ティサロニキからの召喚
イブ更新!
何も見えない闇の中、先を歩く老人の姿だけがやけに鮮やかに見える。しかし、茫っとした直時の表情に疑問は浮かんでいない。歩みを進める足裏に地の感触はあるがその足音も聞こえない。一切の闇。一切の無音。
耳元でざわめく闇の精霊達の声が聞こえた。虚ろだった直時の目が徐々に焦点を結び始める
「っ!」
正気を取り戻した直時は、自分を取り巻く異様な状況に恐慌を起こしかける。目に映るのは小さな老人の後ろ姿だけ。他には何も知覚できない。
ついさっきまで気にもしていなかった図書館の空気。窓から差し込む陽光も無く、窓越しに聞こえていた喧騒も無く、獣皮紙の匂いも無い。
比較する対象物が存在しない闇の中、平衡感覚さえ危うくなる。しかし連日の空中散歩で鍛えられた三半規管は倒れることも傾くこともさせず己の位置を確固たるものにする。
直時は即座に風の精霊術で防御の風を身に纏い、流れの無い空気を自ら動かす。老人の姿から注意を逸らさず大きく後方へ飛翔、充分な間合いを取る。同時に探査の風で周囲を認識しようとするがどうも上手くいかない。
「ホホッ! もう自分を取り戻されましたか。精霊は儂より貴方様の方を好んでおるようですのう」
老人が嬉しそうな声をあげた。直時を操った術が解けたというのに気にしていないようだ。
「自分のような若輩者に『様』付けは勘弁してもらえませんか? それより今の状況を教えてもらえると有り難いんですがね?」
周囲に群れるのは闇の精霊達。普段なら夜でも考えられない程集まっている。
「図書館での言葉は嘘ではないですぞ? 貴方様が知を求められるを知り、我が主がそれに応えたいと申されましてな。こうして御案内の役を買って出たのですじゃ。外は普人の民が騒がしゅうございましたからな。穏便にお連れするため、少々強引な手を使ったのはお許しいただきたい」
深々と頭を垂れる老人。警戒を解くわけにはいかないが、真摯な態度に殺意だけは引っ込める直時。が、現状を知るため全力を尽くす。
(闇の精霊が満ちている…。探査の風と同じ様に出来るか?)
空を舞うため風を操ったように、海中を水の精霊術で泳ぎ回ったことがある。なら、闇が支配するこの場なら、闇の精霊と同化することで周囲を認識出来るかもしれない。
(モヤモヤ闇の精霊さん達っ! ちょっと協力お願いねっ!)
目を閉じて闇と同化するイメージ。周囲の闇に包まれた全てを把握しようと魔力を全方位に放出。危険は感じられなくても危機意識が強い。魔力の出し惜しみはしない。
同時に自身の中に存在する力、直時の定義した『気』、フィア曰く『謎の力』、そしてこの世界に初めて迷い込んだ際メイヴァーユが口にした『存在の力』を魔力に変換する。
周囲を包む闇との同調に成功した直時。彼は視覚情報では得られなかった現況を認識する。
(直径は約3メートル。一本道のトンネルか…。だが、おかしい! 後方と前方の存在が途中から曖昧だ。感知できん!)
理解出来ない状況に危機感が高まる。老人から距離を取ったが、直時の後方10メートル以降がどうなっているのか認識することが出来ない。闇の精霊を信じるならば行き止まりではなく『何も無い』のだ。同時に老人の前方10メートル程も同様だ。
今、存在するのは老人と直時の間10メートルとその前後の計30メートルのトンネルだけ。閉じ込められたか? と、直時の背中を嫌な汗が伝う。
(―ダイジョウブ。ダイジョウブ―)
声にならない様な声。闇の精霊だ。彼等の歓喜する様子が直時を困惑させる。
「暗示まがいの術を使ったことは心より謝罪いたします。しかし、嘘はいっておりませんぞ。貴方様の望まれることを我が主が提供できる―それを正直に増幅させただけの術でございます。貴方様の望み、それへの回答、どちらが違っていてもこの術は体をなしません。『唆し』と取られるかもしれませんが、『後押し』と、思って頂ければ幸いですじゃ」
あくまでも穏やかな老人である。
「(お客人。少々手荒な招待となってしまった。許されよ。そなたを招いたのは神々の末席に連なる私だ。夜の王『クニクラド』という。異邦の民であるそなたの疑問が数あることは知っている。出来る限りの答えを対価と引き換えに与えよう。ヲンよ。手を煩わせてしまったな。ご苦労だった)」
直時の脳裡に響き渡ったのはかつてメイヴァーユ、ヴィルヘルミーネと対面したときのような『声』だった。しかも精霊を束ねる神霊ではなく、更に上位の存在。神々のひとりであるという。
