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娼館の人魚姫

区切りがつけられず長くなってしまいました。

目の疲れにご注意ください。



(些細な情報でも役に立つなら良かろ。一石は投じた。後はギルドの情報収集に期待しよう。他の情報源も得たことだしな)

 言うだけ言うと、直時は再び二階へと足を運んでいた。依頼掲示板の確認のためだった。


 彼はギルド会館から立ち去ったわけではない。放置されたからである。冒険者登録証カードどころか名前すら確認されず、伝えた情報の確認を優先したのだろうが、ボーッと待っていることに飽きてしまったのだ。そして、少し寂しかった。


 貼り出された依頼内容を良く吟味する。金を稼ぐと共に、ギルドの信頼を得てランクアップすることが目的だ。現在のランクはリスタル防衛戦での特例(名目上は水の加護祭で加護対象の護衛成功)で上がったが、ランクDである。

 目標はランクBになること。ランクBで冒険者ギルドに口座を持つことが出来る。利便性は当然だが、フィアとヒルダに財布を握られている現状をなんとか打破したいという、かなり情けない理由からである。


(手っ取り早く依頼の件数をこなすなら、やっぱり運搬系か? 同方向への輸送依頼があれば効率が良い。討伐やら護衛依頼は時間掛かりそうだもんな)

 討伐依頼では対象の捜索から始めなければならない。護衛依頼なら移動速度は相手次第である。他に危険地帯での稀少品の採取、採掘依頼もあるが、時間が掛かることには変わりないだろう。

 一方、大量の輸送ならば船で海路か獣車で陸路となる。空路は重量上無理だ。大量輸送が冒険者に依頼されることはないが、稀少品の輸送となると足の遅い隊商では危険が増す。フットワークが軽い冒険者達への輸送依頼は多い。


(それに、正規の流通に乗るとは思えないけど、希少品の輸送ならミソラの飛行骨の取引に行き当たるかもしれない。疑わしい情報を拾う可能性もある)

 直時の思惑にはそんな「棚からぼた餅」という考えも含まれている。


(イワニナ往復の輸送依頼が多いのは貴石の採掘が多いらしいから当然か。土竜蜂の来襲みたいなことは勘弁して欲しいところだけど、太古の品が出土するとか浪漫だよなあ。加工工房も多いから有力情報を期待できるかもしれん。でも、隠れ家の無人島と反対方向になるから今日はパスするか…)

 フィアとブランドゥが留守番をしている無人島は、ティサロニキからは南東方向になる。イワニナはほぼ真西だ。直時はダレオス達との悶着もんちゃくで時間を取ってしまった。イワニナへの輸送依頼は、自重なしの単独飛行でも日帰りでは難しいだろう。


「やあ! 依頼探しかい?」

「リッテか…。耳が早いな」

「君こそ昨日の今日じゃないか? まさかこんなに早くティサロニキに戻って来るとは思わなかったよ」

「活動拠点はしばらく此処だと言っただろうが。どうせマーシャさんの周りに誰か配置してんだろ?」

 直時のうんざりした問いに肯くリシュナンテ。疎らだった喫茶店の客の誰かがカール帝国の間者だったようだ。


(無闇に爽やかな笑顔を振りまきやがって! 向こうの女性がチラ見してんぞ? そっち行け! そして俺の頭の上から声を掛けるんじゃねぇ! なんかムカツク)

 男としての劣等感から湧く、全くの八つ当たりである。自覚があるから直時も口には出さない。ムスッとしたまま掲示板を確認する。


「依頼なら一緒に受けないか? 僕はこう見えてもランクAだからね。ランクアップを急ぐなら共同達成も手だよ?」

 高ランク冒険者の依頼に協力することで、上位者の評価によってはランクアップも早い。普通、共同依頼をこなす相手は、上下1ランク程度であるが、囮だの雑用だので格下を仲間に入れる場合もある。


