第五話「交渉」
白亜に真紅。色が瞬き、目が眩む。瞬きをして、彼女はぐりぐりと目を擦った。
見開くと、眩むような絢爛な色使いが広がっていた。
膨大な量の灯が至るところに置かれており、それが梁の高い天井から垂れ下がった赤い薄衣や、床に隙間なく敷き詰められた白い布に反射し、煌煌と光を放っている。
板の露出した階段でさえ、よく磨かれているのか、まるで雹を散りばめたようだ。
彼女が息を呑むのが聞こえたのだろう、とらいちは彼女を背から下ろすと、
「驚いたか」
と言った。
こくりと頷く。
「そうか。そのまま真下を見ろ」
言われたとおりにすると、素足を金魚が泳いでいた。心臓がぶっ飛んで、思わずとらいちにしがみつく。
「安心しろ。硝子の床だ」
とらいちが、左頬をぐっと上げた。顔を横断する傷が少しばかり歪む。彼女はその笑みになんとなく落ち着いた。たまにしか出ない、しかも冗談めいた意地の悪そうな笑みだが、それでも心を解すには十分だった。
逞しい腕を握りながら、彼女は再び金魚の群れを俯瞰する。金魚たちは廊下沿いに作られた堀のようなものを泳いでいく。気持ちよさそうだ。
「とらいちかい」
と、頭上から女の声が降ってきた。
パッと顔を上げると、右手から浅黄色の平服を纏った女が滑るように歩いてくるところだった。
でっぷりと肥えた、だが貫禄ある熟女だ。紅だけ目尻と唇に引いている。
とらいちが、三船、と女を呼んだ。
「裏から忍び込んできて、軽々しい男だよ。
あれあれ、今度は女衒の真似事かい。ずいぶん痩せた童だこと。髪もなんだ、へんな色だよ。
禿にするには、歳もとりすぎちやいないかい」
「上玉になる」
とらいちの一言に三船はくくっと喉を鳴らした。
「まったく、呆れた金の亡者だね。一体、外で何をやらかしたんだか。
生憎、うちは筋を通さないことは出来ないよ。その子は、里に返しな」
「無理だ。こいつは、口減らしでね」
「不憫な」
三船は片袖で隠しながら、小さくすくめる。
「別に切見世にやってもいいんだが、これを切見世にやったとなると、上見世の楼主はよほどの間抜けと皆が腹を抱えるだろうな」
「何を」
「こいつは、白子だよ。片目だけだが」
その一言で三船の目の色が変わった。
三船は軽く腰を曲げると、あからさまに彼女の顔を覗き込んだ。
「赤じゃないね。けど萌黄というのは面白い、髪もあるし、肌も強そうだ。どこで……」
「そんなことより、欲しいのか。欲しくないのか」
とらいちは面倒そうに喉仏を掻く。その余裕ある態度に、三船は袖を下ろして舌打ちをした。
「お役人が許さんよ。あんたは女衒じゃないんだよ。しょっぴかれちまう」
「どうせ人が足りなんだろう。
三年前の地震では、浄閑寺に骸を運ぶのを手伝ったんだ、あの時に死んだのは何人だった。あの騒ぎに立ち消えたのは何人だ。
見習いの引っ込みもいたはずだ、確か、八人はいただろう。
じゃあ八人分、誤魔化せる」
「九人だよ。うちは火もついたんだよ。捕縛の余裕なんてなかったんだからね……」
目算を浮かべたのか、一寸だけ考え込むと、三船は懐から扇子を取り出し首下を涼ませた。
「名前はなんていうんだい」
交渉がじわりと結び目を探す。
……彼女を、蚊帳の外にして。
「まだ決めてない」
とらいちは世の全てが詰まらないような表情のまま、戸口に置かれた棚にどすりと腰をかけた。長身の男の豪快な動作に、棚に置かれた花瓶と花が揺れて舞う。
花を一瞥し、
「そうだな、おみなえし……御身無し。好きに決めろ。ただし、二十両。年ごとに十両もらう」
突然の切り返しに、三船は顔をこわばらせた。
「戯言を」
「そいつを女にしてやろう。もしあんたが望むような成長が見られなかったら、年毎に十両払ってやる。三年で得をするかもしれないぞ」
「馬鹿馬鹿しい、実に滑稽な」
ついと視線を逸らすのを、とらいちは見過ごさなかった。そのまま淀みなく言葉の一手を指す。
「俺を誰だと思う?」
沈黙が豪奢な空間を俄かに鎮めた。熟女の湿っぽい唸りが響き、とらいちを軽くねめつける。
互いの手をさぐり合う、均衡。
しばらくして、三船の扇子が甲高い音を響かせて静寂を断った。
「良いだろう。ただしあんたが払うのは、十五両だ。
そして必要があれば、今まで以上に働いてもらう。あんたことは昔から知っているが、こいつが物になるかは別のこと。
もし私を満足させることが出来たなら、その時は百でも二百でも、持っていくと良いよ」
「いいだろう。やる」
唐突に背中を蹴られて、彼女は膝をついた。
唖然と、とらいちと三船を仰ぐ。品定めを終えた彼らの面容は、仮面のような、意図の知れない色をしている。
不意に今起こっていることが、彼女には空恐ろしく感じた。
この世には自分を売るものがいて買うものがいる。
手のひらで転がされるその先に何があるのか。未知にくるまれて、自分はどうなってしまうのか。
三船の唇、朱が半月を描く。
「そうだね、名前は……」
「わっちが決めておござんすか」
突然、思案の隙をついて、凛とした女声が割り入った。
何の前触れの無い介入。彼女は声の主を求めて、階段の上へと目を泳がせた。
そして、息をするより先に目を見張る。
そこにいたのは、紛れも無い。
――女だ。
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