我儘な再会
リスタル防衛戦の立役者が揃い踏みし、にわかに喧騒を増す宿屋の食堂。どこからとも無く野次馬が増えていく。陰で念話をしている者も多い。アイリスが心配そうに顔を覗かせる。直時は済まなさそうに頭を下げ、フィアが小さく肯いた。
「お二人に相談もあるので、場所を変えませんか?」
「わ、わかったニャ! うちんとこへ行くニャ」
動揺から立ち直ったミケが、隠れ家へと一同を誘った。
ヒルダが直時の左手に注目する。肘から指先までを覆う大きな黒革の篭手を着けていた。可動部分は金属糸と厚布で補強されている。苦笑いした直時は「後で話す」とだけ言って移動を優先した。
増える野次馬をかき分け路地裏に入り、闇の精霊術で全員の気配を消す。
直時は更に人魔術『幻景』をたたき台に改造した『光学迷彩』で全員の姿を消した。効果は『幻景』と同様、全周に自分を透した景色を投影するのだが、解像度が半端ではなく高い。『幻景』では硬貨大の魔力鏡に映像を映すが、『光学迷彩』に於いては極少の発光体に赤青緑の光源を設定、その輝度明度で映像を再現した。モニターの技術を応用したものである。自身の影も修正し完全透過をさえ実現した。マーシャ達獣人族の鋭い感覚や『遠視』(知覚強化系の視覚だけを強化する術)を相手に試験を繰り返した結果である。
認知を阻害する闇の精霊術だが、効果範囲はそれほどでもない。純粋に視力だけでの遠距離監視には効き目が薄くなる。『光学迷彩』でそれに対応したのだ。念には念を入れる。彼はフィアの負傷を忘れてはいない。
無言のまま移動した一行は、誰に見咎められることもなくミケの隠れ家へと辿り着いた。尾行はあったが、全て撒くことが出来た。
ミケは扉を閉めると闇の精霊術で一切の音を遮断する。その傍らで直時が足元の影へ呼び声をかけた。小さな魔獣が3匹姿を現す。
「タッチィ! 何その子達っ? 可愛いニャっ!」
ミケの叫びに驚いたのか、直時の背中に隠れる。
一匹は兎のように長い耳を持った白い鼬。耳と尾の先端が緑色である。風に乗って素早く動き、直時の肩に駆け上った。
一匹は黒い毛玉。両掌大である。手も脚も無いが、大きな一つ目が頻りと瞬きしている。ふよふよと漂って直時にまとわりついているが、ミケに怯えて影に戻りそうになった。
そして最期の一匹は子亀だった。ゴツゴツとした甲羅は明るい茶色。顔も厳しいが目だけはクリクリとして愛嬌があった。意外と素早い動きで、しゃがんだ直時のお尻から隠れて様子を窺っている。
3匹とも体に桜の花弁模様があった。直時が与えた『刻印』である。
「白いのがフーチ。黒いのがクロベエ。茶色がゲンです。――皆、この家の周りを固めて」
紹介もそこそこに直時の言葉に肯くとそれぞれの姿が掻き消えた。ミケとヒルダが驚く。
「もしや精霊獣か? 従魔契約したのか?」
「そう。正確には精霊獣に成った――と、言えば良いかしらね。契約はしてないけどタダトキの言う事なら聞くわ」
唖然とするヒルダにフィアが答えた。ミケは彼等を探してあちこちへ顔を巡らせている。姿は消えたが気配は感じられる。
「精霊に『刻印』をあげたら、変化しちゃったんですよ。んで、色々とやってくれるんで凄く助かってます。何より可愛いですよ? 触れるようになったってのが一番ですよねーっ!」
とんでも無い事実をあっさりと直時が言った。
そして数種類の魔法陣を編む。直時が3つ。フィアが2つと分担していた。ヒルダとミケが初めて目にする人魔術は、直時のオリジナルである。
「――大気は動く 風を掴め 『空間受動』。――纏う影は我が領域 侵す影を暴け 『影踏み』。――全ての物質 その息吹を捉えよ 『赤外線』。――範囲は全て10メートル」
「――地に鳴る音 響きを耳に 『地振感知』。――魔力の泉 命の源 我に示せ 『魔力共鳴』。――範囲設定、10メートル」
