普人族の始まり
説明なげぇー!
これだけは書いておかねばと思うけどやっぱりクドクテすみません!
「いきなりなんだっていうんだあああっ!」
「何かあったのは確かねー。娼館襲撃がバレたのかも」
直時とフィアは街道をティサロニキと反対に走っていた。後ろからは衛兵の一群が追ってきている。
過日と同じく、フィアと仲良く腕を組んで通ろうとしたのだが、対応した衛兵が顔色を変えて念話をすると何処からこれだけ? という数の兵が集まってきた。
異変を感じた二人は即座に反応。一応、空は飛ばずに街道を逃走しているのだった。
「殺意も害意もないから逃げるだけにしてるけど、そろそろ飽きたわね」
「殺意は無いかもしれんけど、害意無かったら槍振りかざして追いかけては来ないだろ?」
余裕の会話である。勢い良く腕を前後に振り、腿も直角に上がっている。身長が近いせいか、腕の振りも足を上げるタイミングも二人仲良く揃っていた。
ハイピッチで走っているが直時もフィアも息切れ一つしていない。毎朝の訓練を欠かさない直時は別にして、華奢なフィアも見た目と違い結構肉体派のようであった。
「この辺で煙に巻くかい? 横は森だし」
「そうね。風よ!」
直時の提案を受けたフィアが精霊術で砂を巻き上げ、激しい塵旋風を起こした。追手の衛兵達が目を塞いでいる間に、二人は街道横の森へと駆け込んだ。奇しくもダレオス盗賊団(実はイリキア王国隠密)と出会った森である。
「さーて、ティサロニキの衛兵は巻けたけれど次が来たわよー?」
「この気配はダレオスか…。おーい! 出てこいよーっ」
既に決裂し、お互いに不干渉となったはずの相手である。偶然にしては出来過ぎている。
「追われていたのはお前達だったか。久し振りというには早い再会だな」
「そうだな。今日は長男長女が一緒じゃないんだな。ヘクトルさんとトレモウスさんだったか?」
ダレオスに次いで姿を現したのは禿頭の山刀男ヘクトルと直時の肩に矢を射込んだトレモウスである。
「ここで会ったのもアースフィア神の導きかもしれん。詫びを入れさせて欲しい」
以前の豪快さからは及びもつかない殊勝な態度で頭を下げるダレオス。憔悴の色が濃い。
「言い訳させてもらっても良いか?」
「アンタの言い草と現状から俺の情報を国に売ったってのは判った。言い訳するってことは悪いとは思ってるんだな?」
直時の声は固い。信用した途端の裏切りであり、当然と言えよう。
「実は―」
ダレオスが苦渋に満ちた様子で語り出した。
イリキア王国の所有する神器『海神の鉾』。その使い手が身罷ったことがティサロニキに入った間者により知られることになった。その情報がどういった経緯で広まってしまったのか、今は知る由もない。
しかし、それが原因で王家に連なる者達へ招集がかかった。ダレオス達のように本流から退けられた血筋まで対象となったのは、現政権を担う者達がネレウスの娘であるイライアから使い手として認められなかったからである。
渋々であるがダレオスが参内することになったが、それとは別に長男であるクーロイが知らぬ間に訪れたとのこと。事情を知る者が言うには「いつまでも盗賊としてコソコソ生きていたくはない!」とのことだった。
ダレオス同様神器に認められなかったが、精霊術使いとして自身を売り込み、妹が水の精霊術師であることも話した。当人が王府へ召抱えられるとともにダレオスの長女、クリュネへも参内の命が下った。
子供達の能力を隠していたが、国の命令を無視することが出来なかったダレオス。まさかと思っていたがクリュネに神器が反応を示した。これには唆した当の長男クーロイも驚いた。しかし、驚きが覚めた後に彼は実の妹に激しい嫉妬を感じた。神器に認められなかったものの、精霊術師として重用されることに決まっていたのに、実の妹にあっさりと自分より上の要職を持っていかれたからである。
クーロイは自分の重要性を示すため、直時という複数の精霊術を操る人物の存在を王府へ報告したのだ。それが、自分の地位を更に危うくする事実に気付く余裕すら失っていたようだった。
