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ルーシ帝国の神器使い②


「あーあ。ルーシの神器使いは、おっ死んじまったか?」

 神器『影櫃かげひつ』で地に落ちる影へ潜んでいた男が言った。影内の音や気配が外に漏れる事はないが、外の様子は窺うことが出来る。闇の神器がそれを可能にしていた。

 先程まで感じられた圧倒的な炎の神器。その魔力が途絶えている。使い手であるルーシ帝国の『選ばれた英雄』が死んだのだろう。


「欲をかき過ぎると、ろくな事は無ぇーなぁ。」

 黒狼族への襲撃が予想以上に上手く運んだため、彼等の授かったとされる神器『水霊ミズチの珠』にまで手を伸ばそうとしたのだ。


「途中までは順調だったんだがな。炎の剣は勿体無かったが、さっさとトンズラするに限る」

 生き残り、逃げ散る兵達の影を伝って身を隠したままその場から遠ざかる男。


「それにしてもあの若造…。奴が『リスタルの悪夢』か…」

 噂は耳にしていた。男の盗賊団が虚空大蛇の卵を高値で売り飛ばした際の、酒宴の肴にもなった程だ。


「まぁ、俺の仕事は果たした。領主んとこへ戦利品を運べば終了。報酬もらって、ハイ、オサラバさ」

 影に隠してあったものは、殺した黒狼族の一頭から抉り取った牙と爪である。長である巨大な魔狼の物でないことが残念だが、今更戻るような莫迦なことはしない。影櫃の力で心配は皆無と油断していた。


 潜んだ影の持ち主の足が止まる。慌てて外の様子を探ろうとした途端、男の襟首が力任せに引っ張られた。

 影から無理矢理引き上げられた男の目には、黒々とした髪の下で敵意に満ちた精霊術師の笑いが映った。




 直時が影櫃使いを捕らえる事が出来たのは魔力や気配を感じたからではない。影に注視していたからだ。逃げるルーシ兵の影を次々と乗り換える用心深さが影櫃使いのアダになった。彼が寄生した影にはある変化があった。僅かであるが大きくなるのだ。地上にあればその変化に気付くことは出来なかったが、上空から監視していた直時にはその変化が判った。 

 後は影の持ち主が広い場所で孤立する瞬間を狙った。他の影に逃げる隙を与えず突っ込んだ右手には、狙い違わず獲物の感触があったのだ。


「さぁて……覚悟は良いな?」

 直時は、風の渦で宙にある影櫃使いを拘束。影が落ちる地には落とさない。神器を奪い取るが闇の精霊術も使えるだろう。もう油断はしない。


 風の輪により空中に固定された男。直時は腰から引きぬいたナイフの刃を首へと押し当てた。ミソラ(卵のときに)を誘拐し、黒狼族の虐殺に手を貸した盗賊である。何よりフィアを害したことは許せない。目には本物の殺意が浮かんでいた。


「待て、待ってくれ! 俺はルーシ帝国の者じゃない! 雇われただけだ。兵達を言われた通りに運んだだけなんだ! 誓ってアンタ達を敵にしようとしたわけじゃない!」

「ふーん。先刻は魔狼が持つ神器は渡さないとかどうとか言ってなかったかぁ?」

「それも雇い主の意向さ。これだけルーシ兵に囲まれて嫌とは言えねぇじゃねぇか?」

 直時が問いかけて来たことで、すぐに殺す意思は無いと判断した影櫃使いは砕けた口調で話しかける。


「黒狼達が普人族に狩られた経緯を話せ」

「あ、ああ。判った。まあ、策は練っていたが俺達もここまで上手くいくとは思ってなかったんだがな。先ずは槍隊を突っ込ませた。充分な支援魔術を掛けた上でな」

 確かに男は雇われただけで、この作戦の責任は指揮を採っていた炎剣使いにある。そしてその神器使いの出動を請うた領主にある。断じて自分のせいではないと語調に込めて話しだした。


 黒狼襲撃は本当に上手くいった。まずは、ルーシ帝国の雑兵を囮として突っ込ませる。移動魔術を掛けた槍兵隊ばかりを集めた。軽装歩兵にも槍を装備させた。捨て身の突進力でなければ魔狼の身体に傷を付けることは敵わない。ひたすら突撃を命じた。

 空中、陸上騎兵隊は投入を見合わされた。魔獣として格上である魔狼に立ち竦んでしまうからだった。補術兵は支援魔術の後、離脱。後続の隊には新兵や農民兵。訓練が行き届いていないため組織だった行動は期待出来ない。先陣の勢いに釣られて勢いだけはあったが、敢えてバラバラに突っ込ませる。後詰に重装歩兵。彼等の得物も長物で統一してある。いざというときの戦力だが、威圧的な姿は魔狼に対してより、新兵、農民兵達の逃亡を許さないためであった。

