「余が人間ならば、何らかの掣肘があったかもしれないが」
 奥様は皮肉げに笑います。
「魔族の女ならば後で何とでもなると思ったのだろう」
「ですが、旦那様がお断りになるかも」
「断れるはずがなかろう?」
「なぜでしょう」
「旦那様はこの国を愛しておられる。それこそ単身、魔王に挑むほどに」
 奥様の笑顔を見て、胸が締め付けられます。
 なんて透き通った笑みを浮かべられるのでしょう。
「本来なら旦那様には不要な策略なのだ。だが、王家としては念には念を入れておきたいのだろう。外交上、重要な駒となる王女を降嫁させてもだ。そして国を愛する旦那様は、それを受け入れざるを得ない。これは最後通牒なのだ。旦那様に選択の余地はない」
「魔王領に戻りましょう! いますぐ!」
 私は思わず叫びました。
「あえて離縁の言葉を待つまでもありません! こちらから出て行ってやりましょう!」
「この余に、逃げろと?」
 魔王様は傲岸に告げました。
「余は逃げぬ。たとえそれが別れの言葉であろうと、誇りをもって耐えてみせよう」
 魔王様は気づいておられません。
 ご自分の手が悲しいほどに震えておられるのを。
 でもそれを申し上げることはできませんでした。

 そして奥様は旦那様を迎え撃ちました。
「どうされたのですか、旦那様?」
「本当にすまない。明日、この国を出奔しようと思う」
 奥様はきょとんと間抜けな顔をされました。
 たぶん私も同じでしょう。
「え、え~~と、出奔と言われますと」
「つまり、この国を捨てて別の土地へと行こうと思うんだ」
 王女との結婚話がどうして出奔につながるのでしょうか。
「な、なぜでしょう」
「……もうこの国に俺は必要ないんだ」
 旦那様は淋しそうに笑います。
「………」
「戦うしか能のない俺はもう、この国に居場所はないんだ」
「そんなことはありません! 旦那様はまだまだ必要とされています!」
「ありがとう。でもそのこと自体は構わないんだ。だってこの国が平和に、人々が安心して暮らせる世の中になったってことだから」
 旦那様のおつむは、正直言ってアレです。
 ですがその分、物事の本質を見抜く眼力に優れています。
 王女との結婚話にも舞い上がることなく、その裏に潜む王家の思惑を嗅ぎ取ったのでしょう。
「だから、明日、この国を出る」
「………」
 決意がかたいと見たのか、奥様はそれ以上言葉を告げません。
 ただじっと旦那様を見詰めています。
「頼みがあるんだ」
 旦那様も奥様を見詰め返します。
「俺について来てくれないか?」
 旦那様は頭を下げます。
「俸給はなくなるけど、いままでの蓄えがあるから数年は食べていけると思うんだ。その間に仕事を見つけて一生懸命働くよ。たぶん、いやきっと苦労を掛けると思うけど、どうか俺と一緒にいてくれ」
 そのままじっと奥様の言葉を待つ旦那様。

 旦那様は王女との結婚よりも、王家への忠誠よりも、国への愛よりも、奥様を選んだ訳ですね。
 ………つまりこれは千載一遇の好機、奥様、いえ魔王様が復讐を果たす絶好のチャンスでは!

「はい、ついていきます。一生」

 ですよねえ~~
 さあ、これから忙しくなりそうです。
 旦那様と奥様は今晩中に荷物をまとめなくてはなりません。
 王家はきっと追っ手をかけるでしょう。
 魔王領に動員令をかけ、いえそれはダメですね。
 王国に危機が迫ればきっと旦那様は国に残るでしょう。
 ではこれから王城に行って、少々引っ掻き回しましょうか。
 出来るだけ長く旦那様たちの出奔が気づかれないような騒ぎを。

 さて、これで奥様は復讐を諦めるのでしょうか?
 いえ、きっと諦めないでしょう。
 なぜなら復讐を諦めない限り、旦那様と一緒にいられるのですから。


 本当に困った魔王様です。

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
― 感想を書く ―

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項をご確認ください。

名前:

▼良い点
▼悪い点
▼一言
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