「名声か、権力か…。得られるものと引き換えにする犠牲もあるんだがな。親の心子知らずってやつかね。まあ、逆もあるからなんとも言えんわなぁ」
乾いた笑いの直時。
「ダレオスには悪いけれど、イリキア王国としては神器の継承者が決まったのだから、わざわざタダトキにまで手を伸ばさなくても良いのではないの?」
またもや追われる身となったため、放心気味の直時を横に、フィアが訊ねた。
「王府の連中が考えることは判らんよ。だが、神器の管轄は王族直轄。使い手が現れたことで王族の力が増すことを嫌った貴族派の差し金だろうな」
「で、貴方は何故こんな所にいるの?」
「クリュネがティサロニキ城にいる。思う所もあるが、情報収集だ」
「娘さんが心配なのね―。それはともかく、神器は王都じゃなく東都にあるってことか…」
考えこむフィア。
「フィアさん? 何かヤバイこと考えてないですよね?」
気付いた直時が恐る恐る声を掛ける。
「アンタ依頼受けてたわよね? 夜の―から」
ダレオスがいるため言葉を濁す。相手が神々の一柱、夜の王クニクラド。依頼は神器集め。但し、使い手のいないまま放置されている物。
「あの依頼、今回は条件に合わなくなったんじゃないか?」
「それを言うならミソラのもそうでしょ? 旅立ちの駄賃としてどうかなぁってね。冗談はこれくらいにして、何より子を想う親心をタダトキはどう思う? あと奥さんのことも気になるのよね」
「まぁ、ここから東に行くなら後腐れがないから有りかもしれないけど…。子供達のことも奥さんのことも、それこそダレオス次第じゃないか? 彼が何を優先するかで話は変わると思うぞ」
「おい。一体何の話だ?」
会話についていけず、苛立ったダレオスが割って入る。
「んっとね。貴方が国を捨てて家族を取るならお互いの利益上、協力出来る事もあるの。逆に家族を捨てて国を取るなら、この話はおしまい。私達はこれ以上イリキアに関わらないから安心して」
「…究極の2択だな」
「別に結論を急いではいないぜ? 勿論俺達がこの国周辺にいる間だけのことだけどね。アンタの長男のせいで長居は出来なくなったからな」
フィアの言葉に希望と困惑、苦悩をないまぜにして唇を噛むダレオス。直時は話の念押しをすると共に恨み節を追加した。
「街への出入りは面倒になったけど、もうしばらくはこの国近辺にいるつもりよ。話があるならギルドに伝言でも残して頂戴。話は終わったわ。行きましょうタダトキ」
肯いた直時は苦悩するダレオスをその場に残して先を歩くフィアの背を追った。
ティサロニキの街へ入るのに、堂々と正門からというのを諦めた直時とフィアは密入の道を選んだ。門前には直時達を見失った衛兵達が屯していたため、港へ海からの侵入となった。二人共水の精霊術を扱える。こっそりと上陸した倉庫街の陰で濡れた体と衣類を風の精霊術で乾かしたが、潮がべったりと張り付いて気持ち悪かった。
街を歩く間は直時が闇の精霊術で気配を極限まで消した。途端に増えた警護の兵の目に止まること無く、二人は無事冒険者ギルドへと辿り着くことが出来た。直ぐに受付に向かう。
「冒険者ヒルデガルド・ノインツ・ミューリッツに、タダトキ・ヒビノとフィリスティア・メイ・ファーンの名で至急伝をお願いします。内容はこれ。暗号化してますので、立ち寄りそうなギルドに複製を置いて下さい。それと、ギルド付き冒険者ミケラ・カルリンへ同じく連名で大至急ヒルデガルドと連絡を取るよう伝言をお願いします。彼女はシーイス公国リスタルを中心に活動していると思います」
受付に示した獣皮紙には受け取り人と差し出し人以外、日本語がびっしりと書き込まれていた。暗号とは言ったものの、アースフィアでこの文字を読めるのは直時の他には知識を転写されたフィアとヒルダだけだ。解読される心配は皆無である。
内容はリシュナンテから受け取った手紙の内容に加えて、シーイス公国のリスタル住民への弾圧阻止。公国は雪竜と契約を交していることから竜族の伝手があるなら阻止して欲しいこと。フルヴァッカの王城消滅とそれに伴うカール帝国侵略の可能性。周辺国の動揺を理由に、国内を安定させるためには弾圧より外敵に国民の意識を向けさせる方が得策であると意識させる。等の提案である。知人達が同意してくれるかは判らないが、最悪の場合はマケディウスへの亡命と出国ルートの確保も頼んだ。