「気遣いは無用だ。必要ならフィアがいる。フィアがそれをしないってことは、俺にとって必要な経験なんだろ」

 ランクアップは魅力だが、不相応な扱いは身を滅ぼす発端だ。小心者の直時は変なところで慎重だった。


「それよりレリッサってどんなとこよ? イリキアの情報収集はそこそこ出来てるんだろ?」

 何件かの魔石運搬依頼が直時の目についていた。ティサロニキから南に位置する街である。隠れ家の無人島への帰りも早いだろう。まとめて引き受ければ効率も良い。


「んー? そっちへ行くのかい? 山間部の街だけどそんなに大きくないみたいだね。陸上騎獣の飼育が盛んってくらいかなぁ」

 リッテは視線を上に彷徨わせ記憶を辿っている。様子からあまり多くの情報を得てはいないようだ。


「名物料理とかの情報を期待してたのに使えない奴だな」

 直時の容赦無い言葉に苦笑するリッテ。


「それじゃ、またなー」

 掲示板からレリッサへの輸送依頼書数枚を剥がした直時は、ひらひらと手を振って受付へと下りていった。袖にされたリシュナンテは小さく肩を竦めた。


 依頼書の束を手に受付へと戻った直時の許に、重そうな木箱が届けられた。若い職員が運び込む。長さ1メートル。幅と高さはそれぞれ30センチ程で、釘を打ちロープで厳重に縛ってある。蓋には封印の札もベタベタ貼ってあった。


「何です? これ?」

「輸送依頼の魔石です。輸送先も引き取り主も同じですから一纏ひとまとめにさせてもらいました」

「荷物、大きいですね。魔石って、小粒はともかく大きな物は戦略物資として国が取り扱うことになっていたのでは? それが一箇所の依頼なんですか?」

 レリッサの街には幸いギルドの支部があり、輸送はギルド間で済むので依頼主までは知らなかったのである。ギルドが仲介しているので詮索する必要は無いだろうが、気になった直時が訊ねた。


「レリッサには王室直属の工房があるのですよ。あと、期限は3日後となっていますが大丈夫ですか? 空中騎獣をお持ちでないとキツイと思いますよ?」

「まぁ、なんとか期日までに運んでみせますよ。その時間も含めての依頼なのでしょう?」

「あはは。失礼! 愚問でしたね。それでは無事の依頼完遂をお祈りします」

「有難う。行ってきます」




 依頼の品を背負って空を飛ぶ直時の眼下に目的の街が見えた。ティサロニキを出てから3時間と経っていない。単独飛行だったため、気兼ねなく最高速度を出すことが出来たからである。彼は、人目を避けて飛翔していた高空から速度と高度を下げ、街から死角になる森へと着地した。


 レリッサ。山間やまあいに突如現れる城塞都市。イリキア内陸部にあって堅固な城塞を持つのは、昔に存在したティサリアという国の名残りである。イリキア王国が現在の形を取る以前にあった、小国のひとつ、その王都であった。

 周辺では陸上騎獣と食用魔獣の牧畜が行われており、畜産品が名物となっている。街中には野球場のような石造りの野外劇場があり、直時は最初、闘技場と勘違いしてしまった。ローマ時代のコロッセオのように見えたからだ。


「遊んで行きたいなぁ」

 直時はギルドへ向かう道すがら思わずこぼしてしまう。特に劇場周辺はお祭り騒ぎで、酒を酌み交わす大人達の脇を屋台で買った菓子を手に子供達が走り抜けていく。ティサロニキやロッソとはまた趣の違った活気があった。



「今日は我慢だ。今度フィア達と一緒に観光に来ることにしよう」

 名残惜しいが、仕事が最優先である。フィアとブランドゥも待っている。陽が落ちないうちには隠れ家に帰りたいとも思っている直時は、誘惑を振り切ってギルドへと足を早めた。


