住処を探して
更新遅れましたorz
マケディウス王国、商都ロッソ。現国王の計らいにより、王族、貴族等の特権が極力排されている街である。過去、幾度かの政治介入により収益減が著しかったため、金勘定は商人の自由にさせるべしとの経験則からだった。
血の代わりに金が身体を動かしていると言われるロッソ商人達の中でも、十日後の計算を終えてから息をするとまで言われているのが『グラツィアーノ商会』である。
十日後に儲かるなら今日の飯を我慢する商人がゴロゴロいる中で、呼吸さえ金勘定の後にしかしないと揶揄されている豪商だ。
その当主は時間が許す限り街を歩く。売り物、買い手、荷揚げ、人の流れを見て歩く。新しい茶葉を出す喫茶店に入るし、陸揚げされたばかりの海産物の試食もする。古本屋で擦り切れた古書を手に取ることもあれば、新人ばかりの小さな劇場にも通う。笑みを絶やさない小粋な老紳士が、グラツィアーノ商会を束ねる当主である『リッカルド・グラツィアーノ』、その人であることを知る者は少ない。
そんな彼はここ数日書斎に腰を据えたまま、街をぶらつくこともせず遠国からの報告を待っていた。
「旦那様。ベリス様より書簡が届きました」
「良い報せであれば良いがな」
侍女兼秘書である長身の女性の手から、獣皮紙の巻物を受け取る。
いそいそと封蝋を剥がしたリッカルドは、懐から片眼鏡を取り出して左目へ挟んだ。
「―親愛なる義父様へ、遠き地イリキアより書をしたため―。相変わらずまだるっこしい」
細く仕立てた美髯を撫で、いらつきながら目を通す。
「なんじゃ。何も進展しとらんではないか。カールの小僧はシーイスを餌にしておるのか。大盤振る舞いだな。ヴァロアの王族入りを蹴った相手の目にどう映るかは疑問だのう。これが一番新しい報告か?」
「商会の念話網からの連絡を書き起こしたものです。受付は昨夜となっております」
「伝言なら封蝋なんぞ意味がなかろうに。それより早く持って来いと―」
「規則ですので」
当主の愚痴に身も蓋もない侍女。
「泥臭い手腕を買って娘婿にと取り立ててやったが、周りの顔色を窺う癖は相変わらずか―。良い方に転べば取り込みに役立つかと思ったが、芳しくないようだな」
「娼館から連れ帰った獣人族の連れ合いは商会で確保しておりますが?」
「イリキアの国情も判らんで、野心ばかりが大きな奴だそうだな。ティサロニキの実情も身の回りのことしか把握しておらん。こちらでは使い走りぐらいにしか役立たない男だが、餌としてはどうだ?」
「ベリス様の才如何かと…」
「期待は出来んということか? 辛いのう。どう使うかは指示してやらねばな。とにかく黒髪を手元に呼び寄せる餌にするしかないのう」
「独立を支援し、妻子を呼び寄せるよう働きかけてはいかがでしょう?」
「黒髪は、これ幸いと縁を切るのではないか?」
「以前の報告から情に厚いと見受けられました。身重の妻を借金のカタとして置き去りにする夫なら、身請けした主として確認に赴くと思われます」
「その判断も報告からの『印象』でしかないと思うがな。まあ、何もしないでは事も動かん。この件の指示はお前に任せる」
「有難うございます」
リッカルド・グラツィアーノは『黒髪の精霊術師』の件を秘書に押し付け、脳裏から儲け口としての格付けを下げた。王家に恩を売る好機とはいえ、投資が上回っては意味がない。既に充分過ぎるほどの恩は売ってある。良くも悪くも不確定過ぎる皮算用は利益として計算しないことにしているのだ。
「敵に回すと厄介だ。それだけは忘れるな」
「―御意」
深く一礼した侍女は、リッカルドの手払いにより退室した。
イリキア王国、東都ティサロニキ。中でも有数の高級旅館『落月の館』の自慢の庭園に設えられた茶席(テーブル席である)で、直時とフィアが硬い顔のサミュエルと終始ニヤけたリシュナンテの相手をしていた。
「狐っ娘達は俺の使用人として働いてもらうことにしたよ。借金の肩代わりは結構痛かったからなぁ。冒険者ギルドで雇ってもらえそうだし、良かったよ」
「えー? 囲った女性を働かせちゃうのかい? タダトキ君、それはちょっと甲斐性が無いんじゃないか? シーイスの王様になっちゃえば苦労懸けさせずに何人でも囲えるんだよ」
