大きな取得物
ティサロニキ冒険者ギルド会館2階。その喫茶室に、イリキア王国では外国人である者が同卓に会していた。
日本国出身、現在無所属の日比野直時。国家など関係ない森エルフのフィリスティア・メイ・ファーン。カール帝国宮廷魔術師リシュナンテ・バイトリ。ヴァロア王国特務大尉サミュエル・ペルティエ。マケディウス王国巨商グラツィアーノ商会経営者の娘婿ベリス・グラツィアーノである。
それぞれが好みの茶と焼き菓子、軽食を前に大きめの卓に陣取っていた。空気は重い。直時は居心地悪そうにそれぞれの顔を窺っているが、フィアだけは悠然と茶の香りを楽しんでいたりする。
「多分、間者狩りで苦労してるんだろうけど、頑張れとしか言い様が無いな」
沈黙に耐えかねた直時が発言した。多少、「ザマァ見ろ!」と、思っていなくもない。
特に顔色が悪かったのがベリスである。グラツィアーノ商会は娼館への最大の出資者だったし、裏で動いていたことが直時にバレて昨夜の騒ぎとなったのかもと考えていたからだ。
店主は彼が匿っているし、直時が来館していたことも訊いていたので余計に恐ろしかった。しかし、当の直時からは一言も追求が無く、実際にベリスが関わっていることも知らなかった。対話の中でそれを悟ったベリスは胸を撫で下ろす。後の問題は間者狩りであるが、金の力でなんとでもなる。逃亡を積極的に手助けさせることは難しいが、良心を多少の金で目溢しする役人等いくらでも心当たりがあった。
「まあ、それもあるんだけどね。忙しくなりそうなんで、僕は早々にカールへ戻ることになって、お別れの挨拶を言いたくて待ってたんだよ。実はフルヴァッカ公国が滅んだ」
口を開いたのはリシュナンテだった。さらっと言ったが内容はとんでもない。
「ふーん」
「いや、ふーんて…。結構大変なことなんだよ?」
しかし、直時の反応は至って小さい。手応えの無さにリシュナンテが逆に慌てる。その様子にフィアが笑いを堪えていた。
追いかけまわされている国や一応の目的地にした国についてはある程度情報を集めていた直時だが、他の国情については疎い。フルヴァッカ公国についても、マケディウスの東に位置する国でそういえば通過したなぁ、という程度である。
「そう言えばカール帝国の南側だっけ? リッテんとこが滅ぼしたのか?」
直時は脳裡にギルドで転写してもらった地図を浮かべながら訊ねる。
実は普人族国家間の地図ではもう少し複雑だ。カール帝国とヴァロア王国が隣合っており、両国に挟まれるように南にシーイス公国、その3国のさらに南にマケディウスが央海の沿岸国として位置している。そして、マケディウスとフルヴァッカの国境線沿いに、カール帝国が紛争でぶんどった領地があり、狭いながらも央海に抜ける『トリエステ回廊』として大軍を常駐させ、いつ紛争が再発するか判らない不安定な地域となっていた。
その辺りの事情を直時に説明したリシュナンテはフルヴァッカが滅んだ理由を語った。
「うちの国とは睨み合いになってたけど戦争は避けていた。カールと比べると国力は小さいからね。向こうは手出ししてこなかったし、うちも周辺国との兼ね合いがあるから侵攻はトリエステ回廊奪取以来はやってない。フルヴァッカが滅んだ理由は、自滅というか自業自得というか、例の虚空大蛇さ」
「犯人見つかったのかっ?」
「実行犯は手配中だけどね。虚空大蛇の仔の飛行骨が見つかったんだ。買ったのがフルヴァッカの公王家だったそうだよ。神獣の怒りを買って王城が跡形も無くなったんだ」
(ミズガルズさんとアナンタさん、怒り狂ったんだろうなぁ―)
直時は、フィアとヒルダには神獣の怒りで数カ国が滅ぶかも、と、聞かされていたため少ない被害だと感じた。
「そんな訳で、フルヴァッカの周囲が慌ただしくてね。僕にも帰国命令が来ちゃったんで、タダトキ君とは暫く会えないからご挨拶―」
「カールは侵攻する気なの?」
不意にフィアが口を挟んだ。厳しい顔をしている。
「さあね? 拡張推進派もいれば、内政優先派もいるからね。でも好機かもしれないな。後、これは君へのお手紙。ゆっくりとよく読んでくれ。じゃあまたねー」