 そして、二人の神器使いと精兵500は、油断を誘う餌、農民兵達の影から影へと移り魔狼の懐へと潜り込んだ。正規兵である先鋒を屠った魔狼達は、泣き叫びながら何の支援魔術もなしに突っ込んでくる粗末な装備の兵達に敵意を削がれた。憐れんだのである。


 それはまさしく魔狼達の油断だった。向かってくる者を牙や爪にかけることに容赦は無かったが、武器を放り出して蹲り泣き出す兵の命まで奪うことを躊躇った。後続に正規軍らしい重装歩兵が控えており、そちらを主敵と認識してしまった。


 動きの鈍った、或いは注意を後続へと向けた魔狼の気配を感知した影櫃使いは、身体を引き裂かれ息絶えそうな兵の影からルーシ帝国の神器使いを放った。紅い斬撃が一閃。悲鳴と共に宙を舞う魔狼。不意を打って負傷させた一頭を餌にして、更に他を殺す事が出来た。魔狼族は群れとしての絆が強い。それを利用した。


 ルーシの神器使いの強さは圧倒的だった。いや、『炎の剣』の威力だろう。刃も通さず、攻撃魔術にさえ耐える黒狼達の肉体を裂いたのである。神器はそれを与えた神のうつし身である。能力は限定されるが、力は神々のそれに匹敵する。

 尤も、炎剣の間合いまで近寄れたのは『影櫃』使いの手柄だ。闇の精霊術は隠密性が高く、同じ闇の精霊術師同士でも魔力を感じられない場合がある。黒狼達がやられたのはこのためだった。


 致命傷を受けた魔狼へは、兵達が群がって止めを刺した。今の今まで怯えていたが、神器使いの活躍に奮い立ったのだろう。それでも多くの兵が反撃に遭い命を落とした。ルーシの神器使いは影櫃使いの手により影から影へと身を移し、一撃離脱を繰り返した。


 惨劇の場に姿を見せた、群れで一際大きな黒い魔狼。長であるドゥンクルハイトの首には蒼い宝石があった。周囲に水柱が揺れ、蛇が鎌首をもたげるように動いている。仲間を盾にされては魔咆哮も放てない。身をくねらせて襲いかかる素振りを見せる水の蛇。

 水の神器を認めた二人の神器使いは、そのとき盾にしている虫の息だった雌狼に剣を突き立てた。怒りで我を忘れ、突っ込む魔狼の先から彼等の姿が消える。他の遺骸の影から横薙ぎに振られる炎の剣。切先きっさきから炎の斬撃が飛んだ。前肢が飛び、炎が肉を焦がす。

 体勢を崩し、勢いのまま凍った地面を削るドゥンクルハイトへ2撃、3撃と振り下ろされる炎の剣。後脚が落ち、背の肉が爆ぜ、毛皮の焼ける嫌な臭いが立ちこめた。父に駆け寄った若い黒狼スコル。次の瞬間、その口には水の神器が咥えられていた。ドゥンクルハイトは彼を追い立てるように吠えた。身を翻すスコルに慌てる神器使い達。


 最後に惨劇の場を振り返った事が若狼の失敗だった。炎の剣の斬撃を受けてしまう。それでもスコルは走りだした。父から預かった神器を末の仔ホルケウへと届けるために…。


 最後の詰めをしくじった。舌打ちする二人の神器使い達。諦めきれなかった彼等は、影に潜んで待ち伏せする。

 大きな魔力を感じて不意を打った攻撃は魔狼ではなく、人族の二人組、その片方であるエルフの娘に当たった。落胆し、それでも情報を得ようとした結果が……壊滅だった。


 影櫃使いの語る内容に、直時の震える手が言う事を聞かず、押し当てた刃が肌を裂く。


「タダトキっ、待ちなさい!」

 追いついたフィアが慌てて待ったをかけた。白い肌には火傷の痕跡は皆無だ。負傷は完治していた。フィアの声に直時の目から禍々しさが消える。


「ドゥンクルハイトさんは?」

「命は取り留めたわ。でも、私の精霊術じゃ再生までは無理…のはずだったんだけど前肢は再生出来たわ。残りの後肢は魔狼の生命力と直時の魔力が頼りよ」

 フィアは自身への治癒の後、体力が未だ完全ではないが、魔力だけは溢れるような感触を得ていた。疑問はあるが理由には心当たりがある。それを口にするには気持ちの整理が着いていなかった。


