第二十九話「追求」
お鈴ちゃんをとらいちが買ったのは十年前かね。
突然やってきて、お鈴を貰うって言ってね、五十両をばら撒いて行ったんだよ。ぞっこんだったんだろうね。
お鈴ちゃんはその後、一回見世に来てくれたっきりだね。今も二人で夫婦をしているんじゃないかね。お鈴ちゃんの傍にいる時は、あの仏頂面、結構な男前なんだよ。
めんこいって方言はね、お鈴ちゃんから聞いたんだよ。なんだか言いやすくって、ついつい使っちまうんだよね――。
嗚呼。
頭がおかしくなりそうだ。
ひばりはふらふらと、大海屋に戻った。すっかり青ざめた顔色を見て、最初に飛び出してきたのは、三船だった。
「どうしたんだい」
少し乱れた髪に、服についた土ぼこり、そして小指の傷。三船は仰天して、ひばりを担ぎあげると、つか佐の部屋へと走った。
「三船おかあさん、どうしました」
乱暴に襖を開けた三船に、悠々とくつろいでいたつか佐が頭をもたげる。
「大変だよ、ひばりが」
「ちがう。おかあさん」
狼狽しきる三船に、ひばりが弱弱しく制す。
「なんでもありんせん。散歩をしていて、転んだだけ」
「転んで指を切るもんかい。お前これ、刀傷だろう!」
「そんなことより」
激昂する三船に冷めた目を送る、ひばり。三船はゆっくりとひばりを下ろすと、よろよろとその場に腰を下ろした。
「三船のおかあさん、ちょいとお尋ねしたいことが」
「なんだい」
「おかしなことをと思うかもしれんが」
「だから、なんだい」
「とらいちのこと」
三船が眉を顰める。
「……とらいちが、どうしたんだ」
「とらいちはもしかして昔、みとらという名だった?」
淡々とした口調だった。三船は何か後ろめたいことでもあるように、視線を逸らす。
「突然、何の話だよ」
「ある旦那さんが、わっちのことを、みとらと言って勘違いを」
みとら、という名に、三船は強く反応した。瞳孔が僅かに細まり、興奮の影が横切る。
ひばりはすかさず、
「とらいちは陰間だったの」
迫った。
幼い声には、強い芯があるようだった。賢しい推測の上にたつ揺るがない訴えを、腹の底に据えた凄みがあった。
三船は、怯えた。
「知ってどうするんだい。お前に、とらいちのことを知って、何か良いことがあるのかい。それより、傷は一体」
すっと、ひばりが三船の唇に手を置いた。音のない所作。一陣の風のような、あしらい。
「知りたい。知りたくてたまらないの」
黒曜の目が見るものに畏怖を与え、
「わっちは、なんなの?」
瑠璃の目が神秘を与える。
「とらいちの、なんなの?」
人間から遠ざかった、蓮の花のような童子。
ひばりではない何か、妖艶な何かがとり憑いたような、威圧感。そのくせ澄んだ水のように心を吸う、深淵じみた魅惑。
三船にはもう、欺くことは出来なかった。
「ああ、あんたは、みとらみたいだ……」
絶え入るような声。諦念したような表情で静かに呟き、三船は腰をあげた。襖に、手をかける。
「使いを出して急いでとらいちを呼ぼう。今夜は見世に出なくて良い。つか佐、ひばりを借りるよ」
呼ばれて、つか佐はすんなりと頷いた。涼しげな顔は僅かにうろたえているようだったが、事は察している様子である。
「好きにすれば良い。わっちだけの禿じゃないようだしね」
そう平素のまま口にすると、手にしていた本を投げやった。
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