ティサロニキからの召喚②
あけましておめでとうございます
本年も拙い物語ですがお付き合い頂ければ幸いです
「(そうですか…。それで彼が今何処でどういう状況にあるのか知りたいと?)」
(はい。地上界の小事でお手を煩わせること、恐れ多いことですが、小さき我等にとっては大事。何卒メイヴァーユ様の慈悲を…)
地上界、ティサロニキの宿屋『落月の館』に戻ったフィアは、まず直時の荷を確かめた。折り畳まれた自転車も異世界の書物もそのままだった。
直時をどうこう出来るのは普人族では有り得ない。緊急事態と判断し、床に膝を突き祈りを捧げるフィア。そして、彼女の祈りに予想外の早さで神霊から反応があった。そのことに期待をもって願いを伝えた。
「(視てみましょう。少しお待ちなさいな)」
軽やかな声音。それに感謝の意を伝えながら思う。メイヴァーユという神霊はいつもこんな調子だ。「もっと気楽に~」と、いうのも口癖だ。それでも畏怖と敬愛が揺らぐことは無く、軽々しい態度を取ることが出来ない。
フィアは両膝を床に揃え、両手を胸前で組んだまま顔を伏せている。その姿勢のまま神霊の次の声を待った。
神域の湖上。石柱に腰を下ろしたままメイヴァーユが意識を集める。
神霊の目の前で風が渦を巻き鏡の様な面を創りだす。神域に住まう者達が地上界の様子を視るため使う手段は様々だ。風の神霊である彼女の場合は、『風の鏡』に統べる精霊達が知覚する事象を映し出す。
「あら? 真っ暗ね…。うちの子達の『声』が届かないほど闇の精霊の力が強い…。私より高位の神霊、神々が近くにいる?」
直時のいる地上界の情景を映し出すべき鏡面を黒い霧が渦巻き像を結ばない。地上界を見守るという名目の神々の暇潰し。その行為は覗き見そのものであるため、地上界に残った高位の存在達はこれを嫌う。
神域という特殊な空域からの一方的な干渉(観賞ともいえる)であるから余計にである。
どうしたものかと可愛らしく人差し指を顎にあて頭を傾けた。すぐに親密な神々を当たろうとしたメイヴァーユ。その時、湖面が波立ち知己が姿を見せた。水の神霊、深淵のヴィルヘルミーネである。
「はぁい、メイヴァーユ。ご機嫌如何? 良い風は吹いているかしら?」
「こんにちは、ヴィルヘルミーネ。少し澱んでいるかも…」
「あらま。これって関係あるかしらね? 貴女に伝言よ。クニクラド様から」
「夜の王が? 道理で闇の精霊がうちの子達を遮る訳ね…。彼はあそこにいるのね」
「そういう事。察したようだけど伝えておくわ。『タダトキ・ヒビノは夜の王クニクラドが招致。暗護の城を案内中。その旨、フィリスティア・メイ・ファーンへ伝えられることを望む』だそうよ」
ヴィルヘルミーネの言葉に肯いたメイヴァーユはフィアへと声を届ける。
「(フィリスティア。タダトキの行方が判りました。彼は今、夜の王『クニクラド』様の傍です。貴女には馴染みがないようですが、リッタイト帝国内にある大地の裂け目、大地溝帯『アースフィアの降塔』で、クニクラド様の城『暗護の城』に招かれているようです。彼の神より何らかの託宣を授かれば後は無事還るでしょう)」
ヴィルヘルミーネの顔を確認のため一瞥する。彼女は自信満々で肯いた。
(神々の御心に私が口を挟むべきことは何も有りません)
聞き分けの良いフィアに少し溜息をついてしまうメイヴァーユ。地上界の者はなべて神々や神霊等、自分より高位の存在を盲従する傾向にある。若くして神域入りしてしまった彼女にはそれが少し寂しく感じられる。