「うっさいわ! 依頼こなして稼ぐわい! それに働くことは良いことだぞ? 囲われたからって何もしないと逆に暇を持て余すだろう。生き甲斐ってのも必要なんだよ。とりあえず働かせるけど、やりたい事が見つかったら店ぐらい用意するつもりだからね」
「タダトキ殿はイリキアに腰を据えるつもりですか?」
主にリシュナンテと直時が話していたが、サミュエルが口を挟んだ。
「暫くはここで冒険者として稼ぐつもりだよ」
「狐人族の娘達が身を立てるまでは、この国にいらっしゃるのですね?」
「さぁねぇ。先のことは判らないねぇ」
念を押すように確認するサミュエルに、はぐらかすように答える直時。
「フィア嬢は彼が妾を持つことに異論は無いのかい?」
「なんで私が文句言わなきゃいけないのよ?」
「ふむ。そうなんだ。それで問題無いんだ」
直時とサミュエルの会話をしっかり聞きつつ、フィアへも絡むリシュナンテ。その言い様にフィアの機嫌が悪くなる。
直時に妾だの性奴隷だのの意識が無いことを理解していたが、対外的には当然そのようにとられる。その事実に何故かフィアの苛々が増した。
新たな来客の報せがもたらされた。マケディウスを代表するベリスである。
「タダトキ様、フィア様、ご機嫌麗しゅう。リシュナンテ殿とサミュエル殿はお早いですな。私も混ぜて頂けますかな?」
挨拶の後、ベリスが恰幅の良い体躯を新たに用意された椅子に落ち着かせた。
「シーイスの使者は来ないのかな?」
「カールに遠慮しているのでしょう」
直時の呟きにサミュエルが答える。リシュナンテが軽く笑った。否定はしない。
「フィア。こうして揃ってくれてるし、伝えとこうよ」
「そうね。皆、心配で訪ねてきたのでしょうしね。どこで知ったのかは訊いておかないといけないけどね」
「やはりティサロニキを出るというのは本当なのですね」
直時達に口を開いたのはサミュエルである。
「まあね。良い宿だけに宿泊料も高い。それにブランドゥが自由に翔べないからなぁ」
街での直接発着が禁止されているため、散歩のたびにブランドゥを城門の外まで歩かせなければならない。
嘘は言っていない。本音は別にあるが、このことも街を出る理由のひとつである。
「フィア様の仰られる通り、我々はある筋から情報を得ました。ですが、これはお二人とも納得していただけると思います。私が問題視したいのは、リシュナンテ殿とベリス殿が何処からこの情報を得たのかということです」
「えー? 僕は何も知らなかったよー?」
「リッテ、棒読みよ。当然リッテとベリスには情報の出処をはっきりさせてもらうわ。でもまずはサミュエル。貴方よ?」
「判りました。私が情報を得たのはエリア様からです。そして、エリア様に念話で報せてきたのはブランドゥです」
「ブランドゥ!」
フィアの怒声が響いた。
「(竜族に連なるものとして、乙女の願いを叶えるのは当然のことです。エリア嬢の助力となることが今の私の役目! タダトキ様がお聞かせ下さった英竜譚でもそうなっておりました!)」
「いやあのだからね…。あれは俺の国のお伽話だから。そもそもエリアちゃんの意向は政略結婚だからね? むしろ縁談をぶち壊してなんぼじゃないかなーと思うんだけどな。あはははは」
迷いのない決意を語るブランドゥにフィアは苦虫を噛み潰したような顔である。原因でもある直時が説得を試みたが、物語の主人公になったかのように熱弁を振るうブランドゥに効果は無さそうだ。
「(没落した実家のため人身御供にと自らを差し出したエリア嬢! 国のため家のためとはいえ、『リスタルの悪夢』と呼ばれた男に純潔を捧げる覚悟に心打たれました。このブランドゥ、微力ながらお味方させていただきます!)」
「ちょっと待って! 誰がリスタルの悪夢っ? いつの間にそんな悪名が付いてるんだよ!」
「(オデットからそう聞きましたが?)」
転写による知識が加わったものの、ヴァロアでは絶対服従で育ってきたブランドゥである。基本的に人の言う事は素直に信じてしまう。
ヴァロア王国から解放されたことでこれまでの不見識を自覚し、積極的に見聞を広めようとしたのだ。直時が異世界の竜物語を聞かせたのはこの頃である。
