第七十七話 素材効果
ナタに連れて来られたのは、平民街の端のアパートメントだった。
聞くとナタの元実家らしい。が、現在は誰も住んで居ない。
赤の国の首都の魔道師は、街の高台の中にある工業地区に家が与えられるとのことだ。ナタの家はそちらにあるようで、家族もナタが魔道師になることでもっとマシな場所に住居を移したそうだ。使う人も居なかったこの家はそのまま倉庫扱いにしているらしい。
「まるでウサギ小屋だ」
「うるせぇよ。散らかってるけど自由に使え」
スラム一歩手前の辺鄙な場所にあるナタの実家。
部屋に入るとまず目に入るのは山だ。雑然と詰め込まれた何かがひたすら山と積み上げられている。机やベッドなどの家具もよく見ると存在している様子だが、部屋の全容は窺い知れない。ただただ狭い。
辛うじて顔を出している机の前に木の椅子があり、そこが定位置なのかさっさと座る赤箒。私はどうすればいいのか。とりあえず辛うじて顔を出している机の角に座る。
しばらくはこの部屋で寝泊りすることになるのか。一から杖を製作するとなると時間が掛かる。数ヶ月は暮らすことになるだろう。まずは掃除だな。
「それでお前、何処の誰に追われてたんだよ?」
「いやぁ、ちょっと、ビアンに……」
「なんだそりゃ?」
城砦都市からこの首都まで地滑走で走って来たはいいが、そのまま気絶して丸一日眠っていたわけだ。それなりに心配されていたようだな。知り合いのビアンの部下のビアンから逃げてきたなどと説明して誰が理解出来るだろうか。そういえばその前にバイの植物から逃げてきた。私の周りはそんなんばっかりか。
「…………」
「どうした?」
「……念のために聞くんだけど、ナタって男が好きだったりとかしないよな?」
「ケンカ売ってんのか?」
「ちゃんと女が好きなんだよな? あ、ひょっとして彼女とか……」
「ケンカ売ってんだな!!」
「……は、いないのか」
わかりやすい反応をありがとう。やはり童貞じゃったか。
親近感を覚える私は元童貞の処女である。
にやにや笑う私に青筋立てるナタだが、意外なことに魔術の一つも飛ばしてこない。
代わりに、はぁ…と息を吐いて、
「さっきの種、出せ」
と言ってきた。
「な、何だ急に?」
「ただの種じゃないだろ。瓶に入れた黒い水もだ」
「でも……」
「いいから早く出せ」
強い語気で言われたじろいでしまう。
アルラウネの種と、クラーケンの墨。さっきも私のポケットから種を取って何か呟いていたし、ナタほどの魔道師が触れればこの二つの素材が普通でないことはすぐに看破出来るだろう。その通り、この二つはただの種でもただの墨でもない。
桁外れの魔力容量を持つこのレア素材は人体に悪い影響があるらしい。私はそこら辺をよく調べ安全な運用方法を確立し、杖を作ろうと思っているのだが。
ポケットの財布から種と墨を取り出す。
右の手の平に小さな花の種。
左の手の平に瓶詰めの墨。
そして、ナタの手にはいつの間にか、アンティーク調のランタンが乗っていた。
ナタの杖の杖頭のランタンだ。黒く細長い鉄柱の先端フックにぶら下がっている、見るからに杖の本体と思われるランタン。強い魔力を感じる。
「お前がそれを何処で手に入れたのかは知らないけど、こいつと同じようなもんだってのはわかる」
「同じ……、その杖ってやっぱり」
「鳥の火と同じもんが、蜥蜴の翼や馬の角以外にあったのは驚いたけどな」
「その杖が、鳥の火なのか」
三大魔道師の一人、紅炎が所有する杖。
『鳥の火』
鳥の姿の火という姿の魔物の一部を素材とした杖。
その杖を見て、私はちくりと思う。
「ナタって師匠から名前も継いでないのに、杖は受け継いでるんだな」
「お前、やっぱ出てくか? この国から」
「ウソウソ何でもない」
「あぁ、いや、そうか。お前は杖を受け継いでないのか」
「……………」
「いい。気にするな。こいつの仕業だ」
よくわからないことを呟きながら、手に持つランタンにもう片方の手を翳す。
……? 魔力を練って、何かをしたのだろうか?
ランタンの中で燃える火が揺れる。この火が素材なのだろうか?