ヲンと呼ばれた老人が『声』の主へ深く頭を下げるのと同時に直時を眩暈が襲う。今までトンネルの中だったというのに、突然広い空間が広がった。未だ周囲は闇が覆ったままだが、闇の精霊と同化した直時の感覚は広大なドーム状の空間を認識した。
「(ようこそ闇の子達の領域へ。我が『クニクラド』。闇の神アスタの眷属にして夜を司る者だ。貴殿をこの地へ迎えられたことを心から嬉しく思う!)」
月光のような朧げな光の下、闇が凝り固まったような人型の塊。それが直時へ喜びも露わに声を掛けた。事態の推移に混乱する直時の耳元を闇の精霊の笑い声が過ぎていった。
「―いつものように待っていた。正門からタダトキは出て来なかった。ということね?」
フィアの詰問にエリアとオデットが頷く。
昼食の待ち合わせにいつまで経っても来ない直時他二人に業を煮やしたフィアが王立図書館へと出向いた。不機嫌なフィアと館外で待つエリアとオデットが合流。図書館へと足を踏み入れたが直時の姿は無かった。
直時が単独での調べ物を主張したため、エリア達はいつも昼前に図書館に来るのだがいくら待っても出てこない。邪魔をするのが憚られたためそのまま待っていたが、フィアの方が待ちきれなくなったようだ。
憤然としたフィアを先頭に入館したところ、中にいるのは暇そうな司書の女性だけ。肝心の直時の姿は無かった。
「―またロッソのときみたいに勝手に逃げたんじゃないでしょうね…」
フィアが呟く。状況確認を済ませたエリアとオデットがそれに答えた。
「閲覧用の机上には片付けられていない書物がたくさんあります。本日午前中の入館者はタダトキ様のみ。そして、私とお話なさった中で「書物はひとつの世界だ」と、おっしゃったことがありました。あの御方がこのように無造作に書物を放置されるとは考えられません。逃走にしろ拉致されたにしろタダトキ様にとって不測の事態が起きたと判断すべきです」
エリアが静かではあるが強い口調で断言する。最悪の場合も想定している。彼女の言葉に直時が故郷の本を愛おしそうに撫でていたことを思い出すフィア。
「…そうね。貴女達は補術兵だったわよね? 何か魔術が発動した気配はあった?」
「私達が図書館前に着いたのは昼前ですが、特に異常は感じられませんでした」
「なら異変があったならそれ以前ね。貴女達は館内の正面以外の出入り口を確認して。私は一応宿に戻る。あいつが逃げるなら荷物は持っていくだろうしね。報告はあの元参謀も連れて『落ち月の館』まで来なさい。来客の予定は伝えておくわ」
探査の風を放って図書館の構造は既に把握していたフィアだが敢えてエリア達に申し付ける。確かめたいことがあったからだ。
秀麗な顔立ちを険しい色で染めたフィアは、宿に着くなり加護を与えてくれた神霊、『風を統べる女王』メイヴァーユへと意識を集中して祈りを捧げた。
(それは本当かっ? わかった…。私は本国への連絡と各国の動向を調べる。ドゥブレ軍曹は調査後エリア様を連れてこちらまで。晴嵐と会う前に打ち合わせだ)
オデットからの報告を聞いたサミュエルは念話しながら外套を羽織って外出の用意を調える。
「いったい何処の誰が…。彼の力を考えれば拉致できるとは考えられんが…」
舌打ちをしながら宿を後にするのだった。
闇の精霊達の嬌声に敵意を削がれた直時は、眼前の「神」をまじまじと見る。しかし、闇が凝り固まったような暗い塊があるのみで、その姿を垣間見ることは出来ない。
「クニクラド様? 出来れば御姿を顕していただけると安心するのですが」
「(うーむ。これが本来の我の姿なのだが判り難いか?)」
「申し訳ありません。今までお会いしたのがメイヴァーユ様、ヴィルヘルミーネ様といった人型であったのでなんとなく思い込んでいただけです。その御姿が本来のクニクラド様の姿であるならそのままで! 大変不躾なお願いをしてしまいました!」
神様へ不遜な要望をしてしまったと慌てる直時。
「構わぬ。夜鬼族や夜鳥族等、はるか昔に結んだ折の形もある。おぬしがわかりやすい姿を取るのは呼びつけたこちらの礼儀だのう」
闇の中の更に濃い闇の塊が結実する。微かな光の中に顕れた人型は2メートル程の筋肉質の男神の人型。闇を結実したかのような漆黒の体躯は筋肉の鎧に覆われ、背には蝙蝠か竜族のような翼がある。頭に頭髪は無く、面白そうに見開かれた両目と三日月を横にしたような裂け目を見せる紅い口が覗く。はっきり言って◯魔のような容貌である。
(こえーっ! こえーよっ!)