「力業のヒルダと搦手のミケちゃんがいるから何とかするでしょう」
フィアの力強い言葉にやっとのことで肩の力を抜く直時。
「あとは船の修理が出来る人を探してもらおう。依頼申し込みもこの受付でしてもらえるのかな?」
「はい。問題ありません。書類をお持ちしますね。っと、少々お待ち下さい」
直時の問いに答えた受付嬢が、不意の念話に耳を傾ける。
「はい。はい。判りました。お伝えいたします―。申し訳ありません。お待たせ致しました。急なことでスミマセンがギルドの責任者がお目にかかりたいと申しまして、宜しいでしょうか?」
「あ。はい。伝言は大至急ですけど、依頼の件は話を詰めたいので後で構いません。責任者の方って支部長さんですか?」
「いえ、詳しくはお会いしてからと…。申し訳ありません。でも、なんかもっと上の者のようですよ?」
直時の疑念に答えられないことを謝る受付嬢。代わりに自分の感想を付け加える。
「第二応接室にて応対させていただくそうです。係の者が御案内いたしますね」
待たされるかと思ったが、直時とフィアの後ろに既に控えている人物がいた。全く気が付かなかったことに驚きを隠せない。
「こちらへどうぞ」
一礼して先を歩き出したのは普人族の女性である。長い金髪を結い上げ、綺麗な項が見える。詰襟のブラウスにベスト。膝丈であるが脚に張り付くようなスカート。全体的に体の線を際立たせる服装であるが扇情感は無い。丁寧だが毅然とした態度がそう直時が感じることを許さない。いかにも有能な秘書といった雰囲気である。
「どうぞ」
彼女が扉を開き、直時とフィアが足を踏み入れた瞬間、景色がぼやけた。
「なんだっ?」
「跳んだ?」
一瞬前まで、それなりに広いが普通の応接室だった。今は壁の見えない薄暮の空間の中、そこかしこに金属結晶の鏡が浮かんでいる。そのどれにも、様々なギルド会館内の様子や、報告を行う人物、或いは依頼の内容が映しだされていた。
唖然とする二人へ声が掛かる。
「ようこそ。冒険者ギルド本部へ」
ゆったりとした純白の貫頭衣に身を包んだ、明るい栗毛の青年が眩むような微笑みで出迎えた。
「タダトキ・ヒビノとフィリスティア・メイ・ファーンだね。私の名前は『エルメイア』。一般にはギルド神って言われているけど、本来は農耕を司る神だ」
普人族の始父、神々の一柱である『エルメイア』を目の前にし、フィアは優雅に膝を折り、直時は緊張のまま背筋を伸ばして頭を下げた。
「君とは以前から直に話をしたかった。タダトキ、この世界はどうだい?」
「はい。大変興味深い世界です。厄介事もありますが、概ね楽しませてもらってます」
「君のことは色々と報告を受けている。普人族と似た容姿から、何とか溶け込んで生活しようとしていることとかね。僕としては嬉しい事なんだが、我が子達が迷惑をかけているようでそうも行かないようだ。申し訳ない」
直時はエルメイアの率直な言葉に苦笑いを返した。いらぬ刺激をしてしまったが、確かに普人族には迷惑を被っている。報告はミケだろうか?
「異世界の存在である君には相談がある。だが、君も私に聞きたいことが多々あるだろう。クニクラドのところである程度聞き及んだとは思うが何でも聞いてくれ」
「自分ごときが神々の一助となれるとは思えませんが、ご相談は拝聴いたします。早速、不躾ではありますが、お聞きしたいことがあります。普人族の獣人族に対する本能的とまで言える嫌悪感を、早急に失くすことは可能ですか?」
理由は聞かず、普人族の始父であるエルメイアに結論のみを求めた。
直時は、暗護の城で夜の王クニクラドから聞いた。世代を経るに従って、それは和らいできていると。いつの日か両者のわだかまりは消えるのだろう。混血がそれを加速するということも聞いた。
しかし、現在を生きる直時に遠い未来の話は関係が無い。今まで見てきた中では、争いながらも一応の協調はあると思っている。個人間では親しく接している普人族を見たし、街に暮らす獣人族も見た。だが、集団となるとどうだろう?