「もう会いたくないがな! まあ、精々頑張れ。気をつけてなー」
どちらとも取れる返事をフィアにし、直時の悪態に見送られリシュナンテは席を退いた。去り際に筒状の書簡を手渡す。
「私もマケディウスの『商人』達へ注意喚起等、手配をせねばなりません。暫くお会い出来なくなりますが、グラツィアーノ商会の名をどうぞ御記憶くださいませ。依頼の副次品の買取りなどがございましたら、最大限配慮させていただきます」
ベリスは商会の『高価買取』を約束して出ていった。
「残ったのは君だけになったけど、サミュエル君も帰国かい?」
「いえ。自分に撤退命令は来ていません。任務を続行しますよ」
「作戦失敗しましたーって帰れば良いのに…」
愚痴る直時に苦笑を返すサミュエル。作戦失敗の上、独断で撤退など軍法会議モノである。情報部の作戦上、秘密裏に処分ということもあり得る。
カール帝国やマケディウス王国に比べ、イリキア王国においてのヴァロア王国の諜報基盤は脆弱だった。直属の者は皆無で、雇われの現地協力者と商人への情報収集依頼程度だったのである。
突然の間者狩り。現地員は動きを止め、商人も疑われる行動を拒んだ。今のサミュエル達は孤立無援である。幸いエリアとオデットは冒険者登録したことで、訓練を兼ねて依頼を遂行中。街の外にいて今のところ無事であった。
「自分は指揮官なので撤退は出来ませんが、エリア嬢には帰国命令を出そうと思っております。ドゥブレ軍曹は彼女の護衛です。エリア様の身を守りながら任務を全うする自信は自分には有りませんからね」
冷淡で抜け目の無い人物だと思っていた直時だったが、彼への評価を改める。フィアも意外そうだ。
「つきましては、冒険者タダトキ・ヒビノ殿に指名依頼があります。彼女達をヴァロア王国所属の試作艦『ベアルン』へ送り届けていただきたい。同艦は既に翠玉海に入っており長距離、長時間の拘束にはなりません。報酬は金貨百枚を先払い致します」
サミュエルは直時とフィアを真っ直ぐ見て言った。
「寂しくなるが、これ以上まとわりつかれるのも御免だし、彼女達が大人しく帰ってくれるなら引き受けても構わない。フィア、どうだろ?」
「そうね。面白い娘達だったんだけどね。でも報酬は盛り過ぎね。普通なら10分の1以下よ。正規の依頼なら報酬も適正価格を守りなさい」
ヴァロア王国の交渉材料としての出会いであったが、フィアとは食事や買物をして過ごしていたこともあり、親交を深めていたようである。今までのような厳しい態度とは遠かった。
「この依頼って、ギルド経由に出来る? あと依頼のランクは依頼者が決められるのかな? 出来ればランクCの依頼で頼んで欲しいんだけど」
個人依頼ではなく、冒険者ランクを上げたい直時が訊ねる。
「ギルドの仲介担当と相談すれば何とかなるでしょ。依頼のランクは制限期日で上下の調整は出来ると思うわ」
「じゃあ、サミュエル君。条件を飲んでくれるなら引き受けよう。エリアちゃんとオデットちゃんへの連絡も頼む」
全てを首肯したサミュエルはギルド受付へと向かった。
サミュエルの依頼は大した問題もなくギルドに受理された。勿論指名依頼なので掲示板には貼り出されず、直時へ直接依頼される。
即時、引き受けた直時とフィアはティサロニキ郊外で待機。合流した後、再びエルフであるフィアを目眩ましとしてティサロニキへ入り、一旦ギルドへと戻る。エリアとオデットの依頼完遂のためである。
「現状は理解しましたが、納得出来ません! タダトキ様を篭絡することが私に課せられたお役目であった筈です。ペルティエ特務大尉殿がイリキアで潜伏されるなら、私達も同じなのではないですか?」
治外法権であるギルド会館内でサミュエルから説明を受けたエリアが激昂した。初めて見る剣幕に一同は驚きを隠せない。
「これは作戦を指揮する現場指揮官としての命令です」
「私は軍から退いております!」
「エリア様。軍命は絶対です。お控えください」
一方的な命令に怒るエリア。オデットの言うことは従軍経験を持っているから重々承知している。だからといって祖国を遠く離れ、国益のためだけでなくそれなりに親交を深め、これからという時に納得できることではなかった。
