夏の自惚
私は歩けなくなった。暑さを理由にしない汗が顎を伝ってアスファルトに滴り落ちる。指先はしびれた。心臓は凍った。私は、歩けなくなった。
いつかの夏の日、知らない他人が私を笑った。何で笑われたのか、もう覚えていない。汗をだらだらと流して情けなく顔を真っ赤にした私は、自分の表情を隠して生きると決めた。決めたところで何も変わらない日常が待っているのだけど――私にともだちはいないのだから。
いつかの夏の日、夏だというのにマスクをしている私を知らない他人が笑っていた。ずっと使っていない表情筋をマスクの下でこわばらせた私は、他人を見ないように生きると決めた。決めたところで何も変わらない日常が待っているのだけど――私にともだちはいないのだから。
いつかの夏の日、他人の見るのが怖くてうつむいていたら、背中の曲がった私を知らない他人が笑っていた。世の中の他人はもれなく私をバカにしているのだと理解させられてしまった私は、人目につかぬよう生きると決めた。決めたところで何も変わらない日常が待っているのだけど――私にともだちはいないのだから。
いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、いつかの夏の日、あらゆる夏の日が私の前に積み重なって、分厚い壁となり立ちふさがった。私はその壁から逃げるためにマスクをしてうつむいて、いつだって道の端を歩くようになった。ぎょろぎょろと慌ただしく動く目を隠したくて前髪を伸ばした。直接見る世界がこわくて視力も悪くないのに眼鏡をかけた。甘ったれた手首の傷を隠すために長袖を着て、あざや擦り傷だらけの足は厚手の黒いタイツでごまかした。ヒールによろめく自分が無様で、スニーカーしか履かなくなった。外から聞こえるすべての音が私を笑っているから、イヤホンから耳をつんざくくらいの音楽を流した。
ある夏の日、血迷って顔を上げると、きれいに磨き上げられたショーウィンドウに反射する死ぬほど醜い私が、私を見ていた。立ち尽くす私の後ろをきれいな他人たちがともだちと笑いながら歩いて行った。誰も私を見ていなかった。あれだけうるさかった音楽がぴったりと止んで、私は歩けなくなった。暑さを理由にしない汗が顎を伝ってアスファルトに滴り落ちる。指先はしびれた。心臓は凍った。
私は、歩けなくなった。
続き物ではありませんが、「春の暴食」「夏の自惚」「秋の不眠」「冬の憂鬱」をまとめて「四季」としています。