「お疲れ様でした! 荷物の確認は完了いたしました。冒険者証をこちらに。報酬は直ぐにご用意させて頂きますっ」

 そばかすの目立つ若い受付嬢が元気良く対応してくれた。


「それにしても最短3日、最長5日の期限依頼をまとめて即日なんて凄いですね! どんな空中騎獣をお持ちなんですか?」

「あはは。急ぎの用事があったものですからね。騎獣については、まあ企業秘密ってやつですよ」

 目を輝かせる受付嬢に、ブランドゥのことを口に出そうとしたが思いとどまる。今日は同伴していない。


 報酬を受け取った直時は、今度はティサロニキへの輸送依頼をまとめて引き受ける。魔石の加工品や文書を預かったあと、土産物みやげものと夕食用に出来合いの食料品を買って隠れ家へと空を急いだ。




「たっだいまー」

「おっかえりー」

 無人島の空中邸宅へと舞い降りた直時。帰宅を告げる声に、フィアの声が返った。少しくぐもっている感じがするのは、他に集中していたからだ。


 小卓の上には直時が持ち込んだ日本の冊子が積まれ、フィアが熱心に目を通していた。それも魔法や魔術と似て非なる術が飛び交う伝奇物。平安時代の陰陽師の活躍を描いた物語である。フィアがどのような感想を持つのか、少し楽しみになった直時だった。


「夕食はもう食べた?」

「ブランドゥと一緒に食べたわよー」

「そか。じゃあ燻し肉は俺の夕食にするとして、レリッサの街のお土産の乳酒がこれね。あと、小さいから座布団みたいなもんだけど毛織物の絨毯ね」

「有難う。よっしっ! 飲みましょうか!」

 本を閉じて満面の笑みを浮かべたフィアが顔を上げた。


「フィアも好きだねぇ。俺も嫌いじゃないけど。乳酒って初めてなんだけどどんな味なんだろうなあ」

「あと、燻し肉も食べるからねっ! 肴にすごーく、良さそう…じゃ…ないの?」

 御機嫌だったフィアの語尾が小さくなり、直時の肩口に注視した目が細められる。ダレオス盗賊団との立ち回りで負った傷は治癒していたが、衣服の修繕までは手が回らなかったのだ。


「……その前に今日の出来事を話してみなさい。全てを包み隠さず詳細にね」

 不穏な気配を放つフィアに気圧された直時は、言われるままに報告した。その間、彼の顔面から汗が途切れる瞬間はなかったという。


「情報収集する相手として、盗賊に目を付けたのはよしとしましょう。私も思いつかなかったことだしね。でも! 相変わらず油断し過ぎっ! 何のために精霊術の訓練してると思っているのっ? 瞬間発動で最小限の動きなら、常人にはまず判らないのよ!」

 フィアは突然短剣を抜き放ち、床へと放る。着地する前に、倍の速度で持ち主へと襲いかかった。しかし、切っ先はフィアに触れる寸前に弾き飛ばされる。共に風の精霊術によるものだった。


「いきなりの実演は止めてくれ。心臓に悪い」

「タダトキは風の精霊が見えてたでしょ? でも、常人じゃ認識できない。まず間違いなく魔具による防御機能だと思うはずよ。精霊術を隠せとは言ったけれど、それで死んだらただの莫迦よっ?」

 直時は無傷のフィアに胸を撫で下ろすが、フィアの諌言は容赦無く続く。「いいこと? 判ってるの? 理解した?」と、念を押される毎に「はい! 判りました! 肝に命じます!」と、平謝りの直時である。情けないことこの上ない。


「でも、精霊術師がいたからどのみちバレていたのは確かね。しかも盗賊団如きにそれが二人もいたことが驚きだわ。本当に盗賊だったの?」

「うーむ。突拍子もない発想で、子供達を国に取られることを恐れた元ティサロニキ領主の貴族! とかはどうよ?」

「それは違うんじゃないかしら? 政庁が城作りなことからも、東都は王族直轄地だと思う。でも近からずとも遠からずかもしれないわね。王家に恨みを持つ没落貴族って線もあるわね」