全てが警戒用の人魔術だった。魔法陣の一部、範囲を決定する部分を任意で変更出来る仕様になっている。「出力調整まで魔法陣に固定化するより、自分で調節できるようすれば良い。どんな電気機器にも付いてる!」という異世界ならではの発想だった。
風の動き、影の交わり、地への響きは直時もフィアも卒なく使えたが、サーモグラフィを知らないフィアと、魔力に触れて間もない直時はそれぞれ得意な新魔術を施した。
二人共、突然増えた情報の流入とその処理による頭痛に眉を顰めた。使い慣れてくればマシになる筈である。全員の精霊術、直時とフィアの人魔術、そして精霊獣達の警戒でこれでもかと防備を固めた中、4人は椅子へと落ち着いた。
「……色々と聞きたい事、問い詰めたい事、尋問せねばならん事があるが今は置こう。今日、リスタルを訪れた理由を話せ」
「何か端々に不穏な響きがありますが、ヒルダさん――」
「お姉さん、だ」
「……。ヒルダの姉御――ぐふっ!」
左手を直時の首に回し、右拳が鳩尾で震えている。一発もらったようであるが解放されない。そして、顔が近い。目が怖い。
「お姉さん……。だったのではないか?」
「ヒルダ姉さん……」
怖い輝きを見せていた紅い目が緩んだ。握り折られそうになっていた首が開放される。
「お姉ちゃんでも良いぞ?」
機嫌が治り、片目を瞑ってヒルダが言った。
「おねーちゃーん。タダトキをいぢめないでー」
「そうニャ! ヒルダっちはやり過ぎなのニャっ!」
無表情のフィアの棒読み台詞と、ミケの慌てた声がヒルダへ放たれる。
「お前の方が私より歳上だろうがっ?」
「なっ、なっ、何ですってっ!」
ヒルダの突っ込みに顔を真赤にするフィア。いがみ合う二人の年齢を思い浮かべた直時に、揃って殺気の篭った視線が突き刺さる。
「おおうっ? って、それよりリスタルに来た目的ですねっ! そう、その話が一番重要ですよそうですよ! シーイス公王の提案ですが、俺は乗ろうと思ってます」
怒りの矛先を逸らすためにした話だったが、ヒルダとミケが息を飲んだ。
「「なんだってーっ?」」
二人の叫び声は闇の精霊術により家の外までは届かなかった。
お茶で喉を潤した直時は続きを話す。
「例の普人族以外の準国民ですけど、当然それを取り纏める行政府が出来ますよね?」
「ヒルダっちが領主を頼まれていたニャ」
「気乗りせんのだがな」
「ヒルダ姉さんは断るつもりなんですね?」
ヒルダが肯き、フィアも当然だという顔をしている。ミケだけは少し残念そうだ。
「勿論、公国の真意が判りませんし、俺も確約はしません。シーイス国籍を取る気もないですしね」
「では、何に乗るというのだ?」
「公王の頼みを拒むとなると、関係者への心証が悪くなります。なので、代わりに俺を顧問というか相談役というか、名前だけの役として推してください。実質、傭兵契約でも構いません」
「奴等、確実に神輿として担ごうとしてくるぞ?」
「ヒルダ姉さんだって、竜人族の郷と掛け持ちで良いと言われたのでしょう? 当然、俺の方も縛りの少ない契約にしてもらいます。どうせ、名前を利用しようってだけだと思いますしね」
「タダトキに行政やらの実務能力があるとは思えないし、精々単体での戦力としての利用方法しかないでしょうね。抑止力としても使えるかな?」
直時の思惑は権力に近付かないことで、能力だけの契約で済ませるということにある。しかし、フィアは彼の能力に政治的要素を排すると、高い魔力による戦闘力以外に価値が無いと言った。
「それだと冒険者として依頼をこなすのと変わらない気がするのニャ」
「指名依頼だな。まあ、タダトキが依頼可能な場所に居る。と、いうことが大事なのだろうが……」
シーイス公国が直時を指名して依頼を出せば良い。そのために活動拠点として便宜を図るようにさせる。そのような対応で充分ではないか? と、ヒルダが言った。