宥めるオデットは軍令に反してでも主の意を通したいところもあったが、エリアの身の安全が第一である。図らずもサミュエルの味方をすることになってしまう。
「はいはいはい! 内輪の喧嘩はそこまでにしておきなさい。エリア。貴女は今後を期待してのことでしょうけど、残念ながら無理よ。タダトキはこの国でも馬鹿騒ぎをやらかしたから、余所に行くことになったの。当然だけど貴女達が同行を望んでも私達の移動にはついてこれない。面倒見る気もないしね」
「そうそう! こっから東へは未知の旅だし、戻る気もないから―。残念ながらここでお別れってこと。ヴァロア王国に利することもない代わりに、敵対することもないだろうから、その情報だけでも充分成果になると思うよ?」
フィアの突き放した言葉と、やんわりと拒絶する直時。四面楚歌となったエリアは黙るしか無かった。
人を二人、洋上の艦艇へと護送する依頼。移動手段までも委ねられたことでギルドではランクB判定にされそうなところだったが、3日と期日を伸ばして直時が希望するランクCの依頼となった。
例によって人目を避けてティサロニキ郊外から空へと舞い上がった一行だったが、直時とフィアのように自律飛行しているわけではないエリアとオデットは、途中青い顔でせめて足場をと要求した。
かつて直時は空中騎兵3人を空酔いさせたことがあったため、見る見る青ざめる二人に慌てることとなった。しかし、今は洋上であり、手頃な物を探す事が出来ない。仕方なしに直時の背に跨らせることになってしまった。
航空力学上、身体を水平にして飛ぶのが当然だと思われるが、人体の構造上そうはいかない。身体を水平にし前方を向くという体勢は当人にとって意外にきつかったりするのだ。
気を付けの体勢で真上を見る形だと言えば判るだろう。首の疲労度が半端ないのである。
戦闘機動はともかくとして巡航するならば身体は斜め45度くらいの傾斜で飛行するのが一番楽な体勢なのだ。スキーのジャンプ姿勢を楽にしたような感じである。
その体勢で二人を背に乗せるとなると、乗客が安心する乗り方も限られてしまう。エリアは直時に肩車する形、オデットはその後方におんぶするような形となった。全くの宙空を自分の意思とは関係なく舞うことに較べると、体の一部が落ち着くことで格段の安心感を得た二人は漸く本来の気性を取り戻すことが出来た。
「うわぁーっ! 凄いです! 気持ち良いですっ!」
エリアが直時の首に跨りはしゃぐ。両腕を直時の頭に回してしがみついている。必然的に後頭部に柔らかい二つの物体が押し付けられている。跨ったお尻や挟みこむ腿の感触も筆舌に尽くしがたい直時である。しかし、それを邪魔する奴がいた。
「流石はタダトキ様。乗り心地は最高ですね」
エリアの後ろにおぶさったオデットである。風の精霊術で振り落とされないように風圧を調整しているのに両脚で直時の胴を力強く挟み込んでいる。エリアの背を支えながらも片手は直時の尻に置いていた。ニギニギとしているのは空中で自身を支える不安からだと信じたい直時だった。
「試作艦の『ベアルン』ってあれだよね?」
直時がサミュエルから聞いた艦の特徴から判断して聞いた。ロッソからの逃亡中に見た航空母艦のような軍艦である。数隻の艦艇から追われており、接近した艦から攻撃魔術を受けているようだ。両舷から水平に伸びた変わったマストが燃え落ちた。
「イリキア領海も近いってのに海戦やってるわね。相手はどこかしら?」
「『探知強化』。掲げてる旗は青地に白い十字だな。何処の国か判る?」
厄介事にうんざりした様子のフィアと他人事のような直時の暢気な声に緊張したオデットが答える。
「ブリック連合王国です。特務大尉殿の情報では、タダトキ様を追うために艦隊を出したということでした。まさか、こんなところで…」
「オデットちゃん。俺のせいみたいに言わないでよ! そのブリック連合王国はヴァロア王国に宣戦布告でもしたのか?」
「いえ。推測ですが、今、我が国は白烏竜の件で各国から責められていますから…。嫌がらせというか、牽制というか、見せしめみたいなものでしょうね」
