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  汗ばむ鳥籠 作者:雪芳
第四話「四角い鳥籠」
 宿場での出来事から更に歩き、足の裏にまめを作りながらの二人旅。街道を沿って行き、彼女はついに目的地らしき町に辿りついた。
 彼女の住んでいた村や、今まで通った町並みをはるかに凌駕した大きさ、広さ、美しい瓦作りの建物、なにより目を回すほど人がいる。

「迷うなよ。はぐれたら二度と、俺にも、親にも会えないと思え。ここは田舎者には生きづらい、江戸だからな」

 江戸。
 百万人がひしめき合い、息づく場所。

 隅田川という大きな川に架かる大橋を渡ると、左手に大きな城が霞んでいた。そこに向かうと思いきや反対側へと回って、城を背にする。

 柳の木が並ぶ堀をなぞりながら太い辻をいくと、いくつかの建物を囲む塀が覗えた。珍しいことに黒っぽい色をした小高い塀の中央部には橋があり、堀が掘られ、大きな門が口を開けている。

 門は奇怪な形をしていた。丸に、上のほうが鋭く尖っていて、中央にぽっかりと穴が開いている。鉄の扉が左右に開き、蝶が留まっている様にも似ている。拱門なのだ。

 橋をおずおずと進んだ。橋の下の堀は下水道なのだろう、僅かに濁っていた。

「来い」
 とらいちが彼女へと手を伸ばす。素直に彼女はその手をとった。とらいちの手のひらは少し汗ばんでいて、それなのに不思議とさらさらして心地が良い。

 二人は門へと手をつないで歩き、ぐぐった。
 門を通り抜けてしまうととらいちは彼女の手を振るように外し、数歩進んでから、首だけ振り返った。

「ここが今日から飼われる鳥籠だ」

 深く息を吸うとらいちの背中。いつもは大きいと感じるそれが、何故だか小さく思え、目を擦る。
 目蓋を開くと、とらいちはまた、大きいとらいちだった。
「今日も、女臭い」

 鼻先に大きな辻が真っ直ぐ伸びている。脇には茶屋らしき建物が佇んでおり、先ほどまでいた場所と同じつくりだが、まったく異なる場所に来たようだと彼女は思った。

 まず、音が違う。人のざわめきに紛れて琴や三味線、太鼓の音が聞こえる。たわみ、絡み合い……、心地は良いのだがどこか夢見のようで、人を酔わせる旋律。
 次に、甘ったるい匂いが漂っている。花のような、だがもっと強烈で濃厚な芳香。頭痛でも覚えそうなものだが、すっと身体に入り込んできて、これもまた地を失わせる。
「今通った門が大門だ。卯の刻から亥の刻まで開いている。女が通るには女切手がいる」
「おらは女じゃないんだろう?」
「女の素も出れん」

 とらいちが袖からさり気無く手を出したので、慌てて彼女はとらいちの手に駆け寄った。

 が、勢いあまって前のめりに転んでしまった。
 なんとか受身で転び傷をつくらず済んだもの、見やると草履の鼻緒が千切れている。仕方なく、草履を脱いで小脇に抱え立ち上がった。砂利が旅路で出来たまめに喰いつき、痛む。

「怪我は無いか」
 とらいちに問われて頷いた。素直に首を縦に振ることは躊躇われた。
 しかしとらいちは、血を尾にする彼女の足を見やると、おもむろに腰を下ろした。

 何事かと一寸怯える。

 彼は何をするでなく髪をかき上げ胸の前に流すと、背中を向け、おぶってやる、とだけ呟いた。

 その言動に当然のことながら、驚く。きつね、いや虎につままれる。普段は寡黙に彼女を歩かせるだけの男が、おぶるのだという。信じられない。

「早くしろ」

 急かされて、恐る恐る彼女はとらいちの背に飛び乗った。刹那の浮遊感。とらいちは軽々と立ち上がると、人垣を分けてゆく。

「中央にあるのは待合の辻、その先が仲の町、右やら左やらは裏道になるぞ。
 右が江戸町一丁目、左が伏見町、仲の町に入って左にふたつ脇道がある、堺町と角街。
 その右に揚屋町。奥に京町一丁目二丁目。両端には行くな。河岸といって、安い女や病気持ちが多い」

 江戸に入ったとたんに、よく喋る。
 とらいちの耳元にぽってりとした頬を寄せて、聞く。いつもは低く恐ろしい声が、今日はとても耳に優しく、染み込む。

「よく覚えろ。この吉原に住むのだから」
「吉原?」
「そうだ、吉原。おはぐろどぶに囲まれた四角い鳥籠だ」

「おらは鳥じゃない」
「……人も鳥も籠に入れば一緒だ。主が飽きるまで、どこにも飛べやしねぇ」

 とらいちにおぶさって、彼女は仲の町、ちょうど吉原の中央部にある茶屋に入った。
 茶屋であるのに、何故かあちらこちらに酒の席が開かれているようだった。小さな庭があり、その周りを囲う障子から、和気藹々とした宴の賑わいが聞こえた。

 茶屋の者がじっとりとした目で二人を見つめる。それを飄々と交わして、とらいちは更に奥へと進んだ。土間を過ぎ、細い路地へ出る。
 道というよりも家と家の間というべきか。狭く、人がひとり歩くのでやっとといったところ。

「今のが引手茶屋だ。ここは茶屋を通して遊女と遊ぶ。茶屋と遊郭は繋がっているんだが、表を通るには少しばかり銭がいるな」

 前進するにつれ、あの匂いが濃くなってきた。甘いような安らぐような、だが異臭のようでもある。
 隘路は背の低い引き戸によって行き止まりとなっていた。そこから、芳香は確かに漏れているようだった。

 とらいちが僅かに腰を落とした。鈍い音を立てて戸が開き、遮るものを失った香りの触手が二人を捕らえる。
 無色なのに霧のよう。
 熱っぽい匂いが身体の芯に触れ、次に原色が弾けた。


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