「でも惜しいと思いませんか? どんな思惑があったとしても、国策なら普人族の国々に一石を投じることになる。他種族からの要望ではなく、普人族が始めることに意味があると思うんです」
「お前はまだそんな甘いことを考えているのか? そもそも普人族と見做されているタダトキが準国民の行政に関わったとて、獣人族が信用することは無いぞ?」
「高名な竜人族のヒルダさんが領主でないとなると、私やミュン、リナレス姉妹のように、直接タダトキを知る者ならまだしも、それ以外は難しいと思います」
ヒルダも仕事モードで冷静になったミケも否定的な見解だ。
「タダトキ、そろそろ建前ばかりを振りかざすのはやめなさい。はっきり言えば?」
黙っていたフィアが焦れたように言った。
「いや、だからルーシ帝国が国内の地盤固めのためにカール帝国と不可侵条約結んで、安心して戦争やらかそうってことになったら、原因の一端は俺にもあるわけだし……」
「各国の動きがタダトキ一人の行動に左右される訳がないでしょう? 何を言っているのですか?」
前後の事情から、直時が各国の動きを活発化させた小さな一因とはミケも承知している。しかし、結果的にそうなったというだけで、直時の介在が無くても大乱となりえる情勢だったのだ。彼が責任を感じるなぞ、見当違いも甚だしい。
「そもそもタダトキがリスタル防衛戦にいなければ、ヴァロア王国がリスタルを蹂躙していたでしょうし、続くマケディウス王国への侵略作戦も始まっていたでしょう。そうなれば当然カール帝国も動いたでしょうし、現在とは違う形で各国の介入もあったと思いますよ」
「ミケちゃんの言う事、判ってるわよね? もっと単純に、タダトキが何故リスタルに来たのか言いなさいな」
ミケの言葉に被せるようにフィアが再度、本音を言えと促した。
「まぁ、何というか……。心配だったんですよ。ミケさんやアイリスさんやおやっさん、ブラニーさんや他の知り合った人達が……」
言い難そうに答えた直時に、ミケは目を丸くした。
「ウチらは子供ではないニャーっ!」
「あ、戻った」
「くくく。あっはははははっ! まあ、そう怒るなミケ。タダトキらしいといえばらしいじゃないか?」
それぞれが自身のことに責任をもって行動している大人である。直時の言い様では、彼等のことを子供のように心配しているように感じられたのだ。ミケが怒るのも無理は無い。悪気が無いことが判っているだけに、余計たちが悪い。
一方、ヒルダとフィアは、直時の方が寂しがって駄々をこねる子供のように見えていた。年齢と経験の差だろう。
「ふんっ! タッチィがどう行動しようと知らないけど、向こうはどうする気なのニャ? こっちに引っ越すのじゃ無いなら、リスタルを気にする余裕なんて無いニャ!」
不満爆発のミケである。直時がリスタルまで来ること自体、無責任な事だと憤っている。
「往路はクニクラド様に『影の道』を通してもらいました。半日ほど歩けばリスタルに着けましたよ」
「いつも神々のお世話になる訳にはいかんだろう。帰りはどうするのだ?」
「フッフッフ…。よくぞ聞いてくれました! 『影の道』は習得しました!」
ふんぞり返る直時。しかし、往路はクニクラドの世話になっている。疑いの目を向けるヒルダとミケ。フィアが苦笑している。
「クニクラド様のように地上の闇の精霊全てを把握して『影の道』を通すことは出来ませんが、下準備さえすれば俺でも可能になったんです! ちなみにミケさん、この家に繋げるための道標を置いても宜しいですか?」
「構わないけど、それがあればタッチィはルーシ領からすぐに来れるようになるニャ?」
「さっきも言いましたけど、即座には無理です。片道半日くらいですね」
ミケから許可が出て、地下蔵へと降りる。
「これくらい暗かったら大丈夫。あと、この石壁と地面を材料として少し貰いますね。――土の精霊よ 我が意を受けて依代を……」