結んだ種族の子が全て普人族となる、ある意味婚姻による同化政策だ。普人族の数は増え続けて、結んだ種族は減り続けている。今は各種族が普人族と結ぶことに消極的なだけだが、いつ大きな争いになるとも限らない。見た目が普人族である直時だが、実はこの世界では異世界人という極少種族なのだ。他人事では済ませることが出来なかった。
「その可能性を含めての相談だったのだよ。先ず結んだ相手、子等へと融合した我が妻のことを語らねばならないね」
エルメイアが答えた。結論を急ぐ直時の手にフィアがそっと触れる。逸らずに聞けということだと理解した彼は居住まいを正した。
「彼女は君と同じく異世界の者だ」
「まさかっ! じゃあ日本人? いや、普人族の風貌だとコーカソイド、白人種か。地球から他にも…」
「それはどうだろう? この世界は数多の世界と接している。同じ世界から来たとは限らない。それは彼女についての話を聞いて判断しなさい」
直時は驚愕のあまり、神の話を遮ってしまった。それでも怒ることもなく、続きを語るエルメイア。
この世界、アースフィアの暦で約3千年前にエルメイアと彼女は出会った。大きな力を感じてその存在を探したところ、傷だらけの娘をとある小さな岩穴で見つけた。
言葉が通じず、魔力も感じられない。しかし巨大な『存在の力』を持っていた。エルメイアも会うのは初めてだったが、他の神々に聞いた異世界からの迷い人『神人』であることは直ぐに判った。
エルメイアは言葉を教え、アースフィアの事を教え、神としての自分のことを教えた。己の役割と任じた農耕の術を人族に授けるため世界を回っていたが、彼女も共に連れ歩いた。やがて、恋が芽吹き、愛が育ち、結ばれて普人族が産まれた。
「私達は愛し合うようになったが、彼女がアースフィアの全てを受け入れることは出来なかったようだ。特に獣人族には激しい拒否反応を見せた。元の世界で似たような種族がいて、彼女達の種族が捕食対象となっていて激しい争いを繰り返していたらしい。彼女は彼等を『禁忌により生み出された存在』と言っていた。禁断の術の忌み子だとね。親しい人達が何人も彼等に喰われたとも言っていた」
「それが獣人族を嫌う原因ですか? でも、姿が似ているだけで、アースフィアの獣人族は関係無いのでは?」
直時が言うのは正論だが、ただ正論であるというだけである。苦笑で返すエルメイア。
「彼女も理屈では納得していたさ。しかし、心に刻まれた傷は容易く消えることがなかったんだ。時が解決するだろうと軽く考えていたのだよ。それに加えて私は農耕を広める上で、術を授けた種族と子を為すことがあるのだが、彼女の気持ちを考えずに獣人族の族長の娘達と結んだ事が、結果として子等へ禍根を残してしまったんだ―」
魔獣が闊歩する世界において、農耕は大きな危険も伴う。新しい種族を生むこととは別に、通常の結びで子を為すことで神の力をその種族に分け与え、農法と共に授けるのである。
「彼女が本来なら短命な種族だったことを失念していた私の落ち度だが…。神としての私の役割を理解してくれていると思い込んでいたよ。でも彼女は獣人族の娘との間に出来た子をどうしても許せなかったようだ」
「まさかとは思いますが、その人の目の前で結んじゃったとか?」
神様ならばあちこちに子を為すものだろうが、性に対する感覚の違いに確かめずにはおられない直時。エルメイアの寝所は別であったとの答えを聞いて胸を撫で下ろす。
「そこで最初に言った相談とも関係する話だ。私と彼女が新たな種である普人族を生んだ時、彼女は消え去った。いや、子等の中へと融けた。どうやったのか全く判らないが、『存在の力』を用いたのだ。同じく大きな『存在の力』を持ち、アースフィアに無い知識を持った君に問いたい。何とか我が子等である普人族、その裡に存在する彼女に、同じ世界の兄弟である獣人族を認めさせる方法が無いものだろうか?」
直時へ請うように訊ねるエルメイア。その声には苦悩が滲んでいた。
即答を避け、エルメイアの許から辞去した直時とフィア。考えねばならないことが一気に増えてしまったため、気分を変えるためにギルド会館から出て、何故か昼間から開いていた人気のない場末の酒場で強い酒の盃を舐めていた。肴は魚介類の干物を炙ったもの。店構えから凝った料理を頼むよりは間違いがないだろうとフィアが頼んだ品である。
「普人族が異世界人の血を引いていたとはねぇ―。同郷っつーか、地球出身かどうか3千年も前の話じゃ判らないけど、獣人族に似た人造生命体だのそれを作った術だの聞くとどうも違う世界みたいだな」