(もう少し親密に頼ってくれると嬉しいのに…。ついつい普人族に甘い顔をしてしまう他の神々の気持ちも少し判るわね…)
またひとつ小さく溜息をつくメイヴァーユ。唯一積極的に助けを求めたのが普人族で、非力な種族ということもあり数々の加護や神器が与えられた経緯がある。それが他の種族を虐げるようになった面もあり、神々の恩寵も善し悪しだ。
(メイヴァーユ様。タダトキのことはクニクラド様の御心に沿うとします。しかし、少しお聞きしたい事が在ります…)
ところが今回、フィアからの言葉はメイヴァーユの予想を少し逸れた。ただ、従うだけでなく己の求めるところを表に出したのである。
彼女が訊ね、疑問視したのは次の事柄だった。何故、タダトキの世界で架空とされている存在がアースフィアに現存しているのか? タダトキが内包している『力』。メイヴァーユが漏らした『存在の力』とは何か? と、いったことだ。
「(良いでしょう。私は神域において年若い存在ではありますが、知っていることは語りましょう。フィリスティア、貴女は我が眷属にして加護を与えた子ですものね)」
神霊からフィアへ、アースフィアという世界の成り立ちが語られる事になった―。
夜の王クニクラドが直時の案内に付けたのはヲン老人だった。この地に誘われた相手であるし、短時間とはいえ操られたため警戒心はいやがうえにも高くなる。
「まあまあそう身構えずとも。お客人に無礼を働くことはございませんので」
「いやいや! ヲンさん! 初っ端に自分へ暗示掛けましたよね?」
「ちょっとした老い耄れの稚戯じゃよ。それに理由もお話ししたでありましょう? 害意なぞ抱こうものなら闇の精霊が黙ってはおらんかったからのう」
「モヤモヤくん達ですか? でも最初はスルーだったじゃないですか」
「貴方様の望みを拡大投影し、それを達すると精霊達に確約した上での術式であったからのう。嘘が混じれば儂の命も無かったじゃろうな」
「…その言葉が偽りでないことはモヤモヤくん達が保証してくれてますけど、今後こちらの自由意志を操る様な術は止めてくださいよ? かっとなって攻撃することもありますよっ?」
「ホッホッホ。くわばらくわばら…。肝に命じておきまする」
甘い限りであるが、直時としては勢いのまま誤認攻撃なぞしたくはない。精霊が安全を囁いていたとしても身の危険を感じれば反射的に攻撃してしまうかもしれない。リスタルでの記憶は未だに鮮明だ。まだまだ自分を制御出来ているとは言えないのだ。
「…クニクラド様が何を考えておいでか判りませんが、正直に言って自分は魔力だけはあるらしい危険物ですからね。そこのところをご理解いただけていると有り難いんですけどね」
「儂も全てを聞いておる訳ではございませぬ。それでも貴方様がどういった存在であるかは朧げには理解しておりまする。―神に比するが人である…。なるほど、会ったことはなかったが『神人』とはこういった方であるか…」
何やら納得する老人に憮然としたままの直時。一方的に事情を理解し納得している様子が面白くないのだ。
それでも大きな溜息ひとつ。気をとり直した彼は陽の届かないこの地の案内役に頭を下げた。ついでに自分のことは呼び捨てにして欲しいと要望する。
ヲン老人は了承すると共に自分のことも『ヲン爺』と呼んでくれと言った。皆がそう呼んでいるそうで直時も肯いた。
アースフィアの普人族以外が見かけ通りの年齢でない事は直時も知るところである。そんな老人が謙っての案内となれば態度を改めずにはおれない。不興ではあるがそれを抑えることも心得ているのだ。
