「ふ〜ん、伊達さんから直に呼び出されていたのはそのコトだったんですかぁー」 「そ、俺の場合家庭環境が複雑でね? 苦労してンだ」 俺はチョクチョク遣ってしまう遅刻の理由は、友人宅を転々としているからなのだと、部長にも言った同じコトを美紀にも話した。 つか、同じ社員同士、ツジツマ合わせておかねーとどんなピンチに出くわすとも限らねー。 美紀が部長と遠い親戚だった……ってなコトが後になって判明した……だなんてコトにもなり兼ねねーからだ。 日もとっぷりと暮れてしまった午後八時半。 俺はその日の業務を終えて本社ビルから出ると、後から出て来た美紀と偶然会った。 そして社員駐車場までの間、二人で肩を並べて歩いていたんだ。 昼間の猛烈な熱気が和らいで、微かにそよぐ風が気持ち良い。 国道のアスファルトに閉ざされている僅かな緑地帯から、引っ切り無しに通過する車の騒音に負けまいと、コオロギの鳴き声が聞えている。 美紀は更衣室で既に私服に着替えていた。 スポーティーなファッションがメインの恵理とは違って、美紀は小花柄パフスリ−ブのトップスに、下はふんわりミニのフレアースカート。 アシモトは編み上げリボンのサンダルだ。 乙女チック路線をマッシグラに行っちゃっている女の子。 訊けば、いつもこの時間帯に帰宅していると言う。 俺もこの時間帯に帰っているんだが、美紀と会ったのはコレが初めてだった。 有馬(ありま)美紀(みき)十九歳。 高卒でこの会社に就職している女の子で、午後の伊達部長からの電話を取り次いでくれた彼女だった。 パッツン前髪に左右に振り分けたオサゲが、妙に制服とミスマッチして野暮ったく思えたが、こうして私服に着替えていると、却ってその髪型が初々しく見えたから不思議だ。 顔立ちもスバ抜けて美人とは言えなかったが、強いて言うなら可愛い妹的癒し系? 「私、日高さんが白石さんに卒中呼び出されて叱られているの見て、心配だったんです」 「え?」 彼女は彼女なりに俺のコト心配してくれているみたいだった。 「遅刻は……そりゃあ良くはないですけど、理由も聞こうとしないで頭ごなしに皆の前で叱られて……日高さんがカワイソウ……それに、あんな言い方する白石さんを見るの、日高さんが初めてで……」 「はぁ……」 って、俺だけが特別な叱られ方してンのか? やば…… 俺のコトを意識し過ぎて普段を見失っている恵理が、部署内からどんな眼で見られているのかを知って、俺は内心穏やかでは居られなくなった。 「白石さんって、本社でもカレシ居ない歴更新中のキャリア組でしょ? 同期とそんな話していると、決まって真っ先に話題に出る人なんですけど……案外、日高さんを狙っての強烈アピールしているのかもって……」 「えっつ、ええっ? お、俺が?」 「ですよね? 日高さんなら彼女居そうですもん」 慌てる俺に、美紀は、『ウソですよ〜』ってぺろっと舌を出した。 「……俺?」 俺は隣で歩いている美紀に視線を落とした。 「だって……ナンだか危なっかしくって、放っておけない……からっ」 「あ?」 俺は『イミ判んねーよ』って顔をして首を傾げた。 俺を見上げた美紀の視線が俺の視線とぶつかり、美紀が顔を赤らめてぱっと顔を叛けた。 あれ? もしかして俺に気があるのか? 明日の朝から恵理が出張で居なくなる一週間、ひょっとして……コレってラッキーなのか? 狼になりそうな気配の俺。 お、落着け、俺ッツ。 「あの、私……日高さん知っているんです」 「え?」 「ミサカ峠を走っていた日高さんでしょ?」 「……」 『違う』って否定して言い返せねー。 「私、五つ年上の兄が居て……今は就職して県外の会社に居ますけどね? その……日高さんの名前を時々口にしていた事があったから」 「……」 「『日高にはかなわねーな。ナンで追い付かねーんだ?』って、よく言ってました」 「……あ、あの……」 美紀の兄貴って? ……悪いが、俺は知らねーぞ? 「兄も『走り屋』だったんです。夜中、車にインナーサイレンサー付けてはミサカ峠なんかに行っていました」 どうやら美紀の話にウソはナイみたいだ。 だけど美紀がココまで喋った以上、今更美紀の言葉を否定するには手遅れの状態のように思えた。 「有馬さん?」 「あの、あのっ! き、気にし……しないで下さいね? このことは誰にも言っていませんし、日高さんが『走り屋』だったとしても、私はゼンゼン気にしませんからっつ」 美紀は少し頬を染めて早口で捲し立てた。 いや、俺はもの凄〜く気にするぞ? 美紀とは偶然帰社時間が重なって出会ったのだと思っていたが……この分じゃ、美紀が俺を待ち伏せしていたと考える方が無難だよな? 