「じゃあ、さっさと止めを刺してドゥンクルハイトさんのところに行かないとな」

「駄目だって言ってるでしょう? 復讐の優先権は魔狼にあるわ。でも先にミズガルズ様達へこの男を引き渡さないといけない」

 神獣である虚空大蛇の怒りは収まってはいない。フィアの指摘で神獣の怒りが再び落ちることにようやく思いが至った。


「俺はそれで良いけど、ドゥンクルハイトさんは納得するかな?」

「治癒の時に話したわ。彼の直接の仇は攻めてきた軍の主で領主ドミトフ・クヅィノフ。影櫃使いは神獣であるミズガルズ様に譲るそうよ」

「ということだ。寿命が伸びて良かったなぁ? 俺にしろ魔狼にしろ、復讐するなら生きながら引き裂かれる死に様は回避出来なかっただろうからな。精々神獣様に慈悲を請うことだな」

 神器を取り上げられては、闇の精霊術を使えるといっても男自身の魔力だけが頼りとなる。擾乱魔術であるアスタの闇衣を解除した直時の威圧感に、元影櫃使いは完全に飲まれていた。


「化物め…」

「外道に言われたくない、なっ!」

 辛うじて敵意を表すことで矜持を保とうとした男は、直時の右拳をもらうことになった。怒りに蓋を被せられた形の直時は、顔面ではなく右脇の肋下からえぐり込むように打撃を放つ。肉体的な苦痛を出来るだけ与えようという黒い心からの攻撃である。

 肝臓への痛打に脂汗を垂らす男。


「延々といたぶる様を見るよりは良いけれど、エグいことするわね。くれぐれも殺さないでよ?」

「軽い痛みを数打つよりは、痛恨の一撃だろ? 勿論殺さないよう気をつける。何なら致命傷一歩手前で治癒を掛けるという方法もあるぞ?」

 フィアの呆れ顔に口元だけを歪める笑みを返す直時。フィアはそれが脅しだと承知しているが、影櫃使いは恐怖に身を震わせた。本当に腹に据えかねているようだ。


「タダトキのそんなところは見たくないからね。それより黒狼の長よ。仔魔狼達も向かっているのだから、せめて元気な姿にしてあげないと!」

 完全に同意した直時はドゥンクルハイトのところへと戻った。


 ドゥンクルハイトはフィアの治癒を受けていた場所にいなかった。再生した前肢を使って巨体を引き摺って移動し、一つの遺骸の傍らにいた。冷たくなったかおをゆっくりと舐めて、毛並みを整えている。


「奥さん…マーナガルムさんですね…」

 問いには答えず、ひたむきに一心に焼けて煤けた毛並みを綺麗にするドゥンクルハイト。直時とフィアはただひたすらに待つことしか出来なかった。


 妻への別れを済ませたドゥンクルハイトに精霊術による治癒を施す直時。魔狼の生命力は高く、フィアの場合とは異なり失った肉体が再生されていく。巨体故に即座にとはいかないが、直時の治癒は確実にドゥンクルハイトの両後肢を再生させていった。


「あれ? なんか痩せ細っていってないか?」

「再生する血肉は何処から来ると思ってたのよ? 充分な栄養と休息を取れば元に戻るわ」

 逞しかった肉が細り、肋骨も毛皮の上から判る状態の魔狼。その様子に慌てた直時だが、フィアの言葉に合点が行く。確かにフィアの華奢な身体では、肉体の再生はきついだろう。


 魔力と生命力はイコールではない。しかし、体力と生命力は密接な関係がある。勿論体の大きさはその許容量が大きいことを意味する。神獣であるミソラの時はかなり規格外な事例であったそうで、例外らしい。

 ドゥンクルハイトの完治と時を同じくしてハティとホルケウが到着した。故郷の惨状に錯乱の鳴き声が上がるやいなや、父であるドゥンクルハイトが咆哮を上げ鎮めた。駆けつけた仔等の姿に喜び、スコルが逝ったことに悲しんだ父魔狼はハティとホルケウに母との別れを言いつけてその場を離れる。長として同胞達の骸にも別れを告げねばならない。一頭一頭の貌を舐めてその役目を務めるドゥンクルハイト。


