地の底再訪
あのコと再会
突然素足に触れられたフィアは、悲鳴を上げて大きく飛び退った。卓の下の影からは細い皺だらけの手がひらひらと揺れている。害意は無いようだ。
「よっこいしょ」と、掛け声と共に現れた姿に直時は警戒を解いた。
「ヲンさん。とんでも無い場所から出ましたね」
「フォッフォッフォ。確かにのう。クニクラド様も斯様なところへ『道』を繋げてくださるとは…。ワシも驚いておりますわい」
「魔人族の方ですか?」
親しげに声を交わす直時達の様子に、フィアが纏っていた風を収める。
ヲン爺は驚かせたことをフィアへ詫び、夜の王クニクラドに仕えていることなど、自己紹介を始めた。
叫んだり大きな音を立てたりしたのだが、他に客は無く唯一の目撃者である店の主は目の焦点を結んでいない。直時の眼には、彼の周囲に闇の精霊が舞っているのが写っている。ヲンが何らかの術を行使したのだろう。
「ここでは落ち着いて話も出来ませぬ。『暗護の城』まで御同道をお願い出来ますかな?」
「御用があるのはクニクラド様なんでしょう? 神様からの呼び出しに否やとは言えませんよ。御一緒します。フィアも良い?」
フィアが肯いたところで、店の外が騒がしくなった。ティサロニキでは既にあちこち監視の目が光っており、直時とフィアは網に掛かってしまったようだ。色々なことがありすぎてうっかりしていた。気配を消すことを忘れていたようだ。衛兵の訪う声が聞こえる。
ヲンが闇の精霊術で店内を封じていたので助かったが、囲みを強行突破するとなると骨が折れる。ぼうっとしている店主の前に銀貨を一枚置いて、直時とフィアは床の影に飛び込んだ。
闇の精霊術が解かれ、狭い店内に雪崩込んだ衛兵達を迎えたのは、正気を取り戻し頭を振る店主だけだった。
クニクラドが作る転移通路『影の道』。闇の精霊術を操る直時とヲン爺には何でもないが、フィアは不安を隠し切れない。風で前後を確認しても通路の存在をはっきりとは掴めないのは、直時が初めて通った時と同様だ。
ヲンの後に続く直時の上衣の端を、しっかりと握りしめていた。
「それにしてもこの転移通路は便利ですよね。習得したいと何回か試してみたんですけど、上手くいきませんでした。出口を設定する段で闇の精霊達が戸惑っちゃったみたいです」
「アンタ、そんなことまで試してたの?」
「フォッフォッフォ。近くの影と彼方の影を繋ぐには、彼方の影の様子を把握出来ねばなりません。クニクラド様なら地上の影に潜む全ての闇の精霊達の声をお聞きになれますが、闇の精霊術師であっても我等ではそうもいきません」
普通の精霊術師は、自分の魔力が届く場所までしか精霊の声を聞くことが出来ない。眷属である闇の精霊を全て把握するとは、流石に神々の一柱、夜の王クニクラドである。
『影の道』の使用条件を聞けたことは僥倖であった。そうでなければ直時は、原因が判らないままに試行錯誤を繰り返すところだった。神の特異術であるなら、諦めもつこうというものである。完全に諦めたわけではないが…。
『影の道』の出口は、クニクラドの玉座前であった。暗護の城の中は、相も変わらず暗い。灯された明かりは月のように冷たい光を仄かに放っているだけだ。しかし、直時とフィアのために用意されたのか、玉座の周囲には以前には無かった燭台から炎が暖かい光を投げかけている。
夜の王は本来の姿である不定形の闇ではなく、人型となって待っていた。以前、直時が悪魔と形容した(心の中で!)姿である。漆黒の巨躯を玉座に沈め、背の翼を時折背伸びするかのように広げていた。
「よく来てくれた! 礼を言う」
直時達が来訪の挨拶を述べるより先に、クニクラドの方から声が掛けられた。直時が頭を下げ、フィアが膝を折りそれに答えた。
(この世界の神様達って、結構気さくな神ばっかりだなぁ)