ヲン爺は直時の先を歩きながら『暗護の城』の簡単な来歴を語り始めた。単純に言えば光を仰ぐ者、闇を恐れる者達からの過剰な攻撃から逃れた、闇の眷属の駆け込み寺として始まったらしい。
普人族が勢力を広げている現在、夜の闇の中では大きな力を振るえるものの、日中は極端に力を制限される闇の眷属は狩られ続けている。ここ『暗護の城』に逃げ込んで来る者達が後を絶たないそうだ。
元の世界では宵闇が支配する時間の半分近くを普通に起きて活動していた直時。自分も半分くらい闇の眷属と見做されたから闇の精霊に好かれたのかなぁ等と、ヲン爺の話を聞きながらもとりとめもなく考えていた。
最初に案内されたのは、種々の夜光花が熱のない光を灯す屋内庭園だった。高い天上からは月を模した明かりが落ちている。何らかの術式なのだろう。弱い光が闇の中に薄い影を浮かび上がらせていた。
魔人族の中に吸血種がいることは与えられた知識では知っていたし、元の世界でも『ヴァンパイア』等の予備知識もある。しかし案内された地底都市(そう言っていい規模だった)を闊歩する彼等の数は多かった。クニクラド様かヲン爺の威光かは判らなかったが、紛れ込んだ異物として目立ったものの直時は無事に過ごせた。ただ首筋に視線を据えて、「美味しそう…」と呟いたのは数人どころではない。すれ違う者達が全て美形であったとはいえ、何やら物欲しそうな目を向けられては背中に冷たい汗が流れてしまう。
「じゃあ、次行きましょう! はいっ! 次っ!」
焦りながらヲン爺を急かす直時。後で聞いたところ、吸血種に呪いに属する伝染性はないとのこと。物語の中だけとはいえ、ねずみ算的に増える犠牲者に疑問があったが、はからずもそれが実証された瞬間である。地球ではないが…。
また、彼等が食事に要する血液量は致死量には程遠いそうである。怖がって悪かったなぁと反省した直時は、後で血を提供することにした。本人は献血気分である。
他にもクニクラド直系の夜鳥人族の住む区域では、無音のまま舞い降り傍に寄る住人達に、風の精霊や闇の精霊の助けを借りないと接近を気付けなかったり、闇の眷属の混合種族達(単眼馬頭鬼や三つ目牛鬼、直時の背丈ほどもある顔面ののっぺらぼう、人面蜘蛛、矮鬼人等)による百鬼夜行ばりの行列を見たりと新鮮な驚きに出会っていた。
ただ、彼にとっての驚きはその想像の範囲内、理解の範疇である。細かいところは別として、絵本、童話に始まり、神話や物語等、馴染みのうちだったが、それに殊更疑問を抱くことはなかった。
幾つかの種族達が住む空間を巡り、最後に辿り着いたのは『暗護の城』ほぼ最深部であった。漸く闇の精霊に同化して周囲を『視る』ことに慣れた直時の目には、広漠な闇の中に処々灯る冷たい光、鬼火とその周囲を漂う数々の不定形の存在が感じられた。
「彼等は冥界に渡るのを拒んだ魂達。死んだことを認められなかったり、断ち切れない未練があったりした者達ですじゃ…」
冥界に渡り、魂を真っさらにして新たな生命の器に宿る…。それがここアースフィアで繰り返されてきた輪廻である。冥海で洗い落とされた魂の記憶は想いの海を漂い、ゆっくりと時間をかけて沈んでゆく。
それらの想いは消えること無くアースフィアという世界に積もっていくのだ。
「ですが、全てのモノが生の終焉を受け入れられるわけではないのです…」
ヲン爺の顔に慈愛が満ちる。僅かに交じるのは悲しみか?