 滅びた郷を前に集まった三頭の魔狼と二人の人族。悲しげな遠吠えを聞きながら、直時とフィアは頭を垂れて、魔狼達の冥福を祈った。

 そして、聞こえる低い押し殺した唸り声。魔狼親仔の復讐を告げる声だった。直時もフィアも彼等を止める事は出来ない。


 逃げ散ったルーシ兵を狩りに向かったドゥンクルハイト達とは、ある話し合いがもたれていた。

 黒狼の郷を襲った兵は、元影櫃使いを除いて皆殺し。彼等を派兵した領主も復讐の対象と為す。直時達の協力と引き換えに領民には手を出さない。もう一方の領主からの軍勢は直時達に任せる。北の領主ドミトフ・クヅィノフに復讐を果たした後、直時の築いた砦で仔魔狼の育成に集中することになる。


「ドゥンクルハイト達が掃討に向かったのなら、私達はもう片方の東の領主リューシン軍の方に向かいましょう。向こうにも神器使いが付いているだろうから今度こそ油断は禁物ね」

「肝に銘じる。もうあんな目には遭いたくないからな。それより同胞の骸を自由にさせること、よく了承したよな。俺としては埋葬したいんだけどな…」

 フィアの言葉に肯きつつも、直時には納得出来ないこともあった。いくら事態を収めるためとはいえ、黒狼達の骸を放置することである。あまつさえ、これからの交渉材料として扱わなければならないことだ。魔獣であるドゥンクルハイト達は、死した者は野に朽ちさせるままにするのが当たり前だが、直時にとってはかなりの抵抗感があった。


「でも、これからのためには必要なことなんだよなぁ」

 直時が溜息を吐いた。


「じゃあ行ってくるよ。フィアは魔狼達をお願い」

「何言ってるのよ? 私も一緒に決まってるでしょ!」

「まだ本調子じゃないだろ? 無理しないで待っててくれ」

「片手が無いアンタよりマシだっての」

「いや、俺はどうせ近接戦闘なんぞする気はないし、魔力は充分余ってる。体力を消耗したフィアは休んでいてくれると…」

「うっさいっ! 私はタダトキのお守りよ! とっとと行くわよっ」

 直時の言葉を遮ったフィアは先に宙へと舞った。彼女の魔力も有り余っているようだ。


(もう油断はしない! フィアにかすり傷でも負わせる気は無い! 神器使い…。奴等を普人族とは思わないようにする)

 今までずっと逃げていた直時。どこかで都合が悪くなればまた逃げれば良いと思っていた。しかし、それも終わりだ。自分が生きる場所を作るため、邪魔する何者も許さない。誓いを新たにフィアの後を追って空へ飛び出す。


 拘束されたままの元影櫃使いも空へと引っ張りあげられ、その速度と高度に悲鳴を上げた。




 黒狼の棲む森へと行軍する指揮官へと斥候から報告が入った。炊飯する人影が在るという。確かに空へと細い煙が登っている。

 確認の指示を出した後、哨兵は軽傷を負って戻ってきた。妖精族、エルフが食事の用意をしており、邪魔をするなと叩き返されたようだ。


「けしからん! 我らがルーシ帝国東方領主グルジコフ・リューシン様麾下の兵と知っての所業であるかっ」

 威勢良く怒気を露わにした指揮官。内心は相手がエルフと知り、及び腰である。


「私が様子を見て参りましょう。大事ないくさの前です。無用の争いは避けるべきでありましょう。勿論、帝国に徒為あだなす意図があれば容赦は出来ませんが」

 皇帝より遣わされた神器使いが指揮官を諌める。繕った鷹揚さで肯いた指揮官を背に、彼は三つの水晶を掌で弄びながら件のエルフの元へと向かう。


 彼がひけらかすようにしていたのは神器である。対抗手段があることを示すためだった。神器からは当然の如く大きな魔力が放たれているが、野営準備をしている人影に近付くにつれ、神器の魔力が霞むほどの力が感じられた。

 引き返さなかったのは神器使いとしての矜持と膨大な魔力を発する相手への興味があったからだ。


「そこなエルフ殿。私はルーシ帝国近衛騎士ゲオルギー・シェフチェンコと申します。斯様な所で野営とは不自由でございましょう? 宜しければどのような事情であるかお話願えませんでしょうか?」

 鍋をかき混ぜているエルフ女性が興味の薄そうな視線をゲオルギーに向けた。


「お尋ね者を捕縛したので祝杯を兼ねての食事です」

 白金の髪から高く付き出した尖った耳は確かにエルフ。警戒のためか風が渦を巻いている。風の精霊術の心得があるようだ。


「ほう。お尋ね者ですか?」

 竈から離れた所に目隠しと猿轡をされた普人族が転がされている。時折力なく呻くだけで抵抗する意欲も失っているようだった。


 そして、その男を見張るように腰を下ろした人物。深くフードを被り人相は判らないが、高魔力の発散する源である。答えを返したエルフ女性も尋常ではない魔力の持ち主であるが、それとは次元の違う威圧感である。目を向けるにも冷や汗が伝う。エルフの高位者だろうか? ゲオルギーはそう思った。