クニクラドの恐ろしげな姿に引き気味になりながらも、直時は緊張を感じずに済むことに感謝した。フィアは逆に、神々の一柱との対面にガチガチになっていた。存在に畏怖を感じているが、その容姿に対して拘りは無い。直時の感じ方とは逆である。
「此度、そなたらを招いたのは逢わせたい者がおったからよ。もう良かろう?」
クニクラドが少し離れた暗がりに顔を向けた。何者かが控えていたらしい。許しを得たその者は興奮に息を荒げて走り寄った。
闇の中から直時に襲いかかる大きな獣の影。悲鳴を上げて倒れる直時にのしかかる。クニクラドとヲン爺が愉しげに笑っているため、一旦身構えたフィアだったが、手を出さずに様子を見守った。
「ヒャンッ!」
一声上げた獣は、左右の前肢で直時の両腕を押さえ付けむしゃぶりついた。顔中を大きな舌で舐め回す。
「リメレンの泉で会った魔狼の仔ね? ヴィルヘルミーネ様に加護を授かった―」
「そう、だ。んぷっ。おまっ。元気、だった、わわっ、か?」
フィアが確認に訊ねるが、直時の方は言葉にならない。口を開けば大きな舌が突っ込まれるからである。クニクラドが大きな笑い声を上げた。
「で、どうしてこの仔が此処に?」
漸く解放された直時が、頭から胸元までを唾液まみれにしたままクニクラドに訊ねた。仔魔狼はまだ興奮が醒めないのか、激しく尾を振りながら脇の下に鼻先を突っ込んできたり甘噛みしたりしている。
「うむ。魔狼族の中でもこの黒狼達は闇の眷属の血を継いでおってな。儂とも縁が深い。彼等と普人族が争っているのは聞いているか?」
「どこだかの国の貴族が名声欲しさに攻め込んで来たってことぐらいしか知りません」
「ふむ。詳しいことは儂が話しても良いのか?」
仔魔狼が控えていた暗がりに、もうひとつ大きな獣の気配がある。クニクラドがそちらに訊ねた。
「(御心のままに)」
近寄って頭を垂れたのは、リメレンの泉で会った若魔狼の一頭であった。彼(彼女?)も念話が出来るようだ。
肯いたクニクラドが口を開く。父魔狼ドゥンクルハイトが統率する黒狼の群れは、北の大国『ルーシ帝国』の有力貴族に攻め込まれていた。
黒狼族(他の魔狼もだが)と普人族は本来なら争う理由は無い。生活圏は離れているし、お互いを捕食対象にしていない。意外かもしれないが、魔狼にとって人族は食いでが少ない割に厄介な存在である。うっかり襲ってしまうと報復に多数の軍勢が討伐に攻めてくるため、自然に餌としては避けられていた。勿論自分達の住処への侵入対しては容赦しなかったが、積極的に襲うということはなかった。
普人族は、魔狼の強大な力を恐れ近付くことは無く、大きな争いになることは稀だった。そんな状況が変わったのは、一昨年のことだ。ルーシ帝国の4大貴族のうち、2つが競うように黒狼族の縄張りへと大軍を率いて攻め入ったのだ。
原因は帝国の世継ぎにあった。男系支配体勢だったが、皇帝には娘しかおらず婿となるには武勲が必要となったのだ。ルーシ帝国において、黒狼は魔獣の中でも力と智の象徴とされていたことが災いした。その首を獲った者を王女の婿として選ぶ、つまりは後の皇帝とする宣旨が発布されたのである。
「でも、普人族の軍隊程度でどうにかなるんですか? ドゥンクルハイトさんの闘い振りを聞きましたけど、シーイス公国程度の小国なら彼等家族だけでも滅ぼせるとか」
直時の疑問も尤もだ。『魔咆哮』による攻撃は、戦列を敷いた軍勢など格好の的であるし、普人族の攻撃魔術程度では破れない防御力、補足することすら困難な機動力と隠密性。更に群れでの戦闘となれば、連携を取って広範囲から包囲殲滅すら容易だ。
事実、攻め込まれている最中にも拘わらず、戦闘を残った者に任せて長のドゥンクルハイトが家族ごとリメレンの泉まで来ていたのだ。余裕が無ければ出来ないことだろう。
「それがな、ルーシ帝国は神器使いをこの争いに投入したのだ」
クニクラドが苦々しげに答えた。
両貴族の軍勢は連携を取るはずもなかったし、黒狼族は侵入する各軍をさしたる苦労もなく撃退していた。そのうち諦めるだろうと高をくくって、貴族の領地へ攻め込まなかった。