火の鳥だもんな。フェニックス。
「こいつは人間の妬みを増幅する」
ランタンを細鉄柱の杖のフックに掛け直して、ナタが続ける。
「鳥の姿をした火の魔物の素材。これを使うと妬ましいとか羨ましいって気持ちが強くなる」
「妬み……、嫉妬か」
「お前は今俺を、羨ましいとか思ったんじゃないか?」
「…………」
「お前は自分の師匠、蒼雷から蜥蜴の翼を受け継いでないから、紅炎から杖を継いでる俺が妬ましい。……ってところか」
…………、
……図星である。
私は師匠に名前は貰ったが、杖をとうとう貰えなかった。封印されていた蜥蜴の翼は勝手に持ち出したのだ。その杖もサイの馬車に置いたまま。
ナタは師から杖を継いでいる。
そのことが、ちくりと、羨ましい。
嫌味が口を衝いて出るほどには、そんなことを思ったのは確かだ。
「俺の言うとおりなら、そいつはたぶんこいつの仕業だ。この火がお前の心を、そういう風に誘導したんだ」
人の心を誘導する素材。
嫉妬に染めて、侵食する。
やはりこの素材は人体に悪い影響があるのだ。使うのには……、
……というか、使ってもない内から影響があるのか?
「お前のそれ、常に全身で魔力練りっぱなしだろ。俺も生まれつき魔力が多い。溢れた魔力を素材の方が勝手に食ってるんだろ」
「え、これがダメなのか?」
「よっぽど巧く制御して遮断出来ないと、そうなるだろうな」
ようするに強い魔力に反応しているのか。ウルミさん仕込みの魔力操作が寧ろ不都合があったようだ。ウルミさんもそうだったが、私の魔力操作もまだ未熟だということか。
「じゃあ今の私の気持ちは、そのランタンが私の心に植えつけた気持ちなのか? 私の魔力を食べて」
「俺を羨ましいと思うのはお前の気持ちだ。それがどれくらい強い気持ちか知らないが、こいつはそれが妬みであれば、思うほどもない思いですら増幅して心を染める」
「思うほどもない思いでも?」
「お前のその種。さっきそいつに心を誘導された。ちらりと思うほどもいらない。どんな小さな気持ちも掬い上げて増幅するのがこいつの厄介なところだ。でなけりゃ俺がお前なんかにどうにかなるわけ……」
ちらりと思うほどですらない、思い。
それを増幅して、ちくりと心を刺すほどの気持ちにする。
気持ちがちくりと心を刺すほどになれば、
さらに増幅して、心を染め上げていく。
きっかけは些細でも、魔力があるだけ無尽蔵に気持ちを増幅して、
完全に心が染まってしまったら、あのときのウルミさんのようになるのか。
怠惰のユニコーンの素材だから、やはり面倒臭いとかそんな気持ちを増幅されたのだと思う。
そしてアルラウネの種に心を誘導されたなら……ん?
「この種に気持ちを誘導された……って?」
「なんでもない。忘れろ」
「ナタが私にどうにかなるって、ひょっとして……」
色欲のアルラウネの素材なのだから、何がしかエロいことになるのではと危惧してはいたが、
まさかナタ、私に欲情しているのでは……?
「おい、何で距離を取るんだ」
「なんかちょっと身の危険を感じて……」
「ちょっと待て、変な勘違いしてんなよ」
「でもこの種が増幅する心ってのはそういう……」
「お前やっぱわかってるんじゃねぇか!!」
「そ、そういえば初めて会ったときも私を目の敵にしてたというか!!わざわざ私を訪ねて家にまで押し掛けて来るし!!そう考えるとなんか私を見る目が怪しい気が!!」
「お前その種今すぐ放せ!!!!」
慌てたように私の手からアルラウネの種を奪って、また手を翳して魔力を練るような動作をする。
さっきから何をしているのだろう? よく見てみるのだが、よくわからない。魔力を練っているようなのだが……。
「それ、何してるんだ?」
「魔力操作だよ」
「いやそれは見ればわかるんだけど」
「さっき言ったろ。この素材は魔力を食って働くんだ。さっき言った人の心を誘導して増幅するってのも、魔力さえ無けりゃ働かない。魔力を練って抜き取ってやれば大人しくなる」
「そ、そうなのか!!?」
「限度はあるけどな」
そうか。魔力を練る要領で操作してやれば……、
魔力切れを起こして、壊れてしまわないのか?