「お、俺のせいじゃないよっ? 白烏竜の件はヴァロアが悪いんだからな!」
説明の間も直時の尻から手を離さないオデットだが、眼下の戦闘に力が入る。
「ちょっ! オデットちゃん、爪を立てるな! 痛いっ。依頼は君等をあそこへ届けることなんだが、沈められたら失敗になっちゃうんだろうなあ」
「そうよね。ここはイリキアに近いからって、脅して戦闘辞めさせるしかないかなぁ」
直時に答えるフィア。エリアとオデットは戦況を凝視している。
「おっ? 空中騎兵は出撃してるじゃん! 先頭艦潰したんじゃね?」
獅子胴鷲から魔術弾だろう火矢が放たれ、くさび形陣形の先陣を切る艦首が燃え上がる。速度が落ち、舳先が横に逸れる。
艦隊戦ではブリックが有利。空中騎兵からの攻撃を加味すると互角といったところだろうか? しかし、直時が見る限り接近を許した時点でヴァロア軍に分が悪いように感じられる。空母の船体は傾き、船足は遅い。試験艦のため、攻撃手段は空中騎兵と若干の攻撃魔術要員だけ。追うブリック艦隊は攻撃魔術師を多く乗船させているのだろう手数も多い。しかも全艦、ヴァロアの空母を射程圏内に捉えている。空中騎兵が散発的に攻撃を加えているが、このままでは母艦の沈没は免れないだろう。
依頼が果たせなくなると思った直時はエリアとオデットをフィアに預けて介入することにした。
「名乗りを挙げて示威攻撃! 戦闘を辞めさせるのよっ!」
「応よ!」
フィアの言葉を背に急降下する直時。
「我は黒髪の精霊術師! 我が名に於いて命じる! 争いを止めよ! 両者とも戦いたくば我の屍を越えて行け!」
仰々しい台詞で両艦隊に割って入った直時は精霊術で撃ち合っている攻撃魔術を全て逸らした。更に両艦隊(ヴァロア軍は単艦だが)の間に大きな水柱を出現させ、間合いを離す。自身の声は風の精霊に届けさせた。
(うぎゃぁーっ! 恥ずかしいっ!)
内心身悶えしながらの台詞だったが、厳しい様子で割って入ったことで戦闘は止んだ。
(そこで決別の台詞よ! 格好良く決めなさい!)
(フィア…。これ以上俺に恥をかけと?)
(争いを治める方が重要でしょ? ブッ。失礼。黒髪の精霊術師の名でやっちゃいなさい。ククッ)
「笑い堪えてるな…。絶対…。ちくしょう、やってやんよ! 貴様ら! 我はこれより東へ向かう! 西の列強よ! 再び見えることはないだろう! しかし、この場で剣を引かぬなら、最後に我の力を示してやろう! それを望まざれば退くが良いっ!」
後半の台詞を居並ぶ者、全てに風で届けた直時は、涙目でふんぞり返った。晴天の下、風の精霊によって起こされた嵐に翻弄されるヴァロア艦とブリック艦隊。両国がそれ以上の戦闘を止め、退いていったのだけが彼の救いであった。
ブリック連合王国の艦隊が水平線に消えたことを確認し、よろよろとティサロニキへ向かうヴァロア王国試作艦『ベアルン』。その広い甲板へと驚きをもたらして直時達は舞い降りた。
空中騎兵の活躍により沈没は免れたものの、艦の損傷は酷く、舷側の帆は全滅。今はかろうじて魔術での微速航行が可能なだけとなっていた。艦長曰く、ティサロニキから帰国する商船と本国からの補給艦に分乗して自沈するのみとのこと。
エリアに請われ、帰国への移乗まで護衛をすることになった。それくらいは依頼のアフターサービスの範疇と引き受ける直時とフィアだった。
全ての騎獣と必要物資を載せ替え、試作艦としての命を終えることとなった『ベアルン』。翠玉海の底に沈める段となり、異論を唱える者がいた。直時である。
「沈めるなら頂戴!」
ヴァロア王国としては損傷しているとはいえ他国に渡す気は毛頭ない。しかし、リスタルでは敵対したとは言え自分達を救ってくれた黒髪の精霊術師である。複雑な感情もあったが、エリアとオデットの口添えと、サミュエルの任務を支援する役目でここまで来たこともあり、『ベアルン』号は直時へと献上されることになった。
帆走も出来なくなった巨船をどうするのかと、見送るヴァロア王国の面々だったが、フィアと直時、風と水の精霊術を操る二人は苦もなく意のままに操船して彼等の目の前を去った。畏怖の念で見送る彼等とは別に万感の思いを眼にエリアだけは再会を誓っていた。