「中には障りを起こす聞かん坊のモノもおりますが、彼等の多くは己に答えの無い答えを求めているのですよ。しかし殆どは癒される間も無く陽光に焼かれ、忌み嫌われ、祓われて強制的に冥界へと送られますじゃ。我が主はそれを憐れに思われましてな。この地にて現世の傷を癒してから送り出されておりますのじゃ」
「…彼等の声、聞いても良いですか? 吐き出して少しでも癒されるなら…」
直時の脳裡にはリスタル戦で手に掛けたヴァロア少年兵達の姿が在った。力をぶつけ合った空中騎兵や成人していただろう正規兵に対しては不思議と罪の意識は感じないが、恐怖と恨みに顔を歪ませ、嘆きと痛みの中死んでいった子供達の姿を忘れることが出来ないでいた。
暴発した闇の精霊術による冥界葬送では眠りに就くのと同様に死んだのだが、それ以前の戦闘は激しいものだった。そこで死んだ者達は相当苦しんだことだろう。血の泥濘でのたうち回っていた兵達の姿は直時の記憶に刻まれている。
「貴方ならば、闇の精霊達が守ってくれましょう。お好きになされるが良いでしょう」
ヲン爺の言葉に肯いた直時は仄光る鬼火のひとつへ踏み出した。同時に集まる死霊達。
(―痛いっ! 熱いっ! ―何故こんなに苦しまないといけないの? 私が何をしたの? ―俺はこんなところで死ねないっ。あの子達が待ってるんだっ! ―愛しい人…。きっとあの人は帰ってくる…。 ―何故逆らう? 儂の言う通りすればこんなことには…。 ―お腹空いたよ…。お父さんお母さん早く帰ってきて…。妹は僕が…。早く…。 ―嘘だ嘘だ嘘だ…。彼女は僕のものだお前のものじゃない僕の僕の…。 私は何故こんな姿に? そうよ。全ては夢…。悪い夢。目を覚ませばそこにいつもの私がいるの…――)
痛み苦しみ悲しみ恨み辛み妬み嫉み…そして行き場のない愛情。あらゆる感情が直時へと流れこんでくる。それがただの感情だけなら耐えられなかったかもしれない。
同時に彼等の生きてきた背景が直時の脳裡を駆け巡った。何故、どのようにして死の瞬間を迎えたか…。迎えねばならなかったのか…。彼等魂の叫びに精神を崩壊させる寸前で踏みとどまれたのは、彼等の生の背景を知ったが故だった。
共感できることも出来ないこともあった。理解できることもしたくないこともあった。でも知ったことでそれら魂の叫びを全否定など出来なかった。ぶつけられる全てをただ受け止める…。共感も憐憫も憤りも全てを押し殺し、ただ、聞く…。それが自分に出来る唯一つのことだと思った直時だった。
「死者は速やかに冥界へと旅発て…。新たに生まれ出よ…。確かにそれが世の理ですじゃ。しかし、死者が現世に未練を残すも、己の死を拒むもまた自然の理…。クニクラド様は好きなだけ此処で過ごすが良いと申されておりますのじゃ」
目を閉じたまま苦悶に耐える直時の耳にヲン爺の声が届く。その声音は穏やかで慈しみに満ちていた。
直時を囲む死霊のひとつが薄れて消える。それを確認したヲン爺は動かない彼の手をとって彷徨う魂達の輪から連れ出した。直時の目尻から一筋の涙が溢れた。
行き場のない悲しみに混乱する直時が次に連れてこられたのは『降塔』の表層部、地表に近いところである。
「深い地溝帯といえどここには陽の光が届きます。タダトキ殿には陽の光も必要でしょう」
ヲン爺の気配りのようだ。日は既に傾いていたが、有り難く申し出を受け落日の光を浴びる直時。闇の精霊達は影に避難しているようで、代わりに風の精霊達がまとわりついてくる。
「風の精霊達の喜びよう…。好かれておいでですのう」
「闇の精霊達に包まれているのも安心感あるんですけどね。風も気持ち良いです」
ほっと一息ついて気分を切り替えることが出来たようだ。窓外遙か高く、大地の裂け目から吹き降ろしてくる風に包まれその身を浮かせる。身に纏った衣の襟や裾がはためいた。
「良い匂いがしますね?」
「ほっほっほ。すぐ上の階では夕餉の準備が始まっておるようですのう。御一緒されますか?」