『タダトキの竜のお話』を騎兵達から報告され、目標の情報として記憶したサミュエル、単に瞳を輝かせたエリア。しかしそこに、純朴な白烏竜達が感化される隙を突いて、いらぬ情報を吹き込んだ輩がいた。エリアの侍女オデットだった。
(オデットちゃん…。底が知れん奴…)
戦慄を覚えた直時の背筋を汗が伝う。
オデットの画策により、エリアとブランドゥが知らぬ間に親交を深めていた。直時達がティサロニキから離れるとき、手懐けておけば乗騎として使えるかもしれないと考えてのことだ。折に触れ、ある事ない事を吹き込んだ結果、ブランドゥはエリアの竜騎士のつもりになってしまっていた。
「……タダトキ。交代」
「あ、うん。宜しく」
フィアがブランドゥの正面に立つ。
「ブランドゥ。仲間内の話をエリアに話したことは怒らないわ。必要ないと思って口止めしなかった私の落ち度ですものね。でも、これからは大事な話を口外する時には仲間の意思を確認すること。良い?」
「(判りました)」
ゆっくりと言い聞かせるフィアに、シュンとなって頷くブランドゥ。
「そして本題よ。エリアは同行させない」
「(でもそれではっ)」
「タダトキがエリアとくっついたら、あなた達を縛っていたヴァロア王国に行くことになる。それでも良いの?」
「(……嫌です)」
「話を聞く限りでは、あなたはエリアの役に立ちたいのよね? じゃあ、無理矢理タダトキに貢がれる立場のエリアを助けてこそでしょう? 任務が失敗すれば彼女は貢物になることなく祖国に帰ることができる。もし、タダトキと結ばれればエリアを犠牲にしようとした奴等の思うツボね」
「(っ!)」
項垂れていた長い首を勢い良く上げるブランドゥ。オデットに都合の良いように思い込まされていたが、フィアの指摘で漸く気付くことが出来た。
「エリアを連れて行くことは出来無い。納得出来た?」
「(はい。申し訳ありませんでした)」
その様子に、直時は一件落着と安堵の溜息を吐く。
「じゃあ次。リッテ、ベリス、貴方達はどうやって嗅ぎつけたのかしら?」
「エリア嬢達が大慌てで走りまわっているから何かと思ってねぇ。大急ぎで旅支度の品を買い漁り始めたんだよ」
「私も同様の報せを聞きまして、真意を確かめるべく至急参上した次第です」
答える二人を疑わしげに見たのはサミュエルだ。
直時達の出立の報に接し、本国へ報告と支援要請を送るしかなかったが、ヴァロアの諜報組織に漏洩の懸念を持ってはいた。何度か偽報を流したが、何処で情報が漏れているか確認は出来ていない。
「ふーん。まあ良いわ。宿は引き払うけど、当分ティサロニキを中心に活動するのは本当よ。タダトキにも忙しくなければ交渉相手になってあげるよう言ってあるから。引き続いて勧誘でもなんでもしなさいな」
「ご配慮痛み入ります。では、今日ご出立されるとして、次に来訪されるのはいつでしょう?」
フィアと直時を交互に見たベリスが問うた。
「3日は空けないと思うわ」
フィアが即答する。
野営は何処でも構わない。とりあえずの出発だ。明日中に手頃な無人島を見つけられれば良い。足りない物資の購入のためにも、早々にティサロニキに戻る予定である。
「本当に直ぐだねぇ。そんな程度ならわざわざ街外に居を構えなくても良いじゃないか?」
「ブランドゥが気儘に翔べないと言っただろうが。文句があるならイリキアから飛行許可を貰ってくれ。もらえるものならな! 勿論俺とフィアの分もだぞ」
しつこいリシュナンテに、直時の語気が荒くなる。
「悪かった。そんなに怒らないでくれ。でも、黙って出て行くつもりだったんだから僕らだって怒ってるんだよ?」
「んなもん知るか。俺と君等の間でなんか約束でもあったか? 交渉に応じてるのもフィアの顔を立てているからだ。むしろ感謝しろよ」
(タダトキ! ちょっと言い過ぎよ。決裂と取られたら面倒臭いことになるわ)
(―ごめん。なんか男としてこういう色男には敵意が芽生えるんだよ)
直時の苛立ちをフィアが念話で諌める。
リシュナンテへの劣等感を理由にしたが、彼の苛立ちの原因はそればかりではない。娼館で獣人族の娘達が今も受けているだろう過酷な現状や、そもそもイリキアまで逃走する原因の各国からの誘致があった。