「完全に魔力が枯渇すればそうなる。だから限度があるんだよ」
「そうか……」
「そっちの黒い水の方は大人しいみたいだな?」
「あぁ、こっちは空腹を増幅するはず……」
「空腹………」
思うほどもない思いでも。
それでも思ってもみないことは、増幅出来ないようだ。
今の今まで、素振りすらなかったというのに、それを意識した途端に増幅されていく。
お腹が空いた。というのが人の感情の内に入るのかはともかく。
私とナタのお腹は、突然「ぐぅ…」と鳴き出した。
「……メシにするか」
「…………うん」
○
鳴り続くお腹をなだめながら元来た路地を戻って食堂を探す。
途中で右に折れて人一人分くらいの幅の道を行くとすぐに大通りに出た。
照明の多いこの街の夜はまだまだ長そうだ。食堂も酒場もたくさん営業している。しかし露店が一つも出ていなかった。この時間だし露店は見当たらないが、どこかから燻製にされた肉を焼く匂いがして、さらに胃袋の口が開いた。
く、空腹が限界だ。くらくらしてきた。
ナタもかなり耐えかねているようで、通りのお店をぐるりと見渡すと一番近い酒場に早足で入っていった。
私もそれに続く。スポット照明に当てられた扉を潜ると店内はたくさんの酒瓶が魔法の灯りを反射してキラキラ輝いていた。かつてないほどにお腹が空いている。さぞかし酒も旨かろう。
まずはビールだな。ラガーがあればいいのだが。それと今日は揚げ物が食べたいな。唐揚げを腹いっぱい食べたい。おいしいものは脂肪と糖で出来ている。
ウェイトレスに案内されてすでにテーブルに着いているナタの元へ急ぐ。
「私はビールにするけど、ナタはどうする?」
「はぁ? 酒飲むのかお前?」
「こう言っちゃ何だが、大好きなんだ」
「……………お前、いくつなんだ?」
「ふふふふ、私にはコレがある!」
この世界ではお酒は15になってから。私は13才なのでもちろん酒は飲めない。まぁ2年くらい早かったところでうるさく言われるほど厳しい決まりでもないが。
しかし師匠がくれた青魔銀のコインを見せれば文句は言われない。蒼雷の弟子としての修了証である。魔道師として修行を終えた私は立派な大人なのだ。
ナタが恨めしそうなジト目で見てくる。羨ましいかね。ナタはまだ貰ってないもんな。優越感を感じつつドヤ顔でウェイトレスに見せる。
しかしいざお酒を注文しようとすると、怪訝な目をウェイトレスに向けられた。
………しまった。と思う。
ナタとお喋りしている内に、気が紛れて忘れていたのだ。
私の顔とコインとを交互に見比べそそくさと店の奥へ戻るウェイトレスと入れ違いに、店主と思しき中年男性が出てきた。
バツの悪いそうな愛想笑いで私と、そしてナタのことを見る。
「失礼ですが、お客様……」
「なんだ? おい注文はどうした?」
「……………」
ナタは紅炎の弟子。この街で顔を知らない人間はいないだろう。
街を歩いても、尊敬の目で注目され挨拶を求められるほどだ。この店主はナタに気を使っているのだ。
忘れていたが、私の顔も知れ渡っているのだ。
「ナタ、私は帰るよ」
「はぁ? メシはどうすんだ」
「いや、そ、そういえば私は痛風だったんだ。ビールは飲めない」
「意味わかんねーよ。おい店主。注文取ってくれ。腹減ってんだよ。とりあえずこいつに酒だ」
「いえ…、ですからお客様……」
店主が困っている。すごい汗だし、私とナタの間で泳ぐ目は酷く怯えている様子だ。
ナタには店主の言いたいことがわからないのだろう。
ようするに、不審者は来店をお断りしています。ということだ。
私は三月式典以来、顔が知れ渡ってしまっている。魔法を使う魔族なんてこの世界では危険人物でしかない。
魔法が使えないからこそ魔族は弱者であり、御しやすい。
万が一にも魔法を使わないから、檻に入れて奴隷にしておける。
詭弁である。何故ならそもそもこの世界で魔法が使えるのは限られた人間だけだからだ。黒髪なら絶対使えないというだけで、どんな髪色でも使えない人は使えない。
それでも奴隷とは魔族のこと指すのだ。今もこの国ではそれが続いている。
一応あの三月式典以降、魔法を使える魔族である私の立場は青の国と白の国に保障されているはずである。私が不当な扱いを受ければ赤の国は私を保護しなければならないはずで、通報すれば最悪この店は営業停止だろう。