「それは有り難いですね。色々見聞きして精神的にお腹いっぱいって感じなんですが、身体的には減ってるっぽいです。ご相伴に預かれるなら嬉しいです」
率直な言葉に好意的な笑いを返したヲン爺。直時は招かれるまま足を運んだ。
「オデット、任せます! ―『地走り』!」
エリアが魔法陣を施す。加速を受けたオデットが通路を扼した3人の襲撃者に真正面から突っ込んだ。接触寸前、横の壁を蹴って進路を強制変更。真ん中、先頭の脇を抜け向かって右側の男へ襲いかかった。
両手には刃渡りの長いナイフ。長身を低く地を這う程に屈めて左脇を駆け抜ける。
襲撃者は慌てて長剣を叩きつけようとするが右手の攻撃範囲外だ。切っ先はオデットに届かない。
オデットはすれ違いざま右手を頭上、男の左脇の下へ。擦り上げられた刀身は、深くは無いが鋭い傷を負わせた。切り裂かれた動脈から噴出する鮮やかな血。男は高い悲鳴と共に崩れ落ちた。同時に振るった左手のナイフが左脚の腱を断ったためだ。
「女の身で刃向かうか!」
先頭の男の怒声がエリアに飛ぶ。
左側の男は首領格の背中を守るため身体の向きを後ろへ。構えた長剣の切っ先でオデットの姿を追ったが既にいない。見失うはずのない狭い裏路地である。一瞬の意識の空白。上から被さる影。オデットは疾走のベクトルを上に向け、大きく跳躍していたのだ。
背中合わせの男達の隙間にオデットが静かに着地する。ひとりは頸部から血を噴水の様に上げて事切れた。もうひとり、首領と思われる男の喉元と脇腹に血塗れの刃があてられる。
「立派な殿方ですし、抗ってみますか?」
背後から蠱惑的な声で耳元に囁くオデット。左手の刃は喉の皮一枚を裂いて止まり、右ナイフの切っ先は男の右脇腹、軽鎧の継ぎ目に軽く刺さって血を滲ませた。
男は長剣を抜きかけたままの姿で身動きひとつかなわない。降伏の意を示したいが、喉に押しつけられた刃のため首を振ることも声を出すことも出来ない。
「降る気があるなら両手を広げてよく見えるよう上に挙げなさい」
エリアの凛とした声に、顔中脂汗にまみれさせた男はゆっくりと手を挙げた。戦意の喪失を確認したエリアがオデットに目で伝える。水平に当てられていた喉の刃がゆっくりと位置を変え、血塗れの切っ先を見せつけるようにした後、改めて頸動脈に押し付けられた。
「答えなければ死にます。聞いた事を知らなくても死にます。知らされてないなら考えなさい。根拠を示した上で判断を話しなさい。場所も悪いし時間も無いので質問に入ります。言うまでもないですが、こちらが時間稼ぎと判断した場合も死にますよ?」
「わ、わかった」
エリアの矢継ぎ早の言葉は男から冷静な判断力を削ぐ。慌てて頷くことしか出来ない。
(直接の雇い主は交易船の船主でした。おそらく背後にいるのはマケディウスでしょう。連中は荒仕事だけの契約でした。監視役は他にいるはずです)
(お疲れさまでした。もう暫く敵の目を引いて下さい。アランとジョエルをそちらへ向かわせました。合流後は守りを優先して慎重に行動して下さい。情報が取れ次第連絡を入れますので、その後はフィア様の待つ『落月の館』への避難をお願いします)
念話で指示を出していたのはサミュエルだった。彼はヴァロアの諜報員と接触を図ると共に、動きを悟られないよう他国の諜報員の耳目をエリア達に集めたのだ。
直時は毎日図書館へ通い、午後はフィア、エリア、オデットと連れ立って街を歩いていた。監視者達からは、フィアと同時に要注意人物と目されていたのだ。彼の失踪が周囲に露見した場合、手強い妖精族フィアと違い真っ先に狙われることは判っていた。
サミュエルも貴族を囮にすることには気が引けたが、周囲の動きを予測したエリアが自ら買って出たので依頼したのだ。オデットは憤慨していたようだが、強硬に反対することもなかった。
「オデットがいれば、私に傷ひとつ付けることかなわないでしょう?」
エリアが発した絶対の信頼を示す言葉に、久し振りに忠勇を示せると奮い立ったのである。従軍前はエリアの侍女兼護衛として武術の腕も見せていたのだ。
