第2話
「この! 手間かけさせやがって!」
数人がかりで取り押さえられた青年の腹を、奴隷商人は蹴り飛ばした。
ドゴッと痛そうな音がしたが、青年は少し顔をしかめただけだ。
キウラの一族は総じて体が丈夫なのである。
「貴様が暴れたせいで、客が逃げちまったじゃねぇか! これじゃ買い手がつかねぇ、こちとら大損だ!」
もう一発蹴りを入れようとした商人の背中に、冷静な声がかかる。
「奴隷を非人道的に扱うのは、法で禁じられていることをご存知ではないのですか?」
数人の男たちを従えた若い女の登場に、奴隷商人たちは慌てふためいた。
「こ、これは領主様。今日もお美しくていらっしゃいますね」
とっさに作り笑いを浮かべ、ごまをする。しかしマティーダはにべもなく訂正した。
「私は領主ではありません。領主代理です」
「し、失礼いたしました」
深々と頭を下げる商人をいちべつして、マティーダは青年を保護するよう部下に命令を下す。
「さて、<帝国>の法により、あなた方は裁かれねばなりませんね」
「どうかお許しください! これはちょっとした間違いで!」
マティーダにすがりつく勢いで、商人は懇願する。
「私には妻と五人の子どもと年老いた両親が!」
「随分と陳腐なセリフですね」
ひねりもなにもない、とマティーダは鼻で笑う。
「しかし! 奴隷が売れないと生活できないんです! どうか、どうかお慈悲を!」
地面に平伏して懇願し続ける商人に、マティーダは背後を振り返った。
「こう言っていますが、あなたはどうすべきだと思いますか?」
問われた青年は複雑な表情で聞き返した。
「どうすべきって、俺が決めるんスか?」
「被害者の意見を聞いているだけですよ。思ったことを言ってみてください」
青年はちょっと考えると、ぼそりとつぶやいた。
「死刑」
商人たちが一斉に青ざめる。
「というのは、嘘で」
「真面目に答えなさい」
てへっと笑う青年の頭を、マティーダは容赦なく叩いた。
「ん〜、別にそんなに気にすんこともないような気もすんだけどなぁ」
叩かれた頭をかきながら、それに、と青年は付け足す。
「俺も殴っちゃったし」
「あぁ、それもそうですね」
マティーダはあっさりと頷いた。
「では、お咎めはなしということにしましょう。喧嘩両成敗ということで」
そしてなにやら手元の紙にさらさらと書くと、商人にその紙を手渡した。
実はこれ、奴隷市が違反なく終了した時に渡される、次の奴隷市の参加証である。
これが交付されない場合は、その商人は次回の奴隷市に参加することはできない。また奴隷商人として申請しなければならないのだが、それは時間も金もかかったりする。だから奴隷商人たちはその参加証を得るため、規則を守るのだ。
「では私たちはこれで」
マティーダは踵を返し、立ち去ろうとしたが、その背中に青年の声がかかった。
「待って、ください。俺はどうなんの?」
「あなたはまだ奴隷ですから、次の奴隷市まであなたの売主が面倒をみるでしょう」
これに慌てたのは商人の方だった。
「お、お待ちください、領主代理。こう言ってはなんですが、この奴隷はもう売れませんよ」
「だから何ですか?」
売れる売れないなんぞ、私には一切関係がないと言うような口調でマティーダは答えた。
商人はこれでもとても大きな商いをしている。度胸もそれなりにあった。
しかし相手はこのヒューリウを治めている領主代理だ。なので、恐る恐るこんな提案をした。
「この奴隷、領主代理がお買いになりませんか?」
「何故そうなるのです」
冷たい口調で即答したマティーダ。
しかし商人もそう簡単には引き下がらない。
「先程領主代理は、その男を保護しろと仰いましたね」
「……その青年の保護を取り下げます。さぁ、帰りますよ」
部下たちに声をかけ、本当に帰ろうとするマティーダの前に商人が立ちはだかった。
マティーダの眉間のしわが深くなる。
「買ったもの、拾ったものは最後まで面倒をみるのが、義務というものでしょう」
「ですから、ここは領主代理様に手本を示していただきたいのです」
商人の目がキラリと光る。
マティーダの額にたらりと汗が流れた。
「そうですか。でも私にはそのような義務はありませんから」
「では、本人に聞いてみましょうか」
周りの人間の視線が青年に一斉に集まる。
「また俺?」
うんざりした顔の青年。
自分のことなのに、まるで他人事だ。つまらなそうに足のつま先で地面に落書きをしている。
「お前は私と領主代理のどちらに引き取られたいんだ?」
太った中年男と妙齢の女性。ちらが良いかと聞いたなら、答えは明白である。
「そりゃ領主代理様だろ」
「嫌です」
マティーダはぴしゃりと言い放つ。
「私はそのような余計な金を使うつもりは毛頭ありません」
「そこは勉強させていただきますので。私が引き取っても仕様がありませんし」
「私が引き取った所で同じでしょう」
本人そっちのけでマティーダと商人は言い争いを続けていたが、奴隷とは本来そんなものだ。
「分かりました。これくらいではどうです?」
商人が示した数字は、相場の約半額だった。
キウラ一族であるという付加価値を考えれば、出血大特価も良いとこである。
しかしマティーダは首を横に振った。
「これなら引き取りましょう」
そう言ってマティーダが提示した額に、商人は元より部下たちや当の青年も目をむいた。
「りょ、領主代理様。それはいくらなんでも……」
「あぁそうですか。では交渉決裂ですね。帰りましょう」
あまりに安い値段をふっかけて、商人を諦めさせようとして提示した値段だったが、商人は本気で青年を引き取りたくなかったのだろう。マティーダが耳を疑うような一言を放った。
「分かりました。そのお値段でお売りいたします」
「なっ。何を言っているのです。正気ですか!」
マティーダのいつもの冷静な仮面がはがれ、驚きもあらわな顔をする。
「正気ですとも。領主代理はこの値段ならお引取りになると仰られましたね?」
「……えぇ」
「まさか領主代理ともあろう方が、一度言ったことを反故にするようなことはなさりませんよね?」
「……できませんね」
不機嫌な顔で答えるマティーダとは対照的に、商人はにんまりと笑い、深々と頭を下げた。
「お買い上げ、有難うございます」 |