ナウ!!
……はあ……。
ため息につられて、目の縁から涙がこぼれた。枕はグショグショで冷たいのに、ほっぺはほてって瞼は腫れてる。頭はガンガンするし、鼻の周りはカピカピで、鼻水で詰まって息ができない。何百回目のため息が、また勝手に吐き出された。
ずっと好きだった人が、明日、転校してしまう。
今日が最後のチャンスだった。だから、好きですって、言うつもりだったのに。
なのに、なんで、どうして!
弱虫! 意気地なし! 臆病者! わたしのバカバカバカ!!
湧き上がる悲しみや怒りで、新しい涙がボロボロと溢れていく。ヒリヒリとほっぺに沁みて、とても痛い。
ペロッ。
ザラッとした舌が、顎を撫でた。
抱きしめてた飼い猫が、首を傾げる。可愛い仕草に、ちっちゃく苦笑いが吹き出た。
ごめんね。付き合わせちゃって。でも1人はイヤだから、一緒にいてね。
猫は顎をもう1度舐めて、大人しく腕の中におさまった。
付き合うよ。って言うように。
ああ、この子のこと、彼にも話したっけ。
不思議な猫で、1回も鳴いたことないけど、テレパシーみたいに言いたいこと理解するんだよ、って。
おもしろい猫だな。どんな声だったのか、鳴いたら俺にも教えてよ。
そう笑った彼とは、会えなくなってしまった。声を聴くこともできない。
分かってたくせに! どうして私は!!
また溢れた涙が枕を濡らした、その時。
猫が不意にスルリと抜け出した。
あ、と思った時には、じっと窓に鼻先を向けて、くるっとわたしを見た途端。
「ナアアアアアアウ!! 」
鳴いた。
というより、絶叫した?
ポカンと見上げてる私に焦れたのか、その子は尻尾をフリフリ大きく振って、ベッドから飛び降り、ギロッと睨んできた。ドアの前で。
あ、はい。開けます。開けます。
隙間からすり抜けて出て行った猫は、走って、というより猛ダッシュで、廊下を駆け抜け、曲がりきれなくて角にぶつかった。頭、大丈夫かな。
ポケッとしてると戻ってきて、足に爪をたてられた。痛い痛い! 分かった行きます!
追い立てられるように玄関まで行き、つんつんと鼻で突かれてドアを開けると。
「……え……」
街灯がない道でも、誰がいるかは分かった。
彼だった。
目をまん丸に見開いて、信じられないって顔してる。きっと私も、同じ顔をしてる。
「……な、なんで……?」
自分のかすれた声で、顔がグシャグシャなのを思い出して、顔を伏せると、名前を呼ばれた。
二度と呼ばれないはずだった、私の名前を。
「……その、最後に、絶対言いたいことがあって。出てこいって思ってたら……本当に、来てくれた」
もう聞けないと思っていた声は、ほんの少し震えてた。
ゆっくりと顔をあげる。真っ直ぐに見つめてくる目と視線が繋がる。
二度と会えないと思っていたその人は、必死な顔で、きゅっと口を引き結んだ。
さっきとは違う恥ずかしさと、期待で、胸が、高まった。
「俺は――」
「……なんてこと、あったよね?」
「ちょ、マジやめて。恥ずかしくって死にそう」
「なによー。とーっても嬉しかったんだから。良い思い出でしょ?」
「……マジやめて。もー……」
赤くなった頬を隠そうとわたしの顔を押し返す彼。照れくさい時のクセは、あの頃と変ってない。でも大きくなった手が、時間の流れを感じさせる。
あの後、何かの本で読んだ。猫は一生に一度だけ、人間の言葉を話すらしい。とても重要で意味がある言葉を。
あの子の場合は、あれだった。一生に一回しか聞けなかった声で。
今だ、って。
「でも、なんで英語だったんだろうね」
「まぁいいじゃん。おかげで俺達、こうしてられるんだから。なー?」
彼の左手と私の右手。2人の間で揺れるカゴから、ひょいっと猫が顔を出す。にゃぁと鳴いた声は、あの子と似ていて、ちょっと違う。
明日からは、彼と私と、あの子の子供と、3人家族。
どうか見守っていてね。
そして、末永くよろしくお願いします。