「現政権を揺るがすなら、余計に非道い行いをしそうだけどしてなかったからそれもどうかなぁ」

「憶測だけであれこれ考えても仕方ないわ。それよりもそろそろ飲みましょ?」

 言うべきことを言ったフィアが直時の土産の酒に目を向けた。気になっていたらしい。首肯した直時が、二人分の杯に乳酒を注いだ。乳酸飲料系の匂いがする。


 興味津々なところ、フィアも乳酒は初めてのようだ。二人は杯をカチンと合わせ、同時に一口を含んだ。


「……微妙だな」

「……微妙ね」

せるな…」

「噎せるわね…」

 独特の風味ときつい酸味、低い酒精に二人の好みでは無かったらしい。非常に残念そうな表情だった。




 翌朝からの訓練には護身のためのメニューが追加された。昨夜フィアが見せた護風の精霊術に始まり、水の渦、土の壁、闇の穴である。風以外は、明るいところでは精霊術だと丸わかりだが、要はケースバイケース、臨機応変に対応できるようにとのことだ。使える手段は多いほうが良い。

 勿論、第一目標は瞬間発動である。意識すると同時、出来れば無意識化で反射的に発動出来るようになることが理想だ。

 腕や脚にフィアが投げる短刀が刺さるたび、早期の会得を心に刻む直時だった。その目は痛みに涙ぐんでいた…。

 手厚い精霊術の治癒があったが、負傷の際の痛みが無くなる訳ではない。フィアも心を鬼にして直時を傷つけている筈である。おそらく、楽しそうに見えるのは直時の錯覚だったであろう。多分…ね…。


「私も一緒に行動するからね!」

 ティサロニキへ向かう用意をする直時へフィアが宣言する。


「そりゃあ嬉しい申し出だけど、ここの留守はどうするんだ?」

「フフフッ。嬉しいんだ…。あっ! 留守番はブランドゥがいるわ。風と水の精霊術を教えてたけど威力はともかく発動はタダトキより余程スムーズよ。隠れ家の守護ガーディアンとして問題ないわ」

「(留守はお任せ下さい!)」

 ブランドゥが白く大きな胸をそびやかす。フィアの保証もあることから直時は安心して留守を託すことにした。二人は途中までの空をブランドゥに見送られながら、ティサロニキへと風に乗って天翔けるのだった。




 ティサロニキの正門を潜った直時とフィアは、同時にふと足を止めた。


「風がざわついてる…」

「そうだね。空気が固い気がする」

「フフン。タダトキも一端いっぱしに風の気配を読めるようになってきたってことか。師匠のお陰よねぇー」

「お酒の師匠のお陰ですねー」

 フィアの軽口をいなす直時。洒落たつもりだったが、久し振りに後頭部へとショートフックを喰らってしまった。


つうぅ…。まあ、俺達に関係することだったら向こうからちょっかい掛けてくるでしょ?」

「『俺達』じゃなく、間違いなくタダトキだけが理由だと思うけどね」

「正門前の屯所じゃ変な気配は無かったから、俺が原因じゃないと思うんだけどなぁ」

「とりあえず、依頼の品をギルドまで運びましょう。そのあと防具屋へ行くわよ」

「ギルドは当然として、なんで防具屋?」

「何処かの油断しまくる莫迦が大怪我しないように装備を見に行くの。異論はないわよね?」

「……うぃ、まどまーぜる」

「だから何語よっ?」

 流石に仏語までは転写されていないため意味不明なフィア。直時の従順な様子に可笑しな言葉ではないとだけ判断する。


 ギルド会館へ着くと、そこでも様子がおかしい。冒険者達も顔見知り同士が集まって情報交換をしているようだ。周囲を気にしつつレリッサからの荷を渡し、確認証を持って受付に向かう。