けど、そんな気にはなれない。
この店主は、ただ怖がっているだけなのだ。
仮に奴隷が暴れだしても、魔法で鎮圧出来るという保障があった。
その奴隷が魔法が使えたら、安全が危険に裏返るのは必然。
ナタは実力のある魔道師だから私が怖くない。だからその感覚がわからないのかもしれないけど、普通の人にとっては不審者がロケット砲で武装して歩いてるように見えるだろう。
私は危険人物なのだ。
「もう行こうナタ」
「俺はまだ何も食ってねぇ!ふざけんな!!」
「お願いだから……」
今にも暴れだしかねない。店主はナタにも怯えている。この店ひとつ一撃で灰に出来るぞこいつは。
場を乱す異邦人は私だ。尚も文句を言い続けるナタをなだめて、さっさと店を出ることにした。
○
ナタには本当に申し訳ないが、私はひもじい思いには何かと慣れている。
輪を掛けてけたたましく嘶くお腹を抱えて再び街の通りを歩く。
当然のことだが、ナタは不機嫌だ。仏頂面でブツブツと文句を垂れ流しながらすれ違う人にメンチを切っている。
「その…、ごめんな? 私の所為で……」
「ぁあ!? ふざけたこと言ってんじゃねーぞ?」
ぎろりを私を睨んで吐き捨てるナタ。怖い。
こいつ何も悪くねーじゃねぇか…とか、あの店潰してやろうか…とか、
ブツブツと続ける文句をよく聞いているとさっきのお店の明日が心配になってくる。
「この辺は駄目だな。おい、着いて来い」
「どこへ行くんだ?」
納得は全くしていないようだが、私があまり人にいい目で見られないことは理解できたようだ。大通りで馬車を捕まえて商業地区へ行くとのこと。この国の人間でなく青の国から流れてきた商人たちも多く店を構える地区だそうだ。そちらならマシな対応が望めるだろうというナタの主張に黙って従う。
奴隷を廃止した青の国を捨ててこの国に移住する商人というのは、そもそも奴隷制度肯定派のはずだ。それほど対応が変わるとは思えない。
けど私はもう、考えるのも疲れてきた。
いい加減空腹も限界だし、血糖値下がって頭が働かない。
「ほらよ」
「……え?」
歩みが遅くなっていた私の先を行っていたはずのナタが、顔を上げた私に串焼きをくれた。
「フラついてるぞ。そこで売ってたクズ肉だけど、食っとけ」
燻製肉の串焼き。とっくに限界を超えている空腹に遠慮なく頂くと、硬い肉が私の前歯に抵抗した。
少し苦労して噛み切って頬張るが、ナタの言う通り、あまりいい肉では無いな。
けれど、
「………ありがとう」
目が潤むほど、美味しかった。
空腹は最高の調味料というが、
素直に気遣いが嬉しかった。
やっぱりナタは私が何者でも関係なく接してくれる。あの店主の目に見られた後で、ナタの気遣いがとても嬉しく感じる。
こいつ、いいところあるよな。
「よし、あの馬車を止めるか」
「……………」
大通りは煉瓦が均等に敷き詰められていて広く整地されているが、ここら辺は馬車の往来は少ないようだ。この時間というのもあるだろうけど。
その道にやっと乗せてくれそうな馬車が、向こうからやってくる。
街の乗り合い馬車ではない。商会や貴族の印はどこにも無いので個人の商人の馬車だろう。頼めば乗せてくれるかもしれない。というかナタが頼めば大抵の人間は首を振らないだろう。……大抵の人間は。
馬車は大きい。家屋のように大きい。当然それを引いて歩く馬も巨大だ。
馬車を引く二頭の巨馬は牛馬と言う魔物を品種改良した家畜らしい。この国では普及が進んでいる品種らしく、まだ数は少ないが割りと見かけるという話だ。
その馬と、目が合う。
「ナタ、あの馬車はやめ……」
「ちょっと待ってろ。乗せるよう言ってくる」
「ちょ、待って……」
デジャヴ。
デジャヴだよ。
目が合った巨馬はもはや私しか見ておらず、微妙に進路を変えてまっすぐ私へと向いている。今はまだ歩いているが、何だか今にも走り出しそうな威圧感を感じる。逃げた方がいいと私の記憶が訴えている。
巨馬二頭の間から御者台が見えた。そこに座る女の人も私に気付いたようで、
「あ…、あ、あーーーーー!!!!
メイス氏!!!!居たーー!!!!」
などという声を上げた。