「その男、何をしでかしたのでしょうか?」

「虚空大蛇の卵を盗んだ盗賊だ。ギルドから捕縛依頼が出ている。フルヴァッカの件は知っているか?」

「そのような大罪人が我が国に潜伏していたとは…。ルーシ帝国としてはお恥ずかしい限りです」

 ゲオルギーが深々と頭を下げた。そうせざるを得ないほどの威圧感があったのだ。


「そう怖がらなくても取って食おうとは思ってない。しかし、この男に付いての話は心して聞くほうが良いだろうな。この盗賊は黒狼を狩るためにクヅィノフに雇われたと言っていたぞ? 炎剣使いとも連携していたしな」

 フードを被った男の話に眩暈を覚えるゲオルギー。

 下手をすればフルヴァッカと同様に神獣の怒りを買ってしまう。相手は二人、全軍をもって討つことで事実を隠蔽しようとの思いが浮かぶ。


「西方諸国も騒がしい。我等としても事を荒立てるのは本意ではない。貴殿らが臨むならこやつの捕縛は譲っても良い。ギルドへは同行させてもらうがな」

「…ルーシ帝国内でけじめを付けさせて貰えるのですか?」

「そうだ。あと、黒狼族は炎剣使いとこいつが狩ったそうだ。まだ遺骸が残っているだろう。継承権争いに必要なら拾えば良い」

 嘲るような声。漁夫の利と言えば聞こえは良いが、実際は死体漁りの乞食だと言っている。屈辱に焼かれながらも、ルーシ帝国内が落ち着くために派遣された神器使いとしては反論できない。


「それ程までに好条件を提示される対価は何でしょうか?」

「決まっている。『炎剣』だ。ちなみに使い手は敵対してきたので殺した」

 あっさりと言い切った男にゲオルギーは絶句する。


「ああ、それとクヅィノフの命だな。奴の軍には煮え湯を飲まされたのでな。政敵なら問題なかろう? こっちが始末してやる。その後の領地の混乱はお前達に任せる。分捕るなら好機だぞ?」

 明るい声音に反して威圧感が高まる。ゲオルギーは、手の中の神器が頼りない玩具のように感じられ頷くしかなかった。


「それと生き残った黒狼達が怒り狂ってるからな。死体漁りは最低限にしておけよ?」

 ルーシ帝国の二大英雄の片翼、『陽の水晶』使いゲオルギーは何も言えないまま軍勢へと帰ることしか出来なかった。屈辱に塗れながらも彼等の要求を飲まざるを得なかった。


「こんなところかな?」

「顔が引き攣ってるわよ。腹が立つのは判るけど我慢しなさい。私だって……」

 フードの下から直時が顔を出しフィアに聞いた。無理矢理作った笑顔だが、噛み締めた歯が軋む音がしている。諌めるフィアも似たり寄ったりの表情であった。


 このすぐ後、ルーシ帝国内のギルドに虚空大蛇事件の主犯が突き出され、ミズガルズの元に送られた。元影櫃使いがどのような運命を辿ったのかは定かではないが、生きながら呑み込まれたとか、とぐろを巻いた中心で圧死したとか、虚空から落とされたとかの噂が囁かれた。


 黒狼の牙を一本だけ持ち帰ったゲオルギーは、リューシンとルーシ皇帝から多額の恩賞を下賜されることとなり、帝国内で唯一人となった神器使いとして更に重宝されることになった。

 権力争いに負けたクヅィノフは、それを噛み締める隙を与えられなかった。直時が闇の精霊術を駆使して隠密理に領主邸を急襲。影から躍り出た黒狼達が復讐の牙で邸宅を血の海に変えた。

 旧クヅィノフ領は帝国の権力闘争の都合により新領主に与えられ、領民は頭が変わっただけでこれまで通りの生活を送ることが出来た。


 ルーシ帝国領内に拠点を構えた直時達は、内紛を極限まで小さくすることで干渉を抑えたが、神器をひとつ失ったことで国力の低下を懸念したルーシ帝国は西に隣接する強国、カール帝国へ秋波を送ることとなった。

 カール帝国の台頭を恐れた各国の干渉に頭を圧えられ、フルヴァッカ侵攻が滞っていたカール帝国はルーシ帝国との同盟に乗った。


 これにより膠着状態となっていた西方諸国に新たな動きが始まる。


 平穏を望むが故の直時達の行動が、普人族国家群の行動を加速させる原因となった。




次こそはミケさんとヒルダさんだ!

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