「なんかざわついてるみたいだけど、何かあったの?」

 直時は確認証と冒険者証を提示して、受付嬢に耳打ちした。フィアは離れたところで聞き耳を立てている。勿論、風の精霊術で話し声を集めていた。


「イリキア側が外国人の取り締まりを強化したみたいなんです。交易商人や冒険者への職務質問や任意同行が増えているみたいですね。ギルドにも拘束した冒険者の照会がいきなり増加しまして、どうしてこうなったのか…」

 事情を語る受付嬢も困惑を隠しきれないようだった。直時がすんなり入場できたのは、エルフであるフィアが同行していたことが他の国家に属さないと逆に信用されたようである。普人族のみの冒険者はかなり執拗な追求があったらしく、腹を立て暴力沙汰を起こした者も少なからずいるようだ。


「間者狩り? イリキアは近々軍事作戦でもする気なのかな?」

 何の気なしに発した直時の言葉にぎょっとする受付嬢。慌てて声を小さくするよう要請してきた。


「―ギルド(ここ)だけの話ですが、イリキアの神器使いが亡くなったようなのです。浮いた神器への警戒と次期継承者探しにピリピリしているみたいですよ?」

「ちなみにイリキアの神器って何?」

「先の海戦でリッタイト艦隊を破った『海神の鉾』です。使い手は王家縁の者であったとしか聞こえてきませんね。秘中の秘というやつです」

(こんなところで耳にするようなら、既に知れ渡ってるんだろうな。それで神器を奪取されまいと警備強化してるってことか? 貿易とかどうする気なんだろな)

 イリキア王国だけではない。どの国も隣国とは常に戦争の緊張を持っているが、離れた国との交易は物流だけでない利益をもたらす。敵の敵は味方という理論だ。国際情勢はそこまで簡単ではないが、物理的に接している敵国の反対側に接している国との情報のやりとりは実に有意義なものなのだ。相手国に利用されるとしても、それはお互い様である。連携して共通の敵を疲弊させることが出来れば好都合。仮にひとつ向こうの国が隣国を併合しそうになれば、逆に隣国へ支援すれば良い。昨日の敵は今日の友となる。それが国政というものだ。


 地元の動静はさておいて、直時は依頼達成を冒険者証に反映してもらう。昨日完遂した分と合わせて今のランクDの依頼を10件こなしたことになる。まとめて受けた輸送依頼が功を奏した。後はひとつ上のCランクの依頼を3件完遂できれば、晴れてランクアップとなる。直時が自由にできる口座を持つという野望に一歩近づくのだ。