直時のうろ覚えでは、紀元前千年くらいというと日本では皇紀以前、縄文時代から弥生時代への変遷期。海外ではアフリカ北部では古代エジプト文明、メソポタミアではアッシリアの台頭、中国では周王朝といったところだろう。
そこまで考えた直時だったが、結局のところ地球とは関係なさそうで少し気落ちしてしまった。自分にとっても普人族の始母にとってもお互いに無縁だと判ったからである。共通することと言えば、全くの異邦人であるということだけだろう。ただ、それがどれだけ心細いことであるかは想像する事が出来た。
「聞く限りエルメイア様が悪いな。他に頼るものが無いのに、頼りにした男が他に子作りしてれば、そりゃあ気分悪いわ」
干した軟体動物の触手を噛みながら直時が呟いた。酒も入っているので神々に対しても非難めいた口調である。
「タダトキの言いたいことも判るけど、神々なんてそんなもんよ? それに私達地上に住まう者にとっては神々の愛は恩寵だし…」
フィアの言葉には直時への同調があるものの、結論としては反対のようだ。人族と神々が実際にいる世界と、そうでない世界の直時との意識の違いである。
「そうかぁ? 既婚者とか他に子供いたりするならそっちに愛情注げよって思うけどな。もし、俺の結婚相手が神々に見初められたからって、はいどうぞ! なんて事は出来んな」
「えーっ? じゃあタダトキはどうするってのよ?」
「土下座して懇願する。それでも連れて行かれそうになったら後ろから刺す」
「サイテー」
直時が口にした手段に関しては酷評するフィアだが、どこと無く嬉しそうな頼もしそうな感じではある。
「しかし名前教えて貰えなかったね。忌み名とか真名は言えないとか…、一部聞いたような風習なんだよな」
エルメイアに訊ねたが、妻女の名は彼女が嫌がっていたからと拒否された。今となってはエルメイアしか知る者はいないという。
「頼りにされていたけど、妙案は浮かんだ? タダトキの世界の知識が異質だってことは私にも判るけれど、その知識で普人族をどうこうできるかってことまでは思いつかなかったんだけど」
「うーん。過大評価されてる気がするんだけどな。だいたい、何千年も良い案が出なかったのにそんなにぱっと出ないよ」
異質な文化に技術的なブレイクスルーを託したくなるのは理解出来るが、永い試行錯誤でも解決しえなかったことが、簡単に終わることは無い。
「異世界からの来訪者『神人』か…。他にも来ているだろうし、気になることも仰っておられたわね―」
「そうだなー」
難しい顔で共に盃に視線を落とすフィアと直時。しかし、二人の考えていたことには大きな隔たりがあった。
直時は普人族の始母となった異世界人のこと。存在の力を魔力へと変換することが出来ず、元の世界で使えていた『術』もアースフィアでは上手く発動しなかったこと。人魔術を開発した普人族がその血を引いていること。彼女が持っていた存在の力の行方が普人族の繁殖力となったのではないかとの疑惑。
そして、エルメイアから頼まれた案件。普人族と他種族、とりわけ獣人族との不和の解消。その方法についてだ。思う方法が無くはないが、自分にとっては危険が大きく、神々の一柱であるエルメイアに勧めることもできない思い付きもあった。
他方、フィアが気になった事はエルメイアと直時の会話にあった。直時は普人族と変わらない寿命であり、それは転写された日本の知識からも読み取れる。どれだけ長生きしても精々百年までだろう。
しかし、エルメイアは言った。「本来なら短命種である彼女」。異世界からの伴侶をそう評した。本来の世界であれば『短命』ならば、この世界、アースフィアにおいては違うのだろうか? それが気になって仕方が無かった。神々に対し問い質すなどということが出来なかったため、煩悶していたフィアであった。
酒好きの二人が酒の味も判らないほど考え込んでいる。薄暗い酒場だったが、それでもまだ昼間だ。窓から陽が差し込んでいる。それが不意に陰った。
直時とフィアは太陽が雲に隠れたのだろうという意識さえ無かったが、室内の闇が異常に濃くなった。
そして、二人が座る卓の足元の影が円形に切り取られたような漆黒に変化した。次の瞬間足元から緑がかった白く皺だらけの手が影から突き出され、フィアの細い足首を通り越し、ブーツの先の素肌が見える膝小僧を掴んだ。
「きゃああああああああああああああ!」
フィアの悲鳴が薄暗い酒場に響き渡った。