しかし、ルーシ帝国皇帝は両貴族軍へそれぞれ神器使いを遣わしたのである。国内の権力闘争で軍が疲弊し、国力が低下しつつあったこと。それぞれの貴族が第一王女と第二王女を取り込んでいたこと。諸外国の動きが活発化し始めたこと等が理由となり、黒狼族との争いに早期決着を迫られたこと。それらが複雑に絡み合って、帝国秘蔵の神器使いの出動となったのである。
「神器の力は一軍に勝る。争いの激化を予想したドゥンクルハイトは、まだ幼いこの仔を縁を頼って儂の許へと送ってきたのだよ」
「(クニクラド様の御厚情、感謝に絶えません。父ドゥンクルハイト、母『マーナガルム』に代わって深くお礼申し上げます)」
若魔狼がはしゃぐ仔魔狼を叱りつけ、共に深く頭を下げさせた。
「良い良い。儂は子等のために地上に残っておる。ヴィルヘルミーネからも頼まれたからのう。頼ってくれたこと、嬉しく思うぞ。おう! そうそう、タダトキよ。この若い黒狼はドゥンクルハイトの娘で『ハティ』という。付き添いだそうだ」
「(久し振りね。兄の『スコル』共々、前は言葉を交わすことはなかったけれど、私はハティ。この仔は『ホルケウ』と言うの。宜しくね)」
「お久し振りです。前にも名乗りましたが、改めましてタダトキ・ヒビノです。宜しくお願いします。そうかぁー。ホルケウって名前だったのかぁ」
姉魔狼に挨拶を返した後、うんうんと頷いて仔魔狼に笑いかける直時。名を知ったことで、より親近感が増したようだ。可愛さは勿論最高に感じている。
「フィリスティア・メイ・ファーンよ。リメレンの泉では御免なさい」
「(事情はあの後、そこにいるタダトキに聞きました。貴女達にも事情はあったようだし、何より本気ではなかったもの。お互いにね)」
ハティの青い目が細くなる。笑ったようだ。
「顔合わせは終わったな? この仔等を預かったは良いが、ちと問題があってな」
クニクラドが直時とフィアに顔を向けた。
「知っての通り暗護の城は亀裂に沿って地下へ築かれた城塞都市だ。未だ拡張工事を続けていることからも、生活空間には限りがある。だが、魔狼は本来広い縄張りの中で生きている。ここでは狭過ぎるのだ。タダトキよ。お主が匿ってやってはくれぬか?」
「難しいですね。実はイリキアにも居られそうになくなったので、路頭に迷っている次第でして…。それより、地下が無理なら暗護の城の地上はどうなのですか? 普段は外で、塒を地下にすれば―」
「この辺りは緑が無い荒地だからのう。この仔達には酷だろう。そして、お主の事情も判っておる。だが、何人かの娘を手元に置いたそうではないか? そろそろ地に足を着ける時期なのではないか?」
「耳が早いですね…。そして、耳が痛いです」
諭すクニクラドの言葉に、眉間にシワを寄せる直時。それまで考え込んでいたフィアが口を開いた。
「私もクニクラド様の御言葉通りだと思います。タダトキも覚悟を決めたのでしょう? 何とかしなさい」
「いや、そうは言うけどな? マーシャさん達くらいならあの島を充実させれば良いけど、狼の縄張りって広いんだぞ? それが魔狼ともなれば、どれだけの広さが必要なのか…。とてもじゃないが、あんな小さな島に押し込めてはおけないだろう」
「それは皆そうじゃない? 私達は移動で空路を使えるけれど、助けた娘達にとって自由に動けるのは島の中だけ。檻が大きくなっただけじゃないかしら?」
フィアの言葉に黙りこんでしまう直時。侵入者を楽に阻む事が出来る孤島ということは、どこにも行けないということだ。人魚族の警備もあり、安全第一ばかりで深く考えていなかった。確かに、安全だからといっていつまでも閉じ篭っていられる訳はない。
「じゃあ、新しい拠点、『我が家』を作らないとな。先ずは周辺国へ偵察に…」
「ストーップ! だ・か・らっ! 何でもかんでも自分が出来ると思わないの!」