 虚空大蛇の件で新しい情報が無いか確認し(何もなかった)、直時とフィアは不穏な情報を気にしつつも、依頼掲示板へと足を向けた。


「そういえばマリーちゃんはどうしてるの?」

「エマちゃんがしっかり面倒見てるみたいだよ。マーシャさんは喫茶室で給仕やってる」

 フィアが赤子のマリーを気にしているようなので、直時は掲示板を後にまわして喫茶室へ行くことにした。今日は酒臭くないので、マリーちゃんを抱っこしても問題ない。


「ちーっす」

 軽く掛けた声に機敏に反応する人影があった。席に案内するにしても速攻過ぎる。先日の余裕は見る影もないマーシャであった。

 切羽詰まった面持ちで直時とフィアを喫茶室の片隅へと案内する。


「残して来た達でかなり具合悪いが出たんだ。どうにか助けてやっておくれよ―」

 マーシャは席に着くなり、話を切り出した。


 直時が初めて娼館を訪れたとき、ひときわ衰弱していた人魚族の娘がいた。浴槽ともいえない水溜まりに魚類の下半身を浸し、浅い呼吸をしていた娘である。

 彼女は終始一貫して反抗的な態度であったため、客は元より、娼館従業員からも日常的に虐待を受けていた。直時の店主への圧力も空振りであったようだ。


「判った。とりあえず今日は娼館へ行って様子を見てくる。俺が客になれば治癒も出来るしな。場合によっては身請けも考えないといけないから、フィア、貯金貸して!」

「もう潰しちゃえば? 私、ああいう処嫌いなのよ」

「いやいや、フィアさん。そうはおっしゃいますが、ああいう場所も必要悪というかなんというか、一部緊急避難的な意味合いもありましてですね」

 フィアの怒りのオーラが怖いが、聞き取り調査をした直時は全てを否定出来なくなっているためしどろもどろだ。

 しかし、普人族より明らかに高い魔力を有する彼女等に、他に収入の良い仕事が無いわけでは無い。ただ、命の危険があるだけだ。つまりは冒険者稼業である。


 女性にとって命の危険を取るか、性を提供するかの選択は究極の二択ではないだろうか? そう思うのは元の世界の感性であるが、娼館に拉致されれば選択の自由も無い訳で、結局のところ本人から直接確認を取らねば判ることではないのだ。


「マーシャさん、俺は今晩、娼館行ってくる。んで指名して彼女の状態確認してくるから、ちょこっとだけ待ってくれないかな? フィアはマリーちゃんと遊んでてね!」

 フィアの背後に鬼火が見えた気がした直時が、慌てて提案した。マリーの一言に目尻を下げたフィアが少し可愛かった。




 マケディウス王国のベリスやカール帝国のリシュナンテ、ヴァロア王国のサミュエルといった、後ろ盾を持つ面々の接待ではなく、単独で娼館を訪れた直時はかなり緊張していた。身なりもそれなりに調えてはいるが、上流階級を相手にしている店なので気後れしてしまう。


 来客をチェックしてるのだろう。直時が玄関前に立つと即座に扉が開いた。緊張を隠して鷹揚に肯き、ドアボーイへ銀貨をチップとして渡す。


「ヒビノ様、ようこそお出でくださいました!」

 客が直時であると知り、支配人が揉み手をしながら姿を現した。身請けの件は破格の条件だったため、要注意人物というより上客であると思っている。


「今日も世話になる。ところで愛らしい娘達は皆元気かい?」

「勿論管理は万全にしております!」

「じゃあ、早速頼むよ?」

 即答する支配人が手ずから娘達を選ぶおりへと案内する。


(相変わらず悪趣味な鉄の檻籠おりかごだ。せめて朱塗りの木の格子にしろっての! 絶対ソッチの方が風情が出るのに…)

「前に目をつけていた娘さんだが、今日はいないな? 人魚族のは休みかい?」

「イアイラですか? あの娘は本日たまたま体調が優れないため休ませておりまして…」

 言葉を濁す支配人の様子に、相当酷い状況なのかと不安になる直時。それなら余計に会っておかねばならない。


「そんなに調子悪いのかい? まあ、私みたいな客ばかりでもないだろうからね。治癒術を施してあげるから連れてきなさい。その方が彼女の心を鷲掴みに出来そうだからね」

 直時の物分りの良さそうな言葉と笑顔を向けられ、損得勘定を素早く済ませた支配人は「直ちに!」と、背を向けた。


 途端に感じる寒気。笑っていたはずの直時の視線が背中から突き刺さっている感覚がする。自分でも判らない不安から、彼はその場から逃げるように急いだ。直時の要望を一刻も早く叶えるために。


「イアイラちゃんだっけ? 今夜が二度目だけど覚えてるかな?」

 人魚族の娘は力無く頷いた。体の至るところに青黒い痣が残って痛々しい。つい先日治癒したばかりなのに、余程非道い客に当たったのだろう。直時は、管理は万全との支配人の言葉に疑問と怒りが湧くことを我慢できずにいた。