先程の発言を心から後悔した直時はおどおどしながらも言葉を発する。
「お手を煩わせて申し訳ありません。それで自分を招かれた要件とはどういうものなのでしょうか?」
「(んあ? 聞いておらなんだか? そなたの疑問に応えるためよ。他にこちらから頼みはあるがな)」
ヲン老人の言葉が甦り思わず身構える直時。
「確か対価が必要とおっしゃっていました。それは自分が払うことが出来るモノですか?」
「(おぬしにしか出来ぬことだ)」
警戒する直時に重々しく頷くクニクラド。『神』と聞いたが、直時にとっては別種のひとつとしか感じられない。魔力か神力かは判断できないが、保有する量はフィアやヒルダと比べ物にならないのは判る。だが、不思議と驚異とは感じない。
直時にとって外形の驚きはあっても、感じられる魔力は自身のそれと較べて小さく感じられたのだ。それは魔狼父のドゥンクルハイトや虚空大蛇のミズガルズやアナンタでもそうだ。彼等の場合その巨躯を恐れた直時である。むしろそれより小さい姿である分クニクラドへの脅威としての認識は少ない。
「(フフフッ。聞いた通りやはり面白い! 謙ってはおるが存在としては対等と思っておるのう)」
(げっ! 決してそんなつもりはないんだが、失礼な態度だったか?)
クニクラドの含み笑いが何を意味するか判らないが、地雷を踏んだかと冷や汗が直時の背中を伝う。その心配を吹き飛ばすかのような明るい笑いが響いた。
「(はっはっはっ! そう身構えることはない。我は神域入りせなんだが交流はある。おぬしの噂は色々と聞いておるよ。目の前にしてその力のことも理解出来た。だからこそ頼みたいこともあるし、そのためにはおぬしの疑問には全て答えよう!)」
見かけによらず豪放磊落な神のようだ。
「お言葉は大変光栄ですが、自分に出来ることは知れております。色々とお聞き及びのようで重複すると思いますが、自分はこの世界『アースフィア』に来て間がありません。未だに手探りの毎日で自分の居場所さえ無い有様です。おまけに普人族の複数の国家から追跡を受けていて行動にも支障をきたしております。そんな中でクニクラド様の求められる対価を払えるとは思えないので、まずは何を自分にお求めなのかをお聞きしたいです」
後でとんでもない要求をされてはたまったものではない。直時は丁寧な応答ながらも予防線を張る。
「(我がおぬしに求めるのは普人族が遊ばせている『神器』の回収だ。これだけでは言葉が足りないことは重々承知しておる。そこで、だ。我が地上に留まった理由をその目で見てもらいたい。此処は地上界であるが、陽のもとより追われた者達が集う場所。我が望み創ったこの地をおぬしの目で確かめて欲しい。答えはその後で良かろう)」
「わかりました。しかしその前にひとつだけお願いがあります」
「(何だ?)」
クニクラド自身が気にした様子はないが、神へと先に要求しようとする直時にヲン老人の顔が険しくなる。闇の中からは他にも複数の気配から魔力の高まりが直時に感じられた。視線をクニクラドから離さないまま緊張感を増した直時は言葉を続ける。
「自分には連れがおります。ティサロニキから突然消えたとなれば心配いたします。この地を拝見することに異論はありませんが、せめてその者達へ此処に居ることを知らせたいのです」
フィアとブランドゥが心配しているかもしれない。そのための要求だったが、直時が真に恐れたのはフィアの心配ではなく、逃亡と取られることだ。初めて会ってからまるっきり頭が上がらないエルフの怒りが実に恐ろしかった。魂的な意味で―。
「(おおっ! そこまでは気が回らなんだ。許せ! 直ぐに使いを出そう。冒険者ギルドから連絡をするよう誰ぞに報せるようにしよう! いや、確かおぬしの連れはメイヴァーユの加護を得た者だったな? 儂の名で此処に居ることを伝えよう)」
クニクラドは神域経由で神々の伝手を使うようだ。
(ちょっ! 神様軽いなっ? 良いのだろうか…)
それをさせた直時が心配することでもないのだろうが、なんだかこの世界の『神』をいうものに図書館で感じたこととは別種の疑念を感じてしまうのだった、。
世界とは繋がっているものの、地上とは異なる何処か。
穏やかな気候に花々が咲き乱れ、しかし奇妙な程静かな場所。広さの割に生き物の息吹があまり感じられない場所。
『神域』と呼ばれる地では、神々や神霊、神獣や聖魔の者達が、地上とは流れの違う緩やかな時を過ごしていた。
小高い丘からひとつのたおやかな人影が風と舞うように滑り降りてくる。丘の麓には湖が静かな水面を湛えていた。薄衣を風に漂わせながらその人影が湖面上を踊る。真っ白な素足は鏡のような湖面に触れないが、宙空を走り抜ける風が水面に軌跡を刻む。
優雅な舞いが突然止んだ。湖面は再び静けさを取り戻す。人影は宙を滑り湖から突き出した石柱の一本にゆっくりと腰を掛けた。
普段なら意識に入っても無視する程度の声。今まで数多の者に与えた己の加護。それ故届く多くの祈りの声。その中から気になる祈りが彼女に捧げられた。
「(フィリスティア。息災でしたか?)」
微笑みながら答えを返したのは『風を統べる女王』メイヴァーユであった。
メイヴァーユ様ぁ…は、しーするー