フィアは早速計画を練ろうと考えこむ直時の頭をペシリとはたいた。
「そうだったな…。有難うフィア」
バツが悪そうに頭を掻く直時は、表情を引き締めてクニクラドへと向いた。夜の王は面白そうにしている。
「クニクラド様。ハティとホルケウは責任を持ってお預かり致します。そして、お願いがあります。自分もフィアもこの辺りの地形、気候、そして政情に明るくありません。我々が居を構えるに最善の場所を御教示くださいませんでしょうか?」
「我の頼みを聞き入れてくれたこと、先ずは感謝する。そして、お主の願いは是非も無い。儂に任せておけ! 他に必要な物はなんでも言うが良い。頼んだのはこちらが先だ。寧ろ遠慮は許さん!」
上機嫌となったクニクラドが威厳をそのままに玉座から立ち上がって直時に詰め寄り、漆黒の大きな掌で直時の黒い頭を荒っぽく撫でた。
「痛っ。痛いですって、アハハ! じゃあ遠慮無く!」
神々の一柱に頭を撫でられるという稀有な体験をした直時は、その厚意に甘えることにした。困っているからと神器をホイホイ普人族に授けるような神々だ。頼られることに大きな喜びを感じているのだった。
ヲン爺や他の重鎮も寄って検討し、選び出された地は黒影海の北岸の河口付近であった。ルーシ帝国の領内と聞いて難色を示しそうになった直時だったが、黒狼達の餌となる大型の魔獣が多く、それが幸いして普人族の街や村が付近に存在しないこと。暗護の城からも地上ルートで支援が可能な地であること。水深が深く、手に入れた空中騎兵母艦を係留する桟橋も岸近くに作れること。更に黒影海にはとある神獣が住まいし、海での戦が禁忌となっていること(漁などは問題ない)等があり、決定となった。
次に援助である。破損した空母の修理に船大工の派遣。冒険者ギルドへの出入りに『影の道』の使用。ティサロニキの街で購入する暇が無かった武器防具や、当面必要な生活必需品(衣類、穀物、調味料等)である。必需品の中には当然の様に酒も含まれていた。直時にフィアといった酒好きな面子では致し方ない。
「今、思い付くことは以上です」
「他に不足なものはないか? 何でも良いぞ?」
「とりあえず動きます。気付けなかった事については、追々おねだりさせていただきます」
勢い込んでいた分、クニクラドは物足りなさそうである。直時とフィアだけでなく、ヲン爺他、クニクラドに仕える者達も苦笑いしていた。
直時にとって仮宿でもなく、隠れ家でもない、本格的な『我が家』を作る。その計画が即実行へと移された。
「ヒルデガルドさんから連絡はありませんか?」
黒と茶の耳が忙しなく動き、声の主の心情を表している。猫人族の女性である。その後ろ姿は焦りを容易に想像させ、他の猫人族に較べて短い尾が苛々したように左右に振れていた。
日に3度は確認のため冒険者ギルドリスタル支部を訪れる彼女に、多少うんざりしながらも丁寧に対応する職員が首を横に振った。
「タッチィとフィアちゃんから急伝があってからもう3日…。竜人の姫様は何してるのニャァ」
思わず素で愚痴をこぼした人物はギルド付き冒険者『ミケラ・カルリン』通称ミケだった。彼女は、直時達とマケディウス王国の商都ロッソで別れた後シーイス公国リスタルへと戻り、細々とした依頼を受けながら戦役後の周辺国の動向を探っていた。
リスタルの町は先の戦で奇跡的に人的被害が少なく(守備軍は壊滅していたが)、町の復興は瞬く間に終わり、概ね平和な日々を享受していた。それが薄氷の上に成り立っていることをミケは短い調査で充分に確信していた。各国のバランスを急激に崩す原因となった直時は、今は遠国イリキア王国にいるようだ。ミケ宛の急伝は東都ティサロニキの冒険者ギルドからだった。
彼の伝言にはヒルダと至急連絡を取れとあった。ミケはギルド付きであることを濫用し、ヒルダ宛の伝言も目にしたが(直時が各ギルドにバラ撒いたことで秘匿性は低いと判断されたため)角張ったり丸まったりと法則性の無い暗号で書かれており、内容はさっぱりわからなかった。