 直ぐに精霊による治癒術を施す直時。見る間にイアイラの身体から痣や傷が消え、剥がれた鱗も新しく生え変わる。


「君が危険な状態にあるとマーシャから聞いて急いで来たんだ。この間治癒したばっかりだったのにびっくりしたよ。何があったのか聞かせてくれるかい?」

「…ありがとう…ございます…でも―」

 か細い声で答えたイアイラは部屋の外を窺うような視線を送る。監視を警戒しているようだ。


「外が心配かい? じゃあこれでどうだ」

 直時は闇の精霊を集め、扉を覆って封じた。これで出入りはおろか、音も光も漏れる心配はない。


「ついでにサービス!」

 水の精霊術で広い部屋を水で満たす。勿論水漏れの心配はない。目と口を大きく開けて驚くイアイラ。口元からは気泡が立ち上った。二人共、完全に水中に没しているが、イアイラは人魚族、むしろ望むところだろう。一方、直時は顔の周りだけ潜水服のヘルメットのように、空気の泡で呼吸を確保している。


 驚愕も束の間、久し振りに重さのくびきから解き放たれたイアイラは、大きく伸びをして水に沈んだ部屋の中を所狭しと泳ぎまわる。まさに水を得た人魚だった。

 小さな灯火の魔術に銀鱗を煌めかせ、力強く水を切る姿に見惚れる直時。弱々しい姿ではなく、これが本来のこの娘の姿なのだろう。表情も活き活きとしている。


 イアイラが泳ぐことで流れる水に身を任せていた直時だったが、突然衝撃に襲われた。感激のあまりイアイラが抱きついて来たのだが、細い肩が見事に直時の鳩尾を直撃してしまった。人間魚雷だ。集中が切れて、離れていく空気を慌てて集め直す。


「がはっ。落ち着けぃ!」

「ご、ごめんなさい!」

 イアイラが直時の纏う気泡に顔を突っ込んだため、音声会話が成り立つ。


「で、どうしてあんな怪我を? イリキア近海で拉致されたってマーシャさんから聞いたし、場合によっては保護も頼まれてるから話してみな」

「―実は…」

 美しい人魚の娘と至近距離で向かい合っている現実にドキマギしていたが、聞かされた話しは直時の浮ついた気分を一掃した。


 人魚族は海に住まう妖精種であり、保有する魔力もエルフと比して遜色ない。ただ、陸においては能力を極端に制限されるため、娼館などに囚われの身となっているとのことだ。

 しかし、直時が驚いたのは違う話しであった。彼女、イアイラは海神の娘の一人として、イリキア王国が所有する神器『海神の鉾』の後継者選定のため一族から派遣されてきたというのだ。


「ちょっと待って。そんな相手なら国賓扱いしてしかるべきだろう! なんでこんなところに?」

「会った王族の方々に好きになれそうな人がいなかったんです」

「???」

 疑問符が溢れそうな直時にイアイラが答えた内容はこうだ。


 普人族が使い手のいなくなった神器を手放さない現実は変わらない。与えた以上それをとやかく言う神々は少ない。しかし、使われないままでは神器は道具足り得ない。そこで、イリキア王国と交わしたある約定があった。海神ネレウスに連なる者と結ぶことで神器の継承を認めることになったのだ。選ぶ側は勿論ネレウス側だ。

 次代を担う王子やその子供達と謁見したイアイラであったが、誰も彼女のお眼鏡にかなわなかった。海へ帰ろうとする彼女を拉致監禁したのは王府高官であった。リッタイト帝国とは休戦状態だが、何の条約も交わしたわけでなく、いくさがいつ再発するとも限らない。思い余っての行動であったらしい。


「イリキアの役人は阿呆かっ? 神器を与えてくれた神に弓引くのと同義じゃないか」

「当然そう考えたそうですが、後の祭りです。後悔はしたものの引くに引けなくなったようです」

 結果、既成事実をもって神器の継承を行おうとしたらしい。


 彼女と無理やり結ぼうと、この娼館に王族や貴族、高官の縁者が引っ切り無しに訪れている。どれだけ金銀財宝を積まれようと、暴力を振るわれようと、彼女は頑として応じなかった。そもそも彼女がその気にならないと半身は変化へんげしないので無理矢理結ぶこともできず、焦りが彼等の暴力をこうじる原因となってしまったそうだ。