薄暗い路地裏に3体の遺体を残してエリアとオデットはその場を去った。
尋問内容や諜報員への対処はサミュエルからの念話指示だった。エリアは多少眉を顰めたものの、冷酷な指示に従った。必要だと判断したからだ。
場末の潰れかけた酒場。看板下のランプに火が灯っていることだけが開店を教えている。しかし、店内にいるたった一人の人物は店の者ではなかった。
(タダトキ殿の槍は受付に預けられたまま…。他の出入り口は司書の前を通る…。正門前には来なかった…。魔力の感知は無かった…。彼の場合拉致は無いだろうが、消え方が解せない。誘致か失踪かも判断がつかない。タダトキ殿を見失って仕掛けてきたとなるとマケディウスは白か…。いや、牽制かもしれん。とにかく情報が欲しい)
騎兵のポールを供にヴァロアの現地協力者からの連絡を待つサミュエル。入り口に一番近い席に腰を下ろしている。指定された酒場内には入ったときからずっと人気は無い。
(特務大尉殿。玄関外に人影はありません。しかし私ひとりでは裏口まで監視できません)
(正面だけで構いません。裏から来るのは目的の人物ですから。違っていても正面玄関さえ固められていなければどうということはありません。不審な者が近付いたら連絡を。その場合は即座に撤退です)
念話の途中、店の奥から微かに軋む音がする。誰か来たようだ。サミュエルはいつでも動けるよう腰を浮かせて待つ。
「やぁ。随分とお待たせしちゃって申し訳ないですねぇ」
やたらと明るく軽い声。若い男らしいが、長身を覆うローブのフードを目深に被っていて顔は判らない。サミュエルから見えるのはニヤけた口元だけである。
右手には長い錫杖。施された細密な模様から高級品と思われるが、処々その模様を削る傷もあり、金持ちの蒐集品でないことを窺わせる。何より彼から感じる魔力量が撹乱されていたことがサミュエルに警戒を促した。
(ハッタリでないならかなりの手練…。どのみち認識撹乱の人魔術を使う時点で高等魔術師だろうな)
緊張したまま相手を探るように見る。
「そんな怖い顔しないでくださいよ。ちゃぁんと情報は仕入れてきましたから」
「済まないな。では聞かせてくれるかな?」
「勿論ですよー。その前に確認だけど、『晴嵐』は図書館を殆ど調べなかったのですね?」
「そう報告を受けている」
「ふむ」
長身の男は左拳を顎の下にあて、少し首を傾げた。何か考え込んでいるようだ。
「おい」
「ああ、すみませーん。各国の情報でしたね。商国も山国も帝国も『黒髪』を見失ったままで、情報を得ようと動きが活発化してますね。彼女達が狙われたのもそのせいでしょう。どの国も彼に関する情報収集の段階でしかないかな?」
「イリキア王国は?」
「イリキアですか…。王都『テーネ』は静かなものです。王族、貴族とも動きは無し。ここ東都『ティサロニキ』の第一王子側も特に注視すべき動きは無いですね。ただ、冒険者ギルドティサロニキ支部の念話連絡の量が増えている…という未確認情報が上がっていますねぇ」
「各国の冒険者への依頼は?」
「ギルドを通した依頼は皆無。個別依頼は調べようもないけど、商国と山国が依頼したのは確実でしょう。ギルドへの問い合わせが念話連絡倍増の原因かもねぇ」
大袈裟に溜息を吐きながら首を振る。
「各国の情報に特筆すべき点は無し。特務大尉殿はこれから晴嵐の処へ行くんですよねぇ?」
「それが何か?」
「護衛は多い方が良いでしょ? 僕も付き合いますよ」
カラカラと笑いながらの提案だが、サミュエルは警戒を露わにする。
「諜報員として分をわきまえることを勧める」
「いやいや。現地協力員としてこの非常時にこそお役に立たないとねぇ? 自分で言うのもなんですが、魔術師としちゃあ一級品ですよ?」
軽々しい口調であるがこれまでの観察から言葉通りの実力が覗えた。情報漏洩の件は放っておけないが、手練の魔術師が一緒なのは正直心強い。
サミュエルは警戒しながらも同行を許可した。
軽口の魔術師と言えば…。