同様にギルドからの情報により、直時達が保護した白烏竜をヒルダが引き取って銀竜山地へと帰省したことが判った。ユーレリア大陸中央山脈、『アースフィアの天井』に連なる高峰の一つであり、シーイスからも近い。直ぐに連絡が取れると思っていたが未だに音沙汰無しだった。
直時がシーイス公国内で為した事。水の神霊の加護祭を無事に終わらせ、リスタル住人を守り、ヴァロア王国からの侵略を阻んだ。巷では恩恵だけを与えたように思われがちだがそれだけではない。
彼を自国に囲えたなら良いが、カール帝国にしてみればシーイス公国を餌にした謀略の破綻は忌々しいことだったろう。ヴァロア王国にとっては作戦失敗と一軍の壊滅。更に、極秘だった白烏竜の洗脳という事案の暴露で百年の仇敵とされても仕方ない。マケディウスはヴァロア本軍の侵攻から救われたものの、ロッソに直時が滞在したことにより各国の間者に国内をかき回された。その存在が公になったことで王家から御用商人へ無理難題が下されることになった。
まだある。強力な精霊術師を確保するため、西の列強までもが動いたことだ。直時追跡に艦隊を派遣したエスペルランス王国とブリック連合王国の動きは、他の周辺国を刺激する結果となった。あと、彼のせいではないが、ミソラを保護し親へ引き渡したことで大事になり、虚空大蛇の仔拉致を依頼したと思われるフルヴァッカ王国が滅んだことで、各国の均衡が崩れようとしている。出征を画策する国、その隙を突こうと狙う国、難民を恐れ守りを固める国と様々な動きが活発化して先が読めず予断を許さない。
今や、ユーレリア大陸の西半分は大きな波乱の兆しを見せていた。
(全部が全部タッチィのせいでは無いのだけれど、魔法陣の改造とか異世界の人族とか更に火種になりそうなことがあるのニャァ…)
ミケは最近まで働いていた喫茶室の卓に頬杖を突き、溜息を吐いていた。現在の状況の引き金となったのが、あの脳天気で人の良い人族だとは今でも信じられない。千々に乱れる思考を放り投げていたミケの耳に、階下から怒声にも聞こえる大声が聞こえた。
「ミケッ! ミケラ・カルリンはいるかっ?」
声の主は誰あろう、待ちわびた人物のものだった。
ヒルデガルド・ノインツ・ミューリッツ。銀竜山地を治める竜人族の姫、『黒剣の竜姫』の怒鳴り声であった。
弾かれたように駆け出すミケ。
「ヒルダさぁーん! 待ってたニャーン!」
彼女が駆け寄った瞬間、ヒルダにむんずと襟首を捕まえられる。捕獲し、ぶら下げたまま連れ出そうとするので流石に抗議の声を上げるミケ。
「ええいっ! 今は一刻の猶予もないのだ。話は後にしろ!」
「何処へ行くのニャ?」
「ヴァルンの王城だ! 公王に直談判に行くぞっ」
「ちょっと待って下さいっ! 私にも事情を説明して!」
ヒルダの血相に只事ではないと察したミケが即座に仕事モードへと切り替わる。
「お前は奴等からの書状を読まなかったのか?」
ヒルダは苛々しながらも荷から例の暗号文を取り出しミケの前に突きつけた。
「落ち着いて下さい。この暗号、私には読めません。ヒルダさんには判るのですね?」
「暗号も何も、これはタダト―― ムグッ…」
ヒルダが興奮のまま口にしようとした言葉を押さえるミケ。素早く念話を繋いで、話しかける。
(その名前、今は出さないで! 洒落にならないんですよ? 場所を変えましょう)
(お、おう。了解した。済まなかった)
落ち着きを取り戻したヒルダは、ぶら下げられたままヒルダの口を押さえるというアクロバティックな体勢を取らざるを得なかったミケを、漸く解放した。
主導権を取ることに成功したミケは、ヒルダの腕を取ってギルド会館を足早に去った。
その場に居合わせた冒険者とギルド職員は、一様にぽかんと大口を開けて彼女等を見送った。
西と東で動きあり。