直時の呟きと共に石壁の一部が変形を始める。土の精霊が石壁と土砂をこねて何かを作り始めた。
「完成!」
直時の眼前の壁面に、地下蔵の天井まで届く石像が出来上がった。猫を丸くデフォルメした像である。左手を上げ、何かを引き寄せるように手首を曲げている。首には大きな鈴が付いていた。いわゆる『招き猫』だ。
「……」
一同は口を大きく開けて呆然としていた。フィアですら予想できない形状だったようだ。
本来の招き猫と異なる点は、腹に当たる部分に大きな穴が開いていることだ。屈めば人が充分入れる大きさである。
「ひとつじゃ魔力が足りないから『刻印』を二つっと!」
直時の魔力が桜の花弁の模様を描き、招き猫の両頬へ刻まれる。灰色の石像に大きな薄紅色の刻印が、まるで照れているような印象を与えている。
「無機物に刻印だと?」
「はい。こうすれば此処の様子が離れていても判るんです。生き物だと何故か駄目なんですけどね」
ヒルダに答える直時。
切っ掛けはヲン爺の持つ神器だった。いざというときの戦力増強に、同じような土人形を作ることが出来ないかと試したのだが、動かない代わりに周囲の様子が手に取るように頭に浮かんだのだ。これにより、離れた場所の闇の精霊を感じる事が可能となり、『影の道』を限定的にだが使えるようになった。
一度現地に赴き、安全な場所に刻印と自作の石像を設置しなければならないが、移動に関して大幅な時間短縮が出来るようになった。ただ、直時をもってしても『影の道』の消費魔力は大きく、連続使用は厳しい。リスタルとソヨカゼ間であれば一日一往復が限界だった。
「実際に体験してもらうなら、もう一つは高原の癒し水亭に部屋を借りて作りましょうか?」
地下から戻った直時が続けるが、驚き通しであったヒルダが手を振って制する。
「それは後でいい。短期間で様々な試みを続けていた努力はたいしたものだ。それは認めてやってもいい。よく頑張った」
「おお! ヒルダ姉さんに褒められた! テヘッ」
「ところでその左手はどうしたのだ? やたらと大きな革手甲を装備しているが、サイズが合っていないのではないか?」
一同は再び席に付いていたが、直時は左手を卓の下、脚の上にずっと置いている。茶を飲むにも、何かを掴むにも全く使われていないことにヒルダは気付いていた。
「私から話すわ」
バツの悪そうな直時に代わってフィアが口を開いた。
「実は黒狼の郷で……」
詳しい話を聞く中、ヒルダから不穏な気配が溢れ出した。
「ヒ、ヒルダさん! 落ち着くニャ!」
ミケが慌てる。一部で『竜気』と呼ばれる、竜人族特有の攻撃的な魔力が駄々漏れになっていた。しかも怒気を纏っている。
一応ミケの隠れ家で、闇の精霊術その他で気配や音など諸々が外へ漏れないようにしているがあまりにも内圧が高い。ヒルダに他の全員で自重を求めるしか無かった。
「馬鹿者! 見敵必殺だと何度も言った筈なのに!」
「あの時は逆に見敵必殺を食らったんですよっ。問答無用の不意打ちで仕方なかったんですって!」
直時が必死に抗弁する。フィアが肯いているのを見て、ヒルダは漸く竜気を鎮めた。
「とにかく見せてみろ」
直時の左手の手甲を無理矢理外す。前腕の半ばから先は、やはり無かった。
「私も今は風と闇の精霊術を使えるが、お前達こそ精霊術の治癒は出来るだろう? 何故治さないのだ。こんなものはこうやって――っ」
言うが早いか消失した左手の少し手前をナイフで両断した。
「ぎゃあっ!」
一瞬だけ血が飛び散るが、直ぐに治癒が効き血が止まり組織が再生する。切断されて落ちた肉体の一部は溶けるように消え、傷口へと集まった。
だが、斬る前の状態に戻っただけだった。
「あれ?」
「ヒルダ……。それはもうやったから……」
困惑するヒルダの肩に、溜息と共に手を置くフィアであった。