普段は平静を心掛けているが、多くの生死に触れて知らない間に精神的負荷が溜まっていたことも理由のひとつである。直時は、未だにリスタル戦を夢に見てうなされることもあった。
リシュナンテにも非がある。国家間の交渉に少なからぬ経験があるため、弱みを見せず常に優位に立とうとするからだ。自己主張が控えめな日本人である直時に、これは失敗であろう。尤もそんな事情は知る由もないのだが、対国家と対個人では交渉方法も違ってくるの当然だ。
「あー、申し訳ない。今のは八つ当たりだ。うん。きっとそうだ。お互いのためにもそういうことにしておこう」
ぶつぶつと呟くように言う直時。彼は彼で決定的な決裂を回避しようとしている。
これも日本人の特徴を如実に顕しているだろう。賛否は分かれるだろうが…。
「我が国は性急な返答を求めているわけではありません。どうぞ、熟慮してご判断下さい」
口を挟んだのはベリスである。商売人だけあって、下手に出ることにも抵抗は無い。
一国を用意したリシュナンテの誘致条件以上のものを持っていないため、心証を良くするつもりだ。抜け目がない。
「ヴァロア王国としても、エリア嬢を娶ったとしてタダトキ殿を束縛する気はありません。先の戦は不幸な出会いでありましたが、彼女を通じて我が国を知っていただければ幸いです」
出遅れてはなるものかと、サミュエルもアピールする。エリアとオデットの組み合わせに情報部へ苦言を我慢していたが、正攻法では落ちない直時に彼女達は適任であるかもしれないと考えを新たにしている。
「はーい。話は着いたわね。私達は準備もあるしこれでお開きよ。続きはティサロニキに戻ってからいくらでもできるからね。タダトキもそれで良いわね?」
「了解。じゃあ、またね。サミュエル君はエリアちゃん達に宜しく言っておいてね」
フィアが茶会の終わりを宣言し、散会となった。女性に弱いと自認している直時はサミュエルにエリア達への説明を押し付け早々に席を立つ。
厚遇を理由に優位を保っていたはずのリシュナンテであったが、結果として直時とフィアの心証を悪くしてしまったようだ。表情は変わらないが、内心では焦りが積もってしまった。直時の人物を読みきれなかったための失敗だ。
各国代表の交渉団はそれぞれが次の手を模索しながら辞去の挨拶とともに去っていった。
ティサロニキ西門前から少し離れた場所に、荷物を持った直時、フィア、ブランドゥの姿があった。見送りにはエリアとオデットと空中騎兵のアラン、ジョエル、ポールが来ていた。
「次にお会いするまでに冒険者として修練しておきます。御一緒出来るように、決して足手まといにならないように、頑張りますわ」
一瞬悔し気な表情を見せるが、唇を引き結んで直時を見つめたエリア。従軍経験をアピールし同行を最後まで申し出ていたが、ブランドゥの協力が無ければ移動もままならない。直時とフィアのように空を飛ぶことは出来ないため仕方なく引き下がったのだが、色々と諦めがつかないようだ。
空中騎兵達は帰国前の挨拶である。騎獣を取り上げられたとはいえ、彼等も個人としては直時達に敵意があるわけではない。畏怖心はあるものの、緩過ぎる人となりに親近感の方が強かった。
「いやいや、すぐに帰って来るし。依頼は無理しないようにね。じゃあ、エリアちゃんとオデットちゃんはまたね。アラン君、ジョエル君、ポール君は元気でな」
直時が簡単に別れの挨拶を告げた。空中騎兵の3人もこのあと自国への帰途に着くことになる。
「ブランドゥ。長い間済まなかった。だが、一緒に空を飛べたことは忘れない」
「(ジョエル少尉殿もお元気で)」
ジョエルとブランドゥが惜別の言葉を交わしていた。
出会いは国の強制であったが、お互い信頼で結ばれていたようだ。今のブランドゥには恩讐を超えた想いがあるようだった。
その光景に自然と笑みがこぼれる直時へ、フィアが出発を促す。
白烏竜に跨った直時と風を身に纏ったフィア。居並ぶ者達に手を振って、二人と一頭は大空へと舞い上がった。
冒頭にベリスさんの紹介。ちょっと可哀相な扱いかも^^;