(聞くに堪えない話しだな。聞く限り権力に連なる奴等が日参してるみたいだし、娼館側も良く俺にこの娘をあてがったな…。怪我が元で死なせたりするのが心配だったのと、それだけ結ぶのを拒否ってたってことだろうなぁ)

 あまりに嫌な話に、直時は苦虫を噛み潰したような顔になる。


「でも、私と結ばなくても神器に認められれば使い手になれるのです。ただ、国に広く人材を求めるよりは、神器の使い手は王家筋に限定したいのでしょうね」

「戦時中の国とは思えない甘さだな。いや、逆か? 権力を集中する必要があるし、下克上を警戒するのも当然かもしれない。腹背に敵を抱え込めないもんな。でも、それだけ治政に自信が無いってことかな? いくら権力中枢がムカツクからって、自国を滅ぼしてまで力を振るうなんて奴は少ない……少なくないかもしれないか…外患誘致とか平気でやる奴もいるもんなぁ」

 権力欲ってのはどの世界でも同じなのかもしれないと溜息を吐いてしまう直時。イリキアも住み心地の良い国ではないようだ。


「怪我も酷かったし、このままここにいて良いことはないな。逃げようか?」

「え? でもどうやって…。身請けは無理だと思います…」

「確かにね。金を積んでも権力者が噛んでるから断られるだろうなぁ。そうだ! じゃあ脱走しない?」

「脱走…ですか?」

 突拍子もない提案に戸惑いを隠せないイアイラ。困惑する彼女に直時が思いついた計画を囁いた。




 その夜、ティサロニキの街に怒涛どとうほとばしった。ある娼館から溢れた水の奔流ほんりゅうは大通りを洗い流し、海へと向かう。不思議なことに夜道を歩く酔っ払いは誰一人溺れること無く、弾き飛ばされただけで傷む腰をさする程度で済んだ。


 夜目の効く種族が後に語った。街を駆け抜けた水流には美しい娘達が数多く浮いていたと。その水流は海へとまっしぐらに走っていった。


「みなさーん。この巨亀は私のペットなので大丈夫でーす! 噛み付いたりしないので安心してくださーい!」

 波間に上半身だけを付き出して、娼館にいた同僚達に声を掛けるイアイラ。脱出の折り、有無を言わせず全員を連れ出したのだ。残した者にとばっちりが行くことを恐れたためである。幸いにも、当日休んでいたのは急遽呼び出されたイアイラだけであり、在籍していた娘は全員同行させている。


 30畳はあろうかという甲羅には直時と連れ出された娘達、フィアとマーシャ達もいた。結果としてイリキア王家へ敵対したと取られる場合もある。万一を考えてのことだ。


「何処へ行くの?」

 エマがマーシャに訊ねた。夜の航海に怖くなったようだ。


「とりあえずうちらのご主人様の別荘らしいよ? 綺麗な無人島だってさ。海水浴も磯遊びも出来るって」

 マーシャはマリーを抱いている反対の手で、エマの頭をクシャクシャと乱暴に撫でた。視線を逸らすと、月明かりに照らされた波間を進む巨大海亀の端っこに直時が大の字になっている。

 逃亡の目眩ましに必要とした水量を、精霊術で力任せにかき集めて魔力が一時的に枯渇してしまった直時だった。ちなみに、水流を操っていたのはイライアである。陸の上でも水さえあれば誰にも引けをとらない海妖精だ。


「アンタにしては頑張ったわね…」

 疲れ果て眠りこけている黒髪をそっと撫でてフィアが呟いた。膝の上には直時の頭があった。




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