俺は美紀が何を企んでいるのか読めずに、不安になってしまった。 ナニか、トンデモナイコトを強要されるのか、それとも……? 「……」 「ほ、本当です。ただ……少しだけ私の……聴いて貰えるなら」 きっつ、来たぞやっぱしっつ!!! 察するトコロ、ナニかの交換条件かっつ??? 「何をです?」 訝って構える俺に向かって、美紀は自分の胸元で小さく『オイデオイデ』と手を振った。 「ンむ?」 屈んで、美紀の顔を覗き込むような姿勢になった俺の頬を、イキナリ両手でぐわしっと挟み込んで、美紀は俺にキスをして来たんだ。 慌てて美紀の両肩を掴んで、引き離した。 「ど、どうしちゃったンです?」 美紀の口紅グロスをたっぷりと付けられてしまった口元を、手の甲で拭う俺。 見掛けからは、到底オクテでオトコを襲うタイプじゃねーぞ? なのに、今の美紀は部署での※−1)ジミアシでなくなっていた。 美紀は祈るように両手を胸前で組み、潤んだ瞳で俺を見上げて来る。 その眼はまるで、何かに追詰められてしまっている眼だ。 「来週の火曜日……私、二十歳になります」 「?」 ソレがナニか? 「日高さんに私の『処女』貰って欲しいんです」 「んな……?」 俺は飛び上がるホド喜んだが、ココで俺が狼だってバレテ美紀の気が変わるとモッタイナイから、表面では困った素振りをして見せる。 「日高さんなら私、きっと後で引き摺ったりしませんから」 「……?」 どういう意味だよっつ??? その言葉、ナンだか妙〜に不愉快に思えて来るのはどうしてだ? 「知りませんでした? 日高さん、社内で噂になっているの」 「へ? 俺が?」 「セフレ候補ナンバーワン。日高さんなら日雇い契約でカレシになってくれそうですもん」 「あ……そ」 がーん!!! セ、セフレ……日雇いカレシ……えっちをしちゃっても、アトクサレ……ナシ? って、ナンだそりゃあああ??? ……ショックだ。 俺ってそんなに尻軽オトコに見られているのかよっつ? 俺は耐え難い屈辱と、言い表しようの無い不快感に見舞われた。 だけど、今までが今までなだけに、真っ向から否定出来ねーっつ!!! 社会人になって生まれ変わった気持ちで居たのに、ちゃ〜んと過去を引き摺っていたなんて……しかも本人が気付いてなかっただけだったのか……? 「で、でも有馬さん? 部内での……その、こ〜ゆ〜コトって宜しくナイでしょ?」 う〜ん、日本語が微妙に乱れてしまう俺。 入社当時は彼女捜しで社内をウロツイテいたのに、その時には出来なくって、落着いた今頃になって効果が表れて来たのかよ? 「ダイジョウブです。私、来月でこの会社との契約が切れるんです」 美紀はささやかな胸を張って息巻いた。 『契約切れ』……って、美紀も派遣社員だったのか。 派遣社員はウチの部署では※−2)徳永美奈しかイナイと思っていたぞ? 「ら、来月……って?」 「ええ。先月の末に朝礼でお話していましたけど、日高さん遅刻してたから」 ああ、それで。 「OKしてくれるなら、私の借りているマンションの住所を貸してあげても良いですよ?」 「有馬さん?」 「不利な条件じゃないと思いますけど?」 美紀はそう言ってうふふと笑った。 「まいったな……」 俺ってそんなにチャライヤツ……だったとはね? 苦笑しながら頭を掻く俺の反応に、ミャク有りだと思ったのか、美紀は俺の首に両腕を絡めて抱き付いて来た。 「そう言ってくれると思ったの」 嬉しそうな美紀の顔。 いや、俺はマダナニも言ってねーんだけど? 「あ?」 俺の携帯が鳴っている。 心当たりのナイ携帯の呼び出し音に、不意打ちを喰らった俺はハッとした。 曲は長者番組大御所の『笑天』のテーマソング…… 「ぷ……」 美紀が曲を聴くなり突然噴いた。 「あ、いや違っ……」 笑い出す美紀に、シドロモドロになる俺。 違うんだって! こんなの俺が設定したんじゃねーってばっ!!! 「じゃ、またね?」 引き際を覚ってか、クスクスと笑い出す美紀は、呼び出し音に追い立てられるようにして俺から離れた。 軽く手を振って、小走りに自分の車へと駆けて行く。 「あ、ああ、お疲れ……」 美紀に合わせて手を振りながら、俺は鳴り続ける携帯をノロノロとポケットから取り出した。 「はい?」 −「いつまでもアブラ売っているんじゃない」 「〜〜〜」 不機嫌な野郎の声がした。 くっそおおおっつ〜〜〜!!! ヤッパリ水守かよ? コミカルな曲とゼンゼンイメージが合ってねーぞっつ! 人のお愉しみを奪いやがって……オジャマムシが…… 俺は水守にムカついた。 「ナンでしょうか?」 −「今朝お前をアオイとか言う例の小娘だと勘違いしたトラックだがな」 「はい?」 −「待ち伏せしているぞ?」 「って、ドコに?」 −「その駐車場を出て環状線に向かう最初の信号機。角にコンビニがあるだろう?」 「ええ」 −「盗難車がもう一台停まっているな。仲間と見て心した方がいい……まあ、精々気をつけろよ?」 「……」 水守の含み笑いが聞えた。 人の不幸を喜びやがって……いい気なモンだ。 俺はお前のオモチャじゃねーぞっつ!!! 俺は場内に設置されている防犯灯に照らし出された、アクアブルーのフィットを恨めしげに睨み付けた。 このアオイのフィットに乗ったばっかりに……厄介ゴトに巻き込まれ……か? だが、これ以上の巻き添えはゴメンだ! 俺はこの後トラックの居る交差点には行かずに、迂回して逆方面へとフィットを向かわせていた。 「ただいま〜」 恵理が帰って来た。 俺は汁物を作っていた最中だったから、お玉を片手に持ったまんまで玄関まで出迎えてしまった。 「お帰り」 「あら? アオイちゃんは?」 恵理は俺の背後をキョロキョロと見回して、まだココに居るものだと思っているアオイの姿を捜した。 「……」 「……どうしたの?」 言葉に詰まった俺は、さり気無く恵理との視線を合わさないように逸らせたが、恵理にはバレバレだったみたい。 アーモンドみたいなネコの瞳が、無言で俺を責めるように見上げて来たし。 「あの、あ……アオイは一旦家に帰るって……」 「……?」 恵理はチラリと俺を一瞥すると、『ふーん』と鼻を鳴らした。 俺は理に叶った言い訳を見つけ出してウソを吐いた。 ……本当は、水守達成和会が捕まえて、今頃は…… 泣いてなきゃ……イイケド。 だけどアオイは『当たり屋』のメンバーだ。 俺のトコロに転がり込まなくったって、イズレは成和会に捕まっていただろうさ。 ソレがチョッと早くなっただけのコト…… ザンネンながら、俺は正義の味方でもねーし、悪に加担するツモリもナイ。 せっかく俺を慕ってくれてはいたが、俺はぶっちゃけメイワクだったしな? 居心地の悪い想いだったが、ソレは俺の正直な気持ちだった。 「ね? このドレスどお?」 アオイの不在にがっかりした様子の恵理だったが、気を取り直して手にしていたハードタイプの衣装ケースから、黒いパーティ用ドレスを取り出して自分の身体に合わせて見せた。 ……ド、ドレス??? 聴き慣れない言葉に、俺はお玉を持ったままでフリーズした。 贅沢にたっぷりと取ったドレープを胸前で合わせるカシュクールで、透け感のあるレースが膝丈のスカートの下からイッパイ出ていた。 ウエストには幅広のでっかいリボンが左横に結んである。 ドレスだなんて大学の卒業式に女の子が着ていた、貸衣装モノしか見たコトがないぞ? 「お店に注文していたのがやっと届いたって連絡があったの。一点モノの特注品。勇気出して買っちゃったぁ〜」 恵理はテヘッと肩を竦めて見せた。 「……スゲ……」 ド素人の俺が見たって、一目でそのドレスが高級品の素材で出来た品だって判る。 光沢がゼンゼン違っている。 ソレ一着なのにモノスゴイ存在感があるように思えて、俺は圧倒されていた。 恵理が勇気出して買うくらいだ。 多分、ドコカのブランド物だろう。 ザッと見積もっても、俺の一月の給料は軽く越えそうだ。 ドレスに気を取られていた俺に、恵理は『ねぇ……』と声を掛けて来た。 「似合う?」 「え? え、ええ。似合い……ますよ?」 恵理は俺の浮ついた言葉が、イマイチ信用出来なかったみたいだった。 妖しい瞳がジッと俺を見据えて来る。 「ホントに?」 「うん」 恵理の姿に眩んだ俺は、眼を細めて頷いた。 トタンに恵理の表情がパッと明るく弾ける。 「でしょお? ふふっ、そう言ってくれると思ってたんだぁ」 「あ?」 恵理は自分に宛がっていたドレスを退けると、今度は俺の首に抱き付いて来た。 この時、俺は目の前で無邪気に喜んでいる恵理との距離が、もの凄く離れていると思ったコトは無かった。 手を伸ばせば恵理に触れて抱き締めることさえ出来るのに……俺にとっての恵理の存在がこんなに遠いだなんて、認めたくは無かった。 俺は胸の中に蟠ってツッカエテいる不快なモノが、更に大きくなっているのに気付いてしまったんだ。 胸の潰れる想い……ってこういう場合のコトを指すのかな? 俺は恵理の背中にそっと腕を廻した。 「……明日から出張ですね?」 「うん」 「お泊りの準備、出来てますか?」 少しだけ不安になって、俺は恵理の耳元に囁く。 俺の言葉に、恵理は『え?』とか言って反応した。 「してくれているのでしょう?」 は? 「ダレが?」 「司」 「え? ええっつ?」 おっ、俺っつ??? ナンで? 自分の支度くらい、